表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
289/337

湾岸シンクロナイズド・ナイト【2025/11/27】

東京湾岸の再開発地区は、夜になると海よりもモニタの光の方がまぶしい。

ガラス張りの庁舎群の中で、ひときわ白く浮かび上がるタワーがある。政府直轄の監査機関「湾岸ガバナンス・センター」。その最上階で、真壁伸は紙の匂いがほとんど消えた事務室に、まだ慣れないでいた。


「連休明けの夜勤初日がこれって、ついてないよな」


独り言は、薄く光るデスクトップに吸い込まれていく。

画面には、新設された部署の名称が並んでいた。「税制優遇・補助見直し室」。国内に散らばる税の優遇措置や補助金をまとめて洗い直すための新オフィス。その立ち上げ資料に、真壁は監査エージェントとして目を通している。


データベース上では、学校の耐震化も、スタジアム照明の省エネ改修も、同じ「地方振興」のタグで並んでいた。

本当に必要な支出と、誰かの人気取りの境目は、数字だけでは見えてこない。


机の端で、タブレットが震えた。SNSのトレンド欄に、派手なタグが踊る。


「#連休あけの資産チェック……いやいや、そんなの見てる場合じゃ……」


ぼやきながらも、真壁の視線は別のトレンドで止まる。


「#電話対談 首相、米大統領と安全保障と金融を協議」


さっきまで目を通していた報告書にも、その電話会談のメモが挟まっていた。為替と金利の話題が、いつの間にか防衛費と補助金の議論につながっている。

別のニュースウインドウでは、高等裁判所が「参院選の一部選挙区は、投票価値の格差が憲法の予定から外れた状態にある」と判決した速報が流れていた。


「税も選挙も、公平を掲げれば掲げるほど、誰かが損をする……か」


呟いたそのとき、タワーの足元の湾岸広場から、ざわめきが届いた。

今夜、このビルでは市民公開イベントが開かれている。題して「湾岸シンクロナイズド・ナイト」。災害対策、金融市場、民主主義、エンタメ。バラバラのようでいて全部、税金と国の意思決定につながっているテーマだ。


真壁はジャケットを引っかけ、エレベータへ向かった。

下では、彼と同じように、この夜に振り回される人々が集まりつつあった。


◇ ◇ ◇


桜井玲は、湾岸のコワーキングスペースの窓際で、ノート端末に額をつけるようにしてチャートを見つめていた。

アジア市場の株価は、昼の時点で大きく跳ね上がっている。米の中央銀行が近く利下げに動くのではないかという観測が広がり、リスク資産にマネーが戻ってきているのだ。


「ほら来た……って、寄り天かよ」


玲は口の中で悪態をつき、手元のスマホに視線を落とす。

ソーシャル投資アプリのタイムラインには、「利下げ前に買っておけ」と煽る投稿が並んでいる。その一番上に、見覚えのあるアイコンがあった。


「纏目ナナコ、またバズってる……」


丸メガネに猫耳フードのイラスト。匿名のニュースまとめ配信者、纏目ナナコ。

政治も経済も災害情報も、皮肉とギャグで料理してショート動画にしてしまう。玲は内心、少しだけ羨ましく思っていた。相場の世界より、よほど分かりやすく人の感情を動かしているのだから。


『今夜20時から湾岸ガバナンス・センターのイベントに潜入生配信。タグは「#シンクロナイト」。ついでに「#スタパの福袋」争奪戦の行列も撮るよ』


ナナコの最新投稿には、そんな文字が踊っていた。

画面の右端には、別のトレンドタグ。「#桑森ライガース」。老舗球団の外野手、桑森の移籍報道が、連休明けのタイムラインを埋めている。


「相場も選手も、動くときは一気なんだよな……」


玲は端末を閉じて立ち上がった。

勝てる確率は、長く見れば五分五分。問題は、その波のどこで降りるかだ。

今夜のイベントには、政府の監査機関の人間や、防災のプロ、それに首相の代理で出席する外交官まで来ると聞いている。ナナコの配信だけでなく、玲自身も、その空気を肌で感じておきたかった。


◇ ◇ ◇


「震源は南西海域。規模は推定5・7。震度は最大で5強……」


久遠響は、昼間の地震の記録を早送りで再生しながら、モニタ画面の色の滲みをぼんやりと眺めていた。

震源は東京から遠く離れた地方の海底だが、新しい観測網に連動したアラートは、湾岸のビル街のスマホにも一斉に鳴り響いた。


「本番前の総合テストだったはずが、いきなり実戦投入になった感じですね」


隣で新人のオペレーターが苦笑する。

湾岸ガバナンス・センターの一角には、防災庁の出先機関が入っている。久遠はそこで、都市圏の緊急地震情報と避難計画を担当する防災官だ。


「逆に、いいデータが取れた。『#緊急揺れ速報』のタグの伸びも、避難行動と結びつけて分析できる」


そう言いながらも、胸の内には鈍い不安が残っていた。

揺れは中規模で済んだが、エレベータが止まったビルや、棚から物が落ちて怪我をした人もいた。防災のために組んだはずの補助金が、どこかで別の用途に回されていないか。そんな噂も耳にしている。


今夜のイベントで、久遠は市民向けのミニ講演をすることになっている。

災害のリスクを、どう税金と結びつけて考えるか。壇上で笑顔を絶やさずに話せるほど、器用な性格ではないのだが。


ポケットの中で、個人用のスマホが震えた。

画面には、知人からのメッセージが表示される。


『今夜、球場じゃなくて湾岸のビルで野球観戦ってマジ? あそこ、避難経路ちゃんとしてんのか?』


送り主の名前は「フザケ翔」。本名は福田翔。筋金入りの野球ファンであり、防災意識は高いのか低いのか、よく分からない。


『避難経路は俺が設計した。安心して推しを叫べ』

『マジか。じゃあ安心して叫ぶわ。#桑森ライガース残留祈願な』


短いやり取りが終わると同時に、久遠はモニタの別ウインドウを開いた。

高等裁判所の判決全文。選挙の一票の重みの不均衡を「違憲状態」とした一文が、白い画面の中に静かに浮かんでいる。


「公平って、どこからどこまでを指すんだろうな」


久遠の独り言に、昼間の地震速報で鳴り響いた電子音の残響が、まだ耳の奥でチリチリと答えている気がした。


◇ ◇ ◇


福田翔は、湾岸広場の屋台で、限定コラボメニューのホットドッグを両手に抱えていた。

野球球団とコーヒーチェーン「スタパ」が組んだ企画らしい。包装紙には「#スタパの福袋プレ予告」と印刷されている。中身は普通のホットドッグなのに、妙なプレミア感があった。


「なんで福袋の宣伝でホットドッグなんだよ。福袋なら福袋くれよ」


そう文句を言いながらも、匂いにつられて結局買ってしまうあたり、自分でも救えないと翔は思う。

広場中央の特設スクリーンには、今夜のイベントのタイムテーブルが映っていた。


「第1部 税と補助金のこれから」

「第2部 連動する世界市場と暮らし」

「第3部 もしもの夜の避難訓練」

「特別企画 湾岸パブリックビューイング 森武ライオンズ戦」


「最後の一行だけ本命だよな」


翔がぼそりと呟いたとき、背後から明るい声が飛んできた。


「ねえねえ、お兄さん、森武ファン?」


振り向くと、猫耳フードのパーカーを着た女の子が、スマホをこちらに向けていた。

丸メガネの奥で、目が笑っている。


「……撮ってる?」


「撮ってる。『連休あけなのに推し球団のことで頭がいっぱいな人たち』ってテーマでね。SNS用ショート動画、『マトメナビ』の纏目ナナコです」


「ああ、お前が……」


翔は一歩後ずさる。

画面の向こうの存在だと思っていた配信者が、目の前で普通にホットドッグの匂いを嗅いでいる。


「『#桑森ライガース』でさっきからトレンド独占してるでしょ。移籍か残留か、連休あけの一発目としては最高の感情ジェットコースターだよね」


「人の心をジェットコースター呼ばわりすんなよ。あと、桑森は残る。絶対」


「その根拠は?」


「勘」


「それ、相場なら即退場案件だよ」


コンビニ前で立ち話をする若者のようなやり取りをしながら、ナナコは手を止めない。翔の顔と、背後にそびえる巨大スクリーンを、別々のアングルで何度も撮る。


「ねえ、避難訓練のあと、ここで野球見られるって本当?」


「本当だよ。防災庁の何とかさんが来て、地震のときはどう動けって話してくれるらしい。そのあとに試合中継。揺れてもスクリーンは落ちないってさ」


「落ちた方がバズりそうだけどね」


「やめろ。縁起でもない」


翔が真顔でツッコむと、ナナコは肩をすくめて笑った。


「安心して。落ちたら、ちゃんと防災の観点からバズらせるから」


「だからやめろって」


二人の会話が噛み合っているのかいないのか、自分でも分からない。

ただ、ナナコのレンズの先にあるのが、単なる笑いだけではないことは、翔にも何となく伝わっていた。


◇ ◇ ◇


湾岸ガバナンス・センターのメインホールは、吹き抜けの天井から湾岸の夜景が逆さにのぞき込む設計になっている。

そこに、真壁伸、桜井玲、久遠響、福田翔、纏目ナナコ、そして首相代理として出席した高城梨花が集まった。


高城は、控室で短く深呼吸をした。

総理が先ほど、米国の大統領と電話で話したばかりだ。その余韻も冷めやらぬうちに、今度は市民との対話イベント。為替と同じで、言葉も一つ間違えれば世界が揺れる。


「高城さん、タイムテーブルの確認です」


スタッフが差し出した紙には、「電話会談の内容に関する質問コーナー」と書かれている。

高城はそこに、サッと一本線を引いた。


「『電話会談』って言葉だけだと、遠い世界の話に聞こえます。『税と安全保障と、あなたの生活の話』くらいまで、砕いてください」


「了解しました」


鏡に映る自分に、高城は小さく微笑んだ。

硬い言葉を、噛み砕いて届ける。それが自分の役割だと、ずっと思ってきた。


◇ ◇ ◇


第1部のトークセッションは、意外なほど穏やかに進んだ。

真壁は、新設された税制優遇・補助見直し室の仕事を説明する。学校の耐震改修や、防災拠点への補助金が、本当に現場で役に立っているかを確認する役割だ。


「紙の上の数字だけ見ていると、全部切りたくなるときもあります。でも、今日ここに来てくれた人たちの顔を見ていると、その数字の向こうにいる生活が、少しだけ具体的になります」


そう語る真壁の背後のスクリーンには、昼間の地震で揺れた地方都市の映像が映し出される。

補助金で補強された校舎の下で、子どもたちが無事に避難した様子。そこに、会場から小さなどよめきが起きた。


第2部では、玲が壇上に立った。

アジア市場が利下げ期待で上昇するグラフを示しながら、それが輸入品の価格や、ローン金利、ひいてはコンビニの弁当の値段にまで影響することを、丁寧に解きほぐす。


「数字が踊る画面の向こうに、ちゃんと人の暮らしがある。そう思えたときに、私はやっと、1枚のチャートをまっすぐ見られるようになりました」


ナナコは客席から、その様子を撮り続けていた。

いつものようにツッコミを入れることもできたが、その言葉が今は邪魔に思えた。代わりに、テロップ用のメモに小さく書き込む。


『連休あけ、数字と暮らしをつなげる人たち』


第3部、防災パートの冒頭で、久遠は深く一礼する。

壇上の足元には、ふだんは隠された非常階段の扉が、わざわざ開けてある。


「防災の世界では、最悪の事態を想定するほど、『そんなの来ないよ』と笑われます。でも、来てからでは遅い。さっきの地震も、本当ならもっと大きくなっていたかもしれない。だから、今日この場で、一度だけでいい。皆さんに本気で避難してもらいます」


そう宣言すると、会場の空気が少しだけ引き締まった。

翔は客席の端で、森武ライオンズのタオルを膝の上に畳み、背筋を伸ばす。


「避難訓練が終わったら、スクリーンで試合の中継を流します。逃げる動線を確認してから、推しを全力で応援する。それが、今日ここでの約束です」


久遠の言葉に、客席から小さな拍手が起きた。


◇ ◇ ◇


訓練用の警報が鳴るはずの時刻より、数分早く。

会場の天井を走るスピーカから、甲高い電子音が飛び出した。


ピロピロピロピロ――。


スマホからも同じ音が一斉に鳴り響く。さっきより、少しだけ低い、それでも心臓の奥をつままれるような音色。


「え、これ訓練? 本番?」


誰かの声が、会場のざわめきに紛れる。

ステージ脇でモニタを見ていた久遠の顔から、血の気が引いた。


「……本番です。震源、南西海域。規模、さっきよりわずかに大きい。ここは震度3から4程度の予想」


訓練用のボタンには、誰も触れていない。

午前中に起きた地震と、ほとんど同じ場所で、もう一度、海底が軋み始めたのだ。


「落ち着いてください。天井の照明は最新の耐震仕様です。スクリーンも落ちません。ただし、念のため、さっき練習したルートで、非常階段に向かってください」


マイクを握った久遠の声は、震えていなかった。

会場の大半が立ち上がり、通路に向かう。翔は、タオルを握りしめた手で近くの子どもの肩を支えた。


「押さない、走らない、しゃべりすぎない! 列ごとに動け! 外野ライトスタンドから順番に退場だと思え!」


「ここスタンドじゃないから!」


すかさずナナコがツッコむ。それでも、翔の声は人々の頭上を飛び越え、列の乱れを一つずつ整えていく。


そのとき、会場後方の巨大スクリーンが、一瞬ノイズを走らせた。

地震速報のテロップと、株価チャートと、選挙区の地図、そして国際電話のアイコン。そのすべてが、今この瞬間に世界のどこかで同時進行していることを、無遠慮に見せつけてくる。


控室で待機していた高城のイヤホンに、官邸の回線がつながった。


『こちら官邸。先方と、追加の電話接続が可能になりました。現地の様子を、直接伝えてほしいと言っています』


「分かりました。でも、まずはここを落ち着かせます」


高城はイヤホンを外すと、そのままステージへ走り出た。

非常階段へ向かう人の列の前に立ち、声を張り上げる。


「さっき、電話で話した相手に、今の日本の様子を伝えます。だからこそ、ここにいる一人一人が落ち着いているところを、世界に見せたい。揺れても、逃げても、社会は続くってことを!」


その言葉に、誰かが小さく笑った。

ナナコはカメラを構えながら、その笑い声をマイクで拾う。


「纏目さん、配信はどうしますか。こんなときに、回すべきか止めるべきか」


スタッフが焦った顔で尋ねる。

ナナコは数秒だけ考え、答えた。


「回します。でも、リアルタイムじゃなくていい。生の恐怖をそのまま垂れ流すんじゃなくて、後で、ちゃんと編集して出す。『逃げて終わり』じゃない映像にしたいから」


その会話の途中で、ビル全体が、ゆっくりと、巨大な船のように揺れ始めた。

照明が、僅かにきしみを立てる。ガラスの向こうで、湾岸の夜景の灯りが、波紋のようにぶれて見えた。


ゴゴゴゴ――。


低い地鳴りのような感覚が、床から脚を伝って体に入り込んでくる。

翔は、タオルを握る手に力を込めた。その布は、いつもの応援よりも、ずっと静かな意味を持っていた。


◇ ◇ ◇


揺れが収まるまでに、実際には1分もかからなかった。

それでも、時間が伸びたような感覚だけは、しばらく消えなかった。


非常階段の途中で、誰かが「スマホ見ていい?」と訊いた。

久遠は、その声に即座にうなずいた。


「いい。情報を確認して。ただし、デマに気をつけて。公式の『#緊急揺れ速報』だけを信じて」


階段の踊り場で、画面に視線を落とす人々。

そこに並ぶのは、政府の防災アカウントによる被害速報と、纏目ナナコがこれまで発信してきた、防災動画のクリップだった。


『揺れたとき、まず最初にすること』

『エレベータから出られなくなったら』


数日前に撮影されたそれらの動画が、今日になって再生数を伸ばしている。


「ナナコさん、あなたの動画、役に立ってますよ」


久遠が言うと、ナナコは少しだけ目を見開いた。


「バズり方、間違えたくないんですよね。本当は、笑ってるだけの方が気楽だけど」


「笑いながらでも、真面目なことを言える人は、そう多くない」


真壁が、階段の下の方から声をかけた。

さっきまで、彼の頭の中で渦巻いていた補助金の数字は、今は一歩引いた位置にいる。


「今回の揺れで、このビルの避難設備がちゃんと機能したってデータは、きっと今後の予算に影響します。『見えない階段』に税金を使ってよかったと、数字で示せる」


「見えない階段?」


「税金は、普段は見えない避難階段みたいなものだ、って。誰かがどこかで言ってた比喩を、勝手に拝借しました」


「かっこつけてる」


ナナコが笑う。その笑いにつられて、階段の各所で、小さな笑い声が連鎖した。


◇ ◇ ◇


揺れの評価が終わり、ビルの安全が確認されると、避難した人々は順番にホールへ戻された。

予定していたプログラムは大幅に押した。それでも、運営側は、最後の企画を中止しなかった。


「時間を短縮して、3回裏からになりますが、森武ライオンズ戦の中継を流します」


アナウンスに、会場から小さなどよめきが上がる。

翔は、タオルを胸の前で掲げた。


「こういうときこそ、試合だろ。日程も、選手も、簡単には止められない。でも、さっきの階段があるから、安心して応援できるんだ」


「名言ぽいけど、ちょっとだけ無理やりだよ」


隣でナナコが苦笑する。

そのカメラには、翔の背中と、その隣でスマホを構える玲、少し離れて非常階段の扉を見守る久遠、ステージの袖で官邸と連絡を取り続ける高城、そして客席の端でメモを取る真壁の姿が、ひとつのフレームに収まっていた。


高城は、官邸からの再接続を受け、短い報告を終えたところだった。

電話の向こうの相手に、揺れと、その後の落ち着いた避難の様子を伝える。安全保障の話題に、「市民の冷静さ」という項目が加わることなど、それまで考えたこともなかった。


ふと、彼女のイヤホン越しに、遠い笑い声が聞こえたような気がした。

国境を越えた回線の先で、誰かがこちらの様子に安心して笑ったのかもしれない。


◇ ◇ ◇


試合は、接戦の末に森武ライオンズが勝利した。

終盤、桑森が決勝打を放った瞬間、会場の歓声は、さっきの地鳴りよりも大きくホールを揺らした。


「ほら見ろ、残留フラグだって言っただろ!」


翔が叫ぶと、周囲から「それとこれとは別だろ!」と一斉にツッコミが飛ぶ。

ナナコは、そのコール&レスポンスを満足そうに収めた。


イベントの片付けが始まるころ、真壁は一人、非常階段の入口に立っていた。

コンクリート打ちっぱなしの壁に、さっき人々が残した手の跡のような温度が、まだ薄く残っている気がする。


「数字に戻さないとな」


呟きながら、真壁はタブレットを開く。

今日、このビルの避難経路に実際に何人が足をかけ、どのくらいの時間で外まで出たか。そのログが、詳細に記録されている。


このデータがあれば、次に補助金を申請する誰かに、「ここに金を使え」と胸を張って言える。

選挙の一票と同じように、税の一円一円にも重さがある。その重さを測り直す仕事に、ようやく具体的な手触りが出てきた気がした。


ホールの片隅では、玲がノート端末を開いていた。

今日一日の市場の動きを、災害と政治のニュースとあわせて振り返る。いつもと違うのは、そこに自分の足で歩いた避難階段の感覚が、混ざり込んでいることだ。


「数字の波に乗るだけじゃなくて、自分で一つくらい、波を作れないかな」


玲がそう呟いたのを、ナナコのマイクが偶然拾った。


「それ、いいテロップになりますね」


「盗聴かよ」


「公の場でしゃべってたでしょ」


二人の軽口に、翔がすかさず割り込む。


「お前ら、テロップとか波とか言ってるけどさ。今日の主役はどう考えても桑森だからな?」


「はいはい。『#桑森ライガース』もちゃんと入れておきます。『#緊急揺れ速報』とセットでね」


「それ、どんなまとめ動画になるんだよ……」


翔が呆れたように言うと、ナナコは少しだけ真顔になった。


「『揺れても、続きがある夜』ってタイトルはどう?」


その言葉に、久遠が階段の下から顔を出した。


「いいですね。それなら、防災庁の公式アカウントからもリンク貼れます」


「おお、公認か。じゃあ変なボケは減らさないとな」


「減らさないんだ」


真壁が小さく笑う。

高城も、電話を切ったばかりの端末を胸ポケットにしまいながら、その輪に加わった。


「さっきの電話の相手にも、その動画、いつか見せたいですね。ニュース原稿じゃなくて、こういう夜の記録の方が、本当の『国の様子』かもしれない」


「じゃあ、世界配信前提で、編集がんばります」


ナナコがそう宣言すると、周囲から小さな拍手が起きた。

湾岸の夜風が、ホールのガラス越しに頬を撫でていく。


それぞれの仕事は、明日も続く。

税を数える者も、相場を読む者も、揺れを測る者も、球を追う者も、言葉を選ぶ者も。

連休あけの夜に一瞬だけ重なった彼らの視線は、やがてまた別々の画面を見つめるだろう。


それでも今夜だけは、同じタグで結ばれている。


「#シンクロナイト」


纏目ナナコの配信画面に、そう打ち込まれた文字が、湾岸の空ににじむように広がっていった。


(了)


――あとがき――

今回の物語では、湾岸の夜に集まった人々を通じて、税制や市場、災害、外交といったニュースが一つの場面に重なる瞬間を描きました。

新しい税制優遇・補助見直し室のニュースは、真壁伸の所属機関として物語の軸に据え、補助金が「見えない階段」として機能する様子を避難シーンで具体化しました。

アジアの株式市場が利下げ観測で上昇した報道は、桜井玲の仕事と彼女のプレゼンに反映させ、数字が生活に届くまでの流れを意識して描いています。

南西海域の地震のニュースは、久遠響の防災パートとクライマックスの揺れに結びつけ、「#緊急揺れ速報」というタグと避難行動がリンクする形にしました。

参院選の一票の格差を巡る判決は、公平さをめぐる背景として、真壁の視線や高城梨花の言葉選びに織り込み、税と選挙の「重さ」を共通のテーマに置いています。

首相と米大統領の電話会談は、高城が受け持つ説明パートと、揺れの最中に世界へ状況を伝える場面に変奏し、「#電話対談」という距離のある言葉を、生活と接続する試みとして描きました。

トレンドタグからは、「#連休あけ」「#桑原西武」「#スタバの福袋」「#緊急地震速報」「#電話会談」を少しずつ変形させて、連休明けの空気感や野球ファンの高揚、防災と買い物の軽さの対比、外交ニュースの手触りなどに使っています。

ジャンルとしては、近未来寄りの現代ドラマと社会派群像劇をベースにしつつ、ラストで少しだけ希望を前に押し出す形の終わり方にしました。大きな謎を解決するのではなく、それぞれが自分の仕事や表現で「何を守るか」を選ぶ、静かな決着を意図しています。

報道の事実そのものは重いテーマを含みますが、ここでは個々のニュースを直接再現するのではなく、フィクションとして距離を取りつつ、日常の延長線上で起こりうる体験として再構成しました。

この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ