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湾岸クロスオーバー・ナイトライン【2025/11/26】

――あとがき――


 今回は、東京湾岸を舞台にした群像劇として、「近未来の社会派ドラマ寄りサスペンス」を意識して構成しました。ニュースとして提示されていた「租税優遇見直し室」の設置は、物語中の「租税優遇見直し室」として、高城梨花や真壁伸の仕事と直接結びつけています。アジア株が利下げ期待で上昇したニュースは、桜井玲のトレーディングフロアの場面として、数字の花火と生活費の不安を対比させました。南西域の強い地震のニュースは、「#緊急震動通報」と連動させつつ、久遠響の防災オペレーションと、イベント会場での実際の揺れというかたちで物語のクライマックスに配置しました。広島高裁の違憲状態判決は、スタジアムの比喩を用いた人口格差の説明や、高城の発言を通じて「線引きの問題」として扱っています。電話会談のニュースは、トランベル大統領との電話対談として、高城が防災協力を引き出そうとする政治的な背景に利用しました。


 トレンドタグからは、「#緊急地震速報」をもじった「#緊急震動通報」、「#桑原西武」をもじった「#桑原セイブ」、「#スタバの福袋」を「#スタマ福袋」として、さらに「#連休明け」「#電話会談」も「連勤明け」や「電話対談」として取り込み、配信タイトルやイベントのキャッチコピー、視聴者コメントとして散りばめています。


 ジャンルの面では、前半から中盤までは社会派ドラマと現代サスペンスの王道に寄せつつ、クライマックスでは防災訓練会場という一か所に、税制改革、選挙制度、地震、株式市場、電話対談、野球ファン文化など複数のニュースが集約される「見開き的なシーン」を用意しました。ラストは世界レベルの問題を解決せず、「今日どこに線を引くか」を各人物が少しだけ変えることで、静かな余韻とわずかな希望を残す構成にしています。王道のハッピーエンドではなく、ニュースの連続性を意識した「続きがある日常」への回帰を選びました。


 また、「纏目ナナ」をまとめ役かつ揺れる価値観の象徴として配置し、「まとめることの怖さ」と「それでも図を描きたい欲求」を軸に据えています。現実のニュースは、もちろん現実の痛みと責任を伴うものであり、本作はあくまでフィクションとして、それらの断片から登場人物たちの小さな選択と変化を描き直したものです。報道の重さを軽んじることなく、別の角度から考えるきっかけを提供する物語であれば幸いです。最後に、この物語は、こうしたニュースにインスパイアされました。

湾岸クロスオーバー・ナイトライン


 東京湾岸の夜景は、株価チャートみたいだと、真壁伸はいつも思う。

 高層ビルの窓が一本の線になって、赤や青や黄に瞬きながら、ゆっくりと上下している。


 監査機構湾岸タワー、三十階の喫煙テラス。薄い霧雨が海風に押し戻され、柵の向こうで貨物クレーンが黒い骨格だけを見せている。

 真壁は、まだ火をつけていない紙巻を指で弄びながら、足元のスマホに視線を落とした。


 画面では、まとめ系チャンネル「マトメナナ」が最新のトレンドを自動再生している。

 画面上部には、今夜のハッシュタグが並ぶ。


 「#緊急震動通報 #桑原セイブ #スタマ福袋 #連勤明け #電話対談」


 ざっと眺めて、真壁は鼻で笑う。


「全部、監査対象になりそうだな」


 そのつぶやきに応えるように、背後の自動扉が音もなく開いた。

 現れたのは、紺のパーカーにショルダーバッグという場違いな格好の女だった。髪をひとつにまとめたポニーテール、目だけが妙に冴えている。


「先に言われた。タイトル候補に悩んでたんですよね」


「……纏目ナナ。夜中の来客にしては賑やかな名前だ」


「マトメナナで検索しやすいように工夫してるんです。今日は公式に取材申請してますから、怪しい者じゃないですよ、監査官さん」


 女、纏目ナナは胸元からカードを取り出し、にこりと笑った。フリーのデータライター、兼、ニュースまとめチャンネル運営者。

 真壁はカードをひと瞥してから、火をつけないままの紙巻をポケットに戻す。


「こんな時間に、監査機構に何の用だ」


「新設される『租税優遇見直し室』の話です。減税と補助の棚卸し、ですよね。今日、政庁の記者会見で発表されました」


 ナナがスマホを操作する。画面に、政庁本庁舎の映像と、総理補佐官のコメントが字幕付きで流れた。

 既存の税優遇や補助金を透明化するため、内閣直属の専門室を設ける――そんな説明だった。


「あれ、監査機構さんも関わるって聞いたんで。情報、欲しくて」


「情報なら、いずれ公開される」


「公開されないところが知りたいんですよ」


 悪びれもなく言うナナに、真壁はふと笑いそうになる。

 数字は嘘をつかない。でも数字を並べる人間は、平気で嘘をつく。


 新人の頃、尊敬していた上司がよく言っていた言葉だ。


「君の仕事と、私の仕事は、境界線が薄いな」


「似てるのは『並べ方で世界が変わる』ところ、くらいじゃないですか」


 ナナはそう言って、湾岸の夜景を一枚の写真みたいにスマホに収めた。


「今日の夜は、全部がつながりそうなんです。税優遇、株価、防災、選挙、電話対談。それを一本のストーリーにまとめるのが、私の仕事で」


 真壁はその言葉に、わずかに眉を動かした。

 まとめる、という軽い語感の裏に、妙な緊張感があった。


「まとめすぎて、何かを削り落とすなよ」


「……それ、監査官さんの台詞に聞こえます」


 ナナが笑う。

 その瞬間、真壁のスマホに、別の通知が割り込んだ。


 「アジア株、続伸。ウォル街市場の利下げ期待で」

 見出しを見て、彼は小さく舌打ちする。


「数字の花火か」


 そして、その数字の花火の真下に立っている若者が、一人いた。


   ◇


 東京湾岸証券のトレーディングフロアは、夜になっても昼のように明るい。壁一面のスクリーンに、世界各地の市場がタイル状に並び、細い緑と赤の線が雨のように流れている。


 桜井玲は、その中央の席でキーボードを叩き続けていた。

 椅子の背に掛けた紺のジャケット。首元には、セイブベアーズの応援タオルをゆるく巻いている。


「レイ、見たか、アジア指数。合衆国のFed利下げ期待で、今日は祭りだぞ」


 隣の席から先輩が身を乗り出す。


「見てます。だからこそ、怖いんですよ。こういう上げは、だいたい誰かの生活費を持っていきますから」


「お前の家賃も、その誰かの一人だろ」


「だから、うちの顧客だけは無茶させないって決めてるんです」


 玲は目をスクリーンに固定したまま答えた。

 右端の画面には、「租税優遇見直し室」の速報テロップが流れている。


 企業向けの減税と補助金を洗い直す、と政庁が言っている。

 それ次第で、玲の顧客である中小の輸出企業は、生きも死にもする。利下げ期待で浮かれているアジア株に、彼は素直に乗れなかった。


 そんな彼のスマホに、通知が飛び込む。


 「ナナチャンネル生配信、二十一時から。テーマ『連勤明けに来るのは、地震速報か、家賃の請求か』」


「タイトルがひどいな……」


 玲が思わず漏らすと、さらに別の通知が重なる。


 「#桑原セイブ 今季最多安打記念グッズ販売決定」


「うおおおおお」


 椅子から跳ね上がったのは、隣の席ではなく、玲の後ろの席の男だった。

 パーカーにユニフォームを重ね着し、ヘッドセット越しに顧客と話していたはずの福田翔が、いまやモニターに貼りついている。


「レイ、見ろって。桑原の限定バット。抽選だけど、当たったら売らずに一生抱いて寝られるやつだぞ」


「翔さん、勤務中です。しかも、今は市場の方がバットより揺れてます」


「いやいや、市場が揺れようが地球が揺れようが、推しは推しだから」


「地球は揺れない方がいいんですけど」


「じゃ、地球が揺れても折れないメンタルを福袋に詰めて売ってほしいな。『スタマ福袋、今年は地震に強い心入り』とか」


「いらないです、そのコピー」


 二人のやり取りに、周囲の緊張がわずかにほぐれる。

 翔は真顔に戻り、端末を操作して顧客との通話に戻っていった。


 玲は視線をスクリーンに戻す。

 画面の右下、小さく「#緊急震動通報」というタグが点滅している。


 防災庁の公式アカウントが、南西域での微弱な群発地震を告げていた。

 数字の花火の下で、地面が静かに鳴っている。


   ◇


 その地鳴りを、直接、仕事にしているのが久遠響だった。


 防災対策庁湾岸支局のオペレーションルーム。

 壁一面の巨大スクリーンに、日本列島の地図が薄い青で描かれ、その上を小さな赤点がせわしなく移動する。


 響は机の端を、指先で三回、静かに叩いた。

 それは、何かを送信する前の癖だった。


「久遠さん、南西域、また微震です」


 若い職員が、席から振り向きもせずに声を上げる。


「震源は」


「南西海域。さっきと同じラインです」


「揺れの規模は」


「今のところは小さいです。緊急通知レベルじゃ……」


 響は椅子から立ち上がり、スクリーンに近づいた。

 南西の海が赤い点で縁取られている。


「緊急震動通報の閾値を、一段下げて。試験モードでいい」


「でも、そんな頻繁に流したら『またか』って言われますよ」


「『またか』って言われるうちは平和なんだよ」


 響は短く答えた。

 スマホには、上司からのメッセージが届いている。


 「明日の防災啓発イベント、政庁と共同。租税優遇見直し室の広報も兼ねるから、派手にやってくれ」


「……税優遇の広報と、防災イベントを一緒に、ね」


 呟きが、薄暗い室内に溶ける。


 スクリーンの一角では、別のニュースも流れていた。


「広島高裁判域、先の上院選を『違憲状態』と判断」


 選挙区格差の判決。

 災害リスクと人口分布、それらのバランスを考えてきた響には、それもまた、地図の塗り替えの問題にしか見えなかった。


「線を引き直さないと、助けに行く順番も、いつか歪む」


 彼女は、そう呟いてから、机を三度叩いた。

 試験モードで、南西域限定の緊急震動通報が発信される。


   ◇


 一方、政庁本庁舎の上階では、別の線が引き直されようとしていた。


 外交室の会議室。窓の外に東京湾の灯りが浮かび、その上に薄く霧がかかっている。

 高城梨花は、テーブルの上の資料を整えながら、胸元の小さなペンダントを指でなぞった。


 ペンダントは銀色の日本列島の形をしている。子どもの頃、初めて家族旅行で海を見た記念に買ってもらった物で、今も緊張するときは無意識に触れてしまう。


 会議室のスクリーンには、海外のニュースが流れていた。


「ウォル街市場、利下げ期待で上昇。アジア株も連れ高」


 その横で、政庁広報のテロップが表示される。


「租税優遇見直し室、新設決定。減税と補助の一元管理へ」


 梨花は、その二つのニュースを視線だけで往復した。


 電話会談、という言葉が、紙の資料のあちこちに踊っている。

 今夜、彼女は総理の代理として、合衆国大統領トランベルとの電話対談に臨むことになっている。通貨と防衛と、そして経済協力の話。


 そこに、南西域の防災と、税優遇の再設計と、選挙制度の歪みを滑り込ませられるかどうか。


 扉がノックされ、秘書官が顔を出した。


「高城補佐、マトメナナさんという方から、防災イベントの件で取材申請が……」


「ああ、聞いている。明日の湾岸シビックドームでのイベントね」


「はい。租税優遇見直し室のお披露目も兼ねている、と。防災庁との合同ということで」


「そのイベント、私も少し顔を出す。電話対談の結果も、そこでかいつまんで説明できるかもしれないから」


 梨花は椅子から立ち上がり、窓の外を見た。

 湾岸の灯りが、どこまでも続いている。


 それは、守るべき生活の数でもあり、削られるかもしれない予算の数でもあった。


   ◇


 その湾岸の一角、ドーム球場に隣接するカフェチェーン「スタマ湾岸店」は、閉店時間だというのにまだ明るかった。


 福田翔は、エプロン姿で店内を走り回りながら、紙袋の山と格闘していた。


「翔くん、そこの『スタマ福袋』、タグ付け終わった?」


「終わりました……と言いたいところですが、まだ二十袋くらいあります」


「にじゅうじゃない、にじゅ……いや、もういいや。終わったら掃除もお願いね」


 店長が呆れ気味に笑う。

 翔は、紙袋に貼るステッカーを一枚一枚確認しながら、こっそり自分用の袋を端に寄せた。


「中に桑原グッズ入ってないかなあ」


 ぼそりと呟く。

 スマホには、球団公式からの通知が点滅していた。


「#桑原セイブ 今季最多安打記念パネル展示 明日、湾岸シビックドームにて」


「仕事終わったら、絶対見に行くからな……」


 カウンターの奥のテレビでは、ニュース番組が流れている。


「広島高裁判域、上院選を『違憲状態』と判断」


 コメンテーターたちが声を張り上げる中、画面の端に小さく「南西域で群発地震」とのテロップが流れた。


「難しい話ばっかりだな」


 翔はモップを動かしながらテレビを眺め、ぼそっと言う。


「でも、選挙も地震も、球場の入場者数みたいなものでしょ」


 カウンターの椅子に座っていた、パーカー姿の女が口を挟んだ。

 纏目ナナだった。ノートパソコンを開き、何やらタイピングしている。


「えっと、どういう意味ですか」


「指定席が多すぎると、外野席がぎゅうぎゅうになるでしょ。人気選手のエリアだけ、やたら密集するとか」


「ああ……人口が偏るってことですか」


「そう。で、地震が来たときに、出口がそこだけ混む」


「……たとえが分かりやすいような、分かりにくいような」


「分かりやすくするのが、私の仕事」


 ナナは笑い、画面に打った文字列を翔に見せた。


「『人口格差判決、外野席だけ立ち見状態のスタジアム』」


「見出しが明らかに野球寄り……」


「いいじゃない。#桑原セイブと#選挙格差、両方でバズるかも」


「いや、バズらせる方向、絶対どこか間違ってますよ」


 二人の噛み合っているようで噛み合っていない会話に、店長がカウンターの中から突っ込んだ。


「ナナさん、翔くんをこれ以上ネットの沼に引きずり込まないでね。うちのシフト表までまとめられそうで怖いから」


「それはまとめませんよ。ブラック企業だってバレちゃうから」


「やっぱりまとめる気なんですね」


 店内に小さな笑いが生まれ、その上を、テレビの「連勤明けの疲れた顔には福袋を」というCMが滑っていった。


   ◇


 翌日。


 湾岸シビックドームは、いつもの野球の歓声ではなく、ざわざわとした話し声に満たされていた。

 アリーナ部分には、防災訓練コーナー、租税優遇見直し室のパネル展示、地方物産展、そして桑原セイブの記念パネルが並び、そのあいだを家族連れとスーツ姿の参加者が行き交う。


 巨大なスクリーンには「連勤明け、備えていますか」と大書され、その下に小さく「防災と税金の一日」と添えられている。


 ステージ袖で、久遠響はヘルメットを片手に深呼吸をした。


「久遠さん、緊張してますか」


 声をかけたのは、イベント運営スタッフとして手伝いに入っている桜井玲だった。

 スーツ姿だが、胸ポケットには小さくセイブベアーズのピンバッジが光っている。


「地震よりは、マシ」


 響は淡々と答えた。


「今日は訓練だけですよ。たぶん」


「『たぶん』を口にしたときほど、災害は顔を出す」


「怖いこと言わないでください」


 玲は苦笑いしながら、手元のタブレットを確認する。

 彼は、自分の会社のスポンサー枠で、防災と金融リテラシーのミニセミナーを担当することになっていた。


 スクリーンの下方には、生配信中のコメントが流れている。

 「マトメナナチャンネル」のロゴ。ナナが会場の様子をレポートしているのだ。


『現場からです。今日は租税優遇の見直し、防災訓練、そして桑原セイブ選手の記念展示が、一つのドームで並んでいます。バラバラのニュースが、一枚の絵に』


 ナナの声が、ヘッドセットから響く。


 ステージの中央には、政庁を代表して高城梨花が立つ予定だった。

 彼女は既に到着しており、関係者席で資料に目を通している。胸元の日本列島のペンダントが、照明を受けて小さく光っていた。


 客席の一角では、福田翔が、自作の応援ボードを掲げてうろうろしている。


「桑原、今日はいないのに、そのボード必要ですか」


 玲が呆れ気味に声をかける。


「いるいないの問題じゃない。推しは概念。『ここに桑原がいたらどんな顔するか』って想像しながら動くんだよ」


「経済学的に言うと、それは存在しない需要を前提にした投資です」


「難しく言うなよ。あとで募金ブース手伝うからさ。桑原の旧ユニ、持ってきたんだ。チャリティオークションに出していいか聞いてみる」


 プラスチックの袋から覗く、少し色あせたユニフォーム。

 それは幾年前、試合が地震で中断された日のものだった。観客が避難誘導される中、翔はそのユニの背番号を何度も見返していた。


 ――あの日、避難訓練がちゃんとしてなかったら、誰かが押しつぶされてたかもしれない。


 あの記憶が、彼を防災イベントのボランティアに駆り立てていた。


   ◇


 イベント開始直前。


 ステージ上の椅子に、真壁伸が腰を下ろしていた。

 「租税優遇見直し室」の外部監査担当として、パネルディスカッションに参加することになっている。


 隣には、高城梨花。

 その隣には、防災庁の久遠響。

 そして、ステージ下手側には、司会役として福田翔が立つ。


 客席の後方には、桜井玲が立ち見で控え、スマホで市場の様子を時折確認している。

 さらに、その斜め後ろ、機材卓の前には、纏目ナナがマイクを握っていた。生配信のコメントが、前面スクリーンの隅に流れ続けている。


『#電話対談 トレンド入りしてますね。昨夜のトランベル大統領との会談の中身、今日ここでどこまで聞けるのか』


『#緊急震動通報 南西域、また揺れてるらしいけど、会場にいる人たちは平然としてる』


『#スタマ福袋 会場限定セットあるらしい。防災グッズ入りって本当?』


 コメントが次々と流れ、ナナはそれらを一瞥しながら、手元のスイッチャーでカメラの切り替えを行う。


「映像、行きます」


 ステージの照明が徐々に落ち、スポットライトが真壁たちを照らした。


 翔がマイクを握り、やや緊張気味に口を開く。


「えっと、本日は、『連勤明け、備えていますか』イベントにお越しいただき、ありがとうございます。司会の、えー……桑原セイブ非公式応援団、福田です」


 会場から笑いが起きる。


「今日は、防災のプロと、お金のプロと、政治のプロと、それから、まとめのプロ……あ、プロって言っていいのかな」


 翔がナナの方を見ると、ナナは親指を立てる。


「まとめのプロの方々に、お話を伺っていきます。まずは、防災庁の久遠さん。昨日から南西域で地震が続いてるってニュース、みんなちょっと不安だと思うんですが……」


 響がマイクを受け取り、落ち着いた声で説明を始める。

 地震のメカニズム、通報システムの仕組み、「またか」と言われることの意味。


 彼女が話すあいだ、真壁は客席を眺めていた。

 スクリーンの隅で、市場ニュースのテロップが静かに更新されている。


「アジア株、小幅反落。利下げ期待に冷静さ戻る」


 数字の花火が、少しずつ、現実の重さに引き戻されていく。


   ◇


 パネルディスカッションが中盤に差しかかった頃だった。


 ナナのヘッドセットに、鋭いビープ音が割り込んだ。

 彼女は反射的にモニターの隅を見る。


 「南西域で強い地震発生。推定規模五・七。緊急震動通報発信」


 ほぼ同時に、会場内のスマホが一斉に鳴り出した。

 耳障りな警報音が、ドームの天井に反響する。


 ステージ上の響が、すぐさま立ち上がる。


「落ち着いてください。ここは震源から離れています。揺れは弱いはずです」


 彼女はマイクを取り、はっきりと告げた。

 数秒後、ドームの床が、わずかに、しかし確かに揺れた。照明が微かに震える。


 観客から小さな悲鳴が漏れる。子どもの泣き声。


 響はステージ上で、机を三回、強く叩いた。

 その音が自分への合図であるかのように、彼女はすぐさま指示を飛ばす。


「スタッフは通路を確保。スクリーンに避難経路を表示。緊急震動通報の画面をそのまま映して」


 スクリーンには、南西域の真っ赤な地図と、避難行動の指示が映し出される。

 同時に、別のニューステロップがソフトに重ねられる。


「広島高裁判域、『違憲状態』判決を受け、首相、制度見直しを表明」


 梨花の顔がわずかに強張る。

 彼女のスマホには、政庁からの連絡が立て続けに届いていた。


 南西域の被害速報。

 租税優遇見直し室に、緊急の補助枠設置を検討せよとの指示。

 そして、昨夜のトランベル大統領との電話対談で交わした、防災協力の一文。


「……ここで逃げるわけには、いかないわね」


 梨花は椅子から立ち上がり、真壁の方を見た。


「真壁さん。租税優遇見直し室の緊急対応、ここで宣言してしまっても?」


「公表前の数字は、まだ整っていない」


「整っていないからこそ、方向だけでも見せたいんです」


 梨花の視線は真っ直ぐだった。

 真壁は一瞬だけ逡巡し、それからナナの方を見た。


 ナナはすでにカメラを回し、ステージをアップで捉えている。

 生配信のコメント欄は、「揺れた」「怖い」「情報を」という文字で埋め尽くされていた。


「纏目さん」


 真壁は、ステージから少し身を乗り出して、ナナに声を投げた。


「数字は、これから変わる。だが、変えてはならない線もある。その違いを、きちんと見せてくれないか」


「……それ、今の発言、全部使っていいですか」


「編集するなと言っているわけではない。削るときは、何を削ったかも示せ」


「難しい注文ですね」


「難しくなければ、監査はいらない」


 短いやり取りのあと、真壁はマイクを取り直した。


「会場の皆さん。今、南西域で大きな地震が起きました。被害の全貌はまだ分かりません。しかし、本日ここでお披露目される予定だった『租税優遇見直し室』は、すでに一部の補助枠を、災害対策に振り向ける方向で検討に入っています」


 梨花が続ける。


「昨夜の合衆国との電話対談でも、防災協力のための資金スキームについて話し合いました。その内容を前倒しで、南西域の復旧に活かすべく、今から動きます。選挙の線引きも、税の線引きも、災害に弱い地域をこれ以上、後回しにしないように」


 スクリーンには、トランベル大統領との電話対談の一部が字幕で表示される。

 通貨と利下げの話題の端に、小さく「防災協力」という単語が光る。


   ◇


 観客席の一角。


 桜井玲は、自分のスマホに映るチャートを見ていた。

 南西域の地震速報を受けて、アジア株の先物が乱高下している。


「こういうとき、儲ける人も、必ずいるんですよね」


 隣にいつの間にか来ていたナナが、画面を覗き込む。カメラはスタッフに渡し、一時的に手が空いている。


「いますよ。災害でも何でも、値動きさえあればいいって人は」


「あなたは?」


「……今回は、やりません」


 玲は画面をスリープに落とした。


「うちの顧客、南西域に工場持ってる会社、多いんです。利下げ期待で浮かれてるうちに、保険も備蓄もケチってたら、結局、自分の首絞めますから」


「じゃあ、何をするんですか」


「防災庁と、政庁の補助枠、ちゃんと説明して歩きます。小さい会社ほど、申請の仕方が分からないから」


 ナナはぽかんと玲を見て、それから笑った。


「真面目ですね。記事にしがいがある」


「記事にするんですか」


「しますよ。『株で一山当てるより、申請書一枚書ける人間の方が偉い夜』ってタイトルで」


「そのタイトル、恥ずかしいんで変えてください」


「じゃあ、『地震と税と推しのために』」


「それはそれで……」


 二人のやり取りを、少し離れた場所から福田翔が見ていた。

 彼の前には、即席の募金ブースが設けられ、桑原セイブの旧ユニフォームがガラスケースに入れられている。


 そこに群がる子どもたちと、スマホを構える大人たち。


「このユニフォーム、以前、大きな地震で試合が中断されたときに着ていたものです。あの日、ちゃんと避難訓練をしていたおかげで、誰も大きな怪我をしませんでした」


 翔の声が震える。


「だから、今回は僕らが、あのとき教わったことを、南西のみんなに返す番だと思ってます。募金は、防災教育と、被災地のクラブチーム支援に使われます」


 ナナのカメラが、そっとその様子を捉える。

 コメント欄に「泣いた」「桑原、行ったことない球場だけど好きになった」といった言葉が流れる。


   ◇


 イベントの最後。


 ドームの照明が落とされ、巨大スクリーン一面に、日本列島の映像が映し出される。

 南西域には赤いマーカー。選挙区の地図。税優遇の対象地域の図。地震の震度分布。株価指数の推移。


 それらが、一枚のレイヤーに重ねられていく。


 その「見開き」のような光景の前に、真壁、梨花、響、玲、翔、そしてナナが横一列に並ぶ。


 ステージ前方から、翔が小さく笑いを漏らした。


「こうやって見ると、全部、ゲームのステージ選択画面みたいですね」


「難易度は全部『ハード』以上だけどな」


 玲が小声で突っ込む。


「じゃあ、プレイヤーは誰なんでしょう」


 ナナがマイクを通さずに呟く。

 その問いに、答えを用意できる者はいなかった。


 しかし、梨花がマイクを握り、観客に向かって静かに言葉を紡ぐ。


「今日ここで映した地図も、ニュースも、数字も、誰か一人の物語ではありません。防災庁も、監査機構も、証券会社も、カフェの店員さんも、まとめのライターも、そして、ここにいる皆さん一人ひとりも、少しずつ、線を引き直す役割を持っています」


 真壁が続ける。


「数字は、嘘をつかない。しかし、数字を並べる人間が何を考えているかで、世界の見え方は変わる。だからこそ、並べ方を疑い続ける仕事が必要なんです」


 響が、マイクを握る。


「防災の仕事は、『またか』と言われることを恐れないことです。何度でも、揺れるたびに呼びかけます。皆さんも、そのたびに『面倒だな』と思いつつ、少しだけ耳を貸してくれたら、それで命が助かる人がいます」


 玲は、少し照れながら前に出た。


「お金の話は、怖くて難しいって、よく言われます。でも、今日みたいに地震が起きたとき、どこに支援が行くのか、どうやって申し込めばいいのかを、誰かが説明しないと、支援も税金も、宙に浮いたままになる。僕は、その説明役をやりたいと思いました」


 翔が、ユニフォームを掲げる。


「僕は野球バカです。でも、あの日、地震で試合が止まって、選手も観客も、一緒に避難した。推しに命を守ってもらったみたいで、ずっと忘れられません。だから今度は、推しの名前を使って、防災のこと、ちゃんと伝えたい。『#桑原セイブ防災チャレンジ』、勝手に始めます」


 最後に、ナナがマイクを握った。


「私はいつも、バラバラのニュースを、一枚の画像にまとめてきました。でも、今日みたいに、全部が一つの場所で交差すると、まとめることの怖さも、少し分かった気がします」


 スクリーンに、彼女のチャンネル名と、新しいタグが映し出される。


 「#今日の線をどこに引くか」


「全部を分かりやすくしようとして、大事な細部を削り落としてしまうかもしれない。でも、それでも、誰かが眺めて『自分の場所はここだ』って思える図を作りたい。今日は、その最初の一枚です」


 静かな拍手が、徐々に大きくなる。

 ドームの天井に反響し、湾岸の夜に漏れ出していく。


   ◇


 イベントが終わったあと。


 湾岸シビックドームの外は、まだ騒がしかった。

 救援物資のトラックが出入りし、南西域向けの臨時便の案内が電光掲示板に踊る。


 真壁は、ドーム脇のベンチに腰を下ろし、ポケットから紙巻を取り出した。

 火をつけようとして、やはりやめる。代わりに、スマホを取り出した。


 画面には、マトメナナチャンネルのアーカイブが再生されている。

 コメント欄には、怒りも、不安も、感謝も、冗談も、全部が同じフォントで並んでいた。


「全部まとめる、か」


 その隣に、ナナが腰を下ろした。


「監査官さん、今日のまとめ、どうでした」


「思ったより、削っていなかったな」


「削ると、怒る人が増えそうで」


「怒りだけを増幅させるまとめも、世の中には多い」


「うちはアクセスより、『あとで読み返しても耐えられるか』を基準にしてます」


 ナナは海の方を見た。

 遠くで、クレーンに吊るされたコンテナがゆっくりと動いている。


「……それでも、全部は救えないですよね」


「全部を救えるのは、神様の仕事だ。私たちは、せいぜい『どこまでなら救えるか』を、毎日少しずつ変えていくしかない」


 真壁はそう言って、立ち上がった。


「明日から、君の取材、少しだけ協力しよう。租税優遇見直し室のことも、防災補助のことも。出せる範囲で、数字の裏側を見せる」


「え、本当ですか」


「ただし、一つ条件がある」


「何です」


「誰か一人を、悪者にするまとめ方は、しないことだ」


 ナナは、ゆっくりと頷いた。


「それは……今日、ちょっと分かった気がします」


 彼女のスマホには、玲からのメッセージが届いていた。

 防災補助申請の簡易ガイドを、一緒に作らないかという提案。


 翔からのメッセージもある。

 「#桑原セイブ防災チャレンジ」のロゴ案。制服姿でヘルメットをかぶった、丸っこいキャラクターが描かれていた。


 響からは、今後の緊急震動通報の運用見直しについての短いメモ。

 梨花からは、電話対談の議事録の一部を、一般向けに噛み砕くための相談。


 ナナは、それら全部を、ひとつのフォルダにまとめた。


 フォルダ名は、「今日の線」。


 東京湾岸の夜景は、昨日と同じように光っている。

 でも、そのどこかで、誰かの線引きが、ほんの少しだけ変わっている。


 その変化を、明日も、あさっても、彼女は一枚の画像に落とし込もうとするだろう。


 数字も、地図も、ニュースも、推しも、全部ひっくるめて。


(了)

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