処置
「只今戻りましたっ!」
ガラガラドザー
引き戸を開けるが早いかフミマロは買い物袋を三和土から廊下に向かって投げ入れ、重量で抜けそうになっていた肩を回した。
「うぬ。戻られたかフミマロ殿…」
海イグアナを祖先に持つ大納言、ダイナゴンが神妙な面持ちでどら焼きを片手に居間の入り口から顔を出した、彼は本来なら【帝国立海の館】の方で底引き網漁でも司っているはずである。雰囲気を察してフミマロは姿勢を正し、真剣な表情で応じる。
「おお、これはダイナゴン殿、いかが致した?」
ダイナゴンからはゆっくりとした口調で冷静な声が返る、彼は冷静沈着を絵に描いたような男である、「貴様が買い物に出かける間この御所の守りを任せていたウタマロより火急の知らせがあってな、本人が血相を変えて我が海の館へ走り込んで来たのでわしも急いでこちらへ走ったのよ、するとどうだ…!」ダイナゴンは衣の袖を振って居間の中を示した、斜め下を険しい目つきで凝視する。
「帝はいつからこのようになさっておいでか?」
「なんと?」
フミマロは異常を感じ、三和土から直接跳躍して居間へ飛び入った、そして事態を見て叫ぶ。「あっ、陛下、オネショの上でまだ寝ていらっしゃるのですかっ!?もう昼過ぎですヨォォッ!?」高くよく通る声が天井を揺るがし、周辺の長閑な田園風景に木霊した。
今朝一向に目を覚まさず倒れたままだったプラチナ河水たまり帝国皇帝・飛鳥は、フミマロが天日干しするために剥いだ畳から転げ落ちたそのままの恰好で倒れていた。
「フミマロ殿…」ダイナゴンは憂鬱そうに首を振って腕を組んだ、「帝の脈を取ってみられよ」。
「はあ?」
「早う」
「しかし?」
「早うなされ」
言われるがままに脈を取ろうとして、フミマロはまず飛鳥の手の冷たさに驚いた、「ううむ、ずっと冷房をきかせていたのですか?冷えすぎておられますぞ、陛下」そして手首の動脈を探った、だが、どこにもそれらしき動きが感じられない。
「脈が感じられませぬ、ここの所深夜放送を見ては昼間からスライムベッドに横たわる生活で陛下は皮下脂肪がまた厚くっ!?」
背後でダイナゴンが横に首を振る「そうではないだろう…。首も、胸も、どこも脈が無い、息もしておられぬ」
「なんとっ!?」フミマロは飛びのき、ティッシュを一枚手に取ると細い紐に裂いて飛鳥の物言わぬ鼻の下に垂らした、しかしその細く薄い末端は微動だにしないのであった。
「なんとっ!!!?」再び驚愕するフミマロの背後でダイナゴンは大納言あずきのどら焼きを口にしていた、冷静沈着な男である。
「ご覧の通り、帝はお隠れになってしまわれた、今朝、急に…それがいつどのようにであるのかは、現在【バイタルレコード】の解析中である、畏れ多くも我が独断で拙速にそうさせて頂いた、宮中は一寸先も闇ゆえな…」
「ああっ、陛下ぁ、おいたわしやぁぁーー…」フミマロは冷たくなった飛鳥の骸に取りすがって泣いた、そして「今年四回目でございますよう、何度お隠れになられるのやらーあぁ…」と、天を仰いでしゃくり上げた。
ダイナゴンは新たな大納言どら焼きを台所の戸棚から盗んで齧り「いつ何時落雷で帝がスパークしイかれるのかは天しか知らぬ、反魂の儀式の準備は既に始めさせている、さあ、玉体をお運びするのだ」と言ってピイと口笛を鳴らす。
すると、全身黒で固めた装束の者達が数人、部屋の中にどこからともなく現れ、部屋の隅の畳を持ち上げた、そこには地下へ続く隠し階段が開けており、皇帝飛鳥の骸は彼らの手で秘密の地下へと運ばれて行った、フミマロとダイナゴンが最後に続き、一行は低く長い道のりを進んでいく。
「全くのう…我らの弱点を感知する力のためとは言え、電磁波への感応性が性能予測の理論値と一致する超高感度アンテナを身体改造手術で脳と直結する形で装着させるなど、やり過ぎなのだ、蛙どもよ。500メートル以内で落雷あればいちいちショック死するようでは、まともに生きて行ける体とは言えん、闇から闇で人の死を隠すにも度重なれば限度があるのを知ることになるだろう…」地下通路を通って移動中もダイナゴンはどら焼きをかじる。
フミマロは「本日あったのであろう晴天の霹靂が日常となるなら、それはそうでしょうな」と応じた。
一キロも歩いて下った先に扉があり、パスコードが入力され、一行は電子機器や医療機器が大量に運び込まれた研究室のような空間の中に入ることとなった。
医師の白衣を着た蛙達が待機していた所へ黒装束の者らが到着して担架から玉体を下ろし、黄色っぽい液体が溜められている浅い水槽状の手術台に乗せる、医師らは慣れた手つきで衣服を切って取り払い、全裸の状態にして一人が水槽の操作をすると、底が下がって飛鳥の全身は液体の中に沈んだ。
「バイタルレコードの解析は進んでいますか?」フミマロは背中を向けてモニター上の表示と格闘している技術者に言った。
「現在、前回の睡眠時に回収された時空座標から解析中です、絶命なさるまでにあった変化を追っていますが、…これに関して後に主任から報告させていただきます…」
「はあ?」
横からダイナゴンが口を挟んだ。「フミマロ殿、此度の事は転機となるであろう、玉体の脆さはそなたにとって危険だ」
「何を仰る?そうであっても、そしてだからこそお守りするのが我らではありませぬか」
しかし、ダイナゴンはやはり冷静にどら焼きを一口齧り、「だからこそなのだ、そなたはせねばならぬ」と言った。
-翌日-
フミマロは技術者らと共に泊りで「反魂室」に居た、この区画は水たまり帝国が私有地として保有する土地の奥まった領域にあり、通常の法律で認可されていない違法な医療行為を「国内法」において執り行うために地下大規模研究施設が建造されている。
皇帝・チャゲオアネス・飛鳥の脳髄は36年前、この施設で徹底した改造を受け、脳神経細胞の全コネクトーム状況や化学的・電磁的活動状況、器質構造変化の細部に至るまでが【バイタルレコード】として記録されていた、眼球内にも水晶体の全質量の大半に相当する回路組織化が加えられており膨大な情報が処理されている。
「バイタルレコード」の解析結果は蛙達に衝撃を与えた、皇帝崩御の真の原因は側近中の側近であるフミマロの不注意による内臓破裂であったことが判明したからである、事態の再発をどのように防ぐか、その場で中枢の蛙達の議論が始まった。
「お茶を運んでいて踏み潰すなんて、あり得ないことなのです!!」と、ウタマロ。
「ミミミ、今後は鉄製の前掛けをちゃーくようして頂いてですねっ、ミミミー」とセミマロ。
「うつぶせに寝ててと訊いたですよ、前掛けじゃあダメです」とウタマロ。
「連帯感不足の中、協力しあわないで一人でお世話してたのがダメなんじゃない?今後は何するにも声かけあってチームでっ」とナカマロ。
「家狭いのにチームで居たりしたら余計踏むよー?フミマロだけにーミミミー」とセミマロ。
「占いだともう禅譲すべきなんだよねー」とキヨマロ。
「黙れキヨマロ粥で占うとかあり得ないですお前は怪しいのですっ!!」とウタマロ。
「季語がない」とヒトマロ。
「陛下ももっと寝る時は石の下に潜るとかしてればなぁ」とムシマロ。
「筋肉だよ、全身もうガッチガチのムッチムチに鍛えてればそんなんじゃ死なないよ」とムチマロ。
「ダメですあり得ないですアソコは筋肉ないのです!!」とウタマロ。
「こんなすぐ死ぬなんて虚弱体質じゃないの?今後は毎食うなぎだよねー」とイワマロ。
「みんなの英知の万華鏡でんがな」とヒコマロ。
「あーーっ!!もうっ!!ロクな意見がござりませぬっ!!」とフミマロ。
八人の神代御蛙達は議長の怒鳴り声に振り向いた。
「お前たちっ、陛下が今年もまた何度も崩御なさっているのに緊張感が無さ過ぎですっ!!」力んで大声を上げたがフミマロに「今回はフミマロ殿のせーではありませぬかっ!」とウタマロ。
「うぬぬ…」
フミマロは唸り声を出して全体を睨んだ、そして丁度その時、『皆様、陛下への蘇生処置を進めてまいります、第一工程に取り掛かりますので平復祈念にご臨席ください』スピーカーから技術者長の厳かな声がその場に響いた。「さあ、行きますよ、冗談じゃないのですから!」フミマロがそう言って、一同は席を立ってぞろぞろと手術台の周りに向かった。
外科手術用ベッドと同じ大きさの水槽へ濃い黄色の液体が張られた水面下十センチほど下に、仰向けに沈んだ飛鳥の亡骸がうっすらと見える。この液体には超太古に生み出された「医療用分子機械」の末裔がたっぷりと含まれており、中に生きた人が落ちても溺れ死ぬ事はなく、腐敗した遺体であっても隅々まで殺菌消毒されて分解作用が止まり、どのような病原体もたちどころに破壊されてしまう。
待っていた白衣の老蛙、技術者長は朝廷の主要貴族らが集まったのを見て説明を始めた。
「皆様、これから陛下の御身体の処置を開始致します…。一度黙祷ください」数秒の沈黙。「では、今回の術式について簡単にご説明いたします…まず今回は、前回、前々回の「落雷による中枢神経系への電磁的衝撃を原因とする大脳基底核機能停止」とは違いまして、「左右睾丸圧迫破裂による血管迷走神経反射性失神を中間原因とする心停止・ショック死」が陛下の死因と診断されます、バイタルレコード解析及び生活反応を分析しましたところ、発見時既に四時間が経過しておりました。今回の事態を受けまして、我々先進医療技術庁が以前より開発を進めておりました陛下の身体の基本的強靭化の計画を実行に移すべしとの判断が…【後人工知能群】より示されております、これについては以前より皆様からの委任を戴いておりますので、このまま行ってまいります。具体的な内容についてはお任せ下さい、若干のご意見を戴き参考にさせて頂く余地は御座いますので、明日の昼までに【我々の考える最高の皇帝陛下】についての発想を御寄せ下さい。では、始めてまいります…」
ギチチッ…
妙な音がした。
技術者長はどこからか奇妙なものを取り出していた、ロマネスコ種のブロッコリーに似た、拳大の茶色い無数の巻き毛の塊。
「これは、実際にこれから改造作業を行います、「淵叢」という、茂み型ロボットであります、無数の分子線から成るマニピュレータの塊と申しますか、極めて器用なロボットです、では起動します」
チャポ…
水槽にそれが投じられると、速やかにきつい巻きがほぐれていく、幾何学上に伸びてどこまでも薄く広がって行くようだった。
「一度完全な解体を行いますので、ご覧ください…」
水槽の中が無数の水流の渦で満たされ始めた、やがて黄色い水がバシャバシャ音を立てて赤く染まって行く、かき回される水流に何かのかけらが大量に混ざって…。
貴族全員が水槽内を見ながら【うわあああああ…】という顔をした。