魚
買い物袋はスーパーで500グラム重×6パック及び250グラムが加わった事でずっしりと重くなっていた。
「ちょっと時間を食いましたが、昼には間に合うでしょう…!」
商店街の魚屋「うを八」はこの星の人工海で育った「天然ものの鮮魚」を扱っていた、今現在海には全能スライムから自動生成されたパイプ状やシート状の化学環境装置が無数に入り込んでいて、海藻やプランクトンや魚介類が自然繁殖によって殖えて置き換わるまで自然界の中で生き物の代役をやっている。
店の棚にはムール貝やマグロやアジやサバという、遺伝子が永遠の記憶となった魚介類の他、その後の進化が生んだ全く外見の魚介らしくない何かが並んでおり、フミマロは原地球種から枝分かれして銀河系の他の太陽系で超太古に発生した回遊性水生生物の切り身を選んだ、それらとて恒星が数世代生まれ変わる程昔に消滅した惑星の進化の記憶である。
「すみません」
「へい、何にしましょう」
奥の白いタイル張りの壁前で手書きの注文票を整理していた頭にハチマキを巻いた哺乳類系の店主が出て来て、フミマロの前に立った。
「この、アプサパロスの切り身をひと舟と…、本郷マグロの煮つけを下さい」鮮やかな黄色をした切り身はあっさりと淡白な味。「アプサパロスひと舟と本郷の煮付けね。毎度」早速包み始める二品目は飛鳥の好物だった。
「フミさん、近頃あっくんどう?元気してる?」俯いて手を動かしながら店主、オッポロがボソリと訊いてきた、陛下とはほぼ同年代の友達で、幼少の頃にさしみ醤油の好みで激論を交わして以来の友達だ、彼らの種族は38歳で成人し、大体は520歳までに結婚する、オッポロが父親から店を一日交代で任されるようになって三十年経つ。
「ええ、お陰様で。飛鳥様は今朝ようっくお寝坊なすっておいでです、早朝にいつも通り田んぼで蛙衆タガメ衆などを率い雑草を抜いたり稲の育ちを見回りしたりして、区画ごとの生育状況を聞いて情報を中央官庁に向けて送信なさいましたが、昨日どうやら深夜放送をご覧らしくて直後に二度寝を始めておられたようです」フミマロとしてはオッポロのような皇帝陛下の古いご友人はこちらをどう思っていても大事にしなくてはならない。
「あいつ偉くなったね、何だか知らんが…あんたら蛙帝国の皇帝やってもう三十年だっけ?」
「我が国の国号は【プラチナ河水たまり帝国】でありまして、蛙帝国ではございません。水生生物一般に広く門戸を開いている歴史ある宇宙国家です」
「あ、そう…」
オッポロは煙たそうな顔で返事をする。水たまり帝国関係者全体にいつもこんなだ。
「あいつずっとこの煮付けは好きなんだよな、自分ちが米農家だからって訳でもないだろうけど、俺も作り甲斐感じるていうか、もうコレ作ってそれとおなじぐらいになった」
「はい、この煮付けをお出ししますといつもご飯のおかわりをなさいます」
「そうか…」
袋に容器を入れてゴムバンドで閉じ、その品物をフミマロに手渡し、店内のモニターを見て画像情報と遠隔で認識されるカードによる自動決済が済んだのをチラリと横目で確認する。
「ああ、そうだ、味付けの違うやつ最近作ったんだけど、試食してみて欲しいんだわ、カネ要らないから持って帰って味見しといてくんないか、出来ればあっくんが」
「お伝えします、陛下もお喜びになられるでしょう」
オッポロが奥の厨房の方へ行って釜から品を直接容器に盛る。
「ソロン岩礁ていうとこで開発されて放流が始まったプランクトンの影響で魚介の肉質が良くなるんだと、マグロももっと旨い魚になるっていう、楽しみにしといてくれ」
モニターを操作して品を決済から除外しフミマロに包みを渡すと、オッポロは店の中の鴨居にピン付けされた不朽性の完全写像写真を見た、そこだけ空間に奥への穴が開いているように見える、子供らが何人か親たちと一緒に集合して映っていて、全員どこかへピクニックに出かけている恰好をしていた。
フミマロがその視線に気づいて見上げ、飛鳥の姿を確認する、映っている子供は満面の笑みを浮かべていた。
「元々すげえ明るい性格しててさ、友達になったばっかりの頃は。元々親父さんの真似で下駄履いて山の中駆けずり回ってて、背は小さいけど割と度胸もあるから一緒に遊んでて面白い奴だった。それで随分と経つけどさあ、お前ら来てからなんかあいつ人が変わったんだよな、何してんの?その宇宙国家ていうのは?ネットで調べてもほとんど何にも情報出てこないんだけど?」
「情報発信はしておりますが、企業のように宣伝を目的とはしておりませんので…」
「俺のダチを犯罪に巻き込んでないだろうな?」
フミマロをもう一度見た目つきは鋭かった。
「それはとんでもない誤解でありますっ!我が帝国は宇宙に生命を広めもたらした古代地球文明への崇敬によって成り立ち、アスガルディアからの承認を得て広く認められている宇宙国家です、断じて犯罪行為などとは無縁です!」フミマロは強い口調で疑いを否定した。
「ふうん…でも、いつも煮付け買いに来てた時になんか表情が暗いんだよ、ずっと。出世して楽しくやってる感じじゃないぜ?星も残ってないどこかの大昔のから始めて娯楽にのめり込んでるらしいけど誰かと一緒にやる類のものには手を出してない様子だったし、お前らとのこと聞いても何にも答えん…。子供時代はあちこちの山ん中で木の実とか魚とか獲って遊んだもんだけどよ、他の友達が大人になって変わってくのと比べても、今のあいつが同じヤツとは思えないんだよ、この違和感はどっから来てるのかねえ?」
「申し訳ござません、帝でおられるというのは、途方もない重責であらせられるのです、オッポロさまはその重みによる風格を御感じになられているのでしょう、我々もなまなかな覚悟で飛鳥さまにご即位頂いた訳ではなく、全ては私たちの今現在の宇宙を築かれた始祖種族とその歴史に対する崇敬の念からしていることなのです」
慇懃な口調の弁明を聞くオッポロの表情は相変わらず険しい。
「じゃあ、水棲生物系人類の交流から生まれた緩いコミュニティが母体の宗教みたいなもの、っていう認識で良いのか?」
「はい…公式にそういった団体組織であると、当星雲の統治機関にもその発足当初から既に届け出ております、我々の歴史は彼らより古いものです、陛下を戴く私たちは今現在、グループ全体の中でも余りにも末端でありますが…」
フミマロの自嘲気味な言葉は真実だった、飛鳥を選び出し帝位に即位させた時点で彼方の仲間たちへ送った通信は、プラチナ河の範囲内だけでも何万年もかけて広まって行くしかない、超光速航法も通信も存在しないからだ、帝国は巨大だが巨大過ぎるので事実上、誰のものにもなりようがなかった。
「そうかい…。次の買い物の時はあいつも一緒に来てくれ、久し振りに家の中上がってもらって話もしたいしさ、あいつの行方のわかんない兄貴のこと思うと、ちょっと心配なんだわ、前に家の前通った時、庭ででかいスライムの上にぐったりした感じで寝て空見上げてた、心ここにあらずって感じの、何も見てない目でな」
「あれは、郡山さまのご息女より頂いた安楽椅子代わりのものです、大変に心地の良いものであるそうですので…」
「ならいいがな…、まあ、久し振りに話そうというのは、伝えといてくれ」
「はい、必ずお伝えします、オッポロ様」
マグロの煮付けの包み二つは、買い物バッグの中でズシリと存在感を持っていた。