選択、そしてその時
「ああーーーったたたたたたた…」
「わーーい」と口々に言いながら走り去っていくゴッコ電車を背後に、フミマロは不屈の精神で立ち上がった。
「なんてことでございましょうねっ!」
横長の瞳孔を持つ瞳が怒りの込もった視線を子供らに向ける、目に全員の姿が映り込んでいた。
「記憶しました。いずれ手を下しましょう」
そう言って子供らを「すが目」で見てからすぐに落ち着き払った様子に戻ると、フミマロは自分の手持ちのものをあちこち確かめ始めた。「…財布、手帳、カードケースは無事…巻き寿司のパックはへこんでおりますが大丈夫…」そしてバッグの底に一枚の紙きれを見付けた。
「ん?このメモは…ああ、失念しておりました…!」
紙切れには『スライム三キログラム』と書かれていた。
「んー、三キロはちょっと重いです…後回しでいいですかねえ…」
フミマロは呟いてから頭を激しく振った。
「いやいやいやっ!!よおく見ればこのメモは先週の日付が記してあるではないですかっ!?近頃使う機会が少なかったといえ、生活必需品を長い事買い忘れているなど陛下の御傍に仕える身でありながら、何たる粗忽!!今、御用を果たさねばなりませんっ!! 」
口をキリッと閉じ、「買うならいますぐです!!」と決意すると、丁度入り口に通りがかっていたスーパーの自動ドアへ90度曲がった。
シャーッ
自動ドアを通ってスーパーに入ると、フミマロは生鮮コーナーの片隅に漬物用容器等と並べて売られている「全能スライムジェル」のコーナーへ行った、ワゴンに盛って並べられている各メーカーS、M、L、XLサイズが揃い色とりどりな全能スライム充填パックの山。
「ああん、毎回悩むのですよねえ、我皇のはネオ・ニュー・続・新・EX・R・NEXT・Z富士9063267の天然水仕立て、レオポンのはカイパーベルト氷塊水使用、ですか…ただの水など分子の造りは全宇宙同じですからどれでもいいですが、わが帝国の皇帝陛下の身の回りの御世話や救急時のためにご用意するものです…下手な安物など」
どちらにしようかと高級感を量っていると、我皇のパックの山の前に『Sサイズ品入れ替えのため大放出セール半額引き』の札が掛かっていた、(フミマロ:月当たりの出費は計画されたもの、これなら半額分でお茶請けのプチケーキ正味量250グラムが買えます…)フミマロはそう思うが早いか自分の手が頭でその札を意識するより前に無意識かつ反射的にそちらへ伸びているのに気付いた。
「ハッ!?ええい!!下賤な手めっ半額に釣られるとはっ!!」
食いしばって反対側の左手でつねり上げ引っ張る。
「ふんぬっ!!」
ギギギギ…
右手と左手は互角に互いを逆へ引き合った。
「えいやぁ!皇家の誇りのためにっ!!」
ミチミチ…
(さっ、裂けます…っ!!)
左手がつねり上げている右手の甲が悲鳴を上げていた。しかし、お茶請けのプチケーキの希望を背負った右手も負けるものではない、激痛をこらえて勝利のタッチダウンを得ようとする。
「あがーーっ!!裂けるーーーっ!!」
左手で右手の甲をつまんで一人悶絶しているフミマロをどこかのお婆さんが怪訝な顔で見、子供が指をさしその母親が嫌な顔をした。
「うおおおお…負けるな左手ーーー!」
ぶるぶると震えながらそれでも右手は商品に伸びて行き…。
「あら、フミマロさん」
背後から優しそうな女性の声がした、近所の主婦、八重山さんだった、八重山さんは何種類ものクッキーやチョコレートを籠に入れていた、家に主婦仲間を集めて茶会を開くのが趣味なのだ、おかしな所を見られては朝廷の威信に関わる。
「おや…八重山様ではありませんか」
世間話を話し出すと長く、こちらから切り出さないとその場を離れられない難物である、何事も無かったかのようにレオポンの製品のXLサイズ2.5キロを手に取った。
「お買い物?」
「ええ、全能スライムをば切らしておりまして…」
「あ、そういえばうちも少なくなってたわ、丁度セールね、ラッキー」
八重山主婦は我皇の鬼瓦マークが記されたSサイズ500グラム入りを手に取り籠に入れた。
「今日来て良かったわ、あら、フミマロさん、何か口元に赤いのが」
「そうでありますか?すみません、出掛ける前に少々ナポリタンを…」
「ふふ、私もたまにあるわ、家事で忙しいと身だしなみの細かい所が疎かになってしまって」
「これはお恥ずかしい、では失敬して」
フミマロは危うく吐きかけた血を呑み込み、ハンケチで口元を拭った、白い布地に無念の紅が広がった。
「まあ、いい色…お味の濃そうなケチャップですね」
「近隣からの献上品です、私は毒見役を兼ねておりまして」
「身を挺して仕えていらっしゃるのねえ…ご立派、尊敬しますわ」
「何の、これで充分役得というものですから死んでも大した忠義には当たりません」
「ふふふ…」
本当は献上品のケチャップとか毒見役とか存在していないがイメージ戦略である。みずたまり帝国のイメージはこうしたフミマロの社交術手腕で維持されているのだ。
「全能スライムって、気を付けないとすぐに切らしてしまいますね、もうひとパック買っておこうかしら。うちの子よく転んで膝をすりむくから傷に塗るだけでも月にひとパック使っちゃって」
「私どもも邸内の細かな補修に有機ゴミの処理にと、思わぬ程使ってしまいますねぇ」
「便利ですわよね、うちの人なんかは歯磨きに使ってて、昔初めて見た時びっくりしましたわ、ホホホホ」
「ハッハッハ、トイレットペーパー代わりになさる方もおられるとか」
「御冗談!」
「いいえ、本当にいらっしゃるんです」
「まあ、世界って広いですのねえ…」
口に手を当てて驚きを表している八重山さん、フミマロはもう一歩教養を示して見せる。
「何しろ【全能スライム】とは元々が「高機能AIを練り込まれた超小型化学分解・合成・組み立て工場」というものですからねぇ、発明された当時は惑星開拓の切り札とされていて、元来の性能を引き出して使用すれば本当に何でも出来るのですよ」
パックを手に、いかにも本来の性能を深く理解して引き出し使いこなし価値を分かっているかのような視線を注いで言った、学校で先生が教えている時にそんな感じだったからである。
先生はこう教えていた-【全能スライム】は、人類が太陽系を飛び出して遠い恒星間航行後でのテラフォーミングと播種を実現させるのにどうしても必要な発明だったと言われている、光速と比して数%にも当たる加速とその減速には莫大なエネルギーを要するためシステム全体の質量はピコグラムまで軽量化の可能性を問われ、構造材やマニピュレータのような静的な機械部分部品が多く含まれる構造を持つ融通の利かない化学合成機器の集合よりも、全構成要素が常に流動していて様々な化学反応処理回路にも機械的構造にもなるごく大きな可変性を備えた流動体からなる粘菌状かつ高知能を備えた生体ロボットが最適だったのだ。到達した太陽系でごく僅かな光や元素を吸収する所から始めて惑星改造を進める巨大システムへと成長してゆく流動体AI、それ以外に実際的と呼べる方式はない、それはどこの開拓惑星でも入植後に住民の生存を支えるのに圧倒的な役割を果たしたし、今ではそれも日常用品として流通している。
「すごいのねえ…使い方を勉強しなくっちゃ」
「その辺りに関しては動画であれ論文であれ四コマであれ沢山解説資料がございます、是非ご覧ください、暮らしが快適になります」
「ありがとうフミマロさん、そうさせて頂くわ、ところで」
その時、八重山さんは別な話題を口にしかけて何かに気付いた。
「…あらいけない、そういえば午前中に銀行行かないといけないんだった、急がないと。じゃあまた」
片手を小さく振って離れていく八重山さんに「ごきげんよう」と会釈して見送る。
「……………」
フミマロの横長な瞳孔を持つ目が、ワゴンを再び見た。