帝国の黄昏
「ううん…」
飛鳥は何だか全身が熱っぽくて目を覚ました、布団の中と寝巻がしけっぽい、うつ伏せになってから身を起こすと平衡感覚がズレていて頭の片側が重く、フラフラする。
布団の上で座ってしばらく目を閉じていた、遠くの山から吹き下ろして水田を渡って来る外の風がひんやりと室内に入り込んでいた。
不意に、ものすごくお腹が空いているのに気が付いて、起き上がると照明が点灯して暗かった室内を照らす。
いつも起きている日の出前の時間帯、台所ではフミマロが昨日買った牛蒡をうす揚げや人参などと一緒に味噌汁にしていた、炊き立ての白米の匂いも漂っている。
「フミマロぉ…おはよう…」
飛鳥はふらつきながらも台所に行った、空腹感が耐えられないほどひどかったからだ。
「おはようございます、陛下。もうすぐ出来上がりますよぅ。昨日は、午前中にうを八で煮凝りを買って帰っておりまして、今日の朝食にと…御身体の具合はいかがでしょうか」
「ものすごくお腹空いてる。あと、なんか平衡感覚がおかしい…」
そう言う飛鳥の目は閉じていた、ふらつきと眠気のせいだった。
「おやぁ?…陛下、ちゃんと下着は昨日お渡ししたものをお着けですね?」
「うん。寝巻に何とか押し込んでるけど、細い毛筆体で『えんぺらー』て…これなに?」
「陛下は間違いなくエンペラーでございますよぅ、今後は毎晩就寝時にそれをご着用ください」
「なんで?」
「この間の事も御座いますし、色々とお気を付けを、以前の御身体とは違います」
「ああ…どんな風に改造されたのか教えて」
「では、居間で食卓にお着き下さい、洗顔も今日の所は後にして、まず急いで朝食に致します」
「うん…」
飛鳥がちゃぶ台の前に座って待つが早いか、フミマロはササッと炊飯器を運んできた、両手で頭上に掲げているそれは巨大なもので、普段は物置にしまってある。
ドスン
「よっと、もう少々お待ちを」
「あ、これ、みんなが集まった時用の一升炊き…?朝から呼ぶの?」
畳がへこみそうなそれを置いてすぐ、弾丸のような速度で味噌汁やおかず類を運んでくるフミマロ。最終的に運び込まれた食器は茶碗ではなく、儀式用の盃みたいな直径をした超大型のどんぶり。
「今盛りつけます!!さあ出来ました!!すぐお召し上がりください!!」
職人が何かかき回して混ぜる時に使うへらみたいなサイズのしゃもじで一瞬にして上から見て五角形のてんこ盛りに炊き立てごはんを盛り付け、飛鳥に差し出すフミマロ。
「えっっ!?これなに?」
「陛下は今、大変空腹であらせると存じます、今は何より食事を。全身の機能調整もこれからでございますので空腹が一番の敵です」
「これ、一人で食べられる量じゃないよ?」
「大丈夫です、今は胃の中に無数の微細な切断破砕機構があります、化学反応による消化でなく物理的に分子単位に破砕して何でもたちどころに栄養として吸収してしまいますから」
「なんか、機械化されてるんだね、胃も…いただきます」
妙に長い箸が置かれているのを手に取って、「うを八の煮凝り」から手を付けていく、赤魚や黄魚や青魚の切り身が茶色のゼラチンの中に泳いでいる。
「ああ…なんか久しぶりな感じがする、おいしい…」
「実際、一月ぶりでございますよぅ。あとこちらは、本郷マグロの煮つけの新しい味付けのものです、オッポロ様が陛下にと丁度入院の日におっしゃられておりまして…あの日はおまけに付けて頂いていたのですが」
「ああそうなんだ…今日挨拶に行こう」
飛鳥は次々と口に運び、白米の方も普段とは比較にならない程のペースで食べていた。
「んん…。おいしい、…なんか、一向に満足しない…?」
とても手に持てないのでちゃぶ台に置いて食べている、てんこ盛りになっていた五角形の盛りがみるみる半減していた。
「今後はお食事に必ずこの量の白米をご用意致します、膨大なエネルギーを必要とされますので。それと御魚もです、良質なタンパクもまた膨大に必要ですので」
「それ、食費どうなるの?」
「この家の予算が帝国国庫から多少の増額を受けるだけですので、なんの問題も御座いません、おひとりの食費が百倍になっても国家予算からすれば無に等しいものです」
「うーん、いくらお米作っても全部帝国のものだしなあ…実際収支どうなってるの?」
「陛下は金銭的な事はお気になされぬようお願い申し上げます」
「はあ…」
フミマロはいつの間にか次の器を用意していて、それにも同じだけの白米を盛っていた。
「国体にございますから」
ドン
置かれた器の白米を飛鳥は食べていく。
「この量が一体どこに…?」
自分でも不思議で仕方がない飛鳥だが、それでも箸が止まらなかった。
「摂取なされた栄養は胃からすぐ血液に流入し全身の人工器官が利用しておりますので、もう既に機能増進に回っています、それと昨日申し上げました通り…半分は子孫を御残し頂くためでございます」
「そこも…なんか機械に…?」
なとなーく、八重に抱きしめられた時のことを思い出す。
フミマロは詳細に言った。
「ええ。とは言いましても、陛下の12.3センチ砲に手を加えるなどと言う畏れ多い事はさすがに…今回農作業機械の暴走で破壊された器官など周辺を機能強化したのみです、それによって粘度五倍、濃度二十倍、生産量八十倍、そして当然、陛下のご実戦時には「高潮」の発生不可避と見まして、余計な水分に触れると粘度を下げず千倍にまで増大するよう特殊成分を加えました、これらによって【流れ落ちず、その場に粘り付いて増大して充満し、確実に機能を果たす】を実現できるようになっております」
「……本当に余の体に何をしようとしているのだお前ら」
飛鳥はそう言って食べる魚を異様においしく感じていた。頬に昨日の感触が甦って来る。
「こ、この髪も…何で出来ていたらこんな風に?」
顔の横に触れていた髪の束を挟んで示す、それは五ミリ程の厚みになっても向こうの指が透けて見え、根本付近は
頭が透けて見えない程度に銀髪として不透明さを持っている、所々角度によってメタリックなエメラルド色で、毛先の方をよく見ると光ファイバーのように青緑色の光を発していた、しかも髪の中に映像として魚が住んでいる。
「ご蓬髪は、何も着衣のない状態でも攻撃と防御両面をサポートできる機能を備えますよう、特別に強化致しました、全体がソリッドステートマシンとなっており電磁波を自在に操る素子の複合体でありますので使いこなされますと光も電波も思いのままです」
「具体的には?」
「砂鉄を集める事も出来ますし、全身を光学迷彩で透明化して隠す事も、気分によって好きな色に変えたり光らせたりも出来ます、あと、ばらけずに自動的に薄い帯状に集まって行きますが、これはスクリーンとして機能するためと、その状態になる事によってマニピュレイターとしての可動性を得るためです、そうする事でまた硬化して強力な盾として機能する力も発揮しますし、束になる事で先端からレーザーを出せます。分子機械より格段に高密度に構成された機能物体ですから「髪の毛一本の太さ」の中に機能がギッシリです」
「今、色変えられる?」
「ご就寝中は桃色に変化しておいででしたが、覚醒中の変化には練習が必要ですねぇ、朝のお仕事の後で訓練いたしましょう」
「そうか。余はまた忙しくなるのだな」
飛鳥は味噌汁を飲んで、また白米を食べて行った、何か混ぜてあるのではないかと思うぐらい甘くおいしく感じる。
(髪…八重にずっと触られたなあ…)
昨晩の車内でのことを思い出す。山中にある秘密トンネルを抜けて車が外に出てから、空に跨るオレンジの二重銀河を二人で眺めた。
八重は「うんと昔は銀河系って大体が白や黄色だったんだって」と言って指さしていた、「だんだん赤いのが増えていく動画があるけどすごいよ、二千億年以上、次々に星とか銀河系を移動してそこで撮影された実際の映像を繋ぎ合わせたやつ。星の間をあっという間に飛んで、だんだん近づいて来る銀河に飛び込んで、また別な銀河に行くの。リアルに銀河をいくつも飛び移ってご先祖がここまで来たんだなって」そう言って、肩を寄せてクッションに体を預けている飛鳥の髪を撫でる。
「あたしも変えてみようかな…こういうのに」
八重自身の髪は薄茶色で、遠い祖先にはほとんど見られなかったという色をしていた、これまでずっと色など気にせず過ごしていたが、今は何か気分が違うようだった。
「人工の遺伝子組み入れるの反対されない?」
「それよね。何代か前にこの星に入植する時役所でやってもらったのと適合性がどうとか心配して小さい頃から止められてる」
「みんなあんまり気にしないのに」
「うちはどうもね。そういうの受け継いでるから珍しい生き残りみたいになっちゃって、かなり古いとかいう伝統保存会にも入ってるらしいの」
「ふうん…」
「だから、なんか結婚相手とかもその関係からって言ってて…」
八重は、一回り小さくなった飛鳥の体を引き寄せるように腕を背後から回して肩を抱いてきた。
「こんなフワフワのキラキラには出来ないなぁ…いいなー」
「全身縮められたよ…」
「持ち運べそう」
八重は笑って飛鳥を見た。
「んー。良い匂い…」
そう言いながら覆い被さるように頭を撫でて、「いつかどっか遊びに行こうね、楽しい事あるように」と言った。
その後昔の事や家族の事も話した、飛鳥の一家は本人以外の全員が「留守中」で、父親は別な太陽系へ仕事とやらで片道三百年の出張、母親も※【トレイル一輪車】に乗り「ネギを買って来る」と言って出て行ってそれっきり、兄は祖先の土地を目指すと言って別銀河への旅に出てしまった。
※【トレイル一輪車】
タイヤ全面に装着された無数の接地基が流動的に動く事で微細なコントロールが効いている。
空気圧タイヤと違ってコンピュータ制御による完全な無振動を達成しており舗装されていない山道や歩道用に生み出された。
飛鳥の家にあったものは中型で荷物を持って乗り買い物に使えた。
糸霧家の方は惑星内の人間関係で全てが完結しており、大気圏の向こうについては関心が無い、星の海を渡って人類が広がって来た、別な太陽系には別な文明がある、等と言った現実や史実をおとぎ話のように感じている。
色々と話して家に帰ると八重の暖かな雰囲気や感触が残っていて、何か全身が疲れてもいたので気持ち良く眠りに就いた。
そうしてよく眠ったからだろう平衡感覚の異常も治り、廊下の窓から山越しの朝日がオレンジ色に差し込む。
「御馳走様」
飛鳥は洗顔と着替えに向かった。
水田の広がる山近くの高台。
「クェーロロロロロロロロロロロ…」
平たい農地に澄んだ呼び声が木霊する。小型二輪に乗ってやって来た飛鳥は蛙型小バイオノイドを呼び寄せる叫びを発していた、今現在の時代の平均的な男性の声は女性と比較して一音程低い程度で叫ぶと遠くまで響く。待っていたバイオノイド達はゲコゲコと跳ねて一斉に皇帝の元に集い、列を作り、フミマロが見守る朱のインキを吸ったスポンジに右前脚を付け、皇帝が差し出す「異常なし掌紋帳」の自分の番号のマスへ掌紋を捺して帰って行く。
一時間ほど掛けて全ての見回り蛙が集まり掌紋の表が埋まった。
そしてタガメ族代表やアメンボ族代表、亀族代表ら水田の状態を様々な分野で情報収集し分析している者らからの報告書に目を通し、専門家らによる判断に認可を与えて行く。
「西地区の田にギガントカワニナが見られます、ヤゴを放流し駆除しましょう」
認可。
「現在、青い穂がすくすくと育っていますが気温変化が大きく阻害要因となっています、対策として一般的な有機化合物T-ngr6を水路に散布します」
認可。
「イネに感染する事で知られる「ロップ乾燥カビ」によって枯れた草むらが2.8キロの位置に発見されました、周辺の雑草を刈り野焼きを行います」
認可。
帝国情報窓口の「皇帝陛下の御仕事」欄に掲載用の雑草刈り作業静止画撮影。
そうした通常の「朝の仕事」を終えると、飛鳥は家に帰って寝るのである、実際の農作業は高感度センサーの付いた作業機械の方が人間の手作業より遥かに細やかな配慮の行き届いた仕事を高速でやってのけるから。
また、帝国に加入している主な種族たちはこんな感じである。
●エターナルアオガエル(二足歩行もする蛙)
●エクリプスシロウサギ(二足歩行もする兎)
上記二種族はよく相撲を取る。
●インフィニティアメンボ(大き目)
●ギガニウラ(巨大トンボ)
いずれも「進化はもういい」と思っておりここ二千億年間まったく変化しておらず、しかも三十世代ほどの長さの周期で同じ人格の記憶を引き継いだ循環式の世代交代を続けていて個人としても増減していない(浮気などの場合、スライムを体に付けて作った自分自身のコピーに浮気心理を持って行かせて互いにそれをやり元の家庭に残る自分と別個人として別家庭を築かせるという円満解決をやる、知り合い同士の互いの双子が結婚した感じになる)。
なぜそんな事をしているかと言うと、やらなかったホモ・サピエンス種は結局絶滅して行ったから。
●貴族ダイナゴン(海イグアナ人)。大納言を襲名。
地球起源種としては高度に進化しており、ほとんどの個体はネットワーク内に自身の本体を置いており物理的実体部は全て【コピー体】扱いになっている。
その通信技術は一部で光速度不変を違反しているとされる。
人類は科学文明の地球における発祥種族であり、後発知性体らにとって永らく「本当に助けてくれる神様」として存在したため未だに崇められている、またそのため彼らはおしなべてこの世を信じている楽天的性格となった。
どの種族も見た目が愛らしくお気楽である。
帝国内の彼らは種族ごとに主に以下の仕事をしている。
●エターナルアオガエル(唄う・時給650円)
●エクリプスシロウサギ(跳ねる・時給650円)
●インフィニティアメンボ(水面をスイスイする・時給180円)
●ギガニウラ(目を回す・きついので時給6500円)
どの仕事もだいたい一日八時間労働であり、全自動マシンが運営している田圃や畑の脇の池等でこれら労働を行い、夕方五時にタイムカードを押して家に帰る。
帝国の物価。
以下実勢価格。
化学合成肉定食大盛り…8円50銭(税込)
同ダブルビッグチーズバーガーセット…7円90銭(税込)
コーラ350ml…37銭(税込)
映画のチケット大人一人…25円(税込)
(科学の進歩によってどの物資も根本的に二千億年以上前から無料での全自動生産体制である、どの星のどんな環境にもナノマシンがキノコみたいに自生して建てた野生のコンビニみたいな配布所とか普通にある)
商店街は人付き合いのために経済活動をやろうという社会団体の圏域に加わっているもので、必要に迫られて存在している訳ではない。
「何故この世に居ようとするのか?」という思想的なものが背景にあり、この世の存在意義を消さないために高度技術依存を控えている暮らしをしている。
帰って茶にしてから、フミマロは「では、新しい玉体の操作方法を体得しに参りましょう」と言った。
「それ家の中じゃダメ?」
「蛙としてのジャンプ力も発揮出来ねばなりませんから。それはここでは不可能ですねぇ、東九番地区の畑に参ります、あそこの作物を使用しますので」
「東九番…あっちは天然繊維の原料やってたけど、何使うって?」
「良い物が御座います、今はまだ話せません、では行きましょう、身支度は万全にお願いします、昨日お渡ししたこれらのものは全てご着用下さい」
ちゃぶ台の上に紫のマフラーと銀糸で唐草の刺繍された短い白のマントと水草を模した黒い透かしの腕輪が留め具として付いた手袋、緑色の上半身の半袖水着、それに扇子入れや【杓子ホルダー】の付いたベルト、蛙の顔の土偶の顔面といった造りのゴーグル、が、乗せられた。
「こんなもの全部着たらどんなカッコウに…」飛鳥は震え、怯えた目をした。
「ヒーローです!」強く断言するフミマロ。
「下半身褌だけじゃないか、お腹出てるしもうちょっと布地ないの?誰が考えたのこの服」
フミマロは説教口調になった。
「お腹は隠してはなりません、臍がある事はホモ・サピエンス種の証明ですから。それとあなたは蛙の皇帝でありますよ?いつでも泳げる恰好であるのが前提です、これでも着過ぎであると考えられもするのです。特に脚は我々の命と言える器官部位でありますから、しっかりと現わしていただかなければ。それに全身の肌は外界に出れば自動的に常に肌を治療するガマオイルでヌルヌルに保護されますので露出状態でも防護されています、一切のご心配は杞憂です」
「うう…」
「国家予算がだいぶかかりました…これをご覧ください!!」
フミマロは皇帝用の「笏」を鞘から抜いた、薄く延ばされた銀色の金属の棒に点描画のような手法で見事な絵が彫ってある。
「これは総純プラチナ製のあなたさま専用の笏です、表面の絵は職人が三年をかけて描きました、この描画にある全ての点を間違いない位置に打つためだったのだとか、幾度もやり直されています。プラチナは宇宙にありふれた資源ですが…あえて手を尽くして原地球日本製の物品を探し出し、溶かし込みました、他の何者もこれを持つ資格はございません。お受け取り下さい」
「うう…ん。分かったよ…着る…」
飛鳥はいくら掛かっているのか分かったものではない輝きを放つ笏を震えながら受け取り、着ていたジャージを脱いでしぶしぶ衣装を身に着け始めた。
「どう?着れてる?」
「おお…イメージCGそのままです。特にそのゴーグルを片時もお忘れなく」
「これ?一体何なのこれ」
「古い言い伝えです、黄色い不死の蛙を懐に従え、獰猛であったという巨獣ゴリラとも互角に格闘した英雄は常に額にゴーグルを着けていたとか。詳細は不明ですが、原地球から伝わっている神話でありますので…私も陛下の懐にこの世の終わりまでも仕える所存です」
「へええ…原地球時代って、一番最初の八つ大陸があった惑星の頃?」
「いえ、北アメリカ、南アメリカ、ユーラシア、オーストラリア、アフリカ、南極の六大陸です」
「いや、あと二つ、ムーロアとアトランティスがあったよ」
「それは当時の神話上の大陸ですよ、陛下」
「学説は色々あるけど実在したのは確実だってダイナゴン言ってたよ?」
「ダイナゴン…あれは情報世界に住んでいるので空想と現実の区別を蔑ろにしている所があります、信じてはいけません!!」
「はいはい…」
ゴーグルを額に着ける…つるやゴムバンドのようなものも無いが、左右両端から短い蛙の手が出ていて本体を額に当てると手が髪の下に潜り込んできて頭を直接掴まれた。
「うわぁ、なにコレ、頭掴んでくる」
「生きていますからねぇ。まあ、この一式の全部何らかの意味で「生きている」と思ってください、生命体より高密度で自律性のある物質系からなるシステムです」
飛鳥がゴーグルをおそるおそる手で確かめると、何だか妙に温かく、柔らかさがあり、ゆっくりと脈動しているようだった。
「ああ、ホントだなんか生きてる…」
「嫌な顔しないで下さい、陛下の現在のご蓬髪やお耳もそうした物質で出来ております」
皇帝に即位した時に脳と直結で取り付けられている【聴覚装置】…外耳一式の中の特に「鼓膜」部分は、外に露出した円形で、表面は金色に光って機械的に見えるが体温があり柔らかかった。
この部位は左右が脳幹を貫通して繋がっており取り外し出来ない。
「陛下、前髪をひと束、ゴーグルの口の部分に内側から通して垂らしてください」飛鳥が言うとおりにすると、髪の束はベルト状に結着し、目立つ色味の赤に発光した。
「ゴーグルはそれでようございます、とてもお似合いですよ、陛下」
「そうかなあ…」
飛鳥は鼻近くまで垂れ下がったゴーグルの派手な「舌」をいぶかしげにつまんだ。
そうやって支度をして出かける。
「ああ、玄関に以前から陛下がお召の専用高下駄が御座いますが、あれも今回全く新たにしましたので…」
フミマロはドタドタと先回りして下駄箱の戸棚から新しい奇妙な下駄を出した、通常の下駄の板の下に蛙の足の指先みたいなものがはみ出している。
「この見た目は確かにカエルっぽいけど…」
「まずは履いてみて下さい」
「これでいい?あっ!?」
飛鳥が下駄の鼻緒に足を入れると、下駄の下から長い水色の布が伸び出してシュルシュルと下駄と足の甲をくるんで巻き付き、またふくらはぎの方を編みあがりながら巻いて行って最後に後ろの方でむすばって余りが垂れ下がった。
「全自動でゲートルが巻き付いて固定しますのでこの高下駄は脱げる心配が御座いません、そしてまた…」
「うわっ!?」
下駄と蛙指の間がどんどん伸びて高下駄は60センチ以上も持ち上がった。
「縮めて!!縮めて!!」
飛鳥が悲鳴を上げる。
「陛下、落ち着いて下さい、この高下駄は踏ん張って自立いたしますのでいつも通り歩いて頂ければバランスを取る必要もございません」フミマロはそう言ったが飛鳥は「そうじゃなく!…た、高い…!!」と、震えながら高下駄の上にしゃがんだ。
「そういえば高所恐怖症を患っておいででしたねぇ、こんなに極端とは」
「大抵の恐怖症は持ってるから気を付けてって前から言ってるだろ!!」
「初対面の人や大勢の前に出ると喋れなくなるですとか、何もない広い空間を怖がって隅っこに行きたがる割に狭い所に入るのも怖いですとか、陛下については気を付ける事が多くて…」
「こんなのの上に立って歩くの無理!!」
もう涙目になってうずくまっている。
「仕方がありません、では、40センチに」
フミマロは高下駄のポール状に伸びた部分を触れて何かをし、三分の一ほど高下駄を縮ませた。
「どうです?陛下」
「ううー…これなら、ギリギリ…」
「以前のものの倍程度でしかありません、竹馬でももう少し高いのに…。さあ、行きましょうか、これで陛下は173センチです、他種族の方と比べても遜色ありません、以前の高下駄も「町に出ると周りから見下げられる圧迫感が怖い」と仰って履いておられましたが、今回17センチ縮みましたからそれでトントンの計算になります」
飛鳥はようやく立ち上がった。
「見た目的にも嫌だこんなもの履いて暮らすの…」
「民意ですので。さ、マントを」
「うん…」
フミマロが差し出す白いマントをマフラーの下に入れて首に巻くと、するすると地面近くまで伸びて飛鳥の全身を隠した、下の方に細く銀糸で唐草模様が刺繍され、背中には金糸の刺繍で水たまり帝国国璽があり、その中心には毛筆体で「蛙」と大きく刺繍されていた。
「これに慣れるのに何年かかったろう…」
皇帝は遠い目をした。
商店街・【オホ声喫茶・「暮れ」】
店長のマダム・アヤコは客のテーブルから下げたシフォン・ケーキの皿を洗いながらため息をついた、最近すっかり暇しており、生活に刺激が無さ過ぎる。
今、店内には三人の客が居るがいつもいつも決まって同じ時間に訪れる顔ぶれで、最早客と言うより茶飲み友達だ、上品なマダムがオホホと笑い声を響かせて会話する場を意味する『オホ声喫茶』と枕詞を屋号に付けたものの、地域の人口も知れたものであるところに文化が合わなかったと見えて訪れるのは変人ばっかりの店になってしまった。
会話が聞こえる。
「ウチんとこのフリードリヒちゃん、今朝は白がほとんどなの、だからミルクティー飲んで私も頑張ろうかなって」
「いいわね。ウチの弥五郎なんて今日3だったのよ3。だから私はコーラフロート三杯なの」
「うわあ、キツいわよ三杯は」
「でも頑張るわ、お告げだもの」
「そうよね、お告げは大事だものね」
この二人が何を言っているのか、アヤコも最初は分からなかった、だが数か月聞いている内、名前がイズミヤ・アツコとミヤザワ・キイチコであること、アツコは育てている植物に人名を付けて咲いた花の色を見ていること、キイチコの方は自宅の調子の悪い洗濯機を弥五郎と名付け、洗濯中に止まった回数を数えている事が分かった、そしてこの二人はそれらを「お告げ」と呼び、日常生活での選択一切をお告げで決めているのだ。
「お告げっていえば、お宅のキヨジくん、進学コース決まった?」
「AコースとBコースとCコースがあるのよねお告げによると。でもうちの子は生まれた時源一郎が八回連続でタイマーが故障してて真っ黒こげにしたから八っていう数に因縁があって、Bコースは八年かかるから丁度お告げだと思ってそれにしたの」
「うわー、それってきっと上手く行くよ、お告げを分からないと失敗しちゃう、そういうの読み解けない人生って危ないよねー」
「うんほんと。どこ見て生きてるんだろうっていう人いっぱいいる」
「アタシも今の旦那のプロポーズOKしたの当日にハイネが赤いの咲かせたからだけど、あの人そういうの分からないからごまかして別な理由つけてる。それずっと信じてるよ、二百年間」
「鈍いねー。扱いやすくていいけどさあ。イラっとしてこない?」
「それで腹立ててたら生きて行けないっしょー、なんだかんだ独りって色々不便だし怖いし」
「ま、お告げでどうとでもなるから余裕あるよねーその程度のヤツは許してやらんくもないって」
「そうそう…おまえどれだけ選択誤って地獄見てんだってかわいそうになるし。助けてあげるのもお役目かなって」
こういうの意外と世間じゃザラ。
「ジンジャーエール、お代わり!!」
眼帯を着けた女がこちらへ向けてグラスを高く掲げている、全身真っ黒と銀とパールで固めていてイミテーションダイヤも小粒のが無数。
「はーい、今お持ちします」
グラスを持った手の指も全部真っ黒なマニキュアが塗ってあって漫画で見るようなドクロマークの小さい奴が一本一本全部の指の爪に張り付けられていた、何で出来ているのか銀色に光っているが多分レジンで作ってラッカーでも吹き付けたのだろう。
たまに真っ黒い手提げを持ち込んで入って来るが、以前装丁のゴッテリした変な革張りの本一冊とペラペラのパンフレットらしきものが入っているのが見えた。
ジンジャーエールを注いで持って行くとテーブルで値札らしきものをカラーのサインペンで丸文字を使ってせっせと書いていた。
この客の事はよくわからない。
(ああ…ヒマ。折角あの【組織】に入っても指令とか何にもないし)
今度は黒い口紅の付いたグラスを舌打ちしながら洗っていると、ふと見た窓の外に変な恰好をした、顔つきからすると妙に背の高い人影が見えた。
「ふ、フミマロぉ…商店街の中これで歩くのやめようよぉ…」
目立つマント、頭におかしな目立つゴーグル、目立つ長い耳、そしてとても目立つ、中に魚が泳いでいて全体がメタリックな緑の輝きをたまに見せる透き通った銀髪。
進化元が多種多彩な現代社会の中でもかなり目立つほうの出で立ちであった。
また全体が縮んでいるのに途方もない高下駄を履いているので頭身が異様に大きくなる、子供らが寄って来ては見物して行った。
「よいではございませんか、目立ってこそ皇帝です、その高下駄にも慣れませんと」
フミマロは落ち着き払っている、飛鳥は(他人事だと思って…)と思った。
(何かしらあのコ?)
アヤコは通り過ぎて行く蛙連れの変態を見て興味を覚え、店の奥へ引っ込んで【組織】から支給された品物を漁った。
「あったわ、ちゃんと動くのかしら?」
小さな蜘蛛型ロボットを専用端末から呼びかけ起動させる。
『起動しました、ナクアです』
「今仕事できる状態かしら?」
『リアクターに問題なし。その他も正常です、いつでもどうぞ』
「じゃあ、人を調べてもらうわ、こっちよ」
アヤコはあまり気持ちのいいものではないナクアを手に包み、裏口から外に出てやけに背の高い【蛙連れの変態】を目で探した。
「いたわ…あれよ、見えるでしょう?あの「蛙」って書かれた白いマントの誰か。あのコを追跡してちょうだい、正体が気になるから」
『了解しました。特徴からすれば引き込める可能性が高いです』
「さ、行って」
【ナクア】はアヤコの手から飛び降りると敏捷に動いて追跡を開始した、今居る客は昼下がりには一旦誰も居なくなる、今日はその時で閉めてしまおう。
アヤコは鼻歌と共に店の中へ戻った。
うを八の前を通りがかり、飛鳥は店の中に声を掛けた。
「おーい、オッポロー」
店の奥で店主が振り返って急いで出て来た。
「ん?飛鳥か!治ったのか!?」
「うん、なんかだいぶかかったけど」
「機械の扱い間違えて…両方のタマ潰れたんだっけか…よく生きてたな!」
「ああうん。憶えて無いけどひどかったって…ショックで部分記憶喪失」
「まあそら、そうなっておかしくないわな。ちょっとぶつけただけで飛び跳ねて痛がるもの両方とも破裂って」
「うん…」
「再生したんだな?」
「ああ、元通りになってる」
「良かった良かった」
オッポロは何度もカクカクと頷いていた
「あの日試作のマグロの煮付けくれてたの聞いたよ、ありがとう」
「味見してほしくてな。まあしょうがない事だったけど、退院祝いに何か持ってく?どれでもいいぜ」
「ありがとう。でも今用事で出掛けててこれからかなり歩くから気持ちだけもらっとく」
「そうか、じゃあまた今度来た時。なんか一番いいの祝い用の包みに入れて渡す。今日帰りに寄れたらでも良いけど」
「遅くなるかも知れないから明日か明後日かな」
「忙しいのかいきなり?」
「いや、なんかリハビリとかで…長い事動けなかったし」
「ああ、ずっと治療してて歩けなくなって、か。体力取り戻すの大変だな…ところで髪の色変えたか?」
「うん。よくわからないけど護身用にって、フミマロが…」
「おおい、フミちゃん、また飛鳥におかしなもの勧めて改造したのか…」
「いいえ、これは本当に多機能な護身用のものです、陛下にまた一大事が起こりませんよう」
「ふーん。そんならいいけど…ランニングでもするんなら気を付けろよ」
「うん。行ってくる」
二時間後。
「徒歩で来るのは遠くない?」
「新たな高下駄にも慣れたご歩様子で」
「あっ、ズェラロンズが3-1で勝ってる気がする」
「聴覚装置から無意識的に外部情報を引っ張り出すのをおやめください、精神が壊れますよ」
なだらかな山道を登る事小一時間、【東九番地区】に到達した。
何か植わっている一帯の前で山道の両脇に竹竿が突き立ててあって黄色いロープが渡され、『立ち入り禁止』とマジックで書かれたプラスチックの板が吊り下げられていた。
「農場だよねただの」
「ここでは大麻を栽培して御座います、陛下に置かれましてはまず蛙の魂たるジャンプ力のトレーニングをば」
「これまでぜんぜんそんなこと…」
「ムリっぽ過ぎたからです!陛下の元来の身体能力は垂直飛び15センチ、走り幅跳び30センチ、50メートル走35秒とあり得ない数字ばかりです、しかし今は全身を改造されております、改造人間なのですよ【改造人間】!!ならば不可避的に特訓でありましょう!!」
「なんで不可避なの?」
「いいから来てくださいっ!!さあっ!!」
フミマロは飛鳥をグイグイ引っ張り、地下施設に連行した。
「ここでは毎週パレットに種を植え付け、千パレットづつを人工太陽灯で育てております、麻をコンスタントに生産し続けるためです、成長段階の違う苗が揃っておりますれば、訓練には最適かと」
地底へ向かって果てしも無く開いた巨大な円筒状の穴の中に骨組みだけの階層が積み重ねられ、無人工場になっている、さしわたし三キロぐらいの穴だろうか、底は見えない。
そして光と水と栄養を与えられ続ける農作物のパレットの敷き詰められた巨大リフトが長い長い柱を中心に縦に連なっていた、惑星開拓でよく建てられる植物工場の方式だ、リフトは地下から次第に上がって来て地表近くには収穫期のものがある、飛鳥は『大麻塔』の中ほどへ連れてこられた。
リフトの中で実験栽培群の置かれた一画に『標準』と書かれた鉢植えが置いてあった。
「これをまず飛び越えてください。出来たら上の階に上がります」
標準大麻は既に一メートル程度になっていた。
「ムリ…今余の身長133センチだし」
「だからその高下駄があるのです。まず陛下の機能を使用するためにケロリアン・ゴーグルを起動しましょう、【F+Enter】と心に念じて下さい」
「なにそれ…」
「いいから!やればわかりますっ!!」
飛鳥が言われた通り念じると、ゴーグルの目の部分がカシャツと開いてゴーグル自体が目に覆いかぶさった。
「うわあ、ゴーグルの手が耳を押さえつけて来てる…」
『現在、聴覚装置を通じた外部からのアクセスを制限しています。おはようございます、陛下』
システム音声は、「これはシステム音声だな」と分かる感じのする声で喋った。
飛鳥の視界には奥行きがあり、ありとあらゆるものが視線を合わせると詳細情報が表示される状態にある、説明は奥行き差で対象物の映像と区別されていた。
『フミマロ様よりチュートリアルを拝命しております、早速開始しましょう。まず、高下駄のスーパージャンプ機能は移動中に【↓】でチャージされ、任意のタイミングでジャンプすると発動します、今回は仮想的に実行します、【↓】を入力してください』
「入力って?」
『心に念じて下さい』
「…」
『入力を受け付けました、これでスーパージャンプがチャージされています、では一度垂直に飛び上がって下さい』
「えっ、と…」
飛鳥はつま先で地面を蹴ってみた。
「うわっ!?」
途方もないGが掛かって、床が一瞬で遠くなる、十メートルも体が飛び上がっていた。
「落ちる落ちるっ!!」
驚いて悲鳴を上げどうしようもなく衝撃に備えていると、高下駄が長く伸びて地面を捉え、ゆっくりと沈み込むように勢いを殺しながら着地した。
『成功。今回は仮想ジャンプでしたが、このまま物理ジャンプを試みる事も出来ます、仮想ジャンプのまま練習を続けますか?』
システム音声が訊いて来るが、飛鳥は両足が震えて心臓が何か異常な動悸をしているのを感じた、額や体にドッと冷や汗が噴き出ている。
「むう…」
座り込む。
急に眠気が襲い始めた。
「あれぇ、陛下?どうなさいました?」
「ちょっと、横になる…」
その場に倒れ、飛鳥は急速に眠った。
「陛下?」フミマロは飛鳥を覗き込んだ、開いたままのゴーグルの光る眼に瞳孔が現れてフミマロを見、いつもとは全く違う声で飛鳥が喋る。
『心的なショック状態により意識レベルが低下しました、回復に五分かかります』
「ケロリアンか?」
『はい。聴覚装置を通じて応答を代行しています』
「今の陛下は高所恐怖症でジャンプには心理的に耐えられない、という事だな?」
『その通りです、恐怖症を克服するために段階的に機能を解放していく必要があります』
「やれやれ…」
『今後はジャンプ経験を記録、値として計測し、慣れの目安として表示します、フミマロ様のご判断で機能水準を設定ください』
「分かった…以後その数値をこちらへ送信せよ」
『了解』
「むぬう、なかなか我らの皇帝らしくなるのには手間がかかりそうです…」
フミマロは眠っている飛鳥の傍に座った、髪の中の魚影の小魚達は眠っている飛鳥の体の下に潜り込んで群れていた。
五分後。
「ん…」
「お目覚めですね?」
「うん。スーパージャンプの事はもうわかった、帰ろう」
「それですが、ちゃんと使いこなすにはやはり練習が必要です…一度飛び跳ねるごとに失神なさっていらしては到底役に立ちません!!」
「ええ…?」
「練習です!!物理ジャンプで麻を飛び越えましょう」
フミマロの言うのに合わせて飛鳥の耳にシステムの声が響く。
『トレーニングを物理に切り替えます』
「その極端な高所恐怖症があって我々蛙の皇帝であらせるのは無理がありますのでっ!!完全に克服をっ!!」
「あの、ちょっと、気持ち的にもう…」
「それなら今日はご飯抜きです!!」
「それはものすごく困る…」
飛鳥はしぶしぶ承諾する事になった。
「訓練始める…」
『物理トレーニングにはエネルギーを要します…エネルギーコストを算出…重量32キログラム。前夜に72回のエネルギーチャージが行われました、これにより連続144回の練習が可能です、残量切れの場合、自動回復を待つかエネルギーチャージを行って下さい』
「エネルギーチャージ?」
「ふむ。陛下、ご自身のエネルギーでございます、どうやら昨夜はご就寝中に72回連続で夢の精が降り立ったようです、そして【えんぺらー褌】がそれを瞬間吸収いたしました、緊急時のチャージのため、ご記憶下さい」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………どういうこと?」
「昨晩ご就寝中の陛下のご蓬髪は美しい緋色をなさっておいてでしたし、ご起床時に平衡感覚が幾分狂っていたのもその影響でしょう、えんぺらー褌を着用なさっていなかった場合、寝室にはしらたきを混ぜ込んだ洗濯糊の湖のようなものが広がっていたはずです、激しい空腹感も半分はそれによるものです」
「ふーーーーん…」
滔々と語るフミマロを前にして、飛鳥はマントを掻き合わせて全身を覆った。
そしてまったくの無表情になり、無言でジャンプの練習を始めた。
一時間後…
『ジャンプエネルギー枯渇。チャージまたは回復を待ってください』
「エネルギー切れ。訓練終了…」
「時刻は二時を回った所ですねぇ…」
飛鳥は息を吐いて座り込んだ。
「陛下、お疲れ様です。ご蓬髪の機能の扱いについては後日といたしましょう…一旦地上に」
「帰りたい…ものすごくお腹空いた…煮付か何かもらっとけば良かったかな…」
急に襲って来た信じられない程の空腹感で動けなくなり、飛鳥は参っていた、座り込んだまま指も億劫で動かせない。
フミマロは荷物運搬用の人型自動機械を呼んで飛鳥を抱え上げさせた、そしてそのまま長いエレベーターに乗った。横向きに抱きかかえられた飛鳥の目には光が無く、完全なエネルギー切れを起こしている。
「外部と連絡を取り食事を用意させ、付近の施設から瞬間炊きの三号釜四つと米と佃煮と缶詰とふりかけと塩がロケットに乗せて射出されました、我々が地上に着くころには内蔵されたメカが飯を炊いているはずです」
地上ではロケットから小包が分離し、パラシュートで降下していた、そして小包の中で機械が炊飯を始める。
フミマロと飛鳥が地上に着いた時、貨物の集配場の脇にシートが敷かれ、大量の飯が既に炊き立てになっていた、フミマロによって準備されると飛鳥はフラフラの状態で食べ始めた。
黙々と食事をする二人。
「全部太古からの保存食でございますねぇ…」
「うん、このさい何でもいい」
大量の白米を佃煮やふりかけや塩で食べて炊飯器を二つも空にすると、飛鳥は元気を取り戻していた。
尚も食べながら話す。
「フミマロ…?」
「はい」
「えんぺらー褌のことだけど」
「ええ…」
「あの仕様なんで?」
「毎日の機能維持と、その処理、またエネルギーの有効活用を考えまして」
「フミマロが?」
「ええ。最適な方法であると考えます」
「あんなにチャージされるのって…」
「機能回復以上のものを目指さねば、高貴な血統は維持できません」
「でも、そこまでやる必要はないよね?」
「完全に機能が失われていて一からの再生でしたし、可能だったものですから、やるべきであると思いましてぇ…特に生殖機能に関しては現代の技術でやれる最高の改造を施し、最大で体重の六割までを精液に変換可能に…」
飛鳥はまだ炊き立てのご飯がいっぱいに詰まった炊飯器の取っ手を握ると、涙の滲んだ目で満面の笑みを浮かべて円を描いて縦に振り回し、フミマロの脳天に見舞った。
「何か乗り物呼んで、蛙だからどこかで泳ぐ訓練する」
転がったまま痙攣する蛙に勅令を下すと、全ての白米を食べ終わった皇帝は丼を置いた。
昼下がり、初夏の太陽が黄金色を帯び始める時間帯、飛鳥は褌以外全て脱ぎ捨てて町はずれを流れる清冽な河で水浴びしていた、何もかも洗い流してしまいたかった…。
「陛下、ガマオイル装甲は水溶性ではありません故、環境へのご心配は必要御座いません、存分に水練にお励みください…」フミマロは体内の戦術AIから瀕死を告げられながら護岸のブロックの窪みの一つに身をはめ込んでいた。
飛鳥の体全体が強い日差しに反応してガマオイルを出し防御を整えていた、ただ見た目がテラテラしているのでなく衝撃を殺す柔らかい肉質かつガマオイル装甲は薄い油膜内部がベルトコンベヤのような構造となって表面が摩擦ゼロに近くなり、掴みどころがない、肉弾戦の防御としては完全な回避力を持つ。
飛鳥は元々の骨格が骨ばっていないので更に輪をかけて掴みどころが無かった。
平泳ぎをやれ、やれ、とずっと蛙共から言われているのでそのやり方で泳ぐ飛鳥を見つめる目があった。
「はははははははは!!随分と怪異な御髪をしているね、そこのキミ!!」
「んぇっ!?」
振り返れば河童。
「ひいっ!?」
「あら、スタイルのいいボウヤね、ますます気に入ったわ」
浅瀬の中、川面から上半身を顕わにしているのは、ビキニ姿で手足にモンスターふうのグローブとブーツを身に着けた女の人だった、顔は真緑色の覆面で隠していて背中に甲羅らしきものを背負っている。中身はほぼホモ・サピエンス種人類で間違いない。
「こんな町はずれの小さな川で、お…おかしな恰好した人に遭った…」
震えの止まらない飛鳥。
笑う河童レディ。
「ふふん、そんなどこの進化の系統にも表れない非現実的な髪や耳をしているなんて、現実からの脱出を目指している我々の仲間かしら?あなた我々と共に来ない?このつまらない世界を破壊しつくしてやりましょうよ」
「えーあのこれ…」
全部他人が勝手にやったという事実をどう伝えたらいいのか?飛鳥は言いよどんだ。
「フフッ、我々の一員になるといいわ、戦闘の仕方なら一から教えてあげられる。大麻の秘密工場で戦闘訓練をしていたみたいね、どこの組織かわからないけど私たちには邪魔になりそう…残念ね」
「秘密工場で訓練って…どこからか見てたのか…」
飛鳥は警戒した、ストーキングというものにはいくらでも方法があり危険極まりないからだ。河童は表情に陰りを見せ、両手を背後に回してちょっと屈んだ、指が甲羅の中に潜り込んでいる。
「仲間になる?さもなくば…このシリコン玉の餌食になるのよ!!」
スッ、と引き出された両手の全ての指の間に小さいボールがはまっていた。
「あ、あの…戦闘とか出来ないので…お断りします」
「宣戦布告ね、ホント、残念…」
「このカッパーニアのシリコン玉、受けてみるがいい!!」
投げつけて来た。
「いたっ!!やめて、やめて!!」
一方的に追って来て話は通じずこんなことやって来るだけと言うのもこわい。
「オホホホホホホホホ、私の正体を見せてあげるわボウヤ…」
河童が被っていた覆面を取る…頭に犬や猫のような耳が生え、側頭のホモ・サピエンス種型と合わせて四つの耳があった、そこだけちょっと親近感を飛鳥は持った。
「あの…もしかしてホモ・サピエンス種から別方面を目指して遺伝子を書き換えたっていう…」
人工進化の可能性を信じて身体を作り替える行為は現在もたまにどこかで主流化する、だが大抵違法行為として取り締まられて種族化には至らないのだ、その過激化したものだろうか。
「ウフフフフフ、そうよキツネよ、アタシはキツネなのよ、キツネだから化けて、今は河童なのよ!!」
「そんなムチャクチャな…」
全然話を聞いてくれないので、飛鳥は川から上がって退散する事にした。
「か、帰ります…」
「ダメよ!」
ダッ、と駆け寄って来て掴みかかられる、が、あちこち握られるが全て滑った。
「ああっ!だれかっ!フミマロっ!助けて!フミマロっ!!」
「す、滑って掴めないわねこの子!!」
160センチの怪しい恰好をした女が130センチの男をバシャバシャと水しぶきを上げながら襲っていた。
「さ、騒ぐんじゃないわよ!!」
「助けて!!誰かーーっ!!」
そしてようやく掴める所を発見する。
「これは握れるわね」
「あっ!?」
褌の先を掴んで引っ張られ、飛鳥は川の中で転んだ。
「ああっ?コレ溺れ死ぬわ!!」
女はすぐ手を離したが、褌も引っ張られてガマオイルで滑り落ちた。
「げほっ、げほっ…」
起き上がって咳込む飛鳥。褌が脱げて流されているのに気付いて前を押さえた。
「何するんだか…変態っ!!」
「オホホホホホホホホ、その言葉、甘んじて受けるわ、でもこれならどうかしら!?お前はもう逃げられない!!」
河童は既に川から上がっており、どこに準備してあったのか護岸にインクらしきものをぶちまけ、手に盛った装置から何かの光線を放った。
「これはスクリーン塗料。どこにでも画面を形成する、日曜大工でも使われるものよ、すでにあちこちに塗ってあるわ…見なさい」
スクリーンにある種の動画が表示された。
「あの…ちょっ、もう…罠にしても…」
飛鳥の頬はカアァァ…と赤くなった。
争いごとに繋がる性質や支配欲を持つ性質全般が初期の宇宙開拓史で「あってはならない欠陥」とされた結果、男性の「男性的とされる特徴」は遺伝子ごと消えて行き、結果、人類全体で互いにとって愛玩動物のような性質ばかり増す中、話し声や動作や行動がちょっと気だるい感じがするだけで、根本的には素直で臆病であるという性質が残った。
なので、男性は相変わらず人口の丁度半数居るがその見た目や性質はかつてと全然違う。
個性と体つきが薄くスラッとしてて挙動が気だるくてそんなに喋らない人が居たら大体男性である。
何だか落ち着いているが老獪さはなく、懐に入れると心地よさげに眠り、危険にはどちらかというと目ざとい。
元々が虚弱なばかりに年がら年中男女とも発情期にあり、マッチポンプ式の益体も無い理由で種内闘争を繁殖競争がために続ける「人類の性の特徴」は遺伝子ごと完全に放棄されていた。毎度繰り返される戦争は経済のためだけではなく、別レベルの生物の本能としては強姦のためにしていたのだ、これは史実の記録にもはっきりと現れている。
強姦のための戦争を大衆に方向づけるためには父権による性の統制を絶対化し抑圧を与える、あるいは、大衆の意志を無力化するには性を無制限に開放してしまい道徳律の根にある「羞恥心」や目的達成への正当とされる順序を踏む「意思力」を破壊するか。
いずれにせよ人類の行動はその性行動の特徴に振り回され続けていた。
性行動が拡大解釈されて重大関心事となり、社会的な生死を決めるなどと言う事はザラで、よくその「犯罪的行動の証拠」が実際には全くの正当な行動にも関わらず脅しに使用された。
ポルノの購入記録を「社会的に蔑まれるべき行為の証拠」として攻撃材料にすべく収集する犯罪者など居たし、そうした犯罪者の側が人間の心理の中では実際にロビン・フッド的英雄と映る。
その【英雄的行動】に対しては、社会全体が「もう少し毅然として見せたらどうか?」と疑問を持たざるを得ないほど理解を示し「ユーモア感覚」を共有してさえ見せるという事が起こっていた、メールアドレス流出には憤慨するが、より被害の大きな盗撮には、やに下がっての寛容性を示す。
だが、この事が文化的には「尾籠なので」不当に低く見て「笑って問題にしない」、現実より社会的体面を重んじる解釈によって議論(する気になること)も阻まれ続け、【中型動物にしてはまるでげっ歯類のような生態系底辺としての性戦略を取っている】という人類の固有的生態のわかりやすい特徴は長い事看過されていたものであった。
それは全ての自分たち人類の個体の持つ、あまりにも情けない実態でもあったから。
(何してるんだろう…この女)
冷静に見つめている飛鳥だったが、そこで体の異変を感じた。
(あ…ダメだ…川から上がれない!!)
「ひ、卑怯者っっ!!」
「構わないわよ!音声も楽しみなさいな!!」
スピーカーから大音量が流される。
(す、水流が、水流でっ!!改造ってこういう…)
「ぐうぅぅ…」
10分も逃げられずに居た、遠ざかるために歩くのも憚られるし、音声は防げそうにない…。
「ウフフフフフフフフフ…」
それを見て河童はむしろ川に戻って来た。
「うう…近づくな変態…」
「心配ないわよ、他に人も居ないし」
その指先が飛鳥の背中を骨盤辺りから上へ「つーっ」となぞった。
「ひぅっっ!!?」
飛鳥は一瞬ギクリとなる。
そして、
そこで瞬間的に全身が熱くなり、頭の中が朦朧として、眩暈がして、上と下の方向も定まらなくなった。
「あらあらあらあらあらあらあら…」河童は水流の川上の方に移動し、固まって動かなくなった飛鳥の頭を撫でまわすと、満足そうに笑って川から出て行った。
20分経過
25分経過
全身が全く力を使い果たし失う瞬間、飛鳥は「余の体に本当に一体何をしたのだ…」と嘆いた。
「うう…ようやく体が動くようにぃ…飛鳥さま…」飛鳥が泳いでいるはずの場所でフミマロが発見したのは水面に上がる僅かな気泡と、小さな橋の支柱に引っかかって揺蕩っているえんぺらー褌であった。
夕方。
何とか川底から救出された飛鳥は、部屋の隅で毛布にくるまって震えていた。
マフラーに首をうずめるようにして小さくなり、一言も発する事無く青白い顔で壁を見つめている。
「陛下…温かいミルクココアを作りました…」
背後からフミマロが差し出したそれを、やはり無言で受け取って飲む。
「テレビのニュースでも見ましょう…」
重い空気の中、夕方のニュースが流れる。
『…続きまして…不審者が現れたという速報です。本日午後三時頃、市内を流れる小裳内川が濁っているという通報があり、市当局が調べたところ、川全体が白く濁り、ヌルヌルとしたしらたきのようなものが舞っている状態でした、この物質が何なのかはサンプルを取って現在分析中で、市では警察とも連携して原因解明に当たって行くという事です』
『何なんでしょう?』
『現在、環境中の生物の関与を調べるため、含まれる遺伝子の解析をしているそうです。また、この事件の前後に、現場近くでは川付近に居る蛙目の人物を見たという目撃情報が多く寄せられており、こういった写真画像がその人物として複数件届けられました』
『まあ怖い』
《カエル目の男》
『地域住民の間では、どうやら以前から麻薬取締法違反があるのではないかと噂され「カエル目の男」として有名だったとのことで、現在警察でも、この人物を【小裳内川白濁事件】の重要参考人として逮捕を急いでいるとのことです。本当にどうしようもない犯人ですね』
『死ねばいいのに』
フミマロの視界、テレビの画面が唐突に消えた。
「フミマロ、これまでよく仕えてくれました、余の命運もこれまでのようです」
振り返ると、飛鳥がリモコンを手にしていた。




