むっちゃ呼んだ
「え?飛鳥くん、一週間も目が覚めないの?どうして?」
フミマロが隣家を訪ねて飛鳥の昔からの友人、糸霧八重に事情を話し始めた、今現在一週間意識不明であると。
「それがでございますが…、ちょっとお耳を」
ゴニョゴニョと「事情」を聞かせる、八重は顔を赤らめた。
「ほえ…?アソコって、打つとそんなに痛むの?ショックで意識不明のままって」
「はい…命を落とす場合も御座います、飛鳥様は神経の図太い方ではありませんし、済んでの所で心停止は避けられたといった所で…」
実際には避けられていなかったが、それを言うと傷害致死である。
「そん、な…。後遺症が残ったりする?相当にひどい状態よね?最近見ないからどうしたんだろうって思ってたら」
「幸い治療は完璧です、我々の国家的力の粋を集めました」
「国家的って…、パラダイス作るとか言ってる会の友だちそんなに多いの?それで、どこの病院?」
八重は水たまり帝国を知ってはいるが、「飛鳥がはまっているおかしなサークル」としか思っていなかった。
「我々の仲間内の施設なのですが、地下に御座います、意識を取り戻されるのに親しい方からの呼びかけが有効だろうとの見立てでございまして、是非ご協力をお願いしたいのですが…」
「というとおたくには病院長みたいな人も参加してるのよね?それでそこに…」
「はい、救急搬送も治療も最優先でございました」
「良かった。彼お友達ほとんど居ないと思ってたけど頼りになる人が居たのね、年賀状とか暑中見舞いにもあんまり自分の事書いてなかったし、コミュニティにも接続無かったからてっきり…。それで、事故原因ってどんなこと?」
「農機具を扱っておられる途中の事でして…」
「わかった、すぐ行くから待ってて」
大して疑いもせず身支度を始める八重。
フミマロは脳内でアクセスを掛けた。
(御后様が行かれる、警戒を最高に設定)
『設定。行動予測ルートの五次元展開像を確認致しますか?』
(送れ)
『転送』
莫大な動線イメージと詳細な説明、言語的意味解釈の莫大なif展開を内包した、決して視覚的に表示出来ないテキスト群。八重の感情の内観イメージ、その動的変化のこれもやはり莫大なif展開。
自身の脳構造への侵襲的な機能付与を行っていなければ到底流し込めるものではないデータをフミマロは受け取っていた、他人の感情の解析結果を体験として受け入れるのは通常の「思考によるネットワークアクセス」では絶対に不可能だ、このような「精神感応能力」と言える次元の機能を自分に組み込んだのは、仕えている相手がそれ以上の脳改造を受けている事による。
脳硬膜には莫大な容量の記憶装置が張り付き、表面に特殊演算処理回路がプリントされさえしていた、だがそんなものは比ではない。
(これが御后様の御心か)
フミマロは判断や心情の展開予測を受け入れるごとに他人の人格に侵されて行く。
一人の人間として、既に無数のサブ人格が埋まっている状態だ、だから常にそれらを封じて生きている。
そうすると少々困った事に、自身の人格が「積み重ならない」のだ。
今回も大きな失敗を犯している。
地下施設に到着すると、八重は指示を受けていた典医らによって反魂の行われている特別室へと直接迎え入れられた、そこまでに通った順路は巧妙にパネルで本来の構造を隠され、病院らしく偽装された。
「糸霧八重さま、ようこそいらっしゃいました」
室内には白衣姿で技術者長が待機し、数名の典医がその周囲で小型医療機器の情報端末装置らしきものを熱心に操作していた。
「あの、わたし飛鳥くんの友達なんですが、意識不明の状態から目を覚ますのに呼びかけて欲しいって…」
「はい。実を言いますと、我々では手詰まりの状態でして…」
技術者長は申し訳なさそうにい、会釈しながらその場に用意された椅子を手で示した。
「どうぞお掛けください」
「あ、はい」
「ちょっと、農作業中の事故で激痛によるショック死寸前の状態で緊急搬送されて来られまして…。それで…ですね、今現在、ご本人の意識をアップロードしております、これは緊急処置として行ったものなのですが…脳の微細構造への常時スキャンをかけて、しっかりと同期させての、まあ、保険ですね、通常の医療処置です」
「はい…」
八重は上の空で返事をしていた、「ご本人の意識をアップロードしております」と「通常の医療処置です」以外については専門的な知識が無ければ理解できないものとして聞き流している。技術者長もそれを承知で説明を続けた。
「そうして、まあ何とか肉体的な治療は成功しております、しかしながら、アップロードしてみて詳細が分かったんですが、事故当時の苦痛が度を越しておりましたもので…。これは男性にしか分からない事ですが、私なんかも子供の頃ちょっと強めにぶつけた時なんか気絶しそうに痛かったです。…飛鳥さんの場合は二つとも圧迫破裂しておりまして、苦痛は想像を絶します」
「破裂ですか?」
「はい…内臓破裂、という事です、眼球が両方とも潰されたのと痛みは同じくらいだと思います」
「うわ…。じゃあ、すぐ気絶して?」
「いいえ、それならまだ良かったんですが、どうもそうではなくて、自身で助けを呼ばれてという事です」
「ああーーー…」
八重はその時の苦痛を想像し、絶句していた。
「まあ、ですので、脳機能の方にも障害が及んでおって、これは医師法で禁止されていて手の出しようのない部分で、ご本人が目覚めようとなさらない状態に陥っています」
「どう禁止されているんですか?」
「脳医療の在り方と自由意志の保護を定めた、膨大な法律があるんですが、言わば脳というのは人権の聖域でして人が自分でどう行動するかを例え医学的な理由でも操作・操縦する事は禁じられています、対話による説得しか許されておりません。古代に定められてからこの部分だけは少しも変わらないです。しかし対話の方法というものは開発されておりまして、一時的に患者と治療者側双方に微細機械を脳に投与して、モニターしながら仮想空間内で対話、という形をとります」
「はあ」
「お願いしたいのは、そういう事です…」
「微細機械の投与…?」
「ええ。ま、テレパシーを可能にするお薬ですね」
「うーん…副作用とかは?」
「12時間以内に自動的に分解するようになっておりまして、副作用は報告されておりません」
「そうですか…」
少し考えた後、八重は「やります」と答えた。
八重はそのあと医師たちに「微細機械」を注射されて大きな機械装置の中に寝かされて、起きているのか寝ているのかはっきりしない状態になった、どこかのベッドで寝ている飛鳥と「テレパシー」が繋がれる。
『では、呼びかけのために、お二人の関係性の初めの方のご記憶の追体験から行います、我々は直接に内容を見聞きいたしません』
どこか遠くからそんな声がして。懐かしい光景を見始めた。
あぜ道の果てた先の平らな土地に、子供の建てた小さな塚が無数に並んでいた。
子供の頃の飛鳥が田んぼで農作業を手伝っていて見つけた小さな死骸のために作っていたものだ。
八重は無意識に話しかけていた。
「何故お墓作ってるの?」
「可哀想だから…」
糸霧八重との最初の出会いはこの会話だった。
生き物のどうしようもなく漂っている死骸を見ると胸を痛め、掬い取って墓を建てる。元々そういう感性の子供で、いつの間にか墓は無数に並ぶようになっていた。
家では両親の懐に居るのが一番のお気に入りだった、外に出ると高い場所や燃えている焚火を周りの誰よりも怖がっていたし、すぐどこか狭い場所に隠れようとするので八重が手を引いて連れ出してやらなかったらずっと一人で隠れていたろう。
その頃から体格もほっそりしていたし、元々あんまり頑丈ではないから似合いの性格だと言える。
しかし兄は違った、飛鳥が墓を作っているのを見るとよく一緒に作っていたが、基本物怖じせず、身長の倍もあるような段差から飛び出しては骨折したりしていた、後先考えずになんにでも飛び掛かって自分の中から実力以上の力を引き出そうとするのだ。
どんな事でも完全に力尽きるまで挑んでいた、今はもうどこか遠くへ行ってしまったようだ。
「みんなお墓建ててあげるんだ」
記憶の中で、埋め終わった墓の上の盛り土を飛鳥の小さな手がポンポンと押した、今はもう薄れはっきりしなくなったその顔が哀しみの視線を注いでいた印象だけが鮮明に広がる。
(そうだ、彼は最近どんな顔をしていたろう?)
続いて何かの会話が浮かび上がろうとしていたが、ふとそう思った瞬間、意識は今の自分へと帰って来てしまった。
『時系列エラー。催眠の深度をリセットします』
状況を管理しているシステムが注意力の強い変化を読み取って八重の意識状態を覚醒へサポートした、時間をかけて意識レベルが回復し、記憶を保ったまま眠りの状態から戻る。
「意識が戻っていましたらスイッチを押してください」技師が声を掛けると、八重は手に持っているスイッチを親指で押して応答した。
「思い出されましたか?」
「五歳くらいのこと、思い出しました」
「一度開けます」
ベッドの上を覆っていた防音カバーが開いて室内の光景が戻って来た、八重は起き上がってベッドの端に腰かけ、
感情の変化を体験していた。
「そうだ、そう、ずっと元気が無かった。閉じこもりがちだっていうだけじゃ今まで新しい友達も彼女も居ないのには説明が付きそうにない、だって何十年?私もほとんど会ってなかった、忘れてた、彼の事、忘れてた…」
急に飛鳥への友人としての関心が増し、人物像に新しい視線が加わって、境遇への共感的な解釈の目が開かれて八重の頬を涙が伝った、大人になってからは飛鳥を気にも留めなかったのに、意識が幼い頃に戻って親しかった感情を思い出したからだ、技師は時系列の混合が起こるのを危惧した。
「早く目覚めさせてあげないと…」
「動揺なさっていませんか?時間を開けて…明日にでも延期は可能ですが」
「いえ、出来るだけ早い内に」
「…今現在持っておられる感情は催眠誘導によって導かれたものです、そこはご記憶下さい。しかし今の個人的な気持ちは元々持っておられた大切なものですので、催眠が生み出した偽のものではありません、呼びかけに必要なものです、期待通りに思い出されましたので、呼びかけに移りたいと思います」
本人の意思を確認すると技師は次の準備に取り掛かった、八重が今持っている感情を無駄にしないためだ、この状況を含めたものとして生じる「ストーリー」まで冷淡な「客観的視線」で捉え直すよう認識を誘導するべきでもない、【あなたは彼に深く同情して精神的な関りを強くしましたがそれは人工的に合成された偽の感情にまんまとはまり込んでいるだけです、すぐに今の関心を捨て去り、以前の通りの浅い友達付き合いに戻りましょう】などといった意味の「客観的説明」には当たり前の個人感情を冷却し人間関係を破壊する効果しかないのだ。
心にとって不適切な「客観性」は人生をゴミ箱に放り込んでしまう。
再びベッドに横たわった八重は、システムのサポートを受けた軽めの催眠状態のまま幼児期の記憶を思い出そうとしていた。
フミマロはその様子を別室で見ながら現状を思った。
技術者長が様態のおかしさに気付いて飛鳥の精神のバックアップ状況について調べてみると、外部システム内の一時的な記憶保持メモリー内で人格が活動していて、生体脳に対して覚醒に向けた操作が行われるのを心情として阻止していた、生体脳の中に常駐し高度なプログラミングを操って外部と協働し飛鳥の生活を無意識下で管理しているAIが、生体脳側からの有機的な侵食を受けて逆用された結果だった、操るための仕組みが操られて道具となったのだ、人間の精神の無意識的な適応力によるものである。
そうして外部システムのメモリーにコピーされて活動している飛鳥のサブ人格は、既に城のようなものを形成して干渉をはねのけていた、理屈を付けて他人に向けて発せられたりもしない、一瞬の感情や思考が吹き溜る場に【呟きの城】とでも言うべきものを築いていた。
自らただの全くの「個人的な思い」として、対話を拒んでいる。
そうして意識回復を外部から拒んでいる飛鳥に覚醒状態に至る自己認識を持たせようとしても拒まれ、「別な名前」に対する呼びかけという迂回路を必要とした。
ただし、それは本人が忘れている必要があり、親類や友人に思い出してもらわねばならなかったのだ。
茶をすすりながら現状の推移を見守る、八重は幼少期の記憶を辿って行った。
あの頃、飛鳥が毎日朝早く農作業を手伝っているのを初めて見て、「おとぎ話みたいだ」と感じたのだ、だから、本名をうろ覚えしながら勝手に呼び名を決めていた。
ああ、なんて言ったろう…
とてもありふれていそうな名前。
目覚めのキーに成るかも知れない、彼が自分を呼ばれていると気付く、記憶がたっぷりと染み込んだ別な呼ばれ方。
たぶん、一生の内に三つも持っていないかも知れない。
私が思い出さなければ。
技師は、【御后様】への配慮として…若干正統的でない手続きを踏み、特定のホルモンを増加させた。八重の記憶の中に身体的官能が増し、触れ合った記憶、息遣い、手を繋いでいたこと等が次々と引き出されてくる、その中には声の抑揚の感覚が入っていた。
幼児期の彼の、握った手の湿った柔らかい感触。
あの時一緒に駆け回って…弾む息の感覚を覚えてる。
肺が苦しい程呼吸を早くしながら、喉を震わせて呼んだあの名前、そう、発声する感覚、声の出し方の感覚、いつも呼んでた名前…。
技師はそこで飛鳥の生体脳に接続した。
八重は目の前で背中を見せて息を切らしいる子供に言った。
「茂平、独りで行かないでよ!こっち向いて!!」
【茂平】は、笑いながら振り返る。
「呼んだ?」
『陛下の意識深層へのアクセスが可能になりました、呼びかけを開始します』
フミマロは立ち上がって特別室へ向かい、技師らがその後に続いた。




