中有
再生治療槽の中、医療作業機械「淵叢」によって一度バラバラに分離された全て死んでいた細胞が、遺伝子から再生されて行き、皇帝の脳に深く突き刺さって全体を支配していた「聴覚装置」が水槽に入れられると再びそれの周りに集まって脳組織を形成し始めた。
次第に脊柱や神経系、心臓等が形成されて行き、脳神経系コネクトームのコピーが進んで意識が再現される。
外見はまだ、液中の作業機械が足場として組んだゼリー状組織に包まれた若干の内臓の塊。
だがその中でもう飛鳥は夢を見始めていた。
「意識活動が始まっている、これより失敗は断じて許されません、バックアップは堅牢ですが今この瞬間に活動している陛下ご自身の一回性は取り換えの利かないものです、再生技術は命のかけがえのなさを否定するものであってはなりません」
技術者長は反魂術を行う建物全体にいつも通りのスピーチを流した、【今この時を現に生きている生命の代えはあり得ない】、この原理を守る事は人類全体の医療技術者が学生時代からずっと要求され続ける。
しかしこれも今年だけで五回目、果たして元々の「魂」と呼べる何かは今現在の飛鳥に残されているのか?この問題は太古の昔から答えが得られていない。
スピーチを聞いてフミマロは水槽をモニターしている管制室へ向かった。
「段階は順調に移行していっていますね?」部屋に入るなり技師達に言う、彼らは完全に頭を覆うヘッドギアを被って確認に没頭しており、その言葉に応じる余裕があるのはAIだけだった。
『はい、今現在障害は発生しておりません』
「よろしい、では、我々の出した強化案はどのくらい実現されるのですか?」
『医療として許される範囲の技術発想を最大限駆使するよう前提した場合、全てを実現可能です』
「ではそのようにお願いします、これは権限ID:15363296543634:フミマロからの要請です」
『承知いたしました。最優先事項として判断ツリーに組み込みます』
「あの全てが組み込まれますと、陛下は別人のようになられますな」技術者長が答えた、便せんに書かれた案を受け取った時に思った事をようやく言えた、「医療の範囲内」と言え、現今の技術は最大限やれば身体をどんなものにでも変え得るのだ、見た目を変えないまま宇宙船に変えてしまう事もずいぶん古代から初歩的と言える。
フミマロは言った「水槽の中で御身体が完全な融解状態となって行った光景を見ますとねえ…構成物質は同一となりますので成程「再生」ですが、あの毛玉機械が行った処置については…」技術者長は深く頷いた。「成程。ごもっともな判断と存じます、あれ自体は仕方ありませんが受けるにも見るだけでも酷です」「少し過ぎる程度の事は受けて頂かねば、欲の淡い方ですから」
「欲の淡い」とは、フミマロが仕え始めてすぐから飛鳥に対して感じ取っていた事だった、誰しもが持っている「生きよう」とする執着や狡さが生来薄い人間のようなのだ、それは「早い者勝ち」の争奪戦のようなものがあればほとんどの場合避けて通ろうとする性格になって顕れた。
それは自衛心の薄さにもなっており、危険にさらされやすい。
蛙達の期待する役割からすれば個人の特性としてそれでは不足と言えた、今現在の再生医療は蛙達が飛鳥に対して行っている【バイタルレコードの常時発信】程徹底的では無いにせよ生体情報の常時バックアップが公的に整備されており不老不死など当たり前だが、「魂の同一性」のような部分を実際にクリア出来ているかどうかについては確実な結論が出ていない、だが、蛙達が求めているのはまさにほとんど宗教的な「魂の」継承されている存在だった。
その当時まだ100億年目にもならない、宇宙の歴史の最初期に「原地球」でほとんど唯一起こった生命の誕生と進化、そして宇宙最初の恒星間文明を築いた「ホモ・サピエンス種」、つまり、宇宙の物質進化史で初めて他の惑星に生命の種を広め始めた種族。
つまり、2400億年になる宇宙史の「生命を司る神」。
彼ら自身は種として存在する事に飽きてしまったのか、本来の生殖方法で命を繋いできた原種はほとんど消滅している。
簡単に死なれては困るのである。
「レコーディングギヤが装着されて以来、陛下の本体は言わば【システム】です、我々の構築してきたそれの中に生きていると言っても良いでしょう。…過ぎると言えば、陛下ご自身にとってはあれが装着された時が既にそうでした」技術者長はそう言って自分の仕事に戻って行った。
「聴覚装置」、「レコーディングギヤ」は、もし破壊されてもすぐに自己修復を始める生体装置である、その遺伝子は飛鳥の細胞内に自身のものとは別な核を形成して組み込まれ、外科的に除去されてすら再形成が始まる、取り外せないものだ。今回の強化改造案は、そのような方式で取り付けられる生体機械の膨大な組み込みを想定していた、「ホモ・サピエンスの遺伝子を書き換え」はしないが、細胞内は機械としての人工遺伝子やその発現のための機構で充満する。これは元来、新規開拓惑星の地質的特性が地殻成分に有害な金属元素を含んでいた場合などでも順応するための方法として開発され使われてきた医療技術だ、異なる惑星に生物を移植するなど本来到底やれたものではないが、こうした技術で乗り越えて播種を進めて来た。
現代に半機械生命体でない人類は居ないと言ってよい。
「それは承知している」
フミマロは苦い思いと共に独り言を発していた、飛鳥がスライムの安楽椅子に身を沈めて呆けたように空を眺めている時、見えている空は恐らく青くはない。装着を迫るのはフミマロにとって全く不本意な事だった。
再生処置はいつも極秘だ。
-百四十四時間後-
『構築状態の細胞数が元の数を達成しました、身体の再構築は成功しています』
AIがそう報告すると技術者長は状況の丹念な確認に移り、まだ水槽の中に沈んだまま眠っている飛鳥のいくつかの身体機能を試した。
「消化器官…胃内部物理消化機構テスト…」
極微細の切断用分子機械装置が胃の内部で活動し、模擬形成物を急速に破壊裁断、それは高速で血液に吸収されて行った。
「よし、次は保護オイル分泌…」
全身の皮下から分子機械を多量に含む特殊な油脂が放出され、全身隈なく肌を覆う、その膜は内部で機械化され、ごく薄いが強い防御性能を持つ装甲として形成された、手で触れてもベタ付いたりはしないが表面がすぐ下にローラーが付いている膜であるかのように流れ、摩擦を考えられないほど軽減する。
「よし次…髪」
新しくなった髪は二倍に伸縮可能な上、空気中での屈折率が低く色も銀髪に変わっていて水界の皇帝らしさを表現する意味から流れる滝のように見える、防護機能を第一に考えられたそれは硬化可能で、背後を覆ったり、目の前に伸ばしてから硬化する事でバイザー付ヘルメットとも成し得る、また、光線の透過を操って光学迷彩を施したりスクリーンとして映像を映し出す機能もあった。屈曲した部分は普段から緑色の範囲内の虹光沢を見せる。
「よし…物理強度…」
今回、一度完全に分解されてから再構築された事で組み込まれた最大の強化点は、全身の組織が中に特殊なスポンジ状形成物に満たされている事である、全細胞がそれに包まれ、骨などは鉄筋入りになっている、また、肉質は元よりもごく柔軟なものに変わり、強い防刃性能すら示すのと同時に真綿のように柔らかく衝撃を打ち消す肉体になった。
「よし、では防虫…」
全身の皮下から防虫用の芳香物質を発生させる、これには髪と同様皇帝らしい身だしなみの意味もあり、香りとしては蘭奢待と同じ成分を発する。
そうして様々な身体機能が一つづつ確かめられて行った、新たに形成された機械器官はどれも体内に寄生している状態だが全身の臓器や神経系の化学的相互作用にも加わる形で連動している、このような設計は一般物理的知能の頭脳では不可能で、少なくとも量子超越性を備えた処理能力に基づいた知能である事が要求される、本当の細部までを理解せずに技術を使いこなすという在り方を科学者が受け入れたのは歴史のほぼ始まりの頃。
「よし…意識の接続、陛下を覚醒状態に」
『応答ありません、【自由意志保護】の前提に従って拒否されます』
「なに?この状態では意識的反応は無いだろう?」
『生体脳ではなく、システム内で明晰夢の状態にあります』
「何と?」
『感覚的に技術として習得していた模様です』
「では?どうすれば意思に沿う呼び掛けが出来る?」
『経過の観察を要します、陛下の意識活動に対する強引な介入や走査は私自身の機能が破棄される条件となります、私にはそういったご命令に従う事が出来ません』




