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機械と愛と烏  作者: 諭吉
一章
6/45

終わり方

[ ギデオンの右手より 報道機関各位


 我々は悪魔様の下命により、神によって枷を掛けられた人類に自由を与えるべく、第二次解放作戦を決行することを決断し、これに取りかかったことを宣言する。

 第一次解放作戦において、我々の不手際により日本ブロックに住まう生命に多大な損害を与えてしまった事を、我々は心から謝罪する。しかしながら、悪魔様は我々ギデオンの右手に神の枷への挑戦を続けることをお命じになられた。その導きに従い、我々は、より安全で確実な手段をもって解放作戦を継続することを決意し、そのための手段の開発に成功した。

 今回の解放作戦は、計4回にわたって日本ブロックの総生命の2.5%ずつを減じていくことにより、合わせて10%分の生命リソースを人類に解放することを目標としている。その課程において失われるであろう全ての命に対して、我々は心からの敬意を示す。しかしながら、貴方たちが誇りの内に旅立ちと新たな誕生を迎える生命であることもまた、我々は理解している。

 我々は第二次解放作戦第二フェーズに向けた準備に邁進していく。人類が奪われた、進化の過程で勝ち取ってきた美しく輝かしい自由が、近い未来に再び人類の元に還るだろう ]




 花菜からの連絡が届いたのは、十五時間以上に渡る電話番を完遂して崩れ落ちるように眠りこけた片岡を犠牲者の一人が使っていたベッドに運んでいたタイミングだった。既に日が出てからそれなりの時間が経っている。おそらく彼女は普段通りの時間に目を覚ましたのだろう。


【ねぇ、声明文なんだけど】


 ギデオンの右手が発した声明文は、事件発生後数時間も経たないうちにネットメディアが全文を公開したことで、あらゆる人間の知るところとなっていた。当然健人も、忙しいながらもそれに目を通すくらいのことはしていた。

 

【見た。何が悪魔様だ、ギデオンは旧約聖書における信仰の人だって奴らも知ってるだろ】


 休憩がてらそれだけ打ち返した所返事がなかなか来なかったので、健人は片岡を背負い直して移動を再開した。

 三階に辿り着いたところで再び画面を見ると、短い返信が届いていた。


【ね、ほんと。】

【マジでふざけてる。大量殺人に敬意もクソも無いに決まってる。そもそも、もし悪魔様ってのが本当にいるとして、なんで神の枷を壊す方に行かないんだよ】

【人の心を誑かして悪事に手を染めさせる、って意味では最高に悪魔らしいね】


 そのまま怒りにまかせてチャットボックスを呪詛で埋めようとしたところで、健人は自分の振るまいが子供じみた物でしかないことに気が付いた。花菜は理解を示してはくれるだろうが、彼女にとっては今は寝起きの時間であり、ネガティブな思考に晒すことはあまり良いことではないはずだ。


【駄目だ、暴言しか出てこない。止める】

【仕事は落ち着いてきた?】

【なんとか。あとは朝ご飯を無事だった皆さんに配って、それを片付けたら、一眠りできそう】

【そう。帰りはいつ頃か分かる?】

【まだわかんない。今日中には、って信じてる】

【分かった。仕事中に帰ってきてもいいようにご飯は温めるだけにして用意しておきます】

【ありがとう!】



 絵文字で会話の締めをしながら、片岡をベッドに横たえた健人は同じように空室になった部屋で仮眠をとっている同僚たちを起こしに向かった。

 こういうときに、人工的な強化を加えられた身体は便利な物だった。一日くらいの徹夜は苦にならなかったし、相当に激しい運動をしない限りは疲れとは基本的に無縁でいられた。ただし、どうしても精神的な疲労というのは健人にもつきまとう。昨日見たあの集会室の光景を振り払うこともできずに働き続けた今は、ただ心の解放が待ち遠しかった。



「白井さん、朝です」

「……おぉ、朝か。朝か……寝たときも朝だったなぁ」

「お疲れ様です。引き継ぎ事項やら緊急度の高い応援要請やらが集会場のホワイトボードに纏めてあるので、目が覚めたらそれを見て仕事を見つけてください。多分朝ご飯の準備をすることになると思います」

「ありがとうな……」

「後ひと頑張りです」


 白井が何かを探していたので窓サッシのカーテン裏に置かれていたケースをつかみ上げ、中に入っていた眼鏡を手渡して部屋を出る。今起こすべき職員の残りは三時間の仮眠をとった面々で、それはおそらくこのフロアに集中している。

 ニイボリ、アフマド、クレイトン、テヅカの表札がかかったままの部屋で同じようにして職員を揺り起こし、とりあえず健人がこなすべきタスクは一旦の終わりを迎えた。

 廊下に出ると、ふとタカイの表札が目についた。現在時刻は七時三十分。朝食の配膳時刻までは残り三十分。少し時間があるな、と思った。





「おはようございます」

「おはよう、お兄さん。……うーん、朝ご飯には少し早いのではないかしら?」


 キッチンから拝借した粥と味噌汁を差し出しながら、訝しげに目を細めるタカイさんに向かって軽く頭を下げる。

「初めまして、相田です。新しくタカイさんの担当になりました。ご存じかもしれませんが昨日から少々トラブルが発生していまして、いきなりご迷惑をおかけしますが、今日は少々早い時間のお届けとなりました」

「ああ、テレビでやってるわね、解放事件の二回目が起きたとか」

「はい。残念なことに、ここの施設からも犠牲者が出てしまいまして。それで、まあ正直に申し上げますと、かなりてんやわんやしているところになります」

「そう」

「それで、ですね」

「……お疲れのところ申し訳ないのだけど、冷めないうちにお粥をいただけるかしら」

「え、ああ、すみません」


 タカイさんに話しかけようとしたところでやんわりと指摘された健人は、急いで粥を掬い彼女の口に運んだ。おそらく、疲れのせいだろう。自分の都合を彼女に優先してしまっている。良くない傾向だ。


「ねえ、あなたのご家族はみんなご無事だったの?」

「少なくとも、交際相手は無事でした。父は殆ど連絡をよこさないので分かっていないですね。『知らせ』を見たという連絡は来ていないので、おそらく無事だとは思いますが」

「ああ、終の住処の入所者に犠牲者が集中したってことですものね」

「はい。私達としてはやるせないですが」

「良いじゃないの、どちらにしても私達は既にあの世のお迎えを待つだけなのだしね」

「そんな悲しいことを仰らないでください。私達にとっては皆さん一人一人が大切な存在なのですから」

「ふふ、悪い冗談だったかしらね」


 彼女はいつもそうするように、目を閉じて口を開き、粥が運ばれてくるのを待った。


「……いろんな人を失いました。聡明でいつも私たちに笑いを届けてくれたニイボリさん、まだ若いのに『知らせ』を見てしまって、塞ぎ込んでもおかしくないのに明るく振る舞ってらしたリュウザキさん、私たちのまとめ役を務めてくれていたイシダさん。他にも、たくさんいました。私たちは、仮にも終の住処の職員です。人の死には多少なりとも慣れているつもりでした。でも、あれほど生々しく命が奪われていく様は、正直に恐ろしい物でした」

「そうね、私も二十五年前に息子二人と夫を亡くしてしまった。夫は目の前で倒れたから、たぶん貴方の気持ちはよく分かっていると思うわ。あんなのは見たことない方が良いに決まってる。首謀者たちが捕まっていないからにはまたいつか起こる物だ、とは言われていたけれど」


 タカイさんの家族の話はよく知っている。その時にタカイさんが抱いた悲しみの、その中身まで。

 そんな彼女に、聞いてみたいことがあった。


「タカイさんのご家族は、皆さん『知らせ』を見る前に命を奪われた……と、前任の者から聞き及んでいます。もし、彼らが『知らせ』を見た後に、おそらく本来の天寿とは違う形で、その人生を終えたとしたなら、彼らは、タカイさんは、幸せだったでしょうか?」

「……難しい質問ね。少なくとも、私はその場合幸せに感じるとは思わないけれど」

「それは、当然かもしれませんね。お気に障るようでしたら、お答えいただく必要はありません。これは、私の独り言のようなものですから」

「やけに大きな声で独り言を言うのね。……声が暗いわ、きっとお疲れなのよ。無理せずにお休みなさって」

「ははは、鋭いですね」

「それくらい想像できるに決まってるじゃない。昨日の今日なのよ、働きづめでもおかしくないわ。大丈夫?」

「ええ、体はまだ動くのでもうひと頑張りしますよ。ただ、その後は少し横になろうと思っていますが」

「そう。……これはババアの独り言。働き過ぎて良いことなんて何一つないわ。後先の短い私達よりも自分たちのことを大事にすれば良いの。過労で『知らせ』を見過ごしました、そのまま死んじゃいました、なんて珍しい話でもないじゃない」

「うーん、大きな独り言が聞こえた気がします。……本当にあと少しで片付くので、それまでは頑張らせてください」

「お粥の器を頂戴。私一人で食べられるわ」

「……そういう訳には参りません、気管に入りでもしたらどうするんですか」

「頑固なのね。仕方のない人」

「これでも自分の仕事に誇りは持っているのですよ」

「そう」


 健人は体が元気であることを示すように首を愉快げに左右に振って見せて、そして粥を掬った。タカイさんは情に満ちた目線でそれを受け入れ、匙から粥を口に含んだ。しばらく咀嚼してゆっくりと飲み込んだ後、彼女は健人の差し出した味噌汁を左手で断って、「ええとね、」と考えながら語り始めた。


「さっきの質問の答え、考えてみたのだけれど。もし夫や息子たちが『知らせ』を見た後に殺されたとして、よね。きっと、自分たちの想いが私や他の近しい人たちの中にあるんだ、って彼ら自身が分かっていれば、早く死に行くことは不幸なことではなくなるのではないかな、と思うわ。逆に言ってしまえば、それ以上長く生きたところで思い出の在処を確認するという行為の質が大きく上がるとは感じないの。私達は、幸いにも、死ぬことをいくらか前に誰かから教えてもらえるように出来てる。その誰かから与えられた時間をちゃんと使えたって思えたときが、私達の人生の終わりなんじゃないかしら。どう?」


 タカイさんの導き出した答えは、やはりタカイさんらしく、「終わり方」に重きを置いたものだった。それは健人にとっては満足のいく内容だった。むしろ、こういう趣旨の答えを期待していたのかもしれない。期待通りの答えが返ってくることで、タカイさんがまだこの世界に存在することを確かめたかったのかもしれない。


 健人は、自分の心を蝕んでいた苦悩がいくらか和らげられていくのを感じた。やはり、彼女は健人にとって何にも代えがたい存在であるのだった。


「ありがとうございます。胸のつかえが下りたようです」

「こんなつまらない答えでごめんなさいね。もっと気の利いたことを言えたかもしれないわ」

「十分以上です、本当に。今日も一日頑張れそうです……もちろん、しっかり休憩はとりますけれども」

「ええ、是非そうしてくださいな。相田さん、だったわよね? これから毎回担当してくださるのだもの、貴方が体調を崩すのは見たくないわ」

「ははは、気をつけますよ。そのためにも、まずは朝ご飯を食べていただきましょうか」

「そうね、私がこれを食べ終わらないとお仕事が終わりにならないですものね」

「焦らないでください」

「大丈夫よ」


 しばらくして、粥も汁椀も空となり、健人は一礼してタカイさんの部屋を出た。入ったときとは、まるで違う自分がいるような気分だった。

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