父親と息子
「警察はなんて言ってるのか教えてくれるか」
勲は暗い空気を振り払うかのように、手を差し上げながら尋ねた。
「……健人を渡す気はないという主旨のことを言われました。私には、なんとか勲さんを説得して欲しいけど、とにかくまずは生きて帰ってこい、と」
「だろうね。彼らの態度は理解できる。そして、正しい。脅迫には屈しないというのが対テロリズムの鉄則だ。敵に回すと厄介だね」
だいぶ質の悪い軽口と共に何度か勲は頷き、そして花菜を真っ直ぐに見据えた。
「警察は説得できる気がしないから、今日は花菜さんを説得するつもりでいるんだ。できることなら、花菜さんに私の味方になって欲しい」
「味方、ですか」
「ああ。私がこれから話すことを聞けば、少なくとも、何が最善なのか、くらいは分かって貰えるんじゃないかって思ってるよ」
最善、というなら。
「じゃあ、健人を助けることはできるんですか? 例えば、健人から電脳を取り外して、ただの人間に戻す、とか」
「……すまない。それは、できない。接続は不可逆的で、演算装置を取り外そう物なら健人の生体脳も壊れてしまう」
「まあ、そうですよね。無理だろうなとは思ってました」
淡い期待が打ち砕かれ、それで花菜は儚く笑った。
遠慮がちな咳払いが花菜の悲しみを乱暴に遮った。
申し訳なさそうな顔の勲が言う。
「そもそもの話をすると、健人の電脳はいつ壊れてもおかしくない状態なんだ」
「え?」
そんな話、健人からも聞いたことがない。
「と言っても、本来なら正しくメンテナンスを続けておけば、健人も何の問題なく長生きしていられるはずだったんだけどね。私が第二次解放作戦にかかりっきりで動けなかったこの三年で一度も私の所に来れていない以上、中身がどんなことになっているか。仮に私が無罪放免されていたなら、すぐにちゃんと総点検をしてやるつもりでいたんだが」
メンテナンス、問題なく長生き、総点検。
およそ人間に対して使われるべきでない言葉がカジュアルに並び立てられたその台詞の中に、花菜は一つの気付きを得てしまった。
たった三年で、「中身がどんなことになっているか」とまで言われるような状態になってしまうんだとすれば。
「……その言い方だと、健人は勲さんがいなくなったら生きていけない、というように聞こえます」
聞けば、勲は毒気なく笑った。
「ああ、鋭いね。流石だ。健人は私が死んでしまえば、おそらく十年と生きていられない身体なんだ。これは本当なら誰にも言うつもりはなかった。私自身が百くらいまでは生きるつもりで調整していたんだ」
勲と健人の年齢差は二十八だ。だから、今、勲は「健人は七十を越えたら壊れてもらうつもりで調整していたんだ」と言ったことになる。
「自分を無理矢理健康体にすることくらい、健人を作るのと比べればどうということはない。「知らせ」を見てしまっては仕方ないが、少なくとも健康であればあるほど「知らせ」を見る確率も下がるという因果関係については立証されている。というか、そうしなければ健人が老いられないからね。老いるところまでは、立花のためにも責任を持って記録したいと思っていた。もしこの研究を大々的に公表できていたなら老衰で自然死するまでの観察を誰かに託すこともできたんだろうけど、それは遙かな昔に叶わぬ夢となってしまった」
健人を作る。立花のため。この研究。
花菜の心で今や大きく膨らんではじけ飛んでしまいそうなもやもやが、一つ一つのフレーズをまるでスポンジのように捉えて聞き流すことを許さない。そうして吸収された言葉たちは、全て花菜の半身に空いた穴へと注ぎ込まれる。愛の言葉を受け入れるために空いていた穴が、その皮を被ったおぞましいナニカで埋まっていく。
「ともかく、警察に見つかってしまった現状、腹立たしいが、もう私は健人のメンテナンスを続けることはできない……花菜さんには申し訳ないが、どちらにせよもう健人は長くは生きられないんだ。その前提をおいた上で、どうしても、花菜さんにはこれからの私の話を聞いて欲しかった。どうか、そう落ち込まないでくれ。どちらかと言えば、明るい話になるから」
勲は勿体つけて「長くは生きられないんだ」と言った。
それが今更花菜の心にダメージを負わせる言葉であるわけもないのに、勲は自分の言葉が持っていない力をしたり顔で振りかざす。
健人、あなたはこんなひとの元に生まれ落ちてしまったんだね。健人のことを他人との愛の証明として扱うような、息子に向ける感情と「だいじなもの入れ」にしまう物に向ける感情を取り違えてしまうような大人に育てられてしまったんだね。
それでも、健人は育ててくれた人のことを、自分を実験器具として扱っていたような人間のことを、父親と思って愛してしまったんだね。
なんて、かわいそうに。
「健人は『全ての人を愛する』ために産まれてきた訳だが、そもそもそれは健人の存在意義の全てじゃない。本質は、もっと別の所にある」
するり、と言葉が差し込まれ、花菜は反射的に身震いした。
勲は花菜の見つめる先で椅子から手を伸ばし、近くにあったキーボードを叩いた。二人の横にあったディスプレイたちが一度明滅し、一様に白い光を放ちだした。
捕らわれたように視線を向ける。そこに浮かんでいたのは、計り知れない量の英文だった。
「ここに健人を検体として二十年かけて取ったデータをまとめたレポートがある。かつて私と立花が構築した数々の理論をもとに、実証実験までが済まされてしまったこれらの研究結果があれば、世界のあらゆる苦悩を取り除くとまではいかずとも、私達が殺した数よりも遙かに多くの人々を救うことができるだろう。健人が今まで生きた証しになるはずだ」
勲の顔が上気しているのが分かった。
「病に冒されてしまった神経も、腐ってしまった手足も臓器も、一度死んでしまった脳髄までも、これから人類は治すことができるようになる。全て、健人という唯一無二の存在がいなければ、あらゆる副作用もダメージも受け止められる強靱な身体がなければ、あらゆる感覚を数値データに変換しコンピュータで定量的な評価ができる健人の特別な身体がなければ、未来永劫この世に実現することのなかったかもしれない技だ」
花菜は自分が首を横に振っているのに気付いた。
「神の愛し子たる立花がつくろうとした未来を、彼女に選ばれた私が勝手に諦める訳にはいかなかった。その未来の端緒が、健人の歩んだ軌跡として、ここにあるんだよ」
そうじゃない。
私が必要としているのは、そんな話じゃない。
「このレポートが公開されれば、あらゆる人を愛した健人は、これからも世界中の人々にその愛を届けることで生き続けることになる」
自らの半身に空いた穴が軋んでいるのが聞こえた。
これが愛だと認められるわけがなかった。
勲が花菜に向き直った。
淡白色に照らされた勲の恍惚とした顔が、まるで頬の痩けた吸血鬼のように見えた。
「そして、この証しを人類の歴史に刻み込むために、私から花菜さんに一つお願いがある」
やめて。
もう十分貴方は立場を知らしめてくれた。
もう十分、健人は傷つけられた。
これ以上、何をしようというの。
「健人に、私と共にこの鋳造所にある溶鉱炉に飛び込んで、消し炭も残らないように死ねと命じてくれ」
「私達が生み出した技術のうち、解放事件を引き起こしてしまった物だけは、この世から跡形もなく消し去られなければならない。もし健人の電脳の元となった技術が健人の死体から暴かれてしまえば、もしくは生かされてモルモットとして研究されてしまえば、またいつかああした悲劇がこの世界の罪のない人々を襲うことになる。それを防ぐためには、健人は、誰の手にも渡らぬように死ななくてはならない」
……ああ。
「健人を直接コントロールするコマンドを使って、健人に「自我プログラムの停止」「父と共に死ね」という二つの命令を送って欲しい。そうすれば、健人は意識のないまま私を手に掛け、そして苦しいと思うこともなく死ぬことができる。そして、死と共にこのレポートが公開される。レポートの検証可能性を消してしまうのは忍びないが、それよりも大事なことは譲れない」
分かってしまった。
ずっと抱えていた不快感の根源を、言葉にすることができてしまった。
「本当は、私が直接引導を渡してやれれば良かったんだが、最早私一人では健人に近づくことすら許されない。花菜さんにとっては辛いことかもしれないが、この世界に明るい未来を築くことができるのは、もう花菜さんしかいないんだ。頼む」
「どうして」
少し大きな声が出て、それで勲は虚を突かれたという表情を浮かべた。
まるでYES以外の答えが返ってくることを考えもしなかった、というような表現だった。
「どうして貴方は、健人の実の父親だというのに、健人のことを何も分かってあげられないんですか?」
「え?」
「健人がもう死ぬしかないなんてことは、とっくのとうに知っているんですよ、みんな。みんなです」
みんな、というのは、文字通りみんな、だ。健人も、そして私も、既に健人の前に道がないことを受け止めて、それぞれの反応を返している。
何も新しいことじゃない。
「健人が悩んでいるのをずっと隣で見てきました。人でありたい、機械でありたくない、そういう悩みをずっと抱えて、『人を愛さなくてはならない』という宿命に苦しめられながら、もがきながら健人は生きていたんです。それでやっと答えを見つけられたと思った矢先に、こんな仕打ちを受けてしまった。健人は今、獄中で自分が機械として処分される運命を完全に受け入れさせられています。健人はきっと今、味方なんて一人もいない暗い部屋で、酷く傷ついた心を抱えて、誰にも救われないままに、静かに泣いているんですよ。それなのに、貴方は自分の「所有物」である健人に自死を命じようとしている。健人は人として死ぬために生きたいと望んでいたのに、貴方はそれが叶わなかったことを慰めるどころか、その望みを真っ向から踏みにじろうとしているんです」
「何が言いたいんだい? 正直に言ってみてくれ」
むごい。
これほどに手を差し伸べられた上で、これほどにこれ見よがしのヒントを出された上で、やっと言える言葉がそれか。
とうに私からの最後通牒は突きつけられているというのに、私の顔色を窺うのに必死で気付くこともできないらしい。私の機嫌を取ればそこから答えが出現するとでも思っているのか。
どれほど、息子の人格に対して興味を失えば、ここまで滑稽で、残酷な人間になれるのだろう。
「貴方は健人の親として彼に愛をもって触れ合ってきたのだと信じていました。でも、よく話を聞いてみれば、貴方は健人に「一人の人間」ではなく「所有物」「故人の形見」としての性格を見てしまっている。そんな取るべき態度を完全に間違えたひとに意識もないまま殺されるだなんて、健人は不憫で仕方ないと思いませんか?」
勲の眉間に皺が寄っていく。どんどんと、取り返しの付かないところまで。
それでも、花菜は止まることができない。
「不憫といったところで、もうこれ以外に方法は残されていないんだ」
「違う。健人が死なないといけないことは分かっているんだと言ったはずです。私が貴方の口から聞きたいのはそういうことじゃない。健人が人として、尊厳を持って終わる方法を見つけなくてはいけないんです。そうしなければ、健人の生涯は報われない。今の打ちのめされた健人のままで人生が終わってしまうなんて、あってはいけない。そう思わないんですか? 思えないんですか?」
「そんなことを言ったところで、健人は遅かれ早かれ殺されてしまう。だったら、よほど私と共に死んだ方が良いんだ。分かってくれているんだろう、なあ」
「だからっ!」
叫びでもって勲を圧する。
また一つ二つ、想いがこぼれる。
花菜の失われた半身が叫ぶ。
「父親なら、たった一言でも、健人に申し訳なかったって、幸せに生きていて欲しかったって、言えないんですか!?」
健人が当然受け取るに値する愛すらも、この世には存在しないのか、と泣き叫ぶ。
「この世界で、貴方は、貴方だけは、健人の絶対の味方でいなければいけない存在でしょう!? 健人を育てると決めたその瞬間に、健人の夢を応援する義務を背負ったんでしょう!? なにを間違っても、健人の人生を自分の所有物として扱うような、そんな傲慢な態度をとって良い訳がないっ!」
こうして勲に言葉をぶつけた先に望む未来が訪れることはないと分かっていても、それでも花菜の中の感情は一度閾値を上回ってしまった。既に彼女の中のブレーキもすり切れた。あとはピタゴラスのカップのごとく、無為に愛の残骸をぶちまけ続けるほか、彼女にできることはない。
「健人は私が最期まで健人と共に歩んだことを噛みしめながら死ねるはずだった、健人は沢山の人と自分の生きた証しを確かめ合いながら幸せに死ねるはずだった、健人は自分が人間であったことを最期に確信して死ねるはずだった、でも何もかもが叶わなくなった、「じゃあそれっきり」で良い訳がないって普通思いませんか。傷ついた子どもを抱きしめてあげるのが貴方の役目でしょう?」
全てを無残に奪い去られた健人が今最も必要としているのは、無条件の愛のはずなのだ。「ごめんなさい」でもいい。「がんばったね」でもいい。「ありがとう」でもいい。無言の抱擁であってもいい。本当に、どんな形であったっていい。健人がこの世界で健人として生きたことを、誰かが肯定してやらなければいけないはずなのだ。
なのに、この男は、父親という最も愛を授けられる身分であるはずの男は、ただ健人の命を終わらせることを望んで、あまつさえそれを「そんなことを言ったところで」と諦めたように表現したのだ。
「健人が受け入れさせられた運命がどれだけ健人にとって残酷なものであるか、どうして知らないんですか? 健人があの悲しい目で告げた、「もう二度と機械としての自分に頼りたくない」という願いに、思いをはせたこともないんですか? 人間らしくありたいという終わりのない問いに答えを探し続けた健人の人生そのものを踏みにじることを、貴方は何とも思わないんですか?」
勲はまだ動かない。
「想像したらどうですか。健人は自分が沢山の人を犠牲にしていると知った瞬間から、例えどんなに生きたいと思っていても、自分を拒絶することしか選べなくなるんです。自分が殺人機械であったのだと認めて、淡々と処理されて、人々のために生命リソースを明け渡さないといけないと思うことしかできなくなるんです。健人は『全ての人を愛さなければならない』から。貴方にそうやって定められたから」
勲は凍りついたように動かない。
「健人が苦しむのは全部全部貴方のせいだ。貴方と立花さんから命をもらったその時にはまだ真っ当に生きられたかもしれないのに、貴方が貴方自身のエゴのために健人にあらゆる苦しみを一人で背負わせたんだ。そのくせ健人の葛藤なんて知ろうともしないで、ただ自分に都合の良いモルモットみたいに扱って、都合が悪くなったらごめんの一言すらなくぽいって捨てようとする」
ついに真っ向から罵られたのに、それでも勲の口から健人のための言葉は生み出されない。
「いい加減なんか言ったらどうですか!?」
「いや、これは、」
その声色に、目尻の少し垂れ下がる動きに、揺れ動く眼球に、耳の後ろに伸ばされた右手の指に、すうと音を立てて吸い込まれた息に、花菜は消えていない自己愛の現れを見てとった。
ついぞ、勲の思考の中で、健人が主語として立ち現れることはなかったのだ。
「健人が己の手によって心を折られたことにすら思い至ることができない貴方に、健人の未来を決める権利はない」
自分でも少し驚くほど冷たい声が出て、それを花菜は嬉しく思った。
荒んだ心に吹く風の冷たさが少しでも目の前の男にも伝わるのなら、もっと殺気を込めてやろうとすら思った。
「何、だって?」
「私は仲介人に過ぎないから、貴方に従う義務なんてないんですよ、忘れたんですか?警察に従う気もしないですけど、それでも貴方のふざけた望みを叶えるよりよっぽどましだとすら今は思います」
勲を睨み付けながら訣別の言葉を組み立てる。
「そもそも私は一度健人を追って死のうとした身なので。社会がどうだとか、これからの未来がどうだとか、別にどうだっていいんですよ。最初、貴方のことを恨んでいないと言ったのは、私はいつだって健人の味方であるというだけです。そして、貴方は健人の味方ではないと分かった。ならことは簡単です。最初から私を選んだのが間違いでしたね」
それじゃあ、といって花菜は立ち上がった。
「健人を私に貸してくれてありがとうございました。幸せな日々でした」
貸してくれて、というところに力の限りの皮肉を込めて、別れの挨拶とした。花菜は返事を待たず勲に背中を向けた。
外套を翻し、肩に掛け、歩き出す。
ドアノブに手を掛けようとしたとき、背後からため息が聞こえた。
「……すまない」
その言葉と共に、目の前のドアの中からガチッという音がした。
ドアノブを捻り、引いてみれば、僅かな隙間が空くだけでその動きは妨げられた。
「狙いを知られてしまった以上、花菜さんを外に出す訳にはいかない」
軽蔑の感情が花菜を満たした。
花菜は外の空気に少しでも近い場所にいようと、ドアに背中を預けるようにもたれ、そして俯く勲を見た。
「どうしようもない人ですね」
「何とでも言ってくれていい。私が間違えていたことを否定しようなんてつもりもない。健人には、謝らないといけないね。教えてくれてありがとう」
その口ぶりからは僅かながらにでも彼の中で健人に対する触れ合い方への反省が起こっていることが察せられたから、花菜の溜飲は少し下がった。
「じゃあ健人のためになることをなにか考えてください。それなら私も喜んで監禁されます」
「……そう簡単なら、こんな苦労はしていないんだ」
そう言うが早いか、勲は猛烈な速さでいつからか手元に浮かんでいた仮想キーボードを叩き始めた。ディスプレイに意味の分からない数のCGや数値グラフが浮かんで、勲の意のままに移り変わっていく。
暗い光が勲の目に宿ったのが、ハッキリと分かった。
身の危険を感じて、花菜は思わず部屋の隅、勲から最大限に離れられる場所に後じさった。
「花菜さん」
キーボードを叩く手が止まった。
勲の顔が怯えて縮こまる花菜を視界の中心に捉えた。
「許してくれ」
勲が手を叩いて、パン、と乾いた音が花菜の鼓膜を揺らした。




