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機械と愛と烏  作者: 諭吉
四章
42/45

もやもや

 通用口と張り紙がされている小さな扉を通って建屋の中に入る。

 高い天井の下に何のために使うのか見当も付かない製造ラインがいくつも並んでいた。鼻につくのは、油のにおいだろうか、鉄のにおいだろうか、それとも汗のにおいだろうか。

 入ってすぐの所で待っていた警官の誘導に従って歩き出そうとしたとき、スピーカーにスイッチが入ったのか、頭上からガビガビという音が聞こえた。


《花菜さんを置いて残りの全員は建屋から外に出てください》


 勲の声が響き渡った。花菜にとっては三年ぶりに聞く声であり、若干の懐かしさがあった。


《繰り返しお伝えします。花菜さんを置いて残りの全員は鋳造所の外に出て行ってください。私はあくまで二人だけでの会話を望みます》


 花菜の側についていた護衛役たちが戸惑ったように顔を見合わせた。

 マイクの向こうで勲がため息をついたのが聞こえた。


《上の人間に確認をとってください。「速やかに全員退出させなければ動画を公開するぞ」と脅されている、とでも言えば指示が降りるでしょう》


 花菜の周りにいた男たちは素直にその言葉にならいどこかの誰かと通信をして、そして花菜に向き直った。

「我々はどうやら花菜さんのお役に立てないようです。申し訳ない」

「いえ、大丈夫ですよ」


 むしろそんな物々しい雰囲気の中で話をしようとする方が気が張っていけないだろう、という本音は隠しながら、花菜は護衛役たちを見送った。

 ちらほらと現れて花菜の来た道を逆向きに辿る人たちと何度かすれ違いながら、花菜は教えられたとおりに建屋の奥に向かった。


 やがて花菜は、物置のようになっている一区画の奥に、一人の男が立っているのを見つけた。男は花菜に気付き、おそるおそるといった具合に片手を上げた。


「お久しぶりです」

「ああ。三年ぶりになるのかな」

 頭を下げると、勲は微かに微笑んだ。

 長い時間が経っている上にあれほどに重大な事件を経ているのに、勲から滲むイメージが殆ど変わっていないことに花菜はまず軽く驚いた。


「変わりないですね。びっくりしてます」

「こんなところでお世辞を言ってくれなくても良いさ、私のことを恨む理由なんていくらでもあっただろう?」

 恨む理由、と言われたところで。

「健人が殺されるのは、別に勲さんのせいではないので」

 花菜は短く返した。

「……そうかもしれないな」

 呟くように口にして、神路は振り返り、花菜を呼び寄せるジェスチャーをとった。

「着いてきなさい。ここでは話ができない」

 花菜は素直にそれに従い、勲ががらくたをかき分けて埃を被った扉を開けるのを待ち、中にあった階段を降りていった。


 かつかつという乾いた音が二重に響く中で、花菜はなんとなく気になったことを聞いてみることにした。

「どうやってこんなのを作ったんですか?」

「昔の伝手だね。それ以上は言えない」

「昔って言うのは、どのくらい昔のことなのかとか、そんな感じのもダメですか?」

「正直に言ったところでその人に迷惑がかかるだけで、誰も何も得るものはないという話さ。罪を被るのは私だけでいい」

「そうですか」

 ぴしゃりと断られ、花菜は口をつぐんだ。

 こうして話をしている限りにおいて、目の前を歩く男が重犯罪者で、かつ警察と現在進行形でやり合っている人間だとは、やはりどうしても思いにくい。感情は凪いでいるし、所作に一切の強ばりを見いだすことができない。まるで、何もかもを遙か昔に覚悟していたかのようにすら思える。

 そんな強者が、私に何を求めるというのだろうか。

 

 通路の奥の扉を開け、勲はそれなりに広い部屋に花菜を招き入れた。

 中にはいつか健人が寝かされているのを見たような、歯医者の椅子にも似た大きな座椅子だったり、無数のディスプレイがくっついた演算装置だったりが並んでいて、いかにも勲が生み出したのであろう空間の特徴を感じることができた。


 背後で勲が扉を閉める音がして、そして彼はそのままどこからか椅子を二脚持ってきた。

「座りなさい。落ち着いて話をしなくてはならないから」

 言葉通り、彼は二つ置いた椅子のうち一つを自分の椅子として腰を落ち着けた。

 座ってすぐ片足を組んだ勲の前でいつまでも動かずにいるのもむしろ変だと思い、花菜はもう一方の椅子の背もたれに外套をかけ、そして膝を揃えて座った。


「今のところ、という前置きはどうしてもついてしまうが、一応花菜さんに危害を加えようという意思はないから、そこについては安心してもらって良い」

「ありがとうございます、であってますか?」

「さあ、ね」

 相槌を打ってから、勲は突然笑い出した。

 余りにも長く笑うものだから、花菜は少し不安になった。

 しばらくしてようやく満足した勲は、息を整えながら、少しやつれた目をしたように見えた。

「いや、すまない。ありがとうだなんて言われるのはあまりにも久々でね。むず痒くなった」

 それは気の毒に思えばいいのだろうか。

 分からなかったから、花菜は曖昧な発声で場をやり過ごした。

 真剣な顔に戻り組んでいた足を解いた勲が、少し前のめりの体勢を取った。

「最初にこれは教えて欲しい。花菜さん、貴女はどこまでを知ってここにいるのかな」

「……勲さんが健人を作ったことで第一次解放事件が起こったということが分かって健人は殺されようとしている、牢屋から逃げ出した勲さんが私達みんなのことを人質にとって健人を助け出そうとしている、そして何故か私が仲介人としてここに呼ばれた、くらいは」

「そうか。わかった」

 これまでに知り得た事の概要をぽつぽつと語って聞かせる中で、花菜はいくつかの重大な情報を敢えて口にしないようにした。

 例えば、健人が自ら死を望んでいる、とか。

 できる限り何の混じりもない勲の心の内を知るためには、無為に彼のことを刺激しない方が良いだろうという打算が彼女にそうさせた。勲はどうやら今のところ負の感情を大きく抱いているようには見えない。それが彼の本質の隠れた厚顔無恥性に起因するものでないとすれば、何か信じるところがあるに違いない。

 私はそれを知るためにここに来たのだ。


 勲は息を吸って、姿勢を正した。

 ここからが本題なのだろう。


「まずは、申し訳ない、と言わせてくれ。健人のことについて、皆を欺こうとしていた私が、全て悪いというのは間違いない。花菜さんには一番辛い思いをさせてしまっていると思う。どう償えば良いかも分からない。許してくれとは請わないから、どうか私がこうして謝っていたということだけでも、覚えていて欲しい」

 勲は深く頭を下げた。

「良いんですよ。どうしようもなかったんですよね?」

「……この手で健人を育てると決めたとき、こうした未来が訪れることも想像はした。全力で避けようとしたが、結果は見ての通りだ。私は無力だった。好きに罵ってくれていい」


 罵声という、手軽で、傷の大きくならない鞭を差し出すことで安穏を得ようとする勲の打算が透けて見えた気がして、花菜は少し気分が悪くなった。

 そもそも花菜は、本当に勲に対しての態度を今も決めかねているのに、勲はそれに未だに気付けないらしい。花菜を満たしているのは、怒りではなく、憤りでもなく、渇望なのだと、どうしたら伝えられるだろうか。


「罵る代わりに一つ、聞いても良いですか?」

 静かに、花菜は尋ねた。

「何だい?」

「勲さんにとって、健人は「後悔」なのだというように聞きました。罪の意識に苛まされながら、迷いながら育ててきた勲さんからみて、二十五歳になった健人は今も「後悔」のままですか?」


 遠藤に告げられた宣告をそのまま勲にぶつけることで、花菜は勲の心を測ろうとした。健人という存在の定義を「後悔」以外のものに定めるためには、他でもない勲の口からの言葉が必要だと思った。今、勲の中にある想いは、「後悔」なのだろうか。それとも、二十五年という長い時間は、ほんの少しでも勲に変化を引き起こすことはできたのだろうか。

 空気を震わせ終わった花菜は、縋るように、勲の顔を見つめた。

「違う」

 渇望が導いたとても大切な問いに、勲は驚くべきことに、不満げに顔をしかめることで答えた。

「まず。健人は最初から絶対に「後悔」ではない」

 少しぶっきらぼうに、勲は前提を覆すことから始めた。

 その返事の仕方をどう翻訳すれば良いのか、花菜には分からなかった。自らを絶望の中に追いやった言葉が否定されるのを間近で聞いたというのに、その変化にポジティブな性質を見いだすことができなかった。

「私にかつて立花という名前のパートナーがいたことは知っているね? 健人の母親だ」

 花菜は黙って頷いた。

 勲は遠くを見るような目をした。

「私にとって、彼女は憧れだった。あらゆる不可能を可能にし、パラドックスもトレードオフも圧倒的な力でねじ伏せるような、彼女の頭からあふれ出るものに、私は神を見たんだ。……本当に、神という言葉を使わなくては説明がつかないくらいには、彼女はこの世界の遙かな先にあったはずの地平をたった一人でどこまでも切り拓いていた。実を言えば、始めに「神様はいるのかも」と言ったのは立花自身だったりするんだけどもね。もし、今まで彼女が生きていたなら、そしてもし健人の身体を形作った技術が安全なものであると証明できていたなら、不治の病や障害と呼ばれる現象は、きっとこの世界から彼女の手によって消し去られていたはずさ。本気で私はそう思うよ。立花は彼女が持ち得た才能の全てを、人に尽くすために使おうとしていたから」

 花菜は一つ新しい知識を得て、それを受け入れた。

 健人を生み出したのは、目の前にいる見知った男ではないらしい。おそらく勲の表現には多分に謙遜が含まれていて、当然勲自身の関与した部分も大きいのだろうが、きっと彼の言うとおり、立花という顔も知らない健人の母親が最大の貢献者であったのだろう。

 叶うことなら一度会ってみたかった、と花菜はぼんやり思った。きっとその人になら、花菜は今でも素直に「健人を育ててくれてありがとうございました」と礼を言える気がした。

 しかし、彼女はここにはいない。次に起こってしまったことは、花菜もよく知っている。

「でも、そうはならなかった。道半ばで、彼女は命を絶たれてしまった」


 今では第一次という記号を伴うようになった解放事件を意図した文脈で、勲はそのきっかけとなった人物の死を、「命を絶たれてしまった」と受動態で表現した。まるで、それが彼女の上位存在から下された鉄槌であると言いたいかのような、彼女に責任がないと言いたいかのような、そんな表現だと感じられた。

 

「そのときは、私もどうするべきか、分からなかった。何度健人を殺して全てをなかったことにしようと思ったか、もう覚えていない。それでも、私は、あらゆる人のために力を尽くした立花の存在が無に帰されることを、どうしても許したくなかった。彼女の願いを、私と、健人が代わりに叶えるのだと信じた。だから、私は彼女の分までの罪を一人で背負って、そして健人を、彼女がかつてそうだったように、全ての人に尽くすことのできる存在に育て上げようと決意した。子育ては大変だったが、健人は立派に成長してくれたと思っている。花菜さんのことも含めて、何人ものことを救っているはずだ……これで、答えになっているかい?」

 花菜は懐旧の顔を崩さない勲を見て、徐々に膨らんでいたらしい心の内のもやもやを確たる物として知覚するに至った。

 この人は、健人の中に、亡くなった女の幻影を見続けているのだろう。健人の個としての性格も、健人が私という相手を得たことも、全ては偉大なる亡きパートナーのために捧げられる要素に過ぎなかったのだろう。

「なら」

 勲の確認に答える代わりに、苛立ちがこぼれた。

「健人が生きた意味って、何だったんですか」

 言葉の中にあった棘に驚いたのか、勲は不思議そうに花菜を見た。

「言ったろう。立花が遺した想いを、健人は立派に引き継いでくれた。少なくとも、私はそう信じている」

 勲はまた、立花が、という言い出しで物を語る。

 それで花菜が満足していないのを見てとって、勲はうーんと唸った。


「生きた意味、という言葉がどういう意味で使われているのか私には分からないから、それを教えてくれるかい?」


 人情味のない姿勢だな、と花菜は率直に思った。別にそこに定義も何もなくたってよくて、雰囲気から何かそれらしき意味合いを察して、それらしき言葉を、真摯に紡いでくれればいいのだが。


「健人本人にとって、この二十五年がどういう意味を持っていたのかな、という意味です。とりあえず「後悔」じゃなかったというのが分かって良かったですけど、それは勲さん視点での話で、今のところそっち側の話しか聞けていないので」


 丁寧に表現を選び、勲に適切な発言を促す。

 ああ、そういうこと、と勲は笑った。


「それは、流石に健人自身に聞いてみないと何とも言いがたいよ。私が言えるのは、親としてどう育ててきたか、位だな。健人の名前にもあるように、健やかで、壮健な、そういう子になれと願って育てたつもりでいる。……これはもう雑談の域だね」


 軽い口調だった。

 名付けの由来という少し恥ずかしいことをあけすけにしたことへの照れを隠すかのように、文末に「笑」の漢字が一文字付されていて、すぐに別の話題に移ろうとする姿勢を暗に示すかのような、そんな言い方だった。

 まるで、健人自身に聞かないと健人が生きた意味を答えられないと共感を放棄した自分のことなんて、恥ずかしくもなんともないとあけすけにするような、そんな台詞だった。


 心の内のもやもやがまた膨らんだ。


「満足な答えを聞かせられなかったのなら、すまなかった。健人のことはずっと大切に思っているよ。花菜さんもそうであってくれたなら、きっと健人は幸せなんだろう」

「そうですか」


 流石に花菜の顔に浮かぶ黒い影に気付いたのか、取り繕おうとする勲に対して、花菜は適当に相づちをうつことで答えた。


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