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機械と愛と烏  作者: 諭吉
一章
4/45

MemoryLog: 2163 03 25-26

〈Loading: MemoryLog: 2163 03 25: Section 22-23〉




 春分の日を超えて大分長くなってきた日が暮れかかった頃に、健人は勲の出迎えで日中を過ごした保育園から研究所へと向かった。車を降りた時、既に岡山の田舎の空にはいくつかの星がきらめいていた。


 近いうちに引っ越しを控えるとあって、研究所の中には二人の住処とは比べものにならないほどに沢山の荷物が積み上げられていた。その中にあって、殆ど物が片付いていない一区画が健人のメンテナンス用スペースだった。


 健人は使い慣れたユニットの座面に飛び乗るようにして腰を下ろし、そのまま体を横たえる。横に浮かぶ仮想キーボードに勲が手を伸ばして、いくつかの作業を行った。それに呼応するようにして、ユニットの背面からモーターの鈍い駆動音が響いてきた。


「今日は健人の骨格繊維に成長コードを送って、血中触媒の更新を行う。基本的だけど、これくらいだ。何か最近体の調子が悪くなったりしたことはあったかい?」

「ううん、元気だよ」

「そうか、何より何より」


 それだけ確認して、勲は前準備を終いとした。仮想キーボードから手を離し、健人の顔の前に手を伸ばす。メンテナンスの前に必ず行われる、健人の電脳への直接指示のプロセスが始まろうとしていた。


「それじゃあ、始めようか。お父さんの指先に注目して」

「もうしてる」

「まあまあ、条件付けと形がキーなんだって」


 そう言って、勲は健人の目の直前で伸ばした人差し指をくるりと一回転、逆向きにもう一回転させ、そのまま健人の眉間に触れた。


「指令。コード2・身体コントロールの譲渡・お父さん」

「命令。メンテナンス終了まで自分の体を動かさないこと、お父さんの言うことをすぐに実行すること」


 健人は自分の体が自分のものでなくなったことを知覚した。ただ、それを表現する方法は既に失われている。だから健人は唯一自由の残る思考でもって状態と情動を記録する。


「指令。コード5・神経ネットワーク介入・痛覚削除」


 瞬きを忘れ光を失った健人の目の側に指先を触れさせたまま、勲は指令を重ねる。痛覚の削除によって、健人の精神はこれから行われるメンテナンス作業に伴う切開過程のショックから保護された。


「なにか普段と特段違う感触があれば伝えるように」


 そして、勲のその言葉を合図に、マシンアームが健人の首筋に何本かの針を突き刺し、背中にメスを差し込んだ。この時の自分の体が冷たい金属によって切り裂かれる感触が、健人は好きではなかった。


 勲がいくつかの指示をユニットに送り、その導きに応じて健人の身体の中で刃物が動き回る。目的のパーツが露出する度に何本かのコードが接続され、そしてしばらくすると離れて行く。一つ一つのプロセスにかかる時間は決して長くはないが、それでも全身の骨格にアクセスしようとするとそれなりの回数をこなさなくてはいけない。


 やがて勲の額に汗が滲んできた頃に、ようやくメンテナンスは佳境を迎えた。全ての傷口の縫合処置が済んだことを確認して、勲は赤い色のチューブと青い色のチューブを健人の首に刺さる針に接続した。


「後は触媒の更新を終えればおしまいだ。時間がかかるから、眠ってしまいなさい。多分朝までには終わると思うから、明日は家のベッドで目を覚ますことになるはずだ。おやすみ、健人」


 おやすみなさい、の言葉を返すことはまだ許されていなかったので、健人は素直に思考を止めて眠ることとした。




〈EndLoading〉

〈Loading: MemoryLog: 2163 03 26: Section 2-4〉




 目覚めた場所は、勲の言葉通り二人のベッドの中だった。既に父の姿はなかった。

 いつもよりも少し遅い時間だったが、勲はまだリビングのソファに腰掛けてウェアラブルデバイスをいじっていた。家からは少し離れた場所にある父の仕事場まで探しに行かなくても良かったことに安堵した健人は、先からの面倒ごとを相談するために手を振って彼の気を引いた。


「おはようおとうさん」


 その声に顔を上げた勲は、いつものように柔和な笑みを顔に浮かべた。


「おはよう。どうやら体調に問題はなさそうだね、よかった。おむつを替えようか、横になって」

「あのね、自分でかえちゃったの。かゆかったから。よかった?」

「へえ! 一人で替えられたのか! すごいぞ、もう大人じゃないか!」

「いいの?へへ、じゃあこれから毎日自分でかえたいな」

「良いとも、お父さんは嬉しいぞー。替えたおむつはどこに置いてあるんだい?」

「えっと、トイレのふたの上。どうしたらいいかわからなかったから、ききにきた」

「分かった。明日からは自分でトイレの隅に置いてある袋に包んでその辺のゴミ箱に捨ててくれるか? そうすれば全部一人でやったことになって、お父さんは大助かりだ」

「うん!」

「分からないことがあったらいつでも聞きに来て良いからな。待っててくれ、朝ご飯を持ってくる」


 どうやら自分の行為は父を喜ばすことのできるものだったらしい。それが嬉しくて健人は近くの椅子に登ろうとし、トイレを出てからまだ手を洗っていないことを思い出して洗面所に向かうことにした。

 洗面所に向かうまでの廊下には、来週に迫る引っ越しのためにあちらこちらに生活雑貨の詰まった段ボールが置かれていて、まだ背の低い健人にとってはまるで迷路のようだ。ただ、総数で言えばせいぜい五、六箱程度に過ぎない。相田親子の持ち物の大半はこの家ではなく近所に隠されている勲の研究所に積まれている。健人が生まれた研究所から遙かに離れた岡山の田舎町で生活する内に、いつの間にか日々の暮らしに必要な物も殆どが勲の仕事場で保管されるようになっていった。勲曰く、その方が国に収める税金が少なく済むらしい。だから、この家に置いてあるのは殆どが健人のための物資だ。児童書やLサイズのおむつがその代表例で、珍しいものとしては、健人の体の簡易チェッカーがおもちゃの入った箱に埋もれている。


 手を洗い終わった健人が洗面所の踏み台を動かしていると、玄関から激しいノックの音が響いてきた。勲がキッチンから慌てて飛び出し、健人の体をリビングに押し込んで指を一本口の前に当てた。


「良いかい、いつものおじさんだ。静かにしておくれよ。今日はきっと少し遅れてるんで怒ってるんだ」

「はーい」


 健人はたまにやって来ては父親を少々不快な方法で呼びつけるこの大人のことを、そのまま「ノックおじさん」と呼んでいた。というのも、彼がやって来たときに勲は健人のことを決まって家のどこかに隠すようにしていたために、一度も顔を見たことがなかったからだ。彼と対面しなくてはならないと分かったとき、勲は大抵少し嫌な顔をする。そのたびに健人は勲のことが少し心配になるが、殴られたりしている様子はないため、本で読むような借金取りなどとは違うものなのかもしれない、と理解している。


 しばらくして勲が玄関を閉める音が聞こえ、そしていつものように彼は嬉しそうな顔をしてリビングに戻ってきた。きっといつものように良いことがあったのだろう。勲はそのままキッチンに入り、レンジの中から二人分の袋に入った蒸しパンとマグカップを取りだして、大きい方を自分の椅子の前に、小さい方を健人の椅子の前に置いた。


「いただきます」

「いただきます」


既にご近所さんに譲ることが決まっているテレビの電源を入れて、勲は食事を開始した。それを見て健人も蒸しパンを口に頬張り、流し込むためにマグカップに口を付けた。

「!」

勲が持ってきたホットココアがあまりに熱くて、健人はけほっけほっ、と小さく咳き込んだ。味覚センサーの温度項目には70の数字が表示されている。

「おっと、ごめんな、チンしすぎたか」

「これ70℃もあるよ、のめないよ」

「火傷してないか?よくふーふーしてから飲んでくれ」

「はーい」


 勲は何食わぬ顔でコーヒーをすすっている。おそらく、彼の手の中の飲み物はほどよい温度に仕上がっているのだろう。

 若干の不平を紛らわすために、健人はテレビ番組に集中することにした。最近のテレビは専ら発生から丸二年を迎えようとする「解放事件」の話題で一杯だ。ただ、二年も経つと新しい情報もなくなってきている。「ギデオンの右手」だの、「低下した生命量上限の推移」だの、既に耳にタコができる程に聞き続けたフレーズが延々と繰り返される内容というのは、健人にとって決して面白いものではなかった。

「ね、チャンネル変えていーい?」

「少し待ってな、このドキュメンタリーが終わったら変えてもいいぞ」

「はーい」


 勲がテレビから視線を逸らすのを今か今かと待ちわびていると、ようやくドキュメンタリーのインタビュアーが「ありがとうございました」の一言を発した。


「かえていい?」

「もう少し」

「えええ」


 少しずつコーヒーに口を付ける勲が眺める先で、スタジオのアナウンサーが「亡くなった方たちの魂は未だ還って来ません。我が国では今日も蟻のコロニーの掃討作業が続けられています。この努力が一日でも早く実を結ぶことを祈るばかりです」とお決まりの台詞を述べ、そしてようやく番組の内容が切り替わった。


「いい?」

「どうぞ」


 その返事が聞こえるが早いか、健人はリモコンを操作してめぼしい局を一巡りする。が、結局岡山の田舎で流れている番組の数などたかが知れていて、元の局の番組をつけ直すことになった。

 今の話題は蟻の巣を見つける方法について、らしい。

「アリっていつになったらいなくなるの? たまにいるよ?」

「さあなあ。ただでさえ数が多くて隠れるのが得意な生き物なのに、それを全国で虱潰しときてるんだ。十年とか二十年とか、それくらいは優に超してしまうんじゃないかな」

「そっか。じゃあ、ギデオンの右手がアリをつかったのって、頭いいんだね。だれもちのうアリを見つけられないし」


 勲は手に持っていたマグカップを置いて、顎に手を当てた。


「うーん。どうだろうな。彼らの教義が「自由な世界の実現」にあることからして、本当は知能アリのことは用済みになったら殺しておきたかったと思うんだがな」

「なんで?」

「難しい話になるなぁ。生命量上限の話は知ってるね?」

こくり、と頷く。

「うん」

「ギデオンの右手は「解放事件」によって沢山の生き物の命を奪うことで、生命リソースに余剰を生み出して、それで人間に自由を与えようとしていたはずなんだ。それが、知能アリたちが生き残ってしまったせいで、結局日本ブロックの生命リソースは何割かがアリに置き換えられただけで飽和したままになってしまっている。彼らの望む世界はもっと違う姿だったはずさ。もっとも、主犯格が誰一人捕まっていない現状では彼らの真意は推し量るしかないけどな……分かったかい?」


 なるほど、確かに蟻が生き残ったままだと生命リソースに余剰はできないぞ、と健人は理解した。ここで一つの疑問が浮かんできた。

「どうして生命リソースがいっぱいあると自由なの?」

 そもそも生命リソースと自由にはどんな繋がりがあるのか。健人には、テレビで「自由」にまつわる話を聞いた記憶がなかった。


 少し勲は沈黙して、

「……例えば、動物愛護法改正法の停止を行って動物の飼育制限を撤廃できる、とかが挙げられるな」

と答えをひねり出した。健人にとっては初めて耳にする単語で一杯だった。

「え、はぇ?」

「分からなくて良いさ。何より、そうやって得られる自由は決して良い物じゃない。沢山の犠牲の上に成り立った自由だ」


 首をかしげて考え込もうとしていた健人に向かってそう言葉がかけられ、そして頭に勲の大きな手が置かれた。次いで、いつもの穏やかな声が彼の耳に届いてきた。


「良いかい、健人。健人は全ての人を愛するために生まれてきたんだ。だから、ギデオンの右手の語る血で汚れた自由を、お前は受け入れてはいけない。分かったかい?」


 『全ての人を愛するために生まれてきた』。父親のその言葉によって、自分の中で湧き上がっていた「なぜ?」や「なに?」が水を打ったように静まりかえるのを、健人は鮮明に感じ取った。


 先天的に『人を愛すること』を理解している健人は行動規範を更新した事を示すようにゆっくりとうなずく。それを見た勲は満足げに微笑んだ。

「良い子だ」


 勲の手が健人の頭から離れ、そのまま二人分のマグカップと蒸しパンの皿を片付け始めた。

「健人、身支度をしようか。保育園に向かう時間だ。今日はメンテナンスユニットの片付けをしないといけないから、お迎えは遅くなるかもしれない」

「えぇー……」

「ごめんな。なにせ大きいし重いから時間がかかるんだ」

「あとでアイス買ってくれる?」

「分かったよ、歯磨きの前に食べるんだぞ」

「はーい」


 別に保育園に居ることは苦ではなかったが、健人は勲が自分に対して甘いことをよくよく理解していた。





〈EndLoading〉


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