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機械と愛と烏  作者: 諭吉
四章
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呪い-[2]

---2182年 11月



 それから毎日、健人は花菜の住むマンションを訪れるようになった。いつしか花菜は怯えることなく応答ボタンを押せるようになり、健人の話に簡単な反応を返せるようになり、会話と呼べるようなキャッチボールを成立させられるようになった。会話ができるようになってから、健人は花菜にインターホンのかわりに電話を繋ぐことを提案して、花菜はそれを受け入れた。


 自分の状態が日に日に改善していくのが嬉しくて、花菜は次に健人が何を持ちかけてくるのかを楽しみにするようにすらなった。



「ベランダに出てみてよ。夕日が綺麗だよ」

 健人がそう言うので、花菜はウェアラブルデバイスの仮想マイクを口元に配置したまま窓を開け、ベランダに足を踏み出した。マンションの五階にあるベランダからは、広い空が健人の言った通り美しい紅に染まっている風景を眺めることができた。

「わ、ほんとだ」

「雲から光の筋が差し込んでる感じがいいよね」

「わかる」

「ねえ、そのまま下を見てくれるかな」


 言われるがままに視線を下げると、マンションの隣の公園に立つ健人の後ろ姿が見えた。

 おもむろに彼はウェアラブルデバイスを装着していない方の手を上げ、ゆっくりと左右に振った。


「見える?」


 何が、というのは説明されずとも分かった。


「見えるよー」

「よかった。見えないって言われたら泣いちゃうところだった」

「なんで背中向けてるの?」

「顔を合わせて話すのは次のステップだから、っていうのが理由の半分」

「そっか。もう半分は?」

「僕の目は強化されてるからとてもよく見えるんだ。この距離でも中沢さんの素顔の隅々まで分かっちゃうけど、いいの?」


 健人はおどけた口調で言って、花菜の見ている先でコミカルに体を動かした。

 花菜は思わず吹き出した。


「すっぴんなんて高校の時散々見てたじゃん……でも確かに今は肌荒れしてるか」


 健人もつられて笑って、そして急に真面目な口調に戻った。

 

「っていうのが話の導入でさ、明日明後日で用事があって東京に行くんだけど、何か東京でしか買えない化粧品で欲しいものとかあったりしないかなぁって。もうすぐ誕生日でしょ? プレゼントしたいんだけど、二十歳になる女の人に贈る物として何が一番いいのか思いつかなくって。調べたら「化粧品がお勧め!」って出てきたんだ」


 そう言われて、自分の誕生日が近くに迫っていることを花菜は思い出した。


「そっか、私も二十歳になるのか」


 誕生日を思い出す、というのは不思議な感覚だった。花菜にとって誕生日とは沢山の友人に囲まれて祝われるイベントのことであり、一ヶ月も前から全員のスケジュールを合わせるために動き回るのが普通だった。それが、今年は誰も誘う相手がいないためにやるべきこともなく、そもそもの存在すらも忘れてしまっていた。


 今年は変な意味で忘れられない誕生日になってしまったな、と自嘲しつつ、花菜は脳内に欲しい化粧品リストを展開した。東京でしか手に入らない物、という条件でソートするには流石に時間がかかりそうだった。


「ありがと。でもすぐには思いつかないから、決めるのは後ででも良い?」

「東京に行くまでならいつでも」

「わかった」

「バイト代はちゃんと貯めてあるから、それなりに値の張る物でも大丈夫」

「高い化粧品がいくらするか知らないでしょ」

「……十万とかは流石に勘弁してください」

「やめてよ、そんなに欲張らないから」




 誕生日がやって来て、約束通り健人から化粧品が届いた。

 学生という身分で買うにはやや気が引ける程度には高価なファンデーションを手にして、花菜の心は少なからず躍った。


 次の日、花菜はいつもより少しだけ早く起きた。

 使わなくなって久しいメイクボックスと鏡を引き出しの中から引っ張り出し、カーテンを開けて日の光をリビング一杯に取り込む。

 机に立てた鏡の中に映った自分の顔は、笑っていた。

 浮ついた気分で化粧ができるのは本当に久しぶりだ。


 スキンケアを怠っていたためどうしても隠しきれない陰こそ生まれてしまったが、それでも健人が贈ってくれたファンデーションは優秀で、数ヶ月のブランクを感じさせない肌艶を与えてくれた。

 これなら、十分だろう。



 やがて、いつものように夕方、おそらく大学の講義が終わった頃に、健人が公園から電話を掛けてきた。電話を取りながらベランダに出て、健人の背中に向かって話しかける。


 花菜は健人と会話を弾ませながら、丁度いい頃合いを見計らった。

「ねえ、振り返ってみてよ」

「――どうしてだい?」


 そう聞く健人は、しかし何が起ころうとしているのかを殆ど確信しているようだった。

 それを聞き取って、ああ、今日のこの瞬間を演出するために彼はずっと準備を進めていたのだ、と花菜は悟った。


「今日はね、何だか良い気分なんだ。それで、なんとなく」


 だから、自然に花菜の言葉は、二人の雰囲気を浮つかせるためのものになった。健人が作ってくれた幸せな時間を、できるだけ思い出に残るようにして噛みしめたかった。


「なんとなく、か」


 健人は愉しそうに笑って、そしてゆっくりと振り返り、花菜のいる方を見上げた。


「どう? お化粧してみたんだけど」


 そう言って、花菜もにこやかに笑った。自分でも驚くほど、自然に顔を明るく飾ることができた。


「綺麗だよ。とっても」

「ありがと」


 こうして、花菜は再び人と向き合って話せるようになった。

 



---2182年 12月


 十二月の夜風が花菜の顔を撫でて、花菜はマフラーの中にできる限り首をうずめるようにして縮こまった。

「うう、寒いね」

「そりゃ、ずっと部屋の中にいたんだからね。寒さに体が慣れてないんだよ」


 花菜の前には健人が立っていた。健人の背丈がそれなりに高いことを、花菜は久々に思い出していた。

 今日は花菜の社会復帰トレーニングの一環として、二人で大学の門まで歩いて帰ることになっていた。


「こんな時間にごめんね」

「それは大丈夫。元々人の少ない時間を選ぼうって言ったのは僕だし、それにほら、僕って多少の無理は全然耐えられるようにできてるからさ」

「ありがとう……そろそろ、ちゃんとした時間に寝起きするべきかなぁ」

「まぁ、それは良い心がけだと思うよ」

「頑張ります」


 健人が先導して、花菜は彼について歩き出した。

 花菜はずっと荷物を受け取るためにマンションのエントランスと自分の部屋とを往復するだけの日々を送っていたから、マンションの敷地から外に出ようとした時、緊張で少し体が震えた。


「大丈夫。僕は絶対に中沢さんを傷つけないし、傷つけさせないから」


 それを見てとったのか、二歩先に立つ健人が優しく声を掛けてきた。

 花菜は頷いて、小さな一歩を踏み出した。


「今日はこれくらいのペースで、いい?」

「全然。余裕のあるくらいで行こう」


 その言葉に甘えて、花菜はゆっくりと、一歩一歩を確かめながら、大学までの道のりを進んでいった。



 次の日は、近所のスーパーマーケットに。

 次の日は、少し人出のある時間に。

 次の日は、大学生が普通に歩いているくらいの時間に。

 次の日は、大学のキャンパスの中まで。


 年末年始は親元に帰り、続けて地元の集まりに顔を出すことになっていた健人は、大学の近くにいられる最後の日まで花菜の側にいた。

 その日は、個室のレストランを予約して、二人で乾杯した。


「来年は講義に出てみよっか」

「分かった。頑張る」


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