カラス
週末になって、健人は花菜を連れて電車やバスを乗り継ぎ、タカイさんの眠る墓があるというお寺の近くに辿り着いた。山の上にある小さな寺で、参道を少し歩くと細く急な階段が二人の前に立ち塞がり、それで花菜は少しため息をついた。
「調べたときから覚悟はしてたけど、それでもまあヤバいね」
「目指せ運動不足解消」
「うあぁ」
わざとらしく悲鳴をあげる花菜の背中を押しつつ急坂の上り下りを繰り返し、一度本堂のご本尊にお参りした後、二人は寺内の墓地に辿り着いた。
「お寺のお墓とか、肝試しで入ったことがあるくらいなんだけど」
「そういうことは言わないであげて。僕にとってタカイさんがそうであるように、誰かにとっての大切な人が眠っている場所だからさ」
「……そうだね。ごめんなさい」
健人は近くにあった蛇口からバケツに水を汲んで、花菜に柄杓とブラシを持ってくるように伝えた。
「これで何するの?」
そう言って花菜は両手に握った道具たちを不思議な顔で見つめるので、健人は丁寧に説明をすることとした。
「一応典型的なお墓参りの基本はおさえておこうと思って。これで墓地の掃除と、あとお花に水をやったりする」
「へー」
「ひょっとしてお墓参り自体初めて?」
「そうなんだよね、実は。ウチにはそういう風習は残ってなくてさ。どこかで生まれ変わってるはずだから子どもや動物たちを大切にしましょうね、って感じの良くある妥協ミックス文化」
「あー、まあバックグラウンド複雑だしね」
「怒られませんように」
「故人を敬う気持ちさえあれば良いんだよ、こういうのって。あと、タカイさんはそんなちょっとしたことで怒らないから大丈夫だと思う。……こっちだ」
健人は記憶しておいた墓石の位置を視覚情報と照らし合わせながら、目的の場所に向かって花菜を先導した。
「これは一体どういうことだ!」
騒がしい廊下の隅で、抑えきれない感情もそのままに、神路は遠藤を怒鳴りつけた。声量のあまりに近くにいた部下たちの肩が跳ねたのがわかったが、神路はそれでもなお足りないとすら本気で思った。
「罵られるようなことを言っている気はしないが?」
「だからと言って、お前、これは筋が通らんだろうが!」
「全てはお前の知らないところであった方がお前自身にも都合が良かったんだぞ、中沢。これは俺の配慮だ」
「黙れ、俺を外した魂胆なんざどうでも良い! 説明しろ!」
「まあ落ち着け、言われなくとも元からそうするつもりでいたんだ。どうだ、どこかの部屋で冷静に話を聞く気はないか?」
こんな状況下でも飄々とした表情を崩さない遠藤の態度が、神路の心の火に油を注いでいた。身長さえ足りていればこのクソッタレの胸ぐらをつかみ上げてやるのに、と神路は煮えくり返る腹を抱えつつ、遠藤を追って近くの部屋に入った。
遠藤は神路だけに入室を許し、扉を閉め、鍵を掛けた。
「座ったらどうだ。疲れるだけだぞ」
「断る」
「そうか」
遠藤は神路と机を挟んで反対側に腰を下ろし、どこから取り出したか缶コーヒーを啜った。
「脳の培養という犯行手法にそもそも疑問があった。あの方法で数百万を殺すのは、まあ率直に言って効率が悪すぎる。大量の脳味噌を用意するだけで容積がバカにならないところまで膨らむ上に、瞬間的に全数を生成するのにどれだけのエネルギーが必要となるのか、まるで測れた物ではない。それに、わざわざ拠点を廃棄してまで一度作った脳を朽ちさせる合理的な理由が全くない。お前もこの違和感には気付いただろう?」
神路は小さく肯首した。その反応に満足したのか、遠藤は鼻を鳴らした。
「奴らは一度培養した脳を毎回律儀に綺麗さっぱり廃棄して拠点を後にしていた。そうすると次フェーズの犯行に必要な脳の量がただ膨らむだけなのに、だ。毎回一定数の生命リソースを削るだけの計画なら、全拠点を維持した上で各地に一定量の脳を保持しておいた方がよほど効率が良い」
「だから何だ。何の説明にもならんぞ」
「この事件には裏があるという話はしただろう。俺がそう確信したのはこれに気付いたからだ。そして、この犯行は何らかの犯行手法を偽った上で行われている、と仮定したらどうだ。一気に嫌疑の対象が変わってくる。そもそも奴等自身、脳クローンが本当に行われているのか知らなかったのではないか?」
「仮定で物を語る訳にはいかんだろうが」
核心に迫ることなくつらつらと語り続ける遠藤に対して苛立ちが募る。しかし既にこの一件の主導権が彼の手にあるのは明白で、神路はただ遠藤の言葉尻をあげつらうことしかできず、それがまた更に神路の怒りに拍車をかける。
「犯行手法の偽りを完全な物とするために"アレ"が我々の前に現れたのだ、と俺は考えた。そして、"アレ"があの場で縋ったのが彼の性格だった。だから、俺は彼の性格をとことんまで疑うこととした。そうしたら全てが繋がって、俺は"アレ"を確保することとした。事はそれ以上でもそれ以下でもない」
神路は思わず遠藤の言葉の使い方に眉をひそめた。
「"アレ"とは何だ」
遠藤は何を今更、という顔を作った。
「物だ。我々とは異なる人工物のことを指すのに、"アレ"という代名詞以外に適切な単語はないだろう?」
辿り着いた墓には、事前に知らされていたとおり、「安西家ノ墓」とタカイさんの旧姓が刻まれていた。それに少し奇妙な感覚を覚えつつも、健人は花菜と二人で墓の掃除を始めた。何度か墓石の上から柄杓で水をかけ、ブラシで擦る。一通り綺麗にしてから花を供え、水をやった。
ふと、健人は背後にばさばさという音を聞いた気がして、振り返った。鋭い瞳と目が合った。
「あ」
墓地の境界に立ち並ぶ塀の上に、先ほどまではいなかったカラスが数羽とまっていた。
本来ならば縁起が悪いと思われるのかもしれないが、健人を満たしたのは感傷的な気分だった。それがタカイさんの生まれ変わりであるかもしれないという感覚は、失った人への想いを転化させるのに非常に適した物であった。
花菜が隣で体を起こし、ふう、と息を吐いた。
「何あれ、すごい私達のこと見てるじゃん」
「狙われてるのかもね」
「私達がお供え物をするって思ってるのかな」
「ありそう。カラスって頭良いしね。困ったな、お供え物は腐ると思って持ってこなかったんだ」
「食べさせたいの?」
「タカイさんはカラスの『知らせ』を見た人だったからさ、ひょっとしたらって思っちゃうよね」
しばらく見つめ合っていると、どうやら健人たちを警戒すべき対象として認識したのか、カラスたちは飛び去っていった。
健人は遠くの空に消えていく黒い影を見て、タカイさんも自由な身体を手に入れられたのかな、と思いをはせた。
二人は墓に向かって手を合わせた。
健人はタカイさんに感謝を伝え、そして彼女がいつか大切な家族と再会できることを祈った。
強い風が吹いたので、健人は合わせた手を下ろした。
次いで、彼女の部屋の机から拝借した手書きのメモを取り出し、眺める。
あの家族写真に写る四人が生きたことを示す物は、もう増えることはない。三人に先立たれてたった一人になった彼女は、自らの生きた証を健人に託して、消えていったのだ。
だから、約束通り、僕は彼女のことを覚えていよう。鋭い目に温かい心をたたえた彼女が、あの三階の奥の部屋で、あらゆることをその記憶からこぼしながらも、もう還らない家族の生きた記憶を大事に抱えて立派に生き抜いたことを。
そうすれば、きっと彼女は安心して大空を舞い、無邪気にゴミをついばめるだろうから。
「……ありがとうございました」
健人は彼女と本当に最後の別れをし、そして地面に置いたバケツを拾い上げ、花菜の背を軽く叩いた。
「付き合ってくれてありがとう。満足できたよ」
「良かった。どうする、まだお昼には早いけど」
「そうだね、駅まで戻ってから考えない?」
唐突に、砂利を踏みしめる摩擦音が健人の耳に届いた。
「突然すみません、相田さん」
「全員が口封じに全く同じ仕組みで全く同じ毒を盛られたにもかかわらず、ただ一人だけ生き残った男がいる。既存の証言も発見された内部資料もデータも全てその男の存在を「無実」と主張する。彼自身もあまりに都合良く我々の目の前で撃たれていて、全ての証拠が彼を被害者だと定義しようと試みているかのように見える。何もかもが彼一人のことを指し示していた」
遠藤はおもむろに神路から視線を外した。
「だから、彼がのこのこと起きてきてから、丁寧に"質問会"を行った。身体のコンディションが万全ではなかったようだったから、栄養剤を詰めた血を注いでやったり、飯を食わせてやったり、まあ素直になってくれるようなことは何でもしたな。それで全部吐いてくれた」
そこで神路の血はついに沸騰した。正義に悖る忌むべき行為を行ったと、たった今遠藤は自白したのだ。
「貴様、拷問は禁忌だと知らないのかッ!!」
「そうするだけの意味があると思ったし、実際に大きな成果を得た。禁止と明文化された行為を一切命じていないことは明言しておこう。だがまあ、お前には言わなかったのはそういう背景があってのことだ。このことについて知っている人間は少なければ少ないほど良い。お前も墓まで持って行け、漏らすようならこの国の治安は崩壊する」
神路は拳骨で思い切り机を叩いた。最早そうする以外に、フラストレーションを解放する方法を彼は思いつけなかった。
遠藤はそれを気にも留めず淡々と語り続ける。
「不思議な物でな、血を流させ、そして代わりに輸血をすればするほど抵抗が弱まっていくんだ。血に何かを仕込んでいたのやもしれん。奴のかつてのパートナーの研究を紐解いてみれば、なるほどと合点がいったが、全く恐るべき技術だよ。全国民の三割を殺すことができるというのも十分頷ける」
全国民の三割、という表現に、神路は反応せざるを得なかった。
第二次解放事件でギデオンの右手がその手に掛けようとした命の数は、全国民の一割だけのはずだった。
「待て、三割とは何だ」
「言わずとも分かるだろう?」
「警察の者です。突然申し訳ないのですが、相田さん、今少しお時間ありますでしょうか?」
声を掛けてきた男は、健人の前で警察手帳を示し、それを懐にしまって頭を下げた。
警察がわざわざ健人のことを追って声を掛けてきたというこの事態の生起要因を、健人は何か重要なイベントが起こったためだと推測した。
「何かあったんですか? 父が目を覚ました、とか?」
「この場でお話しすることはできません。できれば私達と一緒に来てもらって、そこでご説明させて頂ければと」
柔らかな声色で目の前の刑事は説明を拒んだ。花菜が近くにいるからか、と思ったが、それも「私達と一緒に来て」という一部分で否定される。
どうやらよほどのことが起こっているらしい。
花菜がおずおずと口を開いた。
「どれくらいで帰ってこれますか?」
「そうですね……今日中には、なんとか」
「今日中、ですか」
健人は花菜と顔を見合わせた。
「まあ、行かないといけないだろうから、行ってくるよ。先に帰ってて。晩ご飯どうするかは連絡する」
「おっけい。大変だね。あ、色々片付けとくよ、バケツ頂戴」
そう言ってくれた花菜の手にバケツを委ね、健人は刑事の後をついて墓地を出た。
参道に車が停められていて、乗るように誘導されたので素直にその指示に従い、後部座席に座った。
バタン、と扉が閉められ、車が動き出した。
「どこに行くんですか?」
答えの代わりに背後から手が伸びてきて、驚く間もなく肘の内側と背もたれの間に首が挟み込まれ、強い力で絞め上げられた。
必死の抵抗も空しく、健人の視界は色あせ、そして意識が遠のいていった。
「二十五年前、相田勲が相田立花と共に相田健人と呼ばれるアンドロイドの生体脳に電脳を接続したまさにその瞬間、この国から数千万の命が蒸発した。第一次解放事件を引き起こした、この国における史上最悪のテロリストは、ギデオンの右手ではない。相田勲だ」
勿体つけて遠藤が口にしたその台詞は、神路の頭から全ての処理能力を奪うのに十分な破壊力を有していた。
「……何、だと」
「相田勲はその罪をギデオンの右手に擦り付けるためにこれまでの時間を捧げてきた、というのが事の真相だ。我々は相田健人と呼ばれるアンドロイドを破壊することで、この国に安寧を取り戻す。お前も"アレ"のことを人と思うのは止めておけ。じきに超法規的措置によって"アレ"からは人権が剥奪され、適切に物としての処分措置が下るだろう」
他に聞きたいことはあるか? と遠藤が問いかけるのを、神路はどこか遠い世界の出来事であるかのように感じた。
つまらないというような顔をした遠藤が席を立ち、そして部屋を出て行った。
神路は椅子に崩れ落ち、静かになった部屋の中で一人、いつまでも呆然とただ息を吸って吐いていた。




