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機械と愛と烏  作者: 諭吉
三章
30/45

制圧

 かつて過ごした東京近郊の住宅街の中に戻ってきたとき、健人はその光景が大して変わっていないことに安心すると共に、その中に凶悪犯が息を潜めているというあまりにもこの場の空気にそぐわない現実に強烈な不快感を抱いた。


 先行して行われた静音ドローンによる調査で敷地内に監視カメラが複数設置されていることが確認されたため、健人と彼の護衛を担当する隊員たちは近くに駐車したバンの中で待機することとなった。

 しばらくして作戦の詳細が決定され、健人を含めた全員に全容が共有された。


 これまでの二つの拠点内部の様子から、鍵を掛けられたゲートが正面玄関の奥にも複数設置されていることが確実視されていた。従って、健人とその護衛たちは顔認証が必要なゲートを突破するために拠点の最奥部まで進む必要があった。

 侵入する数十人は健人を含む数人を中心に、先行しつつ経路の安全を確保するグループ、後ろで緊急時の退路を確保するグループに分けられ、施設内で信者と遭遇してしまった場合には敵側に情報が共有されるのを防ぐため即座に無力化措置をとることが確認された。無力化措置とは何か、と近くにいた隊員に聞けば、それはどうやら意識を落とすことを指すらしく、そのプロセスには首を絞め落とすという比較的「穏当」なものもあれば殴打など暴力に訴えるもの、果ては口外できないような手段もあるのだという。我々はその中から適切な方法を選んで確実に目標を達成するための訓練を受けているのです、と静かな声で答えは締めくくられ、健人は軽く身震いした。

 次いで内部構造を予想した3Dデータが共有され、健人は「侵入経路を頭に叩き込め」という上官らしき人間の指示に従って、赤く表示された一本の線が辿る道筋をしっかりと記憶した。



 そして今一度の待機指示のために暗闇の中で息を潜め続け時間感覚を失いかけた頃、ついにゴーサインが降りた。


「行きましょう。お伝えしたとおり我々の指示に従って、我々が歩いたところだけを選んで付いてきてください」


 ARゴーグルを装着した隊員は監視カメラの撮影範囲など警戒すべき場所を完璧に理解して健人を誘導し、健人も焦らずそれに合わせて歩を進める。


 やがて何度も遠回りを繰り返した後に、健人たちは研究所の正面玄関に辿り着いた。

 近くに人間の存在がないことが厳重に確認された後にどうしても回避できない監視カメラへの工作が行われ、そして満を持して健人に小さく声がかかった。


「相田さん、よろしくお願いします」

「……はい」


 健人はエントランスホールの中心に向かって歩を進めた。すぐに人影に反応して駆動音が響き始め、銀色の機械が顔を出した。


 もしもこの機械が健人のことを忘れていたとき、作戦の大前提は崩れ去る。そうなった場合には、隊員たちは速やかに次善策として破壊工作に着手し施設内を強襲する手筈となっていた。その場合には当然激しい抵抗が予測されるため、健人は速やかに離脱するということも決まっていた。

 しかし、それでは勲は救われないし、ともすれば三たび大勢の人々の命が奪われるという最悪の事態の引き金となってしまう。


 健人は体の震えを押さえつけるために、意識的に大きく息を吐いた。

 勲が自らに全てを託したことを疑う訳ではなかったが、それでも、この一瞬に懸かるものの大きさが、健人に大きな緊張を抱かせていた。


 健人の顔に向かってセンサー付きのアームが突き出され、そして顔をなめ回すようにしてデータを取得して、ゆっくりと離れて行った。

 扉が開き、中から白い光がこぼれ出した。


「扉の解錠に成功。プランA継続」


 胸をなで下ろす健人の背後で部隊を指揮する上官がオペレーターに伝達し、それを合図に隊員たちは数人ごとの組となって続々と研究所の内部へ足を踏み入れていった。健人も肩を叩かれたのをきっかけに護衛の隊員について扉をくぐり、そしてあらかじめ定められた侵入経路を辿るために左右に伸びる廊下の左向きに進路をとった。

 メンテナンス区画は右に曲がった先にあった。つまり、この先は健人の知らないエリアとなる。


 先行する部隊のクリアランスは非常に速やかで、健人が立ち止まる時間は殆どなかった。

やがて鍵のかかった扉が現れたために健人が呼ばれ、最初と同じような経緯を辿って扉が開かれた。

 事前調査の精度が高かったのか、それとも運が巡ってきているのか、未だに信者と鉢合わせるという事態には陥っていないようで、戦闘音は一切響いてこず、そのため息を潜めて歩を進める自分の心臓の鼓動が最も強く健人の耳に響いていた。

 


 階段を降りて地下に入った先で、再び先行部隊から健人に呼び出しがかかった。

 既に侵入経路の最終端に近い場所にいたこともあり、今から開ける扉がこの施設の最重要区画に近い場所にあることは殆ど確実と思われた。


 護衛の数人を伴い、足音を立てないように冷たい空気に満ちた廊下を進む。

 角を一つ曲がった先に、問題の扉があった。扉の前に広がる空間に散開した隊員たちは、既にそれぞれの武器をその手に構えていた。比較的に高い天井がこの先に大きな空間が存在することを暗示していた。そこに、きっと何か解放事件に関わる重要なものが置かれているはずで、そしてギデオンの右手の信者も集中しているのだろう。

 

「扉の開放を確認したら、即座にこの場から離脱し、護衛班の下に戻るように。復唱して」


 武器を構えた隊員が小声で健人に告げた。軍隊風の命令ではあったが、健人が余所者であることに配慮したのか、柔らかな口調だった。



「扉の開放を確認したら、即座にこの場を離脱し、護衛班の下に戻ります」

「素晴らしい」


 ARゴーグルやマスクによって覆われた顔面の中で唯一外部に垣間見える頬だけで隊員は称賛を示し、そして銃の引き金を保持していた右手の指を外して健人に扉に向かうよう指示を出した。


 センサー付きのアームが反応しないようやや扉から距離をとって並ぶ隊員たちの間を抜けて、健人は最後の扉を視界いっぱいに見上げるところまで進んだ。


 人間の存在を検知して、三度目になる顔面走査が始まった。

 目の前でカメラやセンサーがせわしなく動き回り、健人の顔の静脈分布、虹彩、骨格、目鼻の配置をデータベースにある全てのデータと照合する。


 そして、アームが動きを一瞬止め、顔の認識を完了して引き下がった。扉を駆動するモーターに電気が通り、ゆっくりとした動きで鈍い音を立てる。


 健人は僅かな隙間が両開きの扉の間に生まれたのを確認して、自分の役目が果たされたのを理解し、指示通り護衛班の下に戻ろうと振り返った。


 その時、健人の耳は確かな空気の振動を捉えた。

 無数の周波数の重ね合わせの意味を、電脳はすぐに正しく解釈した。

 

「クローン装置を動かすには時間がかかる、まだ準備が終わってないと何度言えば分かるんだ!」


 勲の声だった。

 何者かに向けて、彼は苛立ちを隠すことなく叫んでいる。


 健人は思わず立ちすくんだ。

 勲が語気を荒げるような場面を、健人は生まれてから見たことがない。

 

 勲を巡って何らかの緊急事態が起こっている、と結論づけるのが自然だった。


 健人が動けずにいる間も扉は開き続ける。

 その先に立つ大きな筒状の水槽がハッキリと確認できるようになってきた。未だ、勲を始めとする人間の姿は見えない。


「早くやれと言ってんだよクソ野郎! すぐここも割れるに決まってんだ、急ぎやがれ!」


 勲が言い争う相手の声も聞こえてきて、その態度に健人は本気で歯ぎしりした。

 状況を察することはできた。おそらく勲はギデオンの中心かそれに近い所にいる人物と、計画の進行を巡って言い争っている。

 そして、もし健人の常識的理解が正しければ、勲は僅かにでもそれを遅らせようとしている。



 ついに人一人分程度の隙間が生まれ、十数人の特殊部隊員たちが風のように通り抜けていった。

「それではまともに動かない! デリケートなんだ!」

「今更デリケートだと!? そもそも死人の数は計画の何割なんだよ、全部お前のミスからだろうが!」

「そ、想定外は科学に付き物だ!」

「良いから早くしろって言ってんだよ! お前ももうグルなんだ、サツにしょっ引かれれば終いなんだぞ!」


 健人は後方に下がれという指示があったことを忘れ、ただ二人の言い争いを聞き取ることに集中した。


 健人は確信した。

 勲は、ギデオンの右手の破滅的思想に染まってなどいない。


 もうすぐ助けが来るから、あと少しだけ、本当にあと少しだけで良い、粘ってくれ。

 

「無理な物は無理だとっ」

「うるせえんだよぉ!」


 勲の発言を野太い声が遮った。

 直後、乾いた破裂音が鳴り響いた。


「ぐ、ああっ、があああぁぁ!」


 勲の酷く歪んだ悲鳴がそれに続いた。

「っ!!」


 血の気が引く思いがした。

 撃たれたのだ。

 たった今、目と鼻の先で。


「脳クローンを実行しろッ、今、すぐにだ! 次は頭をブチ抜くぞ!」


 制圧はまだなのか。

 今すぐにでも片をつけなければ、また大量の犠牲者が出てしまう。

 今すぐにこの蛮行を止めなければ、勲が殺されてしまう。


「わ、わが、たっ、実行する、するから! 許してくれ!」 

「手間取らせやがって!」


 激烈な痛みを押し殺しているのがあまりにも克明に滲む勲の降伏宣言にいてもたってもいられず、健人は己が無力であることを知りながらも、完全に開け放たれた扉の先に足を踏み入れた。しかし、数え切れないほどの水槽が規則的に並んだ広い空間はまるで合わせ鏡でできた迷宮のようで、その中のどこに何があるのかとても分かった物ではなかった。

 

 その時、無数の銃声が広大な空間に鳴り響いて反響した。すぐに止まったかと思えば、数秒の後に再び雷のような轟音が健人の耳をつんざいた。健人の立つ場所からほど近くにあった水槽が流れ弾に当たったのか、勢いよく水が噴き出した。慌てて健人は身を屈めることとなった。

 銃声が断続的に鳴っては止み、鳴っては止みを繰り返しているのは、銃撃戦が繰り広げられていることの証左だった。そして、一度戦闘が始まってしまえば、対テロ制圧戦のプロフェッショナルに対して素人に毛が生えた程度の人間たちが勝てる道理はなかった。

「クソが、クソが、クソが、どれもこれもッ!」

「確保!」

 やがて銃声は完全に聞こえなくなり、金属や樹脂のぶつかり合うガチャガチャという音が優勢になった。


 健人は身を隠した水槽の影で、大きく息を吐いた。

 警察の制圧作戦は辛うじて間に合ったのだ。

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