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機械と愛と烏  作者: 諭吉
一章
3/45

花菜

《地球上の生命量には上限があり、我々はいくつかの地域において既にその上限に達してしまったようだ》


 この衝撃的な結論が人類にもたらされたのは、21世紀の半ば頃の事であった。当時、それまで加速度的に人口増加が続いていたアフリカやアジアの一部の地域において人間やペット、野生動物などに原因不明の変死が相次いでいることが世界的なトピックとなっており、各分野の研究者達は対応策を講ずるべく必死に調査を続けていた。変死の被害を受けていたのが主に老人や衰弱した動物たちであったこともあって、調査初期は新種の病気が同時多発的に流行した物と疑われたが、無限に生産される死体をいくら調べても共通のウイルスも細菌も症状も発見されなかった。

 変死現象がアジア・アフリカ各地で確認されるようになってから十年、人口推移の折れ線グラフが完全に横一直線となって久しかった頃、今度はアメリカ西海岸でも同様の大量変死が発生し始めた。住環境も衛生環境も高水準であった高級住宅街に住む人々からも被害が出たことから、この現象が単なる病気に由来するものではないというのが通説となった。


 ローテンス=ケベネス・レポートが大きな波紋と共に発表されたのはその五年後だった。論文の通称にその名を冠する二人の研究者は、変死の相次いでいたあるアフリカの国に秘密裏に巨大な施設を建設し、その中で猫を十万匹単位で大量に繁殖させ現地人口の推移との相関を調べるという実験を行なった。結果、猫の個体数と人口は強い負の相関を示した。


《猫と人間の個体数は常にある一定のバランスをとるように何らかの基準の下で調整されている。我々はこれを説明する理論として、生命量の上限という説を提唱する。地球はいくつかのブロックに区切られており、それぞれのブロック内に存在できる生物の総量には上限が設定されている。近年の急速な人間の個体数の増加によりその上限に達したブロックにおいては、生命量が上限値を上回らないように出生に対して常にイーブンな数の死が発生している》


 それは、横一直線となっていた人口推移グラフの形状から世界各地でまことしやかに囁かれていた説の一つを裏付けるものであった。実験対象にされた国家の激しい反発やそれに追従した世界各国の非難によってローテンスとケベネスは表舞台を去ることとなったが、しかし得られたデータの精度には非の打ち所がなく、人々は彼らの説を承服するに至った。


 その後、同様の現象がアメリカ南部とブラジル東部で発生するようになったタイミングで、世界の指導者達はある決断を下した。世界人口の平均化であった。超国家間での身を切るような様々な取引を乗り越えた先に一滴の血を流すことなく達成されたその合意によって、生命量の上限に達していないブロックの国は上限に達した国からの移民を大量に受け入れることとなった。


 それは超少子高齢化と労働人口の不足に喘いでいた日本にとって、大きすぎる爆弾でもあり、福音でもあった。治安の大幅な悪化を代償に多くの人件費の安い労働者を受け入れたことや国内市場が大きく拡大したことによって産業は息を吹き返したが、人口が一億三千万人を少し超えたところで変死現象が確認されるようになった。その時をもって日本国は移民の受け入れを停止し、同時に国内に出産管理法や動物愛護管理法改正法などの新法を施行した。


 それまで、20世紀中に形成されたシステムの中で半世紀以上現状維持という名のゆっくりとした衰退を続けていた日本社会は、その姿を大きく変えることになった。まず、子供の出産は国の許可無しに行なってはならず、動物の飼育には例外なく国家資格と厳格な管理が必要となった。そのため、ペットを飼うという文化は一瞬にして廃れ、食肉の生産は大幅に下落し、万が一の事故が起こった場合に甚大な社会的・金銭的ダメージを伴う行為になった性交渉は忌避される対象となった。十年という人類の歴史上類を見ない程の短い期間で多民族国家への階段を登り切った事で、有史以来の(ほぼ)単一民族国家であった従来の日本の社会システムには様々な障害が生じた。そのため、多言語対応の教育や公共サービス、宗教戒律に対応するための受け皿が各所で軋轢を生みつつも徐々に浸透していった。


 何よりも大きな変化は、人々の死に対する意識の変化であった。日本国を含んだブロックにおける生命量上限の到達と同時期に、一部の人々が何らかのビジョンを捉えるようになったのがそのきっかけだった。睡眠時に夢として現れることも、突然に目前に浮かび上がることもあったそのビジョンは、大抵何らかの生物の幼体の姿をとっていた。それを見る者は老人が殆どであったが、ごく僅かに若者からも同様の現象が報告された。


 始めは集団幻覚の一種であるかと考えられていたが、じきにそのビジョンを見たと訴えた人間の殆どがそれから一年も経たないうちに死亡している事が明らかとなった。日本でのみ確認されたこのビジョンを捉えるという現象について理にかなった説明のできる者はいなかったが、人々はこれを「輪廻転生の証明」であると捉えるようになった。曰く、『知らせ』として見た生物に我々は生まれ変わるのだ、と。


 死後の世界について納得感のある説明が付いた事や突然の死に怯えなくてもいいという安心感は、移民受け入れ以降荒れ果てていた治安を安定化するのに大きな役目を果たした。そして、日本各地に存在した老人ホームを発展解消する形で『知らせ』を見た人々を収容する終の住処を建設したことで、日本に於ける社会の動乱はひとまずの着地をみたのだった。










 最近引っ越したマンションには生体認証式のオートロックが付いていて、以前の安アパートの時のように物理キーを持ち歩く必要がなくなったのは非常にありがたいことだった。

 

「ただいま」

「おかえりなさい、今丁度煮えたところ」


 玄関を抜けて声を放ると、明瞭でよく響く声が返ってきた。おそらくキッチンにいるのだろう、家の中はさっき嗅いだ肉の香りにも引けを取らない、心が躍るような匂いで一杯だった。


「お、鶏鍋かい?」

「そう、今日スーパーで買い物したら懸賞にあたって、本物の鶏で取ったお出汁がもらえちゃって」

「それはすごいな、一等とか二等とかそんなやつだろ」

 鞄をリビングの片隅にあるポールハンガーに引っかけ、鍋を持って出てきた花菜の額に軽いキスを落とす。スレンダーな体の花菜は危ないな、とやんわり指摘したが、二つの明るい茶色をした目は愉快げに細められていた。彼女の祖母の一人は南米からの移民であり、その血は花菜のやや彫りの深い顔のつくりと目の色に最も強く表われていた。

「こんな料理を頂くなんて何年ぶりだろうなぁ。たまに肉を食べることはあってもすぐ焼いてしまうし、僕たち出汁取ってあーだこーだみたいなことしないからね」

「そうだね、焼かないともったいない気がする」


 冷めないうちに食べてしまおうということで、二人は鍋の載った机を挟んで席に着いた。

「いただきます」

「いただきます……うん、いいね。合成じゃあ感じられない温みがある」

 光の当たり方によっては金色にも光って見える鶏鍋のスープには、少し口に運んだだけで二人を笑顔にする力があった。逸る気持ちに逆らわないままに二口目を、今度は煮込まれた野菜と一緒に口に運ぶ。

「普通に買ったら合成スープの十倍じゃあ下らない値段するし。ちゃんと灰汁も取れてていい感じにできたと思う」

「それはまた、手を掛けたね。んー、本当に美味しい。もう白菜だけでご飯が食べられそうだ」

「頑張ったよ。こんないい食材を無駄にする訳にもいかないから。味覚センサー的にはどんな数字が出てくるの?」

 健人は神経回路に加えられた刺激を数値化して以前のデータと比較した。

「あー、しょっぱさと苦みと旨みが合成のものより強く出てると思うかな」

「苦いの?全然そんな気はしないけど」

「いや、僕もよくわかんない。雑味ってやつなんじゃない?」

「……おいしいからいっか」

「そうだね」


 それから少し無言の時間があって、食器の触れ合う音とテレビから流れる芸能人たちの笑い声が二人の代わりを務めた。





 相田健人と中沢花菜が実質的な同棲を始めたのは二人が高校を卒業してから三年後のことだった。同じ東京の公立高校からたまたま同じ地方大学に進学した二人はたまたま同じ学部に進んだものの、大学生としての最初の一年間は少し距離感を保ってそれぞれ過ごしていた。

 サークル内での人間関係のもつれから、花菜が対人恐怖症に罹って家から出られなくなったのが二年生の夏のことだった。大学が東京から遠かったこともあり実家からの支援は十分ではなく、彼女は大学の退学を真剣に検討することになった。そんな折に、彼女のために身を尽くし心の傷を癒やそうとしたのが健人だった。花菜にとっては、高校の三年間で既に親密な(あるいは、それ以上の)関係を築いていた健人を受け入れるというのは、時間こそかかったが難しいことではなかった。始めの頃はチャットを返すことすら億劫だった花菜は、健人が彼女のケアを始めて数ヶ月が経つ頃には近くに健人がいるのであればという条件付きながら大学の授業に出席できるようになり、用がなくとも二人でいつまでも続く話をするようにすらなった。

 そんな二人の関係性が恋愛感情に発展するのは、とても自然なことだった。花菜は健人が決して人を不幸にしようとはしないことをよく知っていたし、健人は花菜が自分のことを他の誰よりも信頼してくれているのを深いところで感じ取っていた。


 そして何よりも、花菜は健人が機械生命体であることを知って、その感情が自然な発露ではない可能性を認識した上で、彼のことを愛していた。健人が最初に花菜のことを助けたのは、全ての人の幸せを至上命題としてこの世に生を受けた自分の本懐を果たす必要があると感じたからにすぎない。悲観的な捉え方をするならば、特別に花菜のことを助けようとしたのではなく、与えられた行動原理に従って自分のよく知った人物が苦しんでいるのを見過ごさないという判断を下しただけだと言える。それでも、花菜は感謝の念を一時も忘れることはなかったし、花菜自身の心は健人をその内面を含めて抱擁すべき相手として意識していた。それは健人にとって大きな心の支えであった。




「お酒取ってくる」

「ありがと」

 鶏鍋のスープに突っ込んだ〆のラーメンがゆであがった頃、丁度点けていたテレビの番組がCMに入ったのを見計らって、健人はキッチンに向かった。腹を割って話すことには何の抵抗もないが、会話によって感情を育て、ある種の形に削りとって二人で共有するには、やはり酒の助けが必要だった。


 半年前にボーナスを使って手に入れたまだ真新しいワインセラーを眺め、今日の鑿となる銘柄を決める。目についた甘口の日本酒を手に取って、その味を口の中で思い出しながらリビングに戻る。テーブルの上には取り分けられたラーメンとグラスが一つずつ、それぞれの席の前に配されていた。

「今日は日本酒の気分?」

「ワインは週末に取っておこうかなって。いいやつだしね」

「そう。伸びないうちにラーメンもどうぞ」

「いただきます」


 平日の夜十一時、酩酊に身を任せるにはうってつけの時間だ。



「今日は何か面白いことあった?」


 飲み始め特有の若干の静寂を破るため当たり障りのない質問から始めると、花菜はグラスを利き手ではない左手で弄りながら答えた。


「んー、面白くはないけれど、最近話してた仮想サーバトラブルのあれこれで同僚が一人高松に向かわされることになったって話くらいかな。今頃新宿から夜行バスに乗ってる頃だと思う。クライアントの話を聞いてる限りだと多分向こうの管理ミスなんだけど、ちゃんと診れる人に来て欲しいって」

「うわ、夜行バスってことは明日着いてそのまま仕事して帰ってくる感じか」

「そう。男の人だから体力はあるだろうけど、流石に同情ものだなって」

「物理的な障害って訳じゃないのに現地まで行かなきゃいけないってのも大変だ」

「ね。人が来ると安心するのはわかるけど、なんていうか、前時代的。こういうことを避けられるはずの業界なんだけどね、私達のところって」

「IT系だろうがなんだろうが、人がいるってことで得られる安心が価値を持つのはずっとこれからも変わらないんだろうなぁ」

「かもねー。ずっと在宅でいい私が言えた立場じゃないかもしれないけど。ああ、人の姿って意味では、健人も元々そういう感じで作られたんじゃない?」

「?」


 投げかけられた質問の意図をつかみ損ねた健人は首をかしげた。それを認識した花菜は少し目を閉じて考えを巡らせ、そして表現を探し当てたのか軽く眉を動かした。


「メカメカしいロボットよりも人の姿とか人の考えとか持ってる方が安心できて親しみやすいなんて、大昔から変わらないロボット設計の基本みたいなものだと思うの。アンドロイドなんてその究極系みたいなものでしょう?」

「なるほど、そういう話か。確かに、間違ってないかも。親父も母さんも変人みたいなところの多い人なんだと思うけど、その辺の基本は押さえてたんだろうね」

「きっとね」

「それなら今僕はある意味天職に就いてるのかもなぁ。終の住処の職員って要するに人に安心感を与える仕事な訳だからさ」

「そうね、そのために生まれたのかも。私が死ぬときもよろしくね」

「いいけど、先に死んで見送ってもらうってのはだめ?」

「そしたら私が死ぬときに人生とはー、みたいに健人に語れなくなるけど?知りたいんじゃないの?」

「それは僕が死ぬときにしてくれたっていいじゃんか」

「んー、生きてる内はけんとの腕の中に居たいかな」

「じゃあ一緒に死ぬかい」

「いいね、平和」


 なかなか浮ついた言い回しだった。花菜の頬はまだ染まってはいないが、既に酔いが回っているのかもしれない。ひょっとしたら、自分も。

 健人は花菜の掲げたグラスに自分のそれを重ね、中身を呷った。


「でもさ、たまに考えることがあるんだ。もしも僕がこういう風に人間の姿をしてなかったら、自分が生きているのかって悩む必要はなかったんじゃないかなって」

「確かに。いくら考えることができても、見た目が機械だったら自分が機械だって受け入れてしまうんじゃないか、ってことだよね」

「そう。一応人間の肉体を持ってるから人間なんじゃないかってまだ信じられるけど、これはこれで苦しいからさ。ひょっとしたら「ボクハ ヒトガタロボットノ ケント」って連呼してる方が精神的には楽かも」

「なーにそれ、20世紀のマンガみたい」

「ヨロシクネ、ハナチャン」

「やめてやめて、笑ってお酒こぼしちゃう」


 その後に少しだけ続いた健人のロボットダンスのようなぎこちない動きにひとしきり笑い転げてから、花菜は両手を頭上に掲げて伸びをした。


「でもさ、私を助けてくれた健人がそんな風だったら、私はロボットに恋する女の子になってたってことでしょう。むしろ恋ってよりは愛玩ロボットと触れ合うみたいな感じになるかも」

「愛玩ロボットは流石に嫌だな……いや、むしろそれはそれでアリか?」

「え、アリなの」

「何も考えずに「ナデテー」って言えるじゃんか」

「……酔ってる?」

「ナデテー」

「えぇ……いいけど。ほら、おいで」

「ワーイ」


 健人は花菜の膝に頭を預け、太ももの柔らかさとそっと伸ばされた彼女の手の温かさを満喫する。愛玩ロボットらしく手に頬をこすりつけるふりをしたら花菜に引かれてしまったので、顔をゆったりとしたカーディガンの裾にうずめる。


 ふと、花菜が息を細く吸った。


「私は貴方が今の悩む貴方で居てくれて本当に良かったと思う」


 椅子に座る花菜のへその前で解れきっているという何とも締まりの付かない状態で、健人は首だけを彼女の顔に向けた。


「さっきはロボットに恋するとか言ったけどね、結局悩んでるってのが健人の一番人間くさいところでさ。それを知っていたからこそ、私は貴方が助けに来てくれたときに差し出された手を握る勇気を持てたんだって思ってる」

「そっか」

「そう。だから悩み続けてください」

「酷いこと言うなあ……頑張るけどさ」

「大丈夫よ、私はずっとここに居るから」

「……ありがとう」

「それはそうとして、そろそろ離れてくださいますか」

「酔ってないなんてひどいや」

「健人が酔いすぎ」

「ごめんって」


 そうして二人は別々の椅子に戻り、しばらくして夕餉の後片付けが始まった。引っ越しの際に物件選びのポイントとしていた広いキッチンには、二人が立っていても窮屈でない程の空間があった。


 冷凍庫に余った白米を仕舞いながら、花菜は皿を洗う健人に尋ねた。


「ひょっとしたらさ、あれも健人のお父さんとお母さんの狙い通りだったりするんじゃない?」

「あのことって?」

「自分が生きてるのかどうかで悩んでること」

「んー。親父に言わせてみれば「それはお前を作った目的の一部に過ぎないんだよ」みたいなことになりそう。結局あの人の中にあるものを全部見たような気はしないや」


「確かに」と勲の人となりを知る花菜が応じた。


「まだ音信不通なの?」

「そうだね、ちょくちょく通信は試してるけど返事はこない」

「もう三年くらいじゃない?」

「うん。いつになったら気が済むんだろうな。向こうはモニタリングシステムへのアクセス権限を持ってるからその気になればこっちの場所くらいすぐに分かるのにさ、不公平だよ」

「帰ってきたときには健人に弟か妹が出来てたりしてね」

「まさか。母さんが亡くなった後もずっと一途でいたんだ、新しいパートナーとくっつくなんて万に一つもありやしないよ」

「ま、そうかもね」

 

 

 色のくすんでしまった出汁を捨てた時には、既に時計は一時に近い時刻を指していた。



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