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機械と愛と烏  作者: 諭吉
三章
29/45

強さ

 ただ真面目で誠実なだけだと思い込んでいた義理の息子が目を潤ませながら空想じみたことを語るのを、神路は年甲斐もなく間抜けに口をぽかりと開けて眺めていた。健人が話し終えたことで神路は脳を揺さぶった衝撃を処理する必要に迫られ、思わず天を仰いだ。


 遠藤との短い会話の後、健人は花菜を連れて部屋を出て行った。誰もが呆気にとられた表情で一部始終を眺めて、そして扉の閉まる鈍く腹の底に響く音が何人かを正気に引き戻した。


 筆記官の判断によってか、スクリーンにはつい先ほどの健人の発言の文字起こしが辛うじて読み取れる大きさの字で映し出されていた。


「あの主張に対して明白な矛盾を指摘できる者はいるか」


 遠藤の投げかけに応じてぽつりぽつりと上がった声のそれぞれについて短い論戦が交わされ、すぐに沈静化するという流れが何度か繰り返された。


 神路はその間、ひたすらに考えた。もしこの案を却下するなら、一体どれほどの説得力を持つ論理が必要となるのだろうか。もしこの案を却下した後、我々には一体いかなる策が残るのだろうか。この案を採択するのにあたっての障害は何だろうか。どうしたらこの案を受け入れさせられるだろうか。

 健人の主張が間違っているとはどうしても思えなかった。思いたくなかった、という方が正しいかもしれない。解放事件の完全解決という言葉の響きはとても甘美で、遠藤が主導する議論の中でいくつか挙がった疑問点がすぐに解かれていくのもまた誘因力を上げる要因となっていた。それが自らの身を可愛がる故の思い込みであるとしても、神路は自分の娘が繋いだ縁を信じてみることに十分な価値を感じていた。

 何より、目と鼻の先に全ての人々が望む未来があるという事実が、正義を信じる神路の心に強く働きかけていた。

 いつしか刑事たちの顔に疲労の色が強く浮かび上がってきた頃、神路は自らの信念に従うことを決意した。今なら反対も大きくはならないだろうという打算もあった。


「強制捜査を行うことに、何の問題があるでしょうか」


 そう言って、神路は敢えて遠藤を無視し、隣に座る本部長の方に体を向けた。


「既に東京都武蔵村山市、石川県加賀市の二地点について非常に確度の高い情報を得ている。どうせまた調べれば建設過程に何らかの不審点が見つかるはずでしょう、それを根拠に令状を引っ張ってくるところまでこれまでの二つの捜査と一切の相違はない。唯一変わるとすれば今回は信者たちの身柄確保が現実的にあり得ることくらいだ。最早我々には迷うことすら必要なく、進むか手を引くかの二つしかあり得ないという現状にあって、何故健人君の意見を棄却するための議論に時間を割くのです。放っておけばまた人が死ぬ。手を打たねばギデオンはいつか全人口の半分を消去するとでも言い出すやもしれない。我々は前に進むべきだ。できない理由をいくつ探す暇があるなら、その時間でここに生まれた奇跡の一手を実現させる手段をひねり出すのが我々が官憲になった意義であり、我々の存在理由であるべきだ。違いますか」


 神路は己と、そして志を同じくする全ての人間を奮い立たせるための言葉を紡ぎ出した。若手の刑事たちは強く唇を結び拳を握り、歳を食った者達も覚悟を決めた表情を浮かべるようになった。


 神路が見つめる先に座り目を閉じる一人の男もまた、正義を信じる人物だと神路は知っていた。

 

「……私も同意見だ。ああ、全くの同意見だとも」


 果たして、彼が口にしたのは、この国の歴史を一つ先に進めるという意思表示であった。

 場に熱が満ちた、と神路は思った。


「警視庁警備部とのコミュニケーションを確立してくれ。捜査準備だ。目標はギデオンの右手構成員の身柄確保、並びに第二次解放事件第三フェーズ以後の阻止。相田健人を護衛しながらの制圧が条件となるだろう」


 続けて本部長が発した指示を鶴の一声として、各人が一斉に動き出した。

 神路も自分の管轄である捜査一課の指揮を執るべく立ち上がった。



 遠藤だけが、椅子に深く腰掛けた姿勢のまま動かなかった。

 








「現地の様子は」

「全部隊の配置が既に完了しています。スクリーニングUAVも全機健在です」


 時刻は夜の零時を少し回った頃。

 警視庁SATと応援要請を受けた神奈川県警・千葉県警SATの精鋭たちは各種装備を展開し、闇夜に紛れて東京都武蔵村山市に位置するギデオン第三の拠点を包囲していた。UAVがリアルタイムで探査し続ける内部の熱源分布からは、十と少しの人間の存在が予想されていた。警察が現地探査を始めた午後九時の時点からこれまでの間にこれらの熱源が施設の中から出ていく様子はなく、それによって全ての人間は解放事件の容疑者、つまりテロリストとみなされることが決定された。言い換えれば、一定以上の抵抗が確認された際には銃火器を用いて、生死を問わず迅速に制圧することが認められた。

 既に超音波探査と熱源の移動経路の分析から施設の内部構造については確度の高い推定がなされており、その結果は3Dマップとして捜査本部にも共有されていた。ホログラム上に赤く浮かび上がった予想侵入経路から全ての熱源が外れたとき、つまり敵の警戒網に穴が空いたとき、1996年の創設より一世紀半を数えるSATの歴史上初めての三部隊編成による制圧任務が開始されることになる。


「失敗は断じて許されない」

「承知しています」


 今更確認するまでもない言葉が思わず口をついて出たことによって、神路は自らの緊張を再認識した。当然だ、というように返す機動隊員の顔を直視できず、神路は強く拳を握り込んだ。

 神路にとっての人生で最も長く感じた一日とは、十五年前、自らの主導で連続銀行強盗グループを一斉検挙して根絶した日であった。緊張と不安、武者震いと呼べるような攻撃性の高まりの漏出、それらの複雑な感情が神路の精神に作用し、作戦の号砲となった犯人グループ間の秘匿回線の制圧からの一分が、比喩でなく本当に一時間に感じられた。

 それがたった一週間ほど前に第二次解放事件の勃発と共に過去のものとなって、そしてその記録が今日再び破られようとしていることを、彼の積み重ねてきた経験と、理性と、本能の全てが感じ取っていた。

 

 神路は健人のことを思い浮かべた。


 心の病に苦しむたった一人の可愛い娘を手籠めにした男が現れたと知った当時、神路は世の中の父親と呼ばれる人種の例に漏れない感情を抱いた。それは関係の良くなかった花菜から事態の推移を詳しくは伝え聞かせて貰えなかったが故の大きな勘違いであったことはすぐに判明したが、しかしそれでも一人の人間である神路には、健人という男をどこかで疎む感情が残った。

 それでも、時が進みいくつもの交流を重ねるにつれ、神路は娘と自らの関係を取り持とうとすらしてくれる健人に、いつしか架空の息子の姿を見るようになっていった。常に穏やかな空気を纏い、娘の笑顔を絶やさせない健人という人間を、神路は家族の一部を構成するに値すると認めることができたのだった。


 それがつい半日前になって、健人は自らの理解できる範囲から外れた存在であるのかもしれない、という理解に置き換わった。

 健人が彼自身の語りでもって刑事たちのものだったはずの空間を掌握したあのとき。彼と歳で言えば三十も離れているというのに、溌剌とした表情から生まれる目線に圧されてしまった。何故このようなことが起こるのか、神路にはそれが恐れからの反応ではないということしか分からなかった。次いで彼からは自らの命を警察に預ける、とも取れる言葉が飛び出した。それからしばらくの待機を経て作戦の決行を伝えられたとき、健人は笑顔で頷き、「ありがとうございます」と言ってのけた。凶悪犯を相手取ることがほぼ確定していて、捜査に参加することは殆ど確実にその身に災いが降りかかることを意味すると分かった上で、尚健人はさも自らが責任を背負うことが当然であるかのように振る舞っていた。自らにその覚悟があるかと考えて、神路は苦い感情を答えとして得た。


「施設内熱源の配置移動を確認しました。突入決行の基準に合致します」


 一つだけ、神路に分かる部分が残されているとすれば、それは娘の感情だった。

 健人がSATの人間と共に警察庁庁舎を後にしたその時ですら、花菜は心の平穏を保っていた。それが彼女が抱く健人という人間への信頼の現れであることは明らかで、彼女は健人が絶対に己の心を傷つけないと信じているのがよくわかった。


 だから今、花菜の父として、神路は警察ではなく健人を信じて作戦の成功を祈っていた。そうさせるだけの人間としての強さの存在を、神路は健人の中に認めたのだった。


「――現地より、作戦の開始が通達されました」


 零時九分。


「……頼む」


 神路の呟きは宙に浮かび、溶けていった。


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