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機械と愛と烏  作者: 諭吉
三章
28/45

 一旦の休憩が宣言された正午を越えてなお続いた事情聴取は、椅子に座り疲れた花菜が音を上げかけたところで急展開を迎えた。

 一人の刑事がそっと立ち上がり部屋を出て行った後、すぐに急ぎ足で戻ってきたのがそのきっかけだった。彼が手にしたタブレットを刑事たち一人一人に見せて回った後、やおらに部屋は騒がしくなり、情報の取り扱いに関する話し合いがインカムを経由して行われたようだった。その議論がおそらく遠藤の主張によって結論に到達して、そして部外者である二人にも状況の共有が行われた。


「常総市の研究所の正面扉に、用途不明の電荷変動検知センサーが付属していることが確認されました。現地調査班の調査のみでは破壊工作への対応策として設計されたものだと結論づけるには至っていませんが、十分にその可能性はあるものと考えても良いだろう、という見解です」


 隣で花菜が息を飲む音が聞こえた。


 遠藤の口から告げられたのは、花菜が提案し神路が信じた説の説得力を一段階引き上げる、捜査のターニングポイントともなりうる現場検証の結果だった。


「当然この情報だけで相田勲が真犯人でないと決めつけることはできませんが、どうやらその可能性は少し高くなったと言うことができそうです」

「だから事件が解決するのか、と言うとそれはまた別の話だがね」


 横から神路が諫めるような発言をしたが、彼の口調が弾んでいるのが健人にはよく分かった。

 健人は義父が喜んでいるのをひとまずほっとした感情で眺め、そして目の前に浮上した新たな問題について思案を巡らせた。


 もしも破壊工作や施設侵入に対しての対抗策がギデオン側に用意されているとすれば、警察が解放事件を阻止するために取れる手立ては大きく制限されてしまう。先ほどは「突入されると勲自身が殺されてしまうから」という理由付けで勲のリークに込められた意図を読み解こうとしたが、これが「突入されると大量殺人の引き金が引かれてしまうから」という理由でない保証はどこにもないのだ。既に伝えた東京都と石川県の研究所にギデオンの拠点があるとしても、その中に踏み入ることができないのであれば、情報はただの宝の持ち腐れと成り果てるだろう。

 午前中にもやったように、今から策を考えるべきなのかもしれない。自分と花菜とが協力することで事態が進展するという実績が生まれたのだから、おそらく警察側も嫌な顔はしないだろう。

 だとすれば、情報がいる。


「もしも差し支えなければ、その写真を見せていただけますか?何かまた思いつくかもしれません」


 持ち込まれたタブレットを指さしながら聞くと、刑事たちはいくらか目配せし合って、最終的には全員が頷いた。他の資料も公開することを遠藤が提案し、それに殆どの人間が合意して、しばらく沈黙していたスクリーンに電源が入れられた。


 スクリーンの準備が進んでいく間に健人の前にタブレットが届いたので、健人は画素の一つまでをしっかりと目に焼き付けるようにそれを観察した。

 貸倉庫の裏側にある研究所の入り口を捉えた写真に、健人はふっと懐かしさを覚えた。当時とはやや様相が異なり、鬱蒼とした生け垣は綺麗に整えられ、散らかっていた地面は人の出入りがしやすいように片付けられていた。

 画角の中心にある扉は、警察による侵入時の工作の結果だろう、閉じられたまま綺麗に丸くくり抜かれていた。金属製の、決して薄くはない扉だったように記憶しているが、専門家たちにかかればその程度問題にはならないらしい。

 画面をスワイプし次の画像を表示する。それはどうやら室内側から扉を撮影したものだった。階段を何段か下った先から写すような画角となっているから、おそらく研究所の内部構造は健人が知っているものとあまり変わりないものなのだろう。次に出てきた問題のセンサーを写していると思しき写真については、注釈が手書きで相当数書き込まれていた。おびただしい量の注釈と先ほどの遠藤の発言から察するに、電気的な変動を検知する機器であるはずだが、扉の中から掘り出したらしく金属粉にまみれたそれは果たしてどのような機能を有していたのか、素人目には全くもって分からなかった。


 横から花菜がそれらをのぞき込んできた。


「東京の研究所とはなんか雰囲気が違う?」


 衆目の中で大きな声で話すことは躊躇われるのか、彼女は囁くように感想を述べた。

「そうかもね。津山のやつや常総のやつは生け垣とか森とかの中にあって、「隠そう」って意図を強く感じるかもしれない」

「確かに。東京のは普通に駐車場の前に堂々と入り口があったしね」


 不意にわざとらしい咳払いが聞こえてきたので、二人は反射的にそちらを向いた。

「東京の拠点について、花菜さんは何かをご存じなのですか?」


 遠藤が僅かな笑みをたたえて問うてきたので、花菜はおずおずと口を開いた。


「高校生の頃、私と健人はクラスメイトでした。ちょっとした用事で彼のことを家まで送らないといけなくなって、その時に研究所まで案内されたということがありました」

「何故研究所を案内されたのでしょうか」

「それは……何故そうなったかと言えば、ええとですね……」


 遠藤は核心部に一瞬で踏み込んできて、それで花菜は言葉に詰まった。真っ当に答えようとすれば、『秘密』に触れかねないところまで話題が及んでいる。

 花菜は悩む振りをして回答を組み立てる時間を稼いでいるようだった。


 健人は花菜が上手く合わせてくれることを祈りながら、彼女が稼いだ時間で脳内で組み立てた嘘を告げることにした。

「これは私が父にお願いしたからです。花菜には言わないでいたので彼女が知らないのは当然なのですが、当時、恥ずかしながら我が家はとても散らかっていまして。思春期の年頃だった私は同級生の女子にそんな家を見せる訳にはいかないと、父に研究所の一室を使わせてくれないかと頼み込んだんです」

「え、そうだったの?」

「実は」


 花菜は一瞬フリーズしたが、持ち前の胆力でうまく機転を利かせてくれた。果たして、遠藤は素直にその発言を受け入れたようで、

「その時の研究所の様子を覚えていらっしゃいますか?」

と別の質問を投げかけてきた。


「当時は別に奥深くの部屋まで見られた訳でもなくて、その上ずっと寝ていたような気がするので、あまり大したことは覚えていないです。すみません」

「いえ、小さなことでも構いませんから。何か覚えていることはありませんか?」

「……確か、まずは入り口のすぐ近くにある小部屋に通されました。その後飲食ができないとかの理由で、少し奥のまた別の小部屋に通されたはずです。それから先のことは、あまりよく分かりません。寝ていたんだと思います」

「研究所の内部の様子は記憶にありますか?」

「白かった、という印象はあります。壁が白くて、よく分からない装置が置かれていたりして、いかにも未来的だと思った記憶があります」

 花菜はゆっくりと記憶を辿るようにしながら話し続けるも、そこで申し訳なさそうな顔を浮かべ、軽く頭を下げた。単純に覚えていないというのと、これ以上聞かれて『秘密』に関するボロを出してしまう訳にはいかないというのと、おそらく両方の理由が彼女にそうさせている。

 遠藤は興味をなくしたのか、一瞬だけ目を閉じて、そして先ほどからスクリーンを待機状態に保っていた人物に手で合図を出した。すぐにスクリーンには何らかの映像のサムネイルが映し出された。ついさっき写真で見た丸い大穴の空いた扉が映っているから、常総市の拠点を撮影したものらしい。


 映像が再生されようとしたとき、花菜が「あ」と声を上げた。

「その、ひとつ思い出しました。研究所に入るときにものすごいスキャンをされました。機械がこう……何と言うか、顔の前に伸びてきて、それでなめ回すようにセンサーが動き回るんです。正直気持ち悪いものでした。こっちにはそのシステムはないみたいですね」

「そうですか」


 身振りを交えて彼女が語るのは、おそらく顔認証システムのことだろう。研究所への部外者の侵入を阻止するために、勲はそれなりのリソースを割いていた。東京の研究所で初めて導入されたそのシステムは世界に二つとないものらしく、誤検出の可能性は極めてゼロに近いものなのだと勲は鼻息荒く語っていたが、確かに精度の代わりに見た目の優しさというのは完全に切り捨てられていた。健人も引っ越してからしばらくの頃はメンテナンスのために研究所を訪れる度にぎょっとしたものだった。慣れてしまえば可愛いとすら思えたものだが、初めて体験した花菜がそれを苦い記憶として留めることとなったのも無理はないだろう。


 これと比べて津山や常総で使っていた暗証番号システムはとても簡易的なものだったが、今にして思えば安全性を立地の部分で確保できていたからこその簡易的な鍵だったのかもしれない。


 かつての勲の思考回路を想像しながら動画の再生を待とうとしたとき、健人は不意に強い懐かしさを覚えた。


「……あれ」


 未だにサムネイルの状態で止められたままの映像を凝視しその感情の源泉を探してみれば、見覚えのある二枚組の液晶画面が、おそらく動画の撮影者の接近に反応している様子がはっきりと映っているのがわかった。一方の液晶には数字の羅列が、もう一方の液晶には入力ダイアログが、それぞれ浮かび上がっている。

 健人は手元のタブレットに入った写真のうち扉を外から撮影したものを拡大表示しながら記憶を辿り、開扉装置の表面に付いた傷の分布から、それらが自らの知るものと完全に同一であることを確認した。ならば暗証番号はどうだ、と、浮かび上がっていた番号を読み取る。月の数だけ勲の誕生日で、日の数だけ自らの誕生日で割ってみれば、それは見事に割り切れて整数の解が求められた。

 もし暗号の解読方法が変わっていたとして、表示されている百桁以上になる数字がたまたま綺麗に609と426の累乗で割り切れるという事象の生起確率は、果たして一体どれほどのゼロの果てとなるのだろうか。従って、暗号は変わっていないと考えるのが自然だ。


 つまり、僕はあの扉の開け方を知っている。


 これは、もしかすると、大きな一歩になるかもしれない。


「少し良いですか?」

健人は即座に声を上げた。

「何でしょう」

「この画面でいう扉の少し右にある液晶画面に興味があります」


 遠藤の目線が鋭くなった。


「何故ですか?」

「これは扉を開けるための装置なのですが、私がここで暮らしていた当時のものから変わっていないように見えます」

「これはキーボックスなのですか」

「というよりも、鍵そのものです。上の画面の数字から暗証番号を解読して口にすれば扉が開くようになっているはずです」

 

 そこで健人は一度呼吸を整えた。逸る気持ちを鎮め、決定的な一言を刑事たちに放つ。

 

「もしも暗号解読方法が当時と変わっていなければ、私はこの扉を正当な方法で開くことができます」

「おお!」


 既に暗算をして確かめた後ですと言う訳にはいかず、健人の発言は一段階手前のものとなった。それでも刑事たちの反応がこれまでになく喜色を帯びていて、それで健人は彼らがこの希望的観測に自分と同じ感触を持って接してくれることを理解した。


「今すぐ現地に連絡だ。映像通信を繋げ」

 強面が部下に指示を送り、数分後に常総市の施設との直接通信が確立された。


 見るからに屈強な体を分厚い生地の服に包んだ男が複数人カメラの前に立つ状態で通信が始まった。送られてきたリアルタイムの映像には、健人がかつて親しんだ広い茨城の空が垣間見えた。


「問題の装置はこちらになります」


 ハンドカメラが目的物を捉えたのと同時に、既に健人から暗号解読方法を伝えられていた刑事たちは皆AIに文字列を解読させるなどして自前のパソコンやその他デバイスに数字を取り込み始めた。電脳も専用のツールも持たない彼らが計算を完了させるのには相当の時間がかかることは分かっていたから、健人はおとなしく計算結果が出るのを待った。

 やがて、

「421485です」

「同じく」

「ダメだ、小数になった」

 計算結果がぽつぽつと出そろい始め、何人かは小数表示の不適合な計算結果に辿り着いてしまったものの、大半の答えが一つの整数に収束した。その答えは健人の電脳がはじき出した模範解答と一致していたから、健人は頃合いを見計らって現地の捜査隊に指示を送った。

「421485と口に出して言ってください」


 通信の先から六桁の数字が聞こえてきた。

 果たして、無残に大穴を開けられた扉は、ギーギーと軋む音を立てながらゆっくりと動き始めた。


 その光景を見ていた全員が感嘆の声を漏らすのを尻目に、健人は自らの思考を展開していった。


「暗号が変わっておらず今も私が扉を開けることができるのは、父がそれを変えさせなかったからだと考えることができると思います。部外者が鍵の開け方を知っている状態をギデオンがよしとする訳がないでしょうから。これで問題のリークについて、合理的な説明をつけることができます。もしリークの中に鍵の開け方や私の名前が書かれていた場合、それが仮に父以外のギデオン信者の誰かに知られてしまえば、きっと父はいとも簡単に命を奪われ、そして扉の鍵も入れ替えられる。その時点で父が救われる可能性も、この解放事件が解決される可能性も、完全に絶たれてしまう。扉を開けられる私がこの場に自力で辿り着いて皆さんと全てを共有すると信じていたから、救いの手が差し伸べられると信じられたから、父はあの不思議なリークを書きあげられたのでしょう。父は全てをぼかしたリークを書いて、警察に拠点を少しずつ摘発させ、それに反応せざるを得なくなった私が警察とコンタクトをとるように誘導した。全ての謎に関して説明がつく論理だと思います」


 いつしか部屋中の人々は作業の手を止め、健人の言葉にただ聞き入るようになっていった。そうして静かになった世界の中で途切れることなく早口で語りながら、しかし健人は常に次の論理を脳内に組み立てることができた。希望に満ちた結末への道筋が暗かった闇の中に煌々ときらめいていて、それをただ単純に辿るだけで語るべきことは次から次に湧いて出た。健人は全てを語りきってしまいたいという欲求に逆らうことなく、たくさんのifの上に成立する、しかし一つの筋の通ったストーリーを、解放事件の完全解決への完璧な策を、その場にいた全員に示してしまうことを決意した。


「果たして、私は父の願いに応えて、ここにいる。皆さんがこれから捜査に入るであろう東京都と石川県の研究所に取り付けられた顔認証システムを、私は正面から突破できるはずです。つまり、私は警察の侵入作戦の手助けをすることができます。そして、中でギデオンの信者たちを一網打尽にすれば、解放事件は完全に解決する。今、私達の前には、この二十五年で初めて彼らに奇襲を仕掛けるまでのお膳立てが揃っているんです。これは父が私たちに託した、ギデオンの右手の壊滅作戦と言えるのではないでしょうか」


 言い切ってから初めて、健人は自分を満たす圧倒的な感情に気が付いた。


 隠された意図を読み解き切ったことでの達成感、ギデオンの右手に引導を渡しうる策の要となる役割を託された誇らしさ、父は悪人ではなかったのだという安堵、これから起こることへの期待、裏返しの一抹の不安、少し考えただけでこの感情を構成する一つ一つの成分については見当が付いた。それら自体は特段に特別な感情と呼べるものではなかったが、あまりの絶対量の大きさに熱気が全身の血管からにじみ出ているようだった。

 

 健人の方を眺めていた遠藤が椅子を引き直してふうと息を吐き、ちらと神路の座る方を一瞥した後に口を開いた。

「……素晴らしい論理と言うよりはむしろ、美しいストーリーだと思えるくらいですね。だが、我々は君の発言を全て鵜呑みにはできない。このことは十分分かって頂けますか」

「ええ。人の命がかかった場面ですから、それは当然です」


 間髪入れずに肯定すると、遠藤は小声で唸ってまた静かになった。

 タイピングの音すら消え去った部屋の中では、プロジェクタの冷却ファンがたてる僅かな音がまるで煩わしい蝉のごとくうるさく鳴り響いているかのように感じられた。


「我々に時間をいただけませんか」


 再び遠藤が沈黙を破った。


「我々のこれからの捜査方針を決定しなくてはなりません。時間がかかるかもしれませんが、許して頂けないでしょうか」


 相変わらず変化に乏しい彼の表情の中に、健人は僅かながらも色が浮かんでいるのを見てとった。それが何の感情であるのかは分からなかったが、少なくともそれが単純な喜悦ではないことは理解できた。

 どうも自分の与えた衝撃は冷静沈着に思えた遠藤すら思考の世界の中に追いやってしまったらしい。

 彼の申し出について考えを巡らせ、断る理由も思いつかなかったので、健人は小さく頷いた。


「勿論。ただ、待っている間に次が起きてはたまったものではないので、できるだけ早く結論を出していただけると良いかと思います」

「それは勿論承知しています」

「一つだけお伝えしておくと、私個人の希望として、研究所の鍵を開けるために捜査に同行したいと考えています。それによって私自身にどんなことが起こっても、警察の皆さんに責任は問いません」

「それは、命に関わる事態になっても、ということですか?」

「その意味でお伝えしています」

「……申し出に感謝します」

「いえ」


 健人は会話の切れ目を察知して、誘導を待たずに席を離れ、背後の扉を開けて花菜を手招きした。慌てて追従した彼女を連れて扉をくぐり、背後に蝶番の軋む音を聞きながら胸を張って歩き出した。

 

「健人」

「何?」


 隣を歩く花菜は、ほんの僅かだけ健人の顔を見上げ、毅然とした態度で告げた。


「もっと自分を大事にして」

「それは……」

「健人がやりたいことは応援するよ。でも、もしも作戦中に怪我したら、健人がそれを受け入れるとしても、私は絶対に怒るから。私達は一人で生きてるわけじゃない」


 健人は困ったような笑顔でそれに答えようとした。

「ごめん。でも、」

「いいの」


 花菜が遮った。


「皆を幸せにするためにはこうするしかない、んでしょ?私にもそれくらい分かってる。これはちょっとした我儘だから、心の片隅に留めといてくれればいいよ。健人が多少の怪我じゃ死なないのは知ってるし、きっと無事に帰ってくるって信じられないわけじゃないから」

「……ありがとう」

「それにね」

 不意に花菜が立ち止まった。


 健人は花菜の斜め前から振り返る格好となった。


「ん?」


 花菜は慣性の法則に従って揺れ動く健人の服の袖を捕まえ、力を込めて自らの方に引き寄せて、そっと耳元で瑞々しく空気を震わせた。

 

「格好よかったよ」


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