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機械と愛と烏  作者: 諭吉
三章
22/45

MemoryLog: 2179 07 13 -[5]

 またしばらく歩いていると、そのうちに車の行き交う大きな通りに出た。標識によれば、真っ直ぐ歩けば私鉄の駅に辿り着けるらしい。


「えっとさ、私合ってた? 誰にも言えない秘密ってことは病院にも行けないってこと、だよね?」


 それなりに音の飛び交う街路の中ならば会話に隠し事を織り交ぜることにも問題はないと判断したのか、花菜は小声で健人に問うた。


「最高だった。やばい、病院連れてかれる、って思ってたら中沢さんがばっちり助けてくれた感じ」

「そっか、よかったぁ……」

「ありがとう」


 安堵からであろう吐息に感謝を重ねると、彼女は首を振り、それよりさ、と尋ねるポーズをとった。


「骨のことはいいの?」


 言われて何度か患部と思しき箇所の近くをあちこち押し込んでみると、確かに背中の一点に熱を持っていてよく沈む場所があった。


「痛くないことは痛くないんだけど、確かに言われてみれば折れてるかも。違和感はちょっとあるのかな」


 そうやって答えると、花菜は健人の手が押さえていた場所をしげしげと眺めて呟いた。


「……本当に痛覚なくなってるんだ」

「ああ。まあね。あの台本通りだからさ」


 この身体から痛覚を消し去ったのは彼女自身であるのだが、当然彼女にはそれは信じがたいことであるだろう。


「どうしてそんなことができるの?」


 そして、その信じがたい現象が現実のものとなった今、彼女が健人の身体に対して興味を持つのは至極自然な流れであった。

 当然のように、この問いは計画を思いついた時点で既に想定されていて、答えるべき内容も決まっていた。


「僕が普通じゃないから、って答えで納得して欲しい。それ以上は言えない。本当は全部秘密にしないといけないんだ」


 健人はあらかじめ決めていた、「逃げ」の答えを口にした。

 健人の身体に詰め込まれた技術は健人一人の秘密ではない。健人とは、勲と立花が二人で作り上げた大事な作品なのだ。そして、勲は健人の身体にまつわる技術が他人の知るところになることを恐れている。


 いくら人の命を救うために一部を明らかにしたからといって、簡単に全てをひけらかすことは、あまりにも勲に対して申し訳なかった。



 花菜は数秒の間健人の顔をじっと見つめ、そこに何かを見いだそうとして、そして淡く笑ってそれを諦めた。

 

「まあ、そうかもしれないな、とは思ってたから。気にしないことにするね」

「……ごめんね」


 謝る以外に選択肢はなかった。彼女にこれからいつまでも健人という存在にまつわる秘密を抱えさせることになるのに、その上疑問すらも解消させないというのは、あまりにも一方的で横暴なことだと思えた。


 彼女はしばらく俯いた後、大きく伸びをして、少し歩く速度を速めた。


「そっか、秘密かー、ファンタジー。ね、私、なんかすごい陰謀に巻き込まれたりする? これから悪の組織に狙われたりしちゃうの?」


 振り返った花奈は清々しい顔で軽口を叩いてくれて、それで健人はほっと息を吐いた。


「ないない。仮にこの身体のことが公になったらたくさんの企業や外国のスパイが僕を攫いに来るかもしれないけど、中沢さんは無事でいられるはず」

「怖いこといわないでよ」

「だから絶対秘密ってことで」

「安心して、誰にも言わないから」


 その時丁度近くの角から自転車が現れたので二人は静かになった。ゆっくりと走る老人が二人の側を通り過ぎるまでの妙に長い時間緊張があって、そして彼の鼻歌が聞こえなくなった頃に二人は目を合わせ、どちらからともなく笑い合った。


「で、これからどうするの? 本当に帰る?」


 正面に「駅入り口」という名前の交差点があるのに気が付いて、花菜が聞いてきた。健人は当然そうするつもりでいたので、そうだね、と返事をした。気がかりなのはフィールドワークの目的が達成できていないことであったが、このようなことになっては仕方ないと言うべきだろう。レポートの体裁を整えられるだけの写真は揃えてあるはずだから、後は上手く文章で飾り立てれば最低限の評価は付くはずだ。


 自らの言葉通り、健人は駅に向かう方向の横断歩道の前で立ち止まった。花菜もそれを見てすっと横に並んだ。


「帰って、身体を元に戻して、それから病院に行こうと思う」

「元に戻るの?」

「戻るはず。試したことはないからわからないけど」

「そ、そっか。戻ると良いね」

「明日からしばらく学校行けないかもなぁ」

「早めの夏休み、だね。その時はノートファイル送るよ」

「助かる」


 横断歩道の信号が青になったので二人は歩き出した。駅に近づき人の目が多くなってきたことで、健人は自分の身なりが川から上がったときのままであることを思い出した。下着はぐっしょりと肌を不快に湿らせ、白かったシャツは薄茶色に染まっている。

 流石に、このまま人前を歩くことは憚られた。


「とりあえずどこかで服買えないかな」

「あ、そっか。そのままじゃ電車にも乗れないね」


 そう言うが早いか花菜は素早くウェアラブルデバイスで何かを探り、「あったあった」と健人にピンの打たれた地図を共有した。


「駅前の商店街に古着屋があるからそこで上下は揃えて、コンビニで下着は買えるはず」


 詳細を開いてみると、それは健人が名前を知らない古着屋であった。個人経営なのかもしれないが、レビューを見る限り品揃えは十分そうだ。


 財布にチャージされている金額の残り分を思い出し予想される全身分の新しい服の値段と照らし合わせると、おそらく足りるように思われた。

 

「そうだね。それでなんとかするよ」

「分かった。付いてきて、こっち」


 帰ったら臨時小遣いを要求しよう、と心に決めつつ、健人は古着屋の方に向かう花菜の後を追った。




 辿り着いた古着屋は二階建てのそれなりに大きな建物の中にあった。道路から見える範囲の売り場は一面婦人服のエリアとして使われていた。陳列棚の間の通路はかなり狭く、人がすれ違うのがやっとというくらいだった。


 同じように店を観察していた花菜が健人の方を振り返り、一歩健人から離れつつ店に向かって指を差した。


「あんな狭い売り場に今の相田くんみたいな状態で入るわけにもいかないと思うから、私が適当に選んでくるよ。文句言わないでね」


 その申し出を健人はありがたく受け入れることにした。


「ありがとう。やっすいやつでお願い。そんなにこだわりないから」

「任された。身長はいくつ?」

「183」

「シャツのサイズはメンズのLとか?」

「XL。Lもいけるけど」

「股下は?」

「測ったこともないです」


 花菜はけらけらと笑ってメモをとっていた手を止めた。

 

「じゃあ夏だし適当に半ズボン選ぶね」


 よろしく、と返しながら健人は辺りを見回した。近くにはコンビニがいくつかあって、道中で地図を探って目星をつけていた公衆トイレも見つけることができた。


「着替えられそうな場所が他になさそうだから、あそこの公衆トイレ近くに集合でいい?」

「おっけー。女子高校生プロデュースの低予算コーデをお楽しみに」

「そう言われると期待してしまうな」

「ありがたく待ちなさい」


 花菜が古着屋の中に消えていったのを見送って、健人もコンビニに向かって歩き始めた。






 一軒目のコンビニですんなりと目的の下着は手に入り、健人は先んじて集合場所に指定した公衆トイレの近くにあった広場のベンチに辿り着いた。腰を下ろし落ち着いてからは近くを通り過ぎる人々が明らかにちらちらとこちらに目線を遣るのが感じられてなかなか気分は良くなかったが、健人はそれを気にしないように努めた。


 相変わらず強く照りつける日差しのためにシャツが乾いて生地が糊で固められたようになってからは、見た目というよりも臭いが気になりだしていた。下水も混じった泥水を全身に浴びたためか、生乾き臭とトイレの臭いを足して二で割ったような芳しい香りが健人の周りに張り付くようになっていた。それで人の迷惑にならないよう、健人はいくつか並んでいたベンチの中でも広場の車道側、隅に近い方に移動することにした。


 風に揺れてさらさらと音を立てる植栽の真下に置かれたそのベンチは、丁度日陰の中に位置していて、なかなか過ごしやすそうな環境であった。腰を下ろすと、流石に無理がたたり始めたのか、少し目眩がした。救助劇の中で怪我のために血を失った訳ではないから、内出血がよほど激しいというのでなければ、疲労が原因だろう。


 首を回してみても人体の構造的に消防士に指摘された患部を確認することはできなかったので、とりあえず疲労という結論で自らを納得させつつ、健人は心を洗うように爽やかな風の音に身を委ねて花菜が合流するのを待った。





「お待たせー」

 左手に大きな紙袋を持った花菜が健人の元に辿り着いたのはその数分後のことだった。


「思ったより安いのなくてちょっと時間かかっちゃった」

「ありがとね。いくらだった?」

「上が七百円くらい、それで、これが千円。返品一応受け付けてくれるらしいけど、どうする?」


 値段の紹介とともに、彼女は紙袋の中から服をとりだして健人に差し出した。特に奇をてらった訳でもないワンポイント付きのシャツと、ショートのカーゴパンツ。そのまま羽織っても十分街なかを歩くことはできそうだ。


「いや、もらっとくよ。お金は後で送っとく」

「よかった。トイレで着替えるんだっけ?」

「そのつもり。多目的トイレを拝借すればまあ事足りるかなって」

「汚れてないと良いね」

「そもそも汚れてる身で多くは望めないよ」

「それもそっか」


 健人は自分のバッグにしまっていた下着類を取り出して、花菜が手渡してきた紙袋に着替えをまとめた。

 丁度話題にした多目的トイレから小さな子どもとその母親らしき女性が出てきたので、次の人間が入る前に向かってしまうのが賢明だろう。


「じゃ、着替えてくる」


 そう言って、健人はベンチから立ち上がろうとした。

 体を前傾させ勢いをつけ、腰が伸びきる直前に、突如背筋が硬直した。


「!?」


 前傾した勢いのまま無様に地面に顔面から崩れ落ち、痛みこそないものの反射的に顔を覆おうとする。

 腕が動かず、その試みは失敗した。


「だ、大丈夫!?」


 上から心配そうに花菜が声を掛けてきて、それに対して健人は返事をしようとした。

「だぃ、じょ……ぅ」


 掠れた音が喉からこぼれるばかりだった。声帯も横隔膜もまともな働きをしていないことが知覚された。


「え、え、ヤバくない?」


 地面に倒れ伏したまま健人は必死にもがくも、とてもゆっくりとした動きにしかならず、窮屈だった姿勢を少しでも楽なものに近づけようとするのがやっとだった。骨格配列的に動きうるあらゆる箇所は、重力に負けて地面に力なく垂れ下がるようになっていた。


 視界に赤い色をしたポップアップが表示された。

《異常な反応を検知:P18-19, T43, Cd1過剰 すぐにメンテナンス》


 勲が仕込んだセルフチェック機構が発した警告なのだろうそれは、健人の身体に何らかの異常が発生していることを鮮烈に訴えていた。

 健人は状況を理解しだした。全身の筋組織系が壊れている。衝撃や地面のアスファルトの熱は感じられたので、神経系自体や感覚器官はおそらく無事だ。


 つい先ほどの目眩はこの前兆だったのかもしれない。過剰な筋肉の動作によって蓄積された良くないものが、時間が経ってから爆発したのだろう。


 とにかく、すぐにメンテナンスを受けなくてはならないらしい。勲は今も研究室の中にいるはずだから、どうにかして彼の元に辿り着かなくてはならない。


「起きられる?」


 花菜が差し伸べた手に辛うじて縋り、たっぷり時間を掛けてベンチに座り直す。たったそれだけの過程で、健人の額には暑さ由来ではない脂汗が滲んだ。


「ぁ・ぃ……とぅ」


 ありがとう、の声すらまともに発することができず、目の前の花菜の顔はどんどんと曇っていった。


「ど、どうしよう……病院はダメ、なんだよね?」


 ゆっくりと首を横に振る。花菜はそれを受けて狼狽しながらも、解決策を探り当てようと必死に頭を捻っているようだった。

 健人は動かない体にムチを打って、なんとか彼女に向かって意味のある言葉を伝えようとしたが、それは叶わなかった。


 しかし、健人が思っていたよりも花菜という人間は良い勘を備えていたようで、


「親は? いる? 連絡取れる?」


 彼女は一発で健人が求めていた回答に辿り着いた。

 思い切り過剰なまでの指示を首の動きを司る筋肉に送り、なんとか彼女に伝わるような規模感での首の動きを実現する。予想以上に動きは鈍く、どんどんと可動域が狭まっているような感じがあった。


「おっけい。連絡先教えられる……わけないか」


 首が縦に振られたのを視認したことで、花菜は思考をひとつ先に進められたようだ。

 連絡先は健人のウェアラブルデバイスに入っている。健人は電脳と連携した特別製のそれを脳内からのアプローチによって操作し、何度も起動とスリープを繰り返して画面を明滅させた。

「! ……借りるね」


 彼女はすぐに健人の意図に気が付いたようで、健人のウェアラブルデバイスが巻き付く腕をとって連絡帳を探り出した。


「これお父さん?」

 やがて「相田勲」という名前をその中に発見して、花菜は健人に聞いてきた。健人は頷こうとしたが、首が動かなくなっていたので、代わりに何度も瞬きを繰り返した。意図が伝わったかどうかは定かではなかったが、彼女は迷うことなくコールボタンに触れ、電話をかけた。


 十秒ほどで電話は繋がったようで、花菜は健人の腕から伸びる仮想マイクを自分の顔にぐっと近づけた。


「健人君のお父さんですか?同級生の中沢花菜といいます……突然すみません、お願いがあるんです。健人君の身体がおかしくなってて、それでお父さんにお迎えに来て欲しくて」


 そこで花菜はチラリと健人の方を見た。意図は分からなかったが、何かの同意を求めているのかと考え、健人は再び瞬きを繰り返した。


「色々身体を弄って痛みを感じなくするとかの無茶をしてからおかしくなったんです。誰にも頼れないって健人君が言うから、どうしようと思ってお父さんに連絡することになって」


 なるほど、彼女は『秘密』を父親に共有していいのかを確認したかったらしい。結果としてそれは上手い方に作用して、勲は一気に事の緊急性を理解したらしく、仮想スピーカーに耳を当てる花菜の顔は俄にほころんだ。


「あ、ありがとうございます、来て下さい! 場所は、えっと……」


 彼女は自分のウェアラブルデバイスを立ち上げた。この場所の住所を調べようとしているのだろう。


「え、なんでわか……っ、そうです、その駅前広場です」


 しかし、電話先の勲が健人の現在位置を探り当てるほうが早かったらしい。花菜は脳内に浮かんだであろう疑問を必死に飲み込むようにして肯定の言葉を返した。


「わかりました、よろしくお願いします! ……すぐ来るって!」


 電話が切られ健人の腕から顔を離した花菜がそう報告してきたので、感謝の意味も込めて健人は瞬きをしようとしたが、最早瞼すらも彼の意思通りには動いてくれなかった。


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