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機械と愛と烏  作者: 諭吉
三章
20/45

MemoryLog: 2179 07 13 -[3]

 思わず健人は今にも歩き出そうとしていた花菜の手を掴み、彼女をその場に強い力で引き留めた。花菜は驚いた顔をして後ろを振り返ったが、その顔の下に渦巻く感情は健人の思考にまるで入ってこなかった。


 可能性の芽として浮かんだひらめきを全力で膨らませ、実行することで起こりうるあらゆる結果や喪失を想像し、一人の命と比較しては取るに足らないものとして切って捨てる。


 数秒の内に脳内に一つの計画が練り上がり、それに青信号が点った。

 試したことなどない。成功する保障もない。何より、成功したところでその後何が起こるのか、とても分かった物ではない。

 けれども、命の懸かった一刻を争う今、自分のことなどで悩む暇がある訳もなかった。



 健人は今も仕事場にいるであろう勲の顔を思い浮かべ、これから彼のいいつけを破ることに心の内で謝罪を述べた。


 花菜を掴んでいた手から力を抜き、怯えた顔で健人のことを振り払った彼女を逃がさないよう、彼女の両肩にすぐに手を乗せなおす。



「何!?」


 恐怖が混じった顔で健人を見つめる花菜に詫びを入れる時間すらも惜しく、健人は真剣な顔で彼女に告げた。


「中沢さんに頼みがあるんだ」

「……どうしたの」


 頭の中にある計画の全体像から彼女に伝えるべきこと、伝える必要のないことを選別し、情報量を極限までそぎ落としていく。時間がない中で、少ない言葉で効率的に伝えるのなら、ドラマチックな表現を用いてインパクトを与えるのが適切だろうか。


「一生のお願い。これから僕が話すこと、きみに頼むこと、すること、全部を絶対に誰にも言わないって約束して欲しい」

「え?」

「今すぐ、秘密にするって約束して欲しいんだ」

「どういう意味?」

「説明してる時間はないんだ、頼む!」


 余りに強く願うあまりに花菜の両肩を握りしめる手に力がこもって、それに花菜は顔をしかめた。


「分かった、分かった、言わない、言わないから! 手を離して!」


 不本意な形とはなったが、確かに同意を得られたので、健人は手を離した。


「ありがとう」


 これで計画の第一段階がクリアされた。


 健人は、身を守るかのように両肩に手を回して彼を睨み付ける花菜に構うことなくメッセージアプリを立ち上げ、彼女とのチャットボックスに猛然と文字を打ち込んだ。作るべき短い文章は遠い記憶の中から一字一句違うことなく拾い上げられていって、そしてすぐに完成した。


「最低だからね、今んとこ。何したいか知らないけど」


 送信が完了した。花菜の方に向き直り、その眼をじっと見据える。


「後でいくらでも怒ってくれていい。この方法ならひょっとすれば、あの子を助けられるかもしれないんだ」


 ここからが一番大切な部分だ。

 自らの身体に刻まれたシステムにとって何が正しい動作であるのか、それは勲にしか分からない。従って、健人はただ単純に彼の仕草をトレースすることを選ばざるを得なかった。

 だから、これから花菜には完璧な動作を仕込む必要がある。


「いい? 今から僕が中沢さんに教えることを、そっくりそのまま僕にやって欲しい。そっくりそのまま。台本はチャットに送ったから、それ読んでくれればいいよ」

「台本?」

 そこでようやく花菜は先ほど送られたチャットの通知に気が付いたようだった。彼女はそれを開いて中身を目にし、そして思い切り眉がひそめられた。


「え、何これ」


 戸惑う彼女を尻目に、声が聞こえる範囲に自分と彼女以外に誰もいないことを確認する。


 準備は整った。健人はいつも勲が彼にそうしているように、右手の人差し指を花菜の額の前に差し出した。


「やるね、ここから台本の流れだから。覚えて」


 自然と彼女の目線がその指先に乗ったのを確認して、健人は大きく息を吸った。


「指先に注目して」


 花菜の目の直前にまで近づけた人差し指を時計回り、反時計回りに一度ずつ回し、彼女の眉間に触れる。

 反射的に顔を引いた彼女に構わず、健人は遠い昔に一度だけ聞いた言葉を完璧に紡ぐ。


「指令。コード1・電脳プログラム干渉・筋組織項・出力制限項・削除」

 そしてもう一つ。

「指令。コード5・神経ネットワーク介入・痛覚削除」


 これで十分なはずだ。


 全てが上手くいけば、そして全てが上手くいった末に勲が健人の身体を理想の肉体を持つものとして造っていれば、たった十数秒で健人はスーパーヒーローになれる。


「分かった?」

「何、どういうこと、なんかプログラミングみたいなこと? おまじない?」


 花菜は信じられないものをみた、という目で健人を見つめる。もしかせずとも、彼女の目に今の健人は狂人として映っているだろう。


 しかし、そんなことはどうでも良いのだ。


「何回も言わせないで。お願いだ、今は何も聞かずに僕の真似をしてくれ。それで全部上手くいくはずなんだ」


 両手を後ろに回し、頭を垂れ、一回り以上背丈の小さい花菜が自分を操作しやすいような体勢をつくる。


 花菜は健人が本気で言っていることを理解したのか、疑いの気持ちを隠さないままではあったものの、しっかりと右手の人差し指を伸ばした。


「……ああもう、やればいいんでしょ、やれば。何だっけ、指先に注目して?」


 笑顔で頷き、その続きを促す。果たして、花菜の指は健人の顔の前で確かに二度くるくると踊り、そして額に触れた。彼女はたった一度だけ見せられた指先の動きを、おぼつかない手つきではあったが完璧に再現してみせたのだった。


「指令。コード1・電脳プログラム干渉・筋組織項・出力制限項・削除」

「指令。コード5・神経ネットワーク介入・痛覚削除……これでいいの?」


 全てのキーワードの発声が終わったその瞬間に、その場で軽く体を動かしてみる。想像よりも軽く、そして素早く思い通りに動く。思い切り跳んでみると、健人の足は目の前に立つ花菜の顔のさらに上まで浮かび上がった。自分の右手で左腕の皮膚を爪を立てながら思い切りつねる。すぐに皮下脂肪がぐじゅりと潰れる感触がして、爪の食い込んだ箇所からは血がにじみ出た。それでいて、痛みは微塵も感じられなかった。


 健人の身体は、彼の目論み通りに本来のパワーを取り戻し、痛みという制限から解き放たれていた。



「何、どういうこと!?」


 顔色に怒りではなく怯えの色が強くなっていた花菜の伸ばしたままだった右手を取って、両手でそっと包む。


「ありがとう、」


 昂ぶる気持ちが少しでも伝わるよう、胸に彼女の手を触れさせながら、柔らかな笑みとともに心の底からの感謝を口にする。


「今なら、なんだってできる」


 そう信じるだけの根拠はなかったが、思い込むことができるだけの勇気は無限に湧き出していた。


 花菜は健人の態度に呑まれたのか、ただ口を大きく開けて頷くばかりだった。


「行ってくるね」


 そして健人は彼女の手を離し、川の方を振り返った。


 まさにその瞬間だった。

 それまで耐え続けていた女の子が、ついに橋脚から引き剥がされ、思い切り増水した川の勢いに飲まれた。あっという間に彼女の体は泡立つ水面に隠れ、片手や頭が不規則に突き出されるようになった。


 迷うことなく、健人は下流に向かって走り出した。


 信じられない速度が出た。飛ぶように駆ける、というのがまさに今の健人を表すための言葉だった。


 流される彼女との間に十分な距離を稼いだことを確認して、すぐさま健人は川の中に飛び込んだ。上からですらむちゃくちゃに流れているように見えたその流れは、覚悟していたよりも激しく上に下に右に左にと荒ぶりながら健人を襲った。花菜の助けによって身体が出せる力は強くなったとはいえ、質量が増えた訳ではない。従って、水の流れが健人の体に加える力は少しも減衰せず、必死の抵抗も空しく健人は幾度となく川底に全身のあちこちを打ち付けた。

 水をひとかきする度に、下流へと数メートル押し流され、しまいにバランスを崩し体勢が反転しそうになる。それをこらえたと思えば、次は足元の砂利の起伏によって思いがけない力が加わり、上半身が水中に引き込まれそのまま肩に強烈な衝撃が走る。

 それでも、痛みを感じることのない健人は、波にもまれ打ち据えられ泥水を飲み溺れそうになりながらも、あらゆる雑事を無視し、身体から湧き出る力に任せて水をかき分け、ただ愚直に前に、女の子が流れてくる方に進み続けた。


 そして、飛び込んだ地点から数十メートルも下流に流された頃に、健人は目の前にピンク色のシャツを確認した。

 気まぐれな川の流れによって引き剥がされる前にしっかりとシャツの生地を手の中に握りしめ、すぐさま女の子の顔を水面よりも上まで引き上げる。彼女の体を胸板にそっと抱き寄せながら背泳ぎのような姿勢を作り、辛うじて川底に届く片足で流される勢いに逆らわないよう跳ねながら彼女が息をするのに十分な空間を確保する。


 幸いなことに、彼女はまだ自らの意思で息を止めることができていたようで、ぷはっ、と小さな音がした。


 それに安堵した健人は冷静に流される先を観察した。大きな渦が見えた。避けられそうにない。健人はそれに真正面から挑む決意を固めた。


「息して、息して、息止めるからね、止めるよ、吸って、止めて! 止めるんだ!」


 胸の中の女の子が指示通りに息を止めたのを確認した直後、二人は大きな渦に飲まれ、思いきり水を被った。彼女の下に体を置く健人はしたたかに背中を打ち付けたが、それは肺から息が吹き出そうになる程度の衝撃しか与えなかったし、健人の意思通りの動きと力を発揮する口蓋の筋肉によって空気を失うことは問題なく避けられた。

 一瞬の後に身体の操作に若干の自由が戻ったのを理解した健人は、全力で水面に向かってその身を伸ばした。


「大丈夫!?」


 目をギュッと瞑っていた女の子は、その声を聞いておそるおそる目を開き、こくこくと頷いた。


「よし。安心して、また息できるときは言うから、止めといてね」


 ミッションの半分は達成された。あとは、どうにか川を脱出する手段をみつけなくてはいけない。

 再び下流を確認し、使えそうなものを必死に探すと、本来は河川敷だったであろう場所から顔を出す低木の枝が河道の中央の方、つまり二人が流されるあたりに垂れ下がっているのが見えた。


 あれを掴めば大丈夫だろう、と判断した健人は、川底を蹴る向きを微調整しつつ、何度か水を被りながらも冷静に息継ぎの指示を送り、そして枝の近くに辿り着いて右手を伸ばした。二人分の体重を預けられた枝は一度は大きくたわみ健人を不安にさせたものの、その後はしっかりと支えとしての役割を果たした。

 あとは水が引くかちゃんとした助けが来るまでの何分か、ひょっとすれば何十分になるかもしれないが、その時間を耐える必要がある。健人の心臓は各所に血液と酸素を送るべく早鐘を打つようにバクバクと動いていたが、しかし枷を外された肉体には未だ疲労感はなかった。痛覚削除の方が効いているのかもしれないが、細かい理屈は健人には分からない。今はただ、自らの身体に無尽蔵の体力が宿っていることを祈るだけだった。


 身体が安定したのを確認して、健人は胸元の女の子に語りかけた。


「もう平気だよ。あとはお母さんが来てくれるのを待とう」

「う、う、え゛ぁぁぁ!」

「あ、そんな、泣かなくたって良いんだけどなぁ」


 安心したことで緊張がほどけたのか、それまでただ怯えているだけだった彼女は大粒の涙をこぼして泣きだした。それに苦笑しつつ、健人は救助を待つこととした。




 おそらくは彼女の母親なのであろう大人の女性と花菜が二人に追いつき、そして彼女たちを追いかけるようにして消防車が健人の側に辿り着いたのはその数分後のことだった。すぐに川を横断するようにロープが張られ、それを伝ってきた消防士の一人が二人に向かって手を伸ばした。


「よく頑張ったな!」

「先にこの子を逃がしてあげてください、僕は一人でなんとかできます!」

「分かった!」


 健人はそう主張して、そして希望通りに消防士は健人の胸元から女の子を担ぎ上げた。すぐに彼女は消防士たちの連携によって母親の元に送られ、そしてきつく抱きしめられた。


「えみり! えみり! ごめんなさい、本当にごめんなさい!」

「おかぁさぁぁぁぁん! こわかったよぉぉ!」


 岸で感動の再会が行われたのを確認して、健人は力任せに体を起こしロープを掴んだ。強い力で枝を掴み続けていた右手には流石に若干の強ばりがあったものの、しかし何の問題もなく自力で岸に進むことができた。途中で驚いた顔の消防士が手助けを申し出てきたが、健人は丁寧にそれを断った。

 自分の身体にどのようなダメージが入っているのかは痛覚削除のために分からなかったが、今後起こることを思えば、今は自分が元気であることを装う必要があった。


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