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機械と愛と烏  作者: 諭吉
二章
13/45

タカイさん

 終の住処では、誰もがギデオンの右手の拠点が摘発されたことを話題にしていた。当然、自分たちの余命が伸びるかもしれない、と入所者たちはそれを心の底から喜んでいるようだった。その一方で、警察から発表された「全容を解明するには至っていない」という部分はやはり、明るい話題に明瞭な影を落としていた。

 岡山に縁のある職員の一人が質問攻めにされているのを見かけて、健人はいたたまれなくなってその場を離れたということもあった。海沿いの倉敷出身である彼は津山についてそこまで詳しいというわけでもなく、飽きを隠せない顔で朝から何度も繰り返してきたらしい説明を口にしていた。当然、健人は彼などよりも何倍も、何十倍も詳しくこの事件について語ることができただろうが、流石に「私の父親がまさにその場所で活動していました」などと言い出すことはできなかった。


 勲の研究が何を目的としていたのかについて、健人は生まれて初めて興味を持って調べてみた。勤務中に隙を見つけては探すという程度の検索で、論文をネットの中にいくつも見つけることができた。

 彼の名前を冠した論文には、明確に三つの傾向があった。2150年代前半においては、そのテーマはざっくり言えば雑多で、工学と名の付く分野の全てに手を出すかのような勢いであった。そのような野心的な、あるいは迷走とも呼べたかもしれないそれら論文のどれもが被引用数の非常に多い良質な論文であるというのは、彼の高い能力を非常に良く表していた。そして、2150年代後半から2160年にかけて、彼の論文は青山立花との共著として発表されたものが大半を占めるようになる。分野はどれも生体工学で、人体組織を人工物で代替し機能を向上させることに主眼が置かれていた。健人の身体を生み出した技術がこれらの研究を礎としていることは明らかだった。2159年に相田立花の名前が登場するようになったことを除けば、その間に大きな変化はなく、ただひたすらに二人の研究者が最良の生命体を生み出すための研鑽を重ねていたことが見て取れた。2161年と2162年前半に少しの未発表期間をおいて、彼は再び研究成果をスローペースに公表し始めた。それまで彼と立花が突き進んできた《神経組織の置換》や《細胞分裂へのナノマシンによる介入》など理論生体工学に重きをおく傾向からうって変わって、一人になった勲は《欠損した四肢への義肢の効果的な接続法》など実用的な研究を重ねているようだった。発表スパンが大きく落ち込んでいるのはおそらく健人を育てるために時間を割いていたからだろうと思われたが、それだけではないという可能性は健人の頭から消えることはなかった。


 最も最近の発表は三年前、《装着者の成長に伴うペースメーカーの機能変化に関する提案》。日付を見てみると、それは健人と最後にやりとりをした日から二月後のことであった。それ以来彼の名前が現れることはなく、彼は健人に対してと同様に世間に対しても沈黙しているようだった。しかしその沈黙について話題にしているサイトは数少なく、一度は世間から「科学の申し子」としてもてはやされた彼が既に忘れられた存在であることもわかった。


 勲に対して連絡を送ってみることもした。近況を尋ね、自分たちが壮健であることを報告し、そして今世間を賑わせている話題について何か知っていることはあるかと単刀直入に聞くような文章を練り上げ、夕方の五時にメッセージテキストを送信した。返事は現状届いていない。いつまで待とうと届かなかった場合に何を思えば良いのか、健人は考えないようにしている。





 午後シフトの中でもやや遅い二時からの出勤になった場合、家に戻ることができるのは決まって日付が変わった後だった。それは今日も同様で、ある程度日常的な運営に回帰することができた終の住処において、健人は普段と同じような姿を取り繕いながら、しかし頭ではずっと父親のことを考えて、十一時までが予定されている長い勤務時間を過ごしていた。


「こんばんは、お兄さん」

「こんばんはタカイさん。初めまして、相田です。本日はよろしくお願いします」


 夕食の時間に、健人はいつものようにタカイさんの部屋を訪れていた。どうやら今日はやや体調が優れないようで、彼女は健人が食事のサポートをする間に何度も咳き込んだ。


「今日は医務室に腕の良い内科医が詰めていますから、後で彼をここに来させることにしましょうか」

「ありがとうね、こんなに酷いとちょっと眠れないかもと心配していたの」

「私の方も少し心配になる位です。お熱はありますか?」

「いいえ、咳だけね。他はちょっと不健康ってくらい」

「分かりました。彼に伝えておきます。お薬が出るかは分かりませんが、出た場合はしっかり記録をとっておきましょうね」


 健人はベッドの横に置かれた机の上からいくつかの文庫本を持ち上げ、底から出てきた紙をつまみながら言った。彼女の健忘症のために、彼女の手が届く机の上にはいつも内服薬の説明と飲むべきタイミングが大きく記された紙が置かれていた。


「ええ、よろしく頼むわね」


 それから健人は一日寝たきりだった彼女の部屋の掃除を始めた。


 彼女が唐突に声を掛けてきたのは、掃除が粗方終わり後は集めたゴミを処理するだけ、というような段階に達した頃だった。


「相田さん、で合ってたかしら?」


「……あ、はい、相田です」


 普段は健人の仕事を妨げないよう静かにしてくれているタカイさんから掃除中に声を掛けられるというのは経験がなく、そのため健人は彼女の呼びかけにすぐに反応することができなかった。箒を壁に立てかけながら振り向くと、彼女の鋭い視線が彼の顔を真っ直ぐ貫くように伸びているのが分かった。彼女は健人が振り向いたのを見た後、少し首を前にかしげて、ベッドの上から健人の顔を窺うような姿勢をとった。


「良かった。お仕事中失礼するのだけど、相田さんは今日何か良くないことがあったのかしら?」


 健人は思わず息を飲んだ。


「……それはどういう意味でしょうか」


 心当たりしかない質問に対して、しかし全てを明かすことなど到底できず、健人の返事は時間を稼ぐためのものとなった。


「ああ、もし思い当たることがないのであればお気になさらないで。掃除をしている間に何度も視線があちらこちらに漂っているように見えたから、どうしたのかと気になっただけだから」

「なるほど。うーん、そうですねぇ……」


 普段通りの表情を取り繕おうとしながらも、健人は彼女に対してはそのようなことは叶わないことをなんとなく悟っていた。

 しかし、それでも答えを明かすわけにはいかなかった。彼女が明日には全てを忘れていることに甘えて抱えている葛藤を打ち明けるのは、決して彼女を幸せにはしないだろうと考えられた。これはタカイさん自身の命にも関わる話であるのだから。


「考えてはみましたけれど、特に思い当たるところはないですね。今日というより、一昨日のことがまだ私の心を蝕んでいるのかもしれません」

「……そう、なら忘れて。お邪魔してごめんなさいね」

「いえ」


 彼女がひとまず納得のポーズをみせてくれたことに安堵しつつ、健人は箒とちり取りを手に廊下に置かれたゴミ箱へ向かった。


 ゴミを捨て掃除用具をロッカーに片付けた健人は、その場で内線をかけて医務室と連絡をつけた。どうやら一昨日からの混乱はすっかり落ち着いているようで、比較的すぐに対応ができるとのことだった。九時に来訪するよう約束を取り付けた後、健人は夕食を運んできたトレーを持ち帰るためにタカイさんの部屋に再度入り直した。タカイさんは何かネットメディアを眺めているようだった。


 トレーをベッドの上から持ち上げ、一礼する。

「それではタカイさん、今日はこれで失礼します。九時ごろに医者が」

「――ねえ相田さん」


 彼女の声が健人の言葉を遮った。彼女にしては珍しく、力の入った声だった。


「何でしょう」

「一昨日のことというのは、これ?」


 そういう彼女が自分のウェアラブルデバイスからテレビ画面に映しだしたのは、既に世間中の知るところとなっていたギデオンの右手の声明文だった。


「はい。……とても苦々しい記憶です」

「……そう。こんなことがあったのね」


 え? と思わず思慮に欠けた反応をしかけて、すんでのところで健人は踏みとどまった。

 タカイさんは酷く怯えた顔をしていた。


 彼女は既に一昨日起こった事件を忘れてしまっている。


「今日はずっと本を読んでいたから気付かなかったのかしら。それで、私はもうすぐ殺されるということね……」


 彼女が絞り出した声はわかりやすく震えていた。タカイさんからこれほどまでに明らかな負の感情がこぼれるのを、健人は初めて目にすることになった。

 すぐに彼女の側に体をよせ、老人らしく代謝が落ちて温みの弱い彼女の背中に手を回す。


「大丈夫ですか」

「大丈夫、とは言えないわね。少しそうしていて頂ける?」

「ええ、お気の済むまで」


 ありがとう、と言って彼女は目を閉じた。数分の間、彼女の細い呼吸とたまに咳き込む音だけが健人の耳に届いていた。




「……もういいわ」

「はい」


 背中から手を離すと、すぐにタカイさんはぽす、とベッドに身体を預けた。


「ねえ相田さん」

「はい」


 タカイさんは少しだけ微笑んだ。


「あなたははじめまして、と言ってこの部屋に入ってきたけれど、きっとずっと私のことを担当してくれているのでしょう?」

「っ、それは……」


 健人は再び息を飲むことになった。彼女に対しては、隠し事を隠し事のままで押し通すというのはどだい無理であるらしかった。


 彼女の顔を窺い、既に確信として彼女の中に答えが存在していることを理解した健人は、今度は正直に白状することとした。


「その通りです。できることなら気付かれたくはなかった」


 タカイさんの顔に浮かんでいた微笑みが深くなった。たった数分前に自分の人生の終わりを告げられたとは思えない程の無邪気な笑みだった。

「だって相田さんたら、私のことも、お部屋に置いてあるあれもこれも、まるで昔から扱い方を知っているように振る舞ってらっしゃるし、それにほら、お薬のメモの筆跡はどれも一緒なのよ。嫌でも気付くわよ」

「敵いませんね……」

「きっと、昔の私がそうしてと望んだのよね。違う?」

「……いえ、私がこうしようと決めたことです」

「そう。きっとこれからも私は何かの拍子に気が付いて、そのたびに少しもの悲しさを覚えるのかしらね」

「申し訳ありません」

「いいのよ、相田さんの気遣いってことくらい私にも分かるわ。意地悪言ってごめんなさい」


 どう返事をすれば良いか分からず、健人はもごもごと口を動かすこととなった。数秒の沈黙があって、タカイさんの顔から笑みの成分が薄れた。


「それでね」


 声色が先よりも幾分か熱を失っていることが聞き取れた。彼女は一度無理矢理咳き込み痰を払ってから体を健人の方に向け、少し息を吸った。それは老いた彼女にとっては大きな呼吸であった。


「きっと私はこの会話をしたことも忘れて明日を迎えることになる。だから、恥ずかしさを感じるのは今だけだと思って、少し幼稚なお願いをするわね」

「何なりと」


 ありがとう、と言って彼女は言葉を紡いだ。


「私の人生はもうすぐ終わる。それは昔から分かっていたこと。だけど、ちゃんと考えてみれば、私にはもう親族と呼べる人間がいない。私が死んでしまったら、誰も私のことを覚えてはいないかもしれない。それが私にはとても恐ろしくてたまらない。だからね、相田さん、せめてあなたには、私のことを覚えていて欲しいの。私がここのお部屋で、カラスに生まれ変わるのを待ちながら、もう還らない息子たちと夫の記憶を一人で全部抱えながら、静かに寝転がっていたよ、って。ううん、今そうしますと言ってくれるだけでも良いわ。そうしてくれたなら、私はきっと安心して眠ることができると思うから。ね、お願い」


 それは死を目前とした彼女の、遺言とも言うべき願いであった。健人は彼女がいつもしてくれる「終わり方」の講釈を思い出した。「私が一緒にこの世界に生きていたのだと他の人に確認してもらうことができるの。それがどれだけ幸せなことか」。彼女は彼女自身の生の証明を健人に託そうとしていた。それはとても光栄なことであると感じられた。同時に、今までそんなそぶりを見せてこなかったタカイさんが弱々しく他人に縋ろうとする姿を見るのは、とても心苦しいことだった。


 間髪入れずに健人は大きく頷き、少しでも彼女を勇気づけようと力を込めて返事をした。

「勿論です。タカイさんは、私にとって人生の道しるべとも呼べる存在ですから」

果たして、タカイさんは安心したように目を細めた。


「そんな大げさに言って頂かなくてもいいのよ」

「本当ですとも」

「そこまで言われるといつもの私が何を話してるのか、ちょっと気になるわねぇ」

「それを語り出すときっとお休みのお時間になってしまいますね」

「あら、そんなに?」

 時間の話をしたからか、タカイさんは時計の方を見て、そして驚いた顔をした。

「あらやだ、もう八時半じゃない! ごめんなさい、こんなにお時間を取らせてしまってはお仕事に差し支えるでしょう」

「ああ、それはなんとかなりますよ」

「いいのよ、早く帰ってちょうだい。私はもう十分良くしてもらったわ」

「……そうですか、それではそうさせて頂きます」


 普段からタカイさんの長話に付き合うことを前提に動いているため、時間はあまり大きな問題ではなかったが、それでも彼女は申し訳なさを滲ませていたので、健人は退室することとした。


 先ほど放り投げたトレーを再び手にして、健人はベッドの側から離れた。


「九時頃に医者が来るはずですので、そのつもりでいてください」

「分かったわ。それじゃあまた明日、よろしく頼むわね」

「ええ、また明日。よろしくお願いします」


 タカイさんが手を振って、それに対して健人は笑顔でもって返事をした。ドアを開け、退出し、そっと閉める。

 明日からどのようにして彼女と接するべきなのか、少し考えなくては、と健人は思った。


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