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機械と愛と烏  作者: 諭吉
二章
12/45

記憶

 午後出勤でいいのだから昼まで眠りこけてやる、という強い決意のもと二度寝をしていた健人の元に花菜が飛び込んできたのは朝の九時前のことだった。


「健人起きて!」


 そう言って体を揺すり健人を叩き起こした花菜は、そのままベッドに横たわる健人の右手をつかみ体を引き起こそうとする。何が何だか分からないままに、健人は眠い目を擦りながら寝室を這い出るようにして後にした。

 彼女はまるで十歳も若返ったかのように興奮していた。

「ビッグニュースだから、本当にすごいから!」

「分かった、分かったって、何があったの」

「ギデオンの施設が摘発されたって!」


 花菜の言葉が脳に意味をもって届くまでに少しの時間がかかった。


「……え?」

「二十五年で初めての大きな成果だってテレビが言ってる!」

「ええ!?」


 それは青天の霹靂とも言うべき出来事で、花菜がテレビの前に健人を引っ張っていくまでに彼の頭は興奮により完全に目覚めることになった。


 テレビには朝の情報番組のコメンテーターたちが映っており、先刻行われた警察からの発表について様々に論を加えていた。花菜はそれを健人にとっては無用の物と切り捨て、既に終わってしまった警察の記者会見の様子を映している局を探し始めた。


 花菜が必死にチャンネルを変えている間に、健人はテレビではなくネット上から動画を拾ってくることに成功し、それを彼女に知らせてテレビに映像を繋いだ。


 画面の中央に見慣れた花菜の父親の姿があり、彼は自信に満ちた表情でもってギデオンの右手の拠点を摘発したと述べた。警察の懸命な捜査による成果であり、既に犯行に使われた技術も拠点の解析の末に断定が成されている。ただし、全四回が予告されている第二次解放作戦の全体を阻止するには至っておらず、従って今後も先日と同様の事件が発生する可能性は高いとのことだった。


 概要を述べきった神路はより詳細な説明に移るためにパネルを取り出した。そこには現場となった地点周辺の航空写真と、モザイク処理の施された広大な空間のイメージがあった。


「……あれ?」


 健人の頭に、何か引っかかるものがあった。写真をよく眺めてみてもそれに見覚えはなかったが、どうしても自らの知識の中から何かの絵が浮かび上がってくる感覚が消えなかった。それはほぼ完璧な記憶能力を持つ健人にとって、普段体験することのない感覚だった。


「どうしたの?」

「なんだろ、なんか、見覚えはないのに、見たことあるみたいな感じがするんだ」

「既視感?」

「って言うんだろうね。なんか不思議な感じだ」


 己の頭にちらつくむず痒さをなんとか無視しようと努めている間に、画面の中の神路が説明を再開した。

 

「今回摘発した拠点は岡山県津山市にあります、旧テラサワ工業工場跡地の地下空間になります。八十年前に廃業した企業でありまして――」

「……津山」


 津山。それはかつて健人が物心ついた頃に住んでいた土地の名前と一致していた。

 その時、健人の頭の中でいくつかのピースが一つにまとまり始めた。


「あっ」


 電脳の中にある当時歩いた小道や眺めていた家々の配置を航空写真上のあれこれと比べると、それらは見事なまでに一致した。更に記憶を辿りかつて住んでいた家を探すと、それは問題となっている工場からはやや離れた場所にすぐに見つけることができた。二、三軒の家に囲まれたその小さな建物に、健人は懐かしさを覚えた。


 結論としては、健人はかつて、まさにこの場所に住んでいたということになる。


「今度は何?」

「いや、既視感の正体が分かってさ。僕、昔ここに住んでたんだ。あの時はまだすごく小さかったから地理的な感覚や地図を眺めた経験がなくて、それで航空写真を見てもあまりピンとこなかったのかも。ほら、屋根の色が変わってるけど多分これが僕の家だったとこだよ」

「え、何それ!」


 花菜は酷く驚いた様子で、画面を食い入るように見つめた。勿論この頃まだ二人は出会ってすらいないので、いくら画面を凝視しようと花菜にとって既知の情報は存在し得ないのだったが、そんな当然のことは彼女の頭からは吹き飛んでいるようだった。


 ここ? 本当に? と何度も振り返って確認する花菜に何度も頷いて返事をしている内にカメラがパネルからズームアウトしていったので、健人は慌てて動画を少し巻き戻した。


「その、何か変なこととかなかったの?」

「……何か怪しい動きがあったとは思わないけど、まだ二歳とかだったからさ。夜はぐっすりだったし、家と公園と保育園と研究所を行ったり来たりするだけの生活だったから、多分何か起こってても分からなかったと思う」


 目を大きく開いた花菜の質問に答えながら、健人は当時の生活を思い出していた。優しい父親と二人で慎ましく暮らしていたあの頃。一人での子育てを始めた頃、まだ親として正しくあることに苦悩していた勲と、目に映る物全てが心を躍らせるようにすら感じられた幼い自分の心。岡山での生活は良い思い出で一杯とは言わないが、不足を感じたことは一度もなく、今思えばとても幸せな物だったと表現することができるだろう。

 あの時生活していた場所のこれほど近くで恐ろしい計画が進んでいたとは、当時知る由もなかった。


「ま、小さい頃ならそんなものか。研究所って、高校の頃入らせてもらったやつみたいな?」

「そうそう、親父の仕事場。当時もそこで僕の身体のメンテナンスとかをしてたんだよね。えっと、多分ここ」


 健人は動画を一時停止し、画面上にある灰色の長方形を指さした。それは工場にほど近い場所に位置する、木々に囲まれ周囲からの視界が遮られた建物だった。打ちっぱなしのコンクリートに覆われたその外観は記憶の中にある姿と完璧に一致していて、健人は家を見つけたときと同じように懐かしさを感じたのだった。


「嘘、もう殆ど隣じゃん!」

「そうみたいだ。親父ったらすごい場所に陣取ったな。もしかしたらあの人に聞いたら何か有力な証言が出てくるかもね」

「確かに。しばらくお隣さんだったってことでしょう? なにかごうごう音がしてました、とか、この頃人の出入りがありました、とか覚えてる可能性もあるよね」

「連絡とってみるか、流石にこんなビッグニュースがあった後も返事がないってことは流石にないだろうし」

「いいと思う」


 数年間会話のない肉親と久々にまともな連絡をとるというのに、その目的が事情聴取か、と健人は少し奇妙な気持ちになった。

 動画の一時停止を解除して神路が再び饒舌にしゃべり出したのを確認して、健人は自分の朝食を用意するためにキッチンへ移動した。


 コーヒーとトーストをそれぞれレンジとオーブントースターにかけようとしたタイミングで、リビングから花菜の声がした。


「気付いたんだけど、もしかしたら今も勲さんはここで何かやってるのかもね」

「え、どうして?」

「だって、この写真って今日の朝早くに撮られた物なんでしょう? それなのにこの建物はすごく綺麗に見えるなって。二十年ちょっと前に二人が引っ越していってから人が全く出入りしてなかったなら、きっともっとツタとかで覆われてると思うんだけど」


 自分たちが引っ越してから誰かが後に入った、等と言った話題は健人と勲の会話のネタになることはなかった。従って、健人はそんなことに興味を持ったこともないし、実際に自分たちの過去の住処に何が起きたのかを知らない。

 しかしながら、先ほど目にした航空写真を言われたとおりよく思い返してみると、確かに映っていた研究所の姿はあまりにも「当時の姿」のままであった。これはつまり、勲がその建物を使っていた頃と同様の整備が今も行われているということを意味するのだろう。ともすると、花菜の言うとおり、連絡が取れなくなった後に父親はこの場所に再び戻ったのかもしれない。


「……確かに」

「まあ新しい研究者が入ったとかもあり得るけど」

「そうだとは思うけどね」


 花菜の趣味である古風なレンジが三十秒ほどでチン、という音をたてたので、健人はその中から温まったコーヒーを取り出した。トーストができ上がるまでにはまだ少し時間がかかるので、彼はリビングに戻った。


 画面の中の神路が説明を続けていた。


「――施設自体は床面積約一ヘクタール強、高さ四メートルのほぼ工場敷地にぴったり収まる形状をした地下空間であり、この内部に研究施設、事務室、実際に犯行に使われたであろう設備が一通り揃っておりました。入り口となっていたのはこちらの建物です」


 その言葉と共に廃工場を中心に映していたカメラがパンされ、パネルの新たな一部分がクローズアップされた。画角の中心には、つい先ほど二人の間で話題となった灰色の長方形があった。


「え」

「うそ」


 そう二人が呟いたのは、殆ど同じタイミングのことだった。

 あっけにとられる二人の前で、動画は回り続ける。


 健人にとって更に衝撃的と言える情報がもたらされたのは、そのすぐ後のことだった。


「外部からは木々によるカモフラージュのために非常に視認しづらく、巧妙な隠蔽措置がとられていたものと思われます。津山市の公式記録にはこの建物が二十四年前に建設されたという情報がありますが、既にその所有企業の実態がないことが判明しています。現在、詳細について捜査中です」

「……は?」


 公的記録の改竄。なにかやましいことがあったという、この上ない証明。

 最愛のパートナーを解放事件によって喪った勲が新たな研究の拠点として津山を選んだのは、健人が生まれて培養槽から取り上げられたすぐ後、つまり二十四年前のことで、それは神路の説明と完璧に一致していた。


「どういう、」


 ことなんだ、というそれに続く言葉は、口の中で舌がうごめいただけで空気の振動とはならなかった。


 父親はこの場所について何かを語っていただろうか。

 誰かが研究所の周りで怪しい動きをしていたことはあっただろうか。


 そもそも父親はこの研究所で何をしていたのだろうか。


 様々な疑問が健人の頭を巡り、それら全てに対して健人は自らの電脳の持てる機能を完璧に活用して検証を加えた。しかし、いくら時間を掛けようとも何も思い出されることはなかった。より正確に言えば、「父親は研究者である」という非常に簡潔な一文の先に並べられる物事が、健人の記憶の中には存在しなかった。それは永久に褪せることのない完璧な記憶を持つはずの健人にとって、とても奇妙なことであった。


 健人は焦った。

 父親はいかなる悪事にも手を染めていないと信じるに足りる情報を見つけ出さなくてはならない。

 何か、周辺情報でも良い、決定打になり得る記憶はないだろうか。

 そうだ、生まれた直後から二歳で引っ越したときにかけての記憶を精査しよう。既にMemoryLogはアーカイブとして容量を圧迫しないよう圧縮が成されているから、起床時間だけでも一万時間を優に越える各種データの復元処理には時間がかかるだろうが、それは実行されなくてはならない。そこにあってはならない真実を、なかったものと知るために。








「ねえ」


「ねえったら」

 花菜が健人の肩を揺さぶったことで、健人は我に返った。

 MemoryLogを展開する長時間の高密度演算処理によって明確な疲労を訴える頭を無理矢理に動かして彼女の方を振り返る。


 花菜はそれだけで安堵の表情を見せ、大きく首を折った。


「もうお昼だよ、何か食べないと」

「……何時?」

「十二時半。昼休憩で戻ってみたら朝と全く同じ格好で考え込んだままだから怖くなって」

「そっか、ありがとう」


 花菜はテーブルの上に置かれていたラップの掛けられたトーストが載った皿を持ち上げ彼の横に置いた。


「冷えてるだろうけどとりあえず食べて。お昼は冷凍の炒飯を二人分出すけど、それでいい?」

「ああ、うん。全然」


 あまり考えすぎないで、という声を健人にかけて、彼女はキッチンに消えた。




 ここまでに思い出せた記憶の中を一巡りする。当時の自分に違和感として記憶されたような会話や光景はそれなりにあったようだが、そのどれもがどこか遠くの公園に遊びに行っただの、近所の道路で工事が行われていただの、とても非日常とは言いがたいものだった。


 記憶にあるのは、幸せな思い出と健人の体を気遣いながら決して器用ではない愛情を注ぐ勲の姿だけで、それは不思議なほどだった。


「可能性は……親父の仕事に興味を持てないような行動原理の設定?それか記憶の改竄、とかはあり得るのか? ……いや」


 行動原理に仕事への興味を失わせるものが入っているとすれば、どうして今、健人は熱心にそのことを考えられるのだろうか?それに、MemoryLogへの介入は理屈としては可能だが、映像や音声に留まらず、知覚の全てをシームレスに繋ぐ偽造記録を挿入することは現実的ではない。

 想像された解をすぐに打ち消し、健人はトーストを口に運んだ。

 続きは帰ってからにすればいい。そもそも、何も見つからなければ、それはきっと父親の無実を証明する理由になるのだから、まずは現段階で彼が白であることを喜ぶべきだろう。



 午後シフトの出勤時刻が迫っていると気付いたのはそのすぐ後のことで、健人は慌ててトーストを食べきり身支度を調えるべく自室に向かった。

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