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機械と愛と烏  作者: 諭吉
二章
10/45

リーク

一時的に視点が変わります。

 まだ日も出ていない時間帯に首都高をひた走るというのは、中沢神路にとって珍しい経験ではなかった。事件の進展が朝を待ってくれるなどということはなく、捜査一課所属であった時にも、警視庁特捜本部の人員として駆り出された時にも、決まって一度か二度は真夜中を過ぎた頃に桜田門からの呼び出しがあった。当然神路の方にもそれを拒絶する理由などなく、呼ばれればすぐにでも飛んでいける準備を整えておくのは彼の日常だった。どれほど深い眠りからであっても必要とあらばすぐさま目を覚まし、100%のコンディションに脳を持って行けるように、彼は身体を慣らしていた。


 スピードメーターに目を向けると、針は八十五を指していた。二十五キロの速度超過だ。興奮が自らの気を逸らせていることを自覚し、神路は意識的にアクセルを緩めた。

 四谷から中央環状線に向かって旧江戸城の堀の上を走り抜ける。交通量は極めて少なく、このスピードでも順調にいけばあと十分ほどで警察庁に辿り着けるはずだ。




 今回のドライブの中で唯一普段と違うことがあるとすれば、それは神路がこの事態を完全に予期できていたという点にあるだろう。


 この前日、記者会見から始まり全国合同捜査本部の設置と連絡体制の整備までを指揮するという長い一日を終えくたびれて帰宅した神路を迎えたのは、ギデオンの右手の紋章が目立たないよう小さく刻まれた差出人不明の白い封筒だった。普段使いしている勝手口の門に無造作に挟まれていたその封筒は、非常に薄く、街灯の光にすかしてみても中に紙以外の不審物、つまり爆発物などが入っている気配はなかった。


 まともな封すらもされておらず半開きになっていた封筒を観察し毒物が仕込まれているという可能性を打ち消した神路は、それでも念のためゴム手袋をはめた上で、丁寧に封筒を開いて中に入っていた便箋を取り出し、その内容を精査することとした。



 それは、ギデオンの右手の信者を名乗る人物からのリークであった。内容は、第二次解放事件を引き起こすための技術と、第一フェーズの犯行が実行された場所の二つ。現場は岡山県中部、とある廃工場の地下。ヒト大脳を一斉に瞬間培養し、生命数が一瞬で増加したかのようにみせかけて生命量上限超過による大量死を誘発する、という手段がとられたという。それ以上の情報を漏らすのは「切実な事情により」不可能である、との文言と共に、短い手書きの文章は終わりを迎えていた。


 これを読み終えた神路は即座に捜査本部に連絡をとり、この情報の裏を取らせることとした。警察庁次長という責任ある立場の人物の家に直接届けられた怪文書はそれなりの説得力を持つものとして受け入れられ、必要な措置がとられた後に指示を受けた岡山県警がUAVを用いたソナー探査に取りかかった。



 第一次解放事件から二十五年、尻尾すら掴ませてくれなかった組織から直接リークが届いたかもしれないという空前の機会に、神路は心の沸き立つ思いがした。不思議と、神路にはこのリークが本物であるという確信めいた予測があった。それは刑事としての長年の経験がもたらした勘によるものであったかもしれないし、日本社会を脅かし続けた巨悪を葬り去れる可能性への渇求であったかもしれないし、ともすれば警察組織の最高位への到達を目前とした自らの出世欲がもたらした過度な希望的観測であったかもしれない。しかし、そのようなことは神路には関係なかった。次の日が更に長い一日になることが予期できたため、すぐに就寝し、体力を回復することに努めたのだった。



 決定的な連絡が岡山から東京に届いたのは、朝の三時のことであった。リーク通りに、岡山県中部の八十年前に廃業した金型工場の地下に、広い空間と、その中に大きさの等しい物体が規則的に並ぶようにして存在していることが判明した。


 その情報は一瞬で捜査本部内を駆け巡り、当然神路にも召集がかかった。



 そして、今に至る。


 地下駐車場に車を停めた神路は、ダッシュボードから密閉袋に詰めた封筒を取り出し懐にしまい込んで、急ぎ足でエレベーターホールに駆け込んだ。

 捜査本部が置かれた警察庁二十階の会議室に辿り着いた時、中には人だかりができていた。

 

 副本部長の名前を冠した自分の椅子に辿り着いた神路は荷物を放り投げ、近くにいた鑑識に問題の封筒を渡し、人だかりの中心にあるホワイトボードの横に立っていた背の高い男に声を掛けた。


「遠藤、状況は」


 神路の存在に気付いた遠藤はマーカーペンを置き、情報を整理した後に神路に向かって口を開いた。


「いつリークに気付かれてもおかしくないのだから朝を待たずに今すぐにでも強制捜査すべきという意見と、そもそもお前の所に来た手紙自体がギデオンの罠で様子を見るべきだという意見が対立していて結論が出ていないという所だな。どちらにも一理ある」


 遠藤は会議室に向かってこの状況整理の追認を求め、五、六人が頷いた。

 神路はそれを尻目にホワイトボードを眺めた。乱雑に速報や入電と題された情報が書き殴られており、全てを解読するには少しの根気を必要としそうだった。


「問題の工場付近は今どうなってる」

「十五分前の報告によれば、人間の動きは一切関知されていない。近所の住宅街をちらほらと車が通過している程度らしい。地中故に精度は落ちるが、UAV探査では施設内にも人間らしきエコーは確認できなかったと報告が上がっている」

「もぬけの殻、と?」

「その可能性は高いが、それ故に罠の可能性が捨てきれない。あまりに状況が整い過ぎている」

「おびき寄せて施設ごとということか」


 この時点で神路はおおよその議論の構造と、これまでその議論を主導した遠藤が慎重派であることを理解した。その上で、彼は突入派の立場をとることを決意した。


「しかし奴らにも高々数十人の特殊部隊を警察から削ったとて意味などないことくらい考えられる頭はあるだろう」


 神路が立場を明確にしたことにより、会議室にいる人間のうち何人かは首を縦に振り、また何人かは天を仰いだ。縦に振られた首の数の方が明らかに多かった。

 遠藤は長い身体をやや屈め、神路の目をのぞき込んだ。神路は堂々とその顔を見返した。


「彼らの教義からして命を減らすということは合理的だろう。例え少数であっても、それは警戒されるべきだ」

「今さらギデオンがそんなみみっちいことをしでかす理由があると思うか? 一千万人を殺害します、だなんて計画をぶち上げて実行している最中にその0.001%にも満たない数の警察を殺して何になるんだ」

「第一次解放事件の前の彼らは通り魔殺人を繰り返すだけの大学生カルトだったんだ。小規模事案への原点回帰と表現することもできる」

「は、とんだ方針転換だな。それにこれが仮に罠だったとしても、その罠すら踏ませて貰えなかったこれまでと比べれば百倍、万倍の進展だぞ。地下空間ごと爆破されようと全部掘り返して隅々まで調べ上げればいい」


 そうだ! という同意の声が周囲から上がり、俄に刑事たちが活気づいた。神路はそれを視界の大外で認識しながら、言葉を続けた。


「何より、俺たちには奴らの動きを止める方法が全くないんだ。いつ次の動きがあってまた数百万人の市民が殺されてもおかしくない。今目の前にぶら下がってるチャンスを掴もうとすらしないなら、俺たち警察は何を守るために存在する?」


 神路は大きく手を広げ、拳を握り込んだ。会議室の空気を手中に収めた感覚があった。

 それを感じ取ったらしい遠藤は表情一つ変えずに、さらに神路の顔に自らの顔を近づけた。理知的な遠藤の性格をよく表した、冷たい眼差しだった。


「お前は数十人の機動隊を死地に送り込むという命令に責任が持てるのか?」

「千万の命を救える可能性が万に一つでも増えるなら喜んで全責任を負うさ」

「自分の首を懸けるという発言に聞こえるな」


 一瞬、遠藤の目線が自らの胸元に跳ねたのが分かった。そこには遠藤と同じように警視監のバッジが輝いていた。


「今までに俺は一度も自らの進退をテーブルに置かなかったと? それともお前は作戦の失敗によってお前自身に利が生まれるとでも言いたいのか?」


 神路は不敵に笑ってみせた。遠藤はそれを受けしばらく考えるそぶりをみせた後、一つ頷いて屈めたままだった体を起こした。


「とんでもない、お前はそういう奴だってのは誰よりも俺がよく知っているからな」


 真顔でそう言って、遠藤は会議室に向き直った。


「最後に一応決を採る。突入に賛成の者は挙手だ」


 手を上げた捜査官たちがすぐに過半数を超えたのを確認して、神路は手を叩き注目を集めた。


「事態が急を要するとの判断により、強制捜査の決行を準備する。本部長不在故、副本部長中沢の決断による決定とし、全責任は私が負う。捜査一班は裁判所を叩き起こせ、今すぐにガサ状をもぎ取って来い」


 その号令に従って何人かが会議室を飛び出た後に、遠藤が指示を重ねた。


「令状が届き次第速やかに捜査を開始できるように、岡山県警・大阪府警の機動部隊に作戦準備を通達。令状がない以上公式な指令が出せないので突入は決行させるな。加えて手の空いている広報担当を集めて議論を始めよう、これは公表するしないに関わらず徹底的に報道統制を敷くべき事案だ。そうでなくとも、既に記者クラブの連中が何かに感づいていてもおかしくない。広報担当で手が空いているなら12号会議室に集まって対応を協議すること。結論は四時半までに出すんだ」


 その一声で会議室からさらに人が減り、そしてしばらくの後に岡山県警・大阪府警との3D映像通信が確立され情報の伝達が容易になったのをきっかけとして、捜査本部の喧騒は一旦の落ち着きを見た。





 令状が届いたのは朝の六時をわずかに過ぎた頃だったが、その時既に岡山県警機動捜査隊と大阪府警SATは現場付近に辿り着いていた。

 警察庁から強制捜査開始の指示が発せられた後、すぐに哨戒ドローンによる偵察が実行に移され、各機動部隊が作戦通りの立ち位置を確保したとの報告が上がった。


 この時点で、二十階の会議室にはほぼ全ての人員が集結していた。四半世紀もの間この国を悩ませ続けた問題の元凶についに正義の鉄槌が下されようとしていたその瞬間を、よもや見逃したい人間がいるはずもなかった。

 

 その後、六時十三分に突入が決行された。現場からの通信は断続的となった。しかし、断片的に得られる情報からですら、作戦が非常に上手く進行していることが聞き取れた。

 神路は副本部長の椅子に深く腰掛けて制圧完了を待った。興奮のあまりに獰猛な笑みがこぼれていた。


 そして、突入開始後わずか六分で制圧が完了したとの知らせが飛び込んできたのだった。報告によれば、予期されていた通り地下空間はもぬけの殻で、広大な空間に並ぶ無数の培養槽中に既に朽ちた大脳が残っているばかりだという。そのまま探索に移る、という伝達をもって初期報告は終了した。


 会議室は大いに沸いた。ついにかのギデオンの右手に一矢報いることが達成されたという事実は、それを夢見続けてきた刑事たちにとってはこの上ない喜びであった。




 情勢がやや変化したのは、二次報告が現場から上がってきた時だった。


「情報計算機器やギデオンの右手に関する資料が一切見当たりません」


 困惑の色が会議室中に広がった。既に地下空間内にトラップの類いが存在しないことは厳重に確認がされており、ほぼ確実にギデオンの右手にとってはこの強制捜査は予期しないものであったのだろうと見られていた。


「それはどういう意味だ」


 神路の質問に対して、映像越しに大阪府警SATの班長が首を振りながら返答した。


「そのままです。事務室のような部屋、明らかに最近まで使われていた形跡のある机とキャスター付きの椅子などはあるのですが、肝心の電子機器や紙媒体が全く存在しません」

「リークに気付いて慌てて逃げ出したような形跡はあるか?」

「これは私の私見に過ぎませんが、そういうことではなさそうです。例えばほら」


 そう言って班長はカメラを手に取り、自らの立つ部屋の一角にあるデスクを映しズームインした。そこにはおびただしい数のコードが壁から伸びた状態で並べられていた。全てのコードの壁と繋がっていない方の一端には見慣れない形式のオス端子が圧着されていて、つまりはデータの送受という役割を奪われた後のコードたちであることが見て取れた。


「ここにはおそらく何らかの計算機が置かれていて、この大量の配線と繋がれていたはずです。しかし、その計算機は見る影もなく、しかも本来なら埃で覆われていそうな配線や机は悉く綺麗に掃除されている。生体情報を残さないための処理が行われたものと考えられます。この他も基本的にあらゆるものが整頓された状態で残っているのみです。計画的な退出が済んだものと見ることができましょう」

「……そうか」


 これより現場の保全と鑑識の準備にとりかかります、との連絡を最後に二次報告は終了し、後には眉を大きくひそめた刑事たちだけが残された。


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