総理大臣に転生した青年の現代風ストーリー
生まれてから約30年、ずっと日本にいるが、日本の政治には疑問や理想はあれど理解はない。しかし、その理想を言語化すれば、日本の世論が多少変化するかもしれない。そんな当てのない期待を込めて作品を作りました。また、作成中、別の作品の構想ができてしまい、途中で終わってしまいました。
第0章:藤原光一郎総理の就任演説
「総理大臣就任の挨拶」
壇上に立った藤原光一郎は、目の前に広がる議員たちや多数のメディアのカメラに一瞥を投げた後、言葉を紡ぎ始めた。
「また自由民主党(自民党)の党首か。」多くの国民はこの思いを抱えながら、彼の挨拶を聞いた。何の変哲もない、何の興味を引く要素もない、ただの挨拶。しかし、彼の言葉には、国民がまだ知らない重要なメッセージが隠されていた。それが、日本を大きく変えるきっかけとなるだろう。
藤原光一郎は、静かにトレードマークの大きな黒縁の眼鏡を外し、普段は伏し目がちな顔が生き生きとした、若々しい表情に変わった。そして、高齢者特有の小さな声ではなく、明瞭で力強い、若者のような声で、議会を圧倒した。
「国民の皆様、この長い経済不況、その原因は何だと思いますか?若者の減少か?新しい企業が生まれないことか?私は違うと考えます。
かつての日本は、一つの大きな家族のようでした。皆が同じテレビ番組で笑い、同じ音楽を共有し、同じ車を運転し、全国共通の話題で興奮し、感動を分かち合いました。しかし、現代の日本はどうでしょう。多様性の名の下に、私たちは多くの小さな家族に分裂し、共通の話題を共有する機会が少なくなっています。
この多様性は個々の自由と表現を促し、私たちの個性を引き立てています。しかし、同時に、私たちは一人一人が孤立しており、全体としての力は弱まっているとも言えます。我々は一つにまとまることの難しさを痛感しています。
これまで、私は“風見鶏”と称されることがありました。多くの意見を尊重し、それに従うことで、皆様の声を体現しようとしてきました。これまではそれが最善だと信じていました。
しかし、新たな視点を得たのです。
皆様、私は日本を一新します。驚きの連続かもしれません。しかし、何も恐れることはありません。Do Best!私たちと共に、最高の日本を目指しましょう。皆様の協力をお願いします。」
彼の挨拶は、テレビを通じて何度も繰り返し放映され、国民一人一人の心に深く響きました。全く新しい藤原光一郎の姿に、人々は驚き、疑問を持ちつつも、何となく元気づけられ、期待感を抱くようになった。しかし、彼が本当に変わった人物になったことを、誰もまだ知らなかった。
第1章:総理大臣の革新
それは、藤原光一郎総理大臣の初めての全国放送の挨拶が、平凡なものであるように見えた。新任の総理大臣の初期の熱意に溢れているだけだろうと、その日、多くの国民はそう思った。しかし翌日、彼の真意が明らかになったとき、国民は驚愕した。
その理由は、藤原総理の野心的な計画「Do Best!!」が、前例のない「高齢者だけの楽園」を築き上げるという壮大なものだったからだ。この政策は、テレビだけでなく、YouTube、TikTok、TwitterなどのSNSで同時に公開され、国民の間で衝撃が走った。それぞれのプラットフォームに対応した形で、藤原総理自身が動画を作成し公開したのだ。
テレビ向けの映像では、高齢者の多い視聴者層を考慮して、彼は静かに語った。「私たち高齢者の最大の悩みは、生涯の終わりに向けた不安ではないでしょうか。そこで私は、金銭的な問題や孤独を心配することなく、安心して過ごせる場所を作りたいと思っています。その場所では、時間を共有する仲間が常に側にいます。だから、私はそれを『楽園』と呼びます。」
一方、YouTube向けの映像では、若者をターゲットに、「我々高齢者は引退します。これからは、みんなの時代。我々は邪魔をしない。自分たちが正しいと信じる道を進んでほしい。」と力強く語った。音楽に合わせて踊り、若者たちにメッセージを送った。
これらの映像は何百万回も再生され、全国民の間で大きな反響を呼んだ。しかし、テレビで連日批判的な報道が行われ、高齢者の間では彼の政策に対する反感が広がった。
それでも、若者の間ではこの政策への支持が広がり、著名人や芸能人もそれに同調し始めた。また、藤原総理が自身の全財産を投じると公言したことに感銘を受け、同じく高齢のビジネスマン、政治家、芸能人たちも後を追い、自身の資産を投じることを発表した。
この流れを見て、藤原光一郎は過去のある出来事を思い出した。
「なぜ今までと違うことをするんだ?」上司が問いただした。
「なぜ新しいことを試してはいけないのですか?」と常盤夢丸は反問した。
「俺が今までこうやってきてうまくいったからだ。お前のような新人が経験を馬鹿にするな。罰として、しばらく正座してろ。」上司は厳しく言い渡した。
常盤夢丸は心の中で呟いた。「この古い考えのせいで、何も進歩しない。もうこの会社はやめてやる。」
藤原光一郎のこの挑戦が、新しい日本を築く最初の一歩となることは、まだ誰も知らなかった。
第2章:『楽園』への招待
藤原光一郎総理大臣の深い声が放送を通じて全国に広がった。「『楽園』と呼びます。この『楽園』について、詳しくご説明させていただきます。
『楽園』は『高齢者だけの楽園』です。50歳以上の日本人のみが訪れ、社会から「引退」した自由な世界を享受できます。50歳という節目を迎えた際、それぞれが自由に「引退」するタイミングを選び、自身の財産を全て相続人に譲ることで、『楽園』で新生活を始めるのです。これは、今まで日本という国に貢献いただいた皆様にのみ与えられた特権と思ってください。
「楽園」では、形式的には松竹梅のランクが存
在します。しかし、それぞれのランクに大きな意味はなく、私自身も「梅」のランクでの生活を選びます。
大切なことをお伝えしましょう。『楽園』ではお金は必要ありません。従来の社会では、お金から逃れることは難しかったかもしれません。しかし『楽園』では、お金という概念は存在しません。
皆様は一つの巨大な施設で暮らすことになります。個々のプライベート空間は確保され、その広さや設備はご自由にお選びいただけます。しかし、多くの方々がそこに過度の要求を求めないでしょう。なぜなら、食事、入浴、娯楽のための共有施設が充実しており、その交流が「楽園」の真価を体現しているからです。
さらに、近日中に立法化が見込まれる「安楽死」法により、皆様は自分の人生の最期を自分自身で決めることが可能になります。
そして、皆様に朗報です。「楽園」には、世継ぎ人と呼ばれる者たちが存在します。彼らは皆様から学ぼうとする真剣な者たちで、皆様がこれまで蓄積してきた知識や経験が次の世代へと受け継がれることを約束します。どうか、気兼ねなく彼らと会話をお楽しみください。
以上が『楽園』の概要です。皆様、いかがでしょうか。興味を持っていただけたでしょうか。」
この言葉がテレビから流れると、国民の間には一瞬の静寂が訪れた。かつて風見鶏と呼ばれ、誰も彼の真意を掴めなかった藤原総理が、ここまで真剣に、そして、思いやりのある提案をするなど、誰が想像しただろうか。しかし、その語り口と誠意溢れる提案は国民の心を動かし、新たな希望の種が蒔かれた。その一人ひとりの胸に、新たな夢が芽生えたのだ。
第3章:『楽園』から見る新たな日本への道筋
「なぜ今までと違うことをするんだ?」という上司の疑問に対し、常盤夢丸は即座に返答した。「なぜ新しいことを試してはいけないのですか?」と。上司は厳しく言い渡した。「俺が今までこうやってきてうまくいったからだ。お前のような若者が経験を馬鹿にするな。罰として、しばらく正座してろ。」内心で常盤夢丸は呟いた。「この古い考えのせいで、何も進歩しない。もうこの会社はやめてやる。」
カランカランカラン、コンビニのドアが開き、お客様が入店した。常盤夢丸は目が覚めたように「いらっしゃいませ。」と声を掛け、そして再び、過去の記憶にふける。銀行員として頑張っていたあの日々。お客様のために融資することが大事だと思っていたが、上司の考え方とは合わず、あきらめてしまった。銀行が、いや、もっと言うと日本が、もう少し若者の意見を尊重してくれる社会だったらと。
「おい、あんちゃん、3番くれ。」「ポイントカードはありますか。」「いいよ、そういうのは。3番、3番を早くくれ。」タバコを買うお客様に何度もポイントカードの説明をするも、理解してもらえない。「まあポイントカードをこのお客様から獲得したところで、僕は所詮フリーターだからな…」と常盤夢丸は思う。
その時の彼は、「Do Best!!」の熱い思いを抱きながらも、日本の変革を夢見る若者の一人でしかなかった。しかし、それはあくまでその時までのことだった。
第4章:『楽園』の実現と3つの新たなる挑戦
藤原光一郎が就任の挨拶をしたあれから3年。彼の思想によって描かれた「高齢者だけの楽園」がついに完成を迎えた。この国家規模の大プロジェクトが短期間で実現したのは、詳細な事前準備と計画があったからこそだ。藤原光一郎は、一部を公にするだけでなく、動画、説明書、施設設計図などの詳細を全て同時に公表した。その結果、その野心的な計画はすぐさま国民の支持を集め、スムーズな建設作業が速やかに開始された。
建設の進行は非常に計画的で、大きな問題は発生しなかった。国民の期待と興奮が共有される中で、反対派も賛成派に合流し、このプロジェクトは国民全体の支持を得るという好循環が生まれた。その結果、計画は予定通りに順調に進行した。
そしてついに完成の日を迎えた時、藤原光一郎は再び国民の前に立った。就任の挨拶の際と同様に、彼は若々しい表情で言葉を紡ぎ始めた。「皆さん、ついにこの日が来ました。『楽園』の完成です。これによって日本は大きく変わるでしょう。」と。その言葉に国民からは大きな歓声が上がった。しかし、それはまだ序の口だった。
その理由は、藤原光一郎が既に次の大きな政策を準備していたからだ。「これからの日本は、稼げる国にならなければなりません。その実現のため、私は次の3つのプロジェクトを計画しました。私たちは、この3年間、これらのプロジェクトを始められるように準備を進めてきました。皆さん、これからの日本をご覧ください。一つ目は観光大国、二つ目はIT大国、そして三つ目は宇宙大国です…」と、藤原光一郎の言葉が、その瞬間、国民の大きな歓声に溢れる会場に響き渡った。