ゴブリンの暗喩は黄色人種、創作論
指輪物語の作者が、戦争で捕らわれた白人の
伝聞で黄色人種をモデルにゴブリンを描写したと
聞いていますが、よくゲームや映画やファンタジーなどで
悪者の群れとして退治されているゴブリンですが、
モデルは戦時中の黄色人種だと思うと、どんなに悪に見えても
相手にも正義があって魂があるかもしれない事を忘れないように
したいものだという、よくある「お説教」のような感慨になったり。
ゲームなどを遊んでいて食料を確保のために、
そこに住む動物達を狩りつくすようなゲームで遊んでいたり。
ちょっと前までは野菜やフルーツしか採取せず、動物系は
偶然当たったりや近くにいたら近接武器で狩るというスタイル
だったのですが、動物系の肉を食べないと火力が出ず、
火力を上げるために必要以上に見つけたら、狩りつくすように
なりました。肉はアイテムとして保存され腐りもせず、
動物も時間がたてばリポップで、また出てくるので、
ゲーム内なら何の罪悪感もなく狩れるのですが、
現実だと狩りつくすと全滅していなくなるはずなのですが、
現実の人間全員にそんな知恵が備わっているかというと、
生活が困窮している人は、楽してお金や肉が得られるならと、
他人に奪われるより先に自分が狩ってしまおうとなる人がいて
全滅させないよう取り締まったり、ゲーム内ではそんな配慮の
あるゲームは、まだ見た事ないなあ。
ゲームでは、遊びのように動物を狩り、肉を得てストック
するため、一見効率的な行動をしているように感じますが、
傍目には遊びで動物を狩りつくす、本人がそれに全く
気付かなければ、リアルでやっても全く気付かない。
そんなゲームで遊ぶことによる虐待への不感症を増すような
ゲームが、任天堂やら大手でさえこんな感じで、自分だけなら
注意して感性を削られないように気に留めておく事もできるのですが、
ほとんどのゲーマーはそんな事を微塵も感じずに感性を削られて
遊んでいるのではないかと、心配になったので書いたエッセイです。
ゴブリンスレイヤーや他の弱いモンスターを圧倒して狩りつくす
ような娯楽が流行っていますが、気持ちよさだけに流されず
自分を俯瞰してリアルと比べる精神修行的なものを良いゲームとして
自分は評価したい。
2023.10.10追記
話を簡略化して説明する。
日本では暴力に対する規制が甘く、外国では
しっかり18禁やR18だったり暴力に対するレートが
存在する。
日本ではその辺が甘く、任天堂でさえ幼児向けや一般大衆向けの
ゲームで暴力を快楽するための演出として入れてくる。
作り手になって考えるとわかりやすいかもしれない。
モンスターを倒して、死の演出をする時に、殺した時に
殺した側が快感を得るようモンスターを叫び泣かしたり、
血がドバドバ出て、殺戮本能を駆り立てる演出にするか、
そのへんには全く作用しないよう、あっさり演出にするか。
罪悪感を残すため、死体を残したり。小説的な演出なら
子持ちだったりして、子モンスターが出てきてピーピー
親元で泣いたり、殺したプレイヤーに襲い掛かってきたりと
話を広げたりもできるかもしれない。
ポケモンに関しては、殺戮演出の方ではなく、
モンスターをカプセルに入れて洗脳して戦わせる方に
精神的な奴隷化の問題が隠れていて、気づかずに遊ぶ問題がある。
2023.10.11追記
結局グダグダ脱線してしまったので、もっと完結な書き方で。
生き物を殺してその反応で得られる快感をそのまま受け取ってしまうか、
モラルや弱者へのいたわりとして本人が毛嫌いできるかの違いかもしれない。
子供はそのまま「気持ちいいぃー」として受け入れ感性をそがれていく
子供もいるかもしれない。大人は弱者いじめでの快感を社会経験などから
知っていて嫌うかもしれない。自分は、任天堂がよくない気に入らない所は、
故意にこれくらいのゴブリン殺しの快感は良いだろうと目くじら立てられない
程度にいれて大衆を釣ってきている所。ゲームならゲーム性の面白さで勝負して
ほしいところだが、生き物を殺す快感を混ぜ込んで面白くしてくる姿勢に
反感をいだく。