第4話 一歩、踏み出すということ
ミルティア 侯爵令嬢 黒髪に赤い瞳
エアル 宮廷魔道士
カーラ 公爵令嬢 銀髪に翠の瞳
レフ 転生者 琥珀狐 カーラの相棒(前世ではbarの店長)
ヘルン 王女 金に近い茶色の髪 碧眼
ロナルド カーラの兄
ジャスミン 町の料理店の店主
ケイト 転移者 ジャスミンの店の店員(レフの元同僚)
ついて、いかなければよかった。
昨日は、久しぶりの休日だった。
遅い朝ごはんでも仕入れようと思って、街に出たのが運の尽きだった。
思いがけずミルティアの姿を見つけて嬉しくなって、いつものようについて行ってしまったから。
見てしまったのだ。
彼女が、親しげに男と歩いているところを。
「かっこよかったなぁ」
彼女と並んでも見劣りしない、銀髪の青年だった。
背が高くて、たくましくて、大人の余裕があった。
彼女は、彼に寄り添うように体を……。
思い出しただけで、吐きそうだ。
あの湖畔での出会いから、2年。
黒髪に赤い目の特徴を頼りに、彼女を探し出していた。
最近は、彼女の行きつけの店にも通って、常連になった。
彼女は、月一回、友人と食事をしている。
奥まった半個室。いつもその席だ。
いつも、彼女の友人との楽しい時間を邪魔しないように、カウンターから時折彼女を見るだけに留めている。
現在の趣味といえば、ミルティアの姿を目で追うことだけだ。
今日はその店に、友人と訪れていた。
彼女の姿は見えないので、気兼ねなくミルティアの話をすることができる。
「だから、そろそろ声でもかけてみたらって言ったのに」
同伴していた友人にそう言われて、声を押し殺して反論する。
「馬鹿を言うな、俺なんかが声をかけていい相手じゃない……!」
思い返せば。
あの日から、人生が変わるくらいの努力をした。
山羊の乳を飲んで背も伸ばしたし、剣の鍛錬も死に物狂いでやった。
末っ子だから家督は継がないが、王宮での仕事に有利かもしれないと、政治についても学んだ。
魔力はそこそこあったので、長期の休みには身分を偽って冒険者登録をして極限の状況に身を置き、感覚を研ぎ澄ませた。
おかげで、学生の身でありながら、宮廷魔道士の末端に名を連ねる事もできた。
可愛いと言われ続けた容姿は、いまではかっこいいと言われるように。
寄ってくる女性たちのあしらいも、上手くなった。
それでも、彼女を見る自分は、その中身は、あの頃の自分のままだ。
彼女に対しては、素の自分で話しかける自信なんか、どうやったって、つかなかった。
彼女の事が眩しくて、彼女の姿を探しては遠くから眺めるのが、やっとだった。
「お前な、それ、ストーカー……」
「断じて違う」
低い声で断定する。
「俺は、そんな下卑た心を彼女に抱いてはいないからね」
「どこから突っ込んだら良いのかわからないよ……」
なぜそんなに呆れられるのか。エアルにとってはそっちの方が謎だった。
「しかしなぁ。あんな美女だ。うかうかしている間に、かっさらわれるぞ?」
昨日の光景が脳裏に浮かび、うっと胸が苦しくなる。
「彼女が、幸せなら……」
「本当かぁ?」
「案外、彼女のほうは、自分だけを見てくれる優しい人を求めているかもしれませんよ? それだったら、エアルさんも良い線いってるかも」
黙ってカウンターの中で話を聞いていたケイトが、気まぐれに口を挟む。
「ケイトちゃん〜。優しいなぁ。ありがとうねぇ」
彼女が、エアルの事を見て笑ってくれる事などあるのだろうか。そんな想像をしただけで泣きそうだ。
(うーん。お世辞じゃないんだけど)
ケイトの贔屓目なしに見ても、彼とミルティアは釣り合っている。
お互いのまとう雰囲気こそ違うけれど、身長はミルティアと同じくらいだけれど、並んでも遜色ない美男美女だし。
お互いに、家督を継ぐ立場ではないし。
彼が学院を出て一人立ちすれば、問題はないのではないか。
あ、あと、ストーカーじゃなくて、まともにアプローチすればの話だけれど。
何より、ケイトの知るミルティアの好みは、自信がなくても相手を思いやれる優しい人だ。
(うーん。勿体ない。でもこういうことで第三者が口を出すのもなぁ)
拗れる元になりかねない。
噂の部下の彼とも、どうなるかわからないし。
安易なことは言えないと判断した。
友人は、エアルの肩を叩いて指摘する。
「お前な、悪気がないのはわかってるけど、そのスペックで自信がないと連呼するのはただの嫌みだからな」
「え、嘘、ごめん」
「謝るな」
それについては、ケイトも同意する。
「そうだねぇ、もう少し客観的な目を育てたほうが良いねぇ」
「うう」
(黙ってれば、王子様みたいなのにねぇ)
「あ〜〜! 俺なんて、日陰から眺めている人生がお似合いだよ……」
いかんせん、拗らせがすぎる。
「おーい。そこな少年。カウンターに苔生えそうなので、湿っぽくしないでくださーい」
店員のティナが鋭利な一言を放つ。
「ティナちゃんったら! ごめんなさい」
ケイトは慌ててフォローする。
ティナの気持ちもわかるけれど、尖りすぎだ。
「そういう日もありますよね」
「ありがとう。ごめんね。何かおすすめをくれるかい?」
「あ、レッドアイなんていかがですかぁ? そんなに強くないし、少年でも飲めそうよ。トマの実ジュースが入ってるから健康的ですよぉ」
レッドアイ……。
なぜだろう、涙が止まらない。
エアルは自分で思うよりも重症だった。
「やっばい、ケイトさん、なんか私、お客さんの涙腺踏み抜いちゃったみたいですぅ」
「お客さん! とりあえず、甘酒!」
ケイトがミルクパンに白い飲み物を注いで、温めはじめた。
「お酒って言うけど、酔わないし、体に良いです。あったまって!」
酔わない酒なんて。
やっぱり、子供扱いじゃないか。
エアルは落胆する。
早く、大人になりたい。
自信を持って、彼女に気持ちを伝えられる大人に。
「あっ」
ケイトの声と目線に、反応するエアル。
なんだか表が騒がしい。
何かあったのかと外を見た瞬間に、席を立っていた。
ガタッ
椅子の背もたれにかけてあったローブをおもむろにつかみ、走りだす。
迷いなく店を飛び出すエアルの、別人のように真剣な顔つきを見送って、ケイトはつぶやいた。
「ほら、かっこいいじゃん」
そういうとこだよ。
ただのストーカーだったら、ケイトはとっくにミルティアに忠告している。
黙って見守っていたのは、彼がミルティアの事を大事に思い、守ろうとしているからだ。
「頑張れ、少年」
その背中に、エールを送ろう。
生まれ持ったもの。家族のこと。性別のこと。
色々な理由で、好きな人へ手を伸ばすことを躊躇う人もたくさんいる。
私のそばにも、いましたから。
だから、その気持ちもわかります。
でも。
人生を変えるほどの人に出会えるということ。
一歩を踏み出せば、手が届くということ。
たとえその結果が悲しいものになったとしても、きっとその経験は、未来への糧になる。
想いを届けることができるということは、当たり前ではない。
奇跡なんだよ。