冒険者の自己責任について
冒険者ギルドの放任自己責任主義はなぜなのか、というのはそれほど難しい問題ではないように思われる。
少人数で、命がけで、流動的な現場で活動する冒険者に対し、ギルドが強い統制力を発揮することができないからだ。
少人数で遠征した際、予定外の奇襲を受けたから戻って戦闘の許可を取ってこい、往復三日かかるけど、なんてやってたら全滅するだろう。
また、こういう時はこうする、とあらかじめ細かく決めておいても、想定外の事態が容易に起きる仕事であるのですべてを取り決めておくことはできない。そもそも想定外に備える仕事という面が強い冒険者から臨機応変さを奪うのは無理がある。
それをおして街にある冒険者ギルドからの指示に従わせたとして、それで被害が出たらどうなるだろう。
冒険者ギルドは責任をとれるのか?
取れないし取りたくもないだろう。
ギルドを守るためにも、冒険者を守るためにも、活動中の冒険者は自己責任とするしかないのだ。
基本、冒険者が活動する場所は魔物の出る場所、つまり人類の支配が確立していない場所、もしくはその境界である。
イレギュラーな事態が起きないわけがなく、むしろイレギュラーな事態に対応することこそが冒険者の仕事ともいえる。
そんな先も見えない場所で、現場に指揮権を、判断し行動する権利を与えないというのは死ねといっているようなものなのだ。
孫子が君主よりも現場の将軍の判断が優先だよと言っているが、これと同じことである。
そして判断をゆだねる以上はその責任は判断する者にかかる。
対外的なものはともかく、冒険者自身の死傷にかかわる部分はもちろん依頼の成功失敗にかかわる判断の責任は冒険者のものだ。
さらにいえば、冒険者が街の外で何をしたとしても、冒険者ギルドは冒険者の報告でしか把握できない。
例えば森の奥で仲間を殺して身包み剥いで、魔物に殺されましたと報告しても証拠隠滅が万全なら発覚しない。
把握できないものは管理できないし捕まえることも罰を与えることもできない。
管理できないものの責任を負うというのは無理がある。
発覚さえすれば対処できるが、つまりばれなきゃ犯罪じゃないんですよというやつである。悪いやっちゃぜ。
なので冒険者ギルドは冒険者が最善を尽くしているという前提で、冒険者の行動に責任を持たないし持てない。悪さをしていることがばれたら相応に対処する。
そして上役が責任を持てないのだから現場の人間が責任を持つしかない。
つまり、要因は二つ。
冒険者は自分の責任を自分で負わなければ死ぬので自己責任となる。
冒険者ギルドは冒険者の行動に責任を負えないので自己責任となる。
それでも、冒険者ギルドはランク制によって冒険者の選別と依頼の受注制限をかけるなど、何もしていないわけではない。
依頼失敗の違約金もそうだ。簡単に諦められては困るので依頼の選択の段階から慎重になるような決まり事を作っている。
問題は、冒険者になるような層にそういった判断をする能力がちゃんとあるかどうかということだ。
元一般人のあぶれものが命がけの状況で正しい判断を下せるか。
とてもではないが無理があるだろう。
それから悪意をもってこの体制を利用しようとする者の存在。
ばれなきゃ犯罪じゃないと知っている者はそれを利用していい目を見ようと考えるのは当然のことだ。そうでなければ世の中の不正はとっくになくなっている。
これらの問題に対して、セーフティネット間引き選別説は回答になる。
街中の仕事と薬草採取など駆け出し向け依頼と合わせるとばっちりだ。
緩やかに選別し素養のある者は生き残りそうでない者は命を落とす。
悪意を持つものもその歯車の一部としてなら存在価値があるし、やりすぎれば露見してその時は処分すればいいというわけだ。
厄介者のチンピラ冒険者を在籍させ続けている理由にもなる。
逆に選別を採らない場合。
これはもう人手、予算、その他が足りずやむを得ないから、とするしかないだろうか。
自己責任主義をやめさせたければ、軍のように編成して冒険者を軍人のように連絡を絶やさず運用しなければならないだろう。
命令系統をはっきりさせきちんと従う環境を作らなければ上位者が責任を取る体制にはならない。判断する頭を持つものが責任を取るいうのは実情はどうあれ原則である。
だがそれができれば苦労はないというやつで、冒険者になる者は大体食い扶持にあぶれたものであるから、食料問題もある。また出身が出身なので教育にコストもかかる。
それができないから冒険者ギルドの体制になっていると考えれば、結局自己責任主義を脱することは難しい。
治安を維持する側だって帯剣した暴力を生業とするものを野放しにしたくはないはずであるのに、冒険者が街中を徘徊することが認められているのだから本当にやむを得ないことなのだろう。
次は何か思いついたら。