04 依頼主
王都の通りは、狭くて臭い。いや、町の通りというものは、大通りを除いて、どこも狭くて臭いのは同じだ。
大通りは、馬車が通れるように広さが確保されている。特に、中央通りは馬車が同時にすれ違うだけの幅がある。
それでも、通りに面した家屋、特に商店は自分たちの家の前に棚や売り物を置いて、少しずつ進出しようとする。衛兵たちも多少は、特に硬貨の添え物がある場合は、大目に見るが、一線を越えたり、行事で通りを使う予定が迫っていたりすると、進出分は一斉に撤去される。
そんな強制撤去が定期的に起きない横丁が狭くなるのは、生きている都市にとって生理現象と言えた。二階建て以上の家屋では、通りに張り出した窓同士で、荷物を受け渡せるほど狭くなっているほどの場所もある。そんな通りは当然昼でも薄暗くなる。
通りが臭いのも、生理現象による。町民の排泄物が撒き散らかされているからだ。比較的整備された通りでは、通りの中央に溝を設けられており、そこを汚物が流れていく事を期待されるが、傾斜がうまく取られている通りはほとんどない。傾斜が付けられていたとしても、常に水が流れていなければ、溝には糞尿が溜まるだけだ。
雨が降ると、それらが流される効果より、溢れて広がる被害の方が大きい。だから、雨の日は、濡れるからという理由以外で、外を歩きたがらない者は多い。
王都の大通りでは、糞尿の廃棄は禁止されている。当然、路上で直接生産するのも禁止だ。見つからなければ罰せられないと試みる者は、特に酔っ払いに多いが、それらの不埒者がいなくとも、やはり大通りからも糞尿が絶えることはない。そこを通る馬や牛は、人間の作った決まりなど気にしないからだ。
マコウは一人で行くつもりだったが、食事を終える前に、アリがやってきた。それ以上、マコウは待つつもりが無かったが、アリがパンを咥えるだけで妥協したので、一緒に行く事になった。
アリは、道中、露店の何の肉かわからない怪しげな焼き串を追加した。マコウなら手を出さない物だが、アリは「味はなかなかだぜ」と評価した。しかし、結局は「硬い」と文句を吐いて、残りをみすぼらしい身なりの少年に押しつけた。その後、「喉が渇いた」と、酒場でエールを一杯あおった。もちろん、ジョッキは返さないといけないので、飲み終えるまで待つ。
急ぎの用事と言われていたが、急いでいるのは依頼主であって、マコウたちではない。それでも、のんびりとしていないのは、まだ金は貰っていないが多少は依頼主の意向を汲んでやろうという親切心と、状況が変わってしまう前に動いた方が良いという考えだ。多くの依頼なら、横からかっ攫われるのを警戒する。今回はその心配はなさそうだが、依頼対象が、捜さなくとも自然に帰ってきてしまえば、報酬を貰い損ねてもしまう。安い報酬だが、無になるのに比べたらもちろんずっとお得だ。
「で、人を捜すんだよな? それって死体でいいって事なのか?」
酒場の親父から聞いた依頼については、道すがらアリに話していた。しかし、親父も詳しくは聞いていなかったようで、マコウもあまり知らない。だから、依頼主に会いに行くように言われたのだろうが、もし酒場の親父から詳しく依頼内容を聞いていても、マコウはやはり依頼主と直接話すのは重要だと考えていた。一番気になるのは、金払いの良さがどうか、という見極めだ。
「さあな。そこまでは聞いていない。生きているかいないかより、持っている何かの方が重要だ、というのはあり得るけどな」
「……それだとややこしくならねえか? それが手紙だったとしたら、揉め事に巻き込まされそうな気がするぜ」
「確かに、手紙一つから戦争が起きる事もあるらしいからな。でもまあ、いずれにせよ、俺たちに声を掛けてまで回収したい何かなんだぜ。それなりにややこしいと見るのが普通だろ」
「……そうか。覚悟をしておいた方がいいか。……それにしても、仕事があって良かったぜ。そろそろ金が底を尽きそうだったんだよな」
マコウは驚いて、口を開けたままアリの顔を見つめる。
「お前……こないだの依頼の報酬は多かっただろ? あれをもう無くしたのか?」
金の管理が苦手だと分かっていても、マコウは半分呆れてしまう。残りの半分は、お金を大切にしていない事への怒りだ。
「こないだって、もう一月前だろ?」
そう言えば、それくらいになるかなとマコウは少し考え、否定する。
「いや、二十日ほどだ。三十日は経っていない」
「似たようなものじゃねえか」
マコウは、全然違う、と言いかけて、止めた。アリは金には煩いが、金勘定には疎かった。だから、使い方も粗いのだ。
「どうせ、たくさんあるからと無駄遣いしちまった口だろう」
図星だったようだ。まるで悪びれていなかったアリが、眉を寄せた。
「うっせえな。こっちはババアとガキもぶら下がっているから金が掛かるんだよ」
それがどれくらいの支出になるのかは、独り身のマコウはよくわからない。父親が亡くなった後、母親と妹二人を養った時期はあるが、妹たちもほとんど大人になっていたので、自分たちでお金の管理もできていた。お小遣いを渡した後の面倒は見なくてよかった。だけど、アリは責任があるからこそ、お金の管理はしっかりすべきだと思う。
マコウは商人の家に生まれ育ったので、お金の有効的な使い方を常に意識していた。今だって、単に貯蓄するだけでなく、運用している。経営が安定している小売商に少額貸し、機会があれば小口の商いもしていた。
王都は大きいので、目と足を使えば、何かの品で価格差が生まれている事はよくあった。その差が十分大きければ、いわば運ぶだけで差額を儲けることもできなくない。
しかし、これをアリが真似られるとは思わなかった。目利きができないといけないし、何より計算が空でできないと厳しい。
「やっぱり、まとまった金ができたら、誰かに預けた方がいいんじゃねえか? ウェイ……いや、イーギエなんか――」
言い切る前に否定される。
「バカ抜かせ。なんで、てめえの金を他人に渡さなければなんねえんだよ」
マコウはアリの顔を見て、盗まれるとは思っていない、と読んだ。これはちょっと感慨深い瞬間だった。
マコウが初めて、見ず知らずのアリたちに声を掛けて、魔物退治を引き連れて行った時は、もちろん初対面同士だったので、お互い信用していなかった。いや、能天気なウェイは別だ。反対側に、別格だったのがアリだった。ずっと仲間を警戒し続け、野宿する時も少し離れて、自分の背中を確保するように何かにもたれて寝ていた。誰かの寝返りや寝言に対して、いちいちピクリと反応し起きていた。
後から考えると、面倒臭い仲間と言えたが、マコウはその警戒心こそを買った。それほど過敏なら、夜、盗賊や獣に襲われる前に気付いてくれるだろうという考えだった。
それが今や、あのアリが仲間を、金を盗られかねない奴ら、と見なしていない。本当に仲間と思っているからだろう。この違いは、何かきっかけとなる出来事があったからではなかった。徐々に、信頼できるようになったのだ。
こう考えるマコウ自身も、最初は仲間を信用していなかった。でも、今はウェイやイーギエなら他人の金には手を付けないだろうと思う。ただし、ガランは受け取ってくれないだろう。これは、ドワーフだから大陸人を信用していないからでなく、むしろ「自分の金なら自分で管理しろ」という指導だ。神官戦士だから、説教臭いのは仕方ない。転じて、こういう時、仲間の中で信用ならないのは、アリと、マコウ自身だ。
最初、マコウが、アリの金を預かってやろうかと考えた。が、すぐに自分がただ預かるだけができそうにない、と候補から外した。次に、お人好しのウェイが浮かんだのだが、ウェイがどこに金を貯めているかわからなかった、というか、そもそもどこか決まった所に住んでいるのかわからないので、これも外した。たぶん、ふらふらと日々住む家を変えているのだろうと思う。そんな奴に金は預けられない。だけど、イーギエならむしろずっと魔術師の塔に居た。口が悪く、性格もひねているが、「無駄遣いしないよう、金を預かってくれ」と頼めば、きっちり保管してくれるだろう。もちろん、かなりの文句を聞かねばならないが。
アリも、マコウと同じように感じてはいるようだ。だが、それ以前に、自分の金を手放したくないという気質の問題なのだ。
それ以上は、踏みこむ義理は無い。仲間として、借金取りに追われて、こっちが必要な時に仕事ができなくなったら困るだけで、それ以外にどう生きようと本人の勝手だ。
急な依頼を出してきた依頼主の家は、商業区の中心からやや外れた所にあった。家賃は手頃になるが、人通りも減る。
マコウは通りの左側に寄り――中央の溝に誤って足を踏み入れないためと、上から汚物が降ってきた場合、庇で避けるためである――目指す家を見つけた。
入口の扉は閉ざされていた。これはよくある。しかし、商人の家で窓兼陳列棚が開かれていないのは変わっていた。
多くの商店、及び職人の家の造りとして、下に開けるタイプの窓があった。店の中から見ると、それは通りに面した壁の一部を、横に長い四角形に切り取った物だ。その板は、下が蝶番で止められて、上が留め金で止められている。上の留め金を外すと、板が外へと倒れて開く。蝶番と、時には支えとなる棒を下に差し込むおかげで、開いた板は水平の位置で止まる。それが商品を陳列する棚として使われるのだ。もちろん、搔っ攫われやすいそれらの品として、高価な物は選ばれない。高価な品は、店の奥に置かれているのが見えるだけだ。
この窓兼陳列棚は、簡単な造りで便利なので、多くの商店で採用されている。家屋がそう造られていなければ使えないのはわかるが、外から横長四角の切れ込みが見えるのに、ここでは使われていない。この状況で、一番考えられるのは、店が開いていないという事だ。
しかし、扉には小さな板が掛けられていた。広さ四掌ほどの板の上には小さな穴が開けられており、その穴が扉に打ち付けられた釘に掛けられている。板には、文字が彫られていた。そこに色が塗られていたが、半ば剥げている。読みにくい部分は、指を這わせて確かめる。
「何て書かれているんだ?」
アリは字が読めない。聞かれて、マコウは、そのまま読み上げる。
「葬儀、家具」
「そうぎ、って何だよ?」
「葬式って事だ」
マコウは答えてから、それでもアリがわからなかったらどう説明しようか考えたが、理解したようだ。アリは小さく頷いた。が、すぐに首を傾げる。
言われなくても、アリが何に引っ掛かったかは予想がついた。葬儀と家具を扱う店というのが、繋がらないのだろう。驚きはマコウも同じだった。ただマコウの方は、その手があったか、という感心する驚きだった。ただし、本当に上手い方法かどうかは微妙だとも思う。
束の間考えた後、ノックをせずに扉を押し開ける。そちらの方が素の姿を見られると考えたからだ。それに、家ではなく、店に入るのにノックをしないのは礼儀に反してはいない。
カランカランと音が鳴った。扉の内側の上の方に、小さな鐘が備え付けられていたからだ。この手の備えは一般的なので、驚きはしない。
部屋は薄暗かった。光はマコウが開けた扉と、突き当たりの左にある、奥の部屋への扉のない出入り口から差していた。突き当たりの右にある急な階段の上からも明かりが洩れてくる。
狭い部屋だった。しかし、見回してから、感じた狭さは、部屋自体の広さではなく、窮屈さからくる印象だったと考えを改める。この部屋はそこいらにある家屋としてはむしろやや広かった。ただ、左右の壁際に物、おそらく商品が積まれているため、中央の歩きやすい空間は二肩ほどの幅しかない。
「あいよ」
部屋の奥から、男の声がした。この部屋に誰もいなかったので、奥に居るだろうと思ったところだった。姿を見せる前に、マコウは商品を確認する。
向かって右には、テーブルや椅子、箱などの大きめの家具があった。場所を取るそれらは、上に置かれた物が足を上へ向ける形で重ねられていた。椅子がそうなっているのは、酒場で掃除をしている時に見かけるが、テーブルがそうなっているのはなかなか見ないので、ちょっと滑稽だ。
逆の左側は、棚になっており、小物が並べられていた。食器や鍋などの調理道具、布きれなどがある。眺めて、素材別に分けられているのがわかった。
正面の、階段と奥の出入り口との間は腰の高さまでの長机、いわゆるカウンター様式になっていた。酒場で使われているのは多いが、小売店では導入している所はまだ少ない。窓兼陳列棚で客とやり取りが済んでしまう事も多いからだろう。
カウンターの奥も棚になっており、こちらは銀食器が目に付いた。他にも、月光石らしき水晶もあった。高価な品の置き場所なのだろう。
階段の下にあたる角には、高級品ではない物があった。石弓だ。しかも、弓は引かれた状態で固定されていた。
思わずアリを見ると、すぐに頷き返してきた。どうやらアリの方が先に気付いていたようだ。
店に武器が、見えるように置かれているのは珍しくない。オーガーのゲップにも、カウンター向こうの壁に棍棒が掲げてある。もちろん、盗賊の撃退用で、何より犯罪の抑止力を期待されている。
だが、この武器として、石弓が選ばれるのは珍しい。棍棒に比べて高価なうえ、撃った太矢を外せば終わりだからだ。しかし、マコウにとっては石弓の方が怖かった。棍棒なら距離を取ればいいが、石弓ではそうはいかないからだ。石弓の扱いに慣れていない相手なら問題ないが、こうしてわざわざ選んでいるのだから、使えないわけがない。
その時、奥からボサボサ髪の中年の男が出て来た。皮の前掛けが変わっているが、他は普通の町人の格好と変わらない。
「……あんたらが、荒野の支配者とかいう連中か?」
疑わしい声を掛けられるのも仕方ない。帯剣をした二人の男が入ってきたのだ。カウンターに入り、石弓に手が届く範囲に立ったのも、反応として正しい。
「客には……ま、見えねえか」
アリが自分の格好を確かめるように見下ろして、カラカラと笑った。警戒されているのを不快に感じることも、相手の警戒を解こうともしない。こちらも慣れているからだ。
「依頼を受ける前に、話をきちんと聞いておこうと思ってな」
依頼主が無言で頷いた。
マコウは相手に呼びかけようとして、名前を知らないとやりにくいと感じた。先に名乗る。
「マコウだ。そっちはアリ」
「ライだ」
マコウが差し出した手をさっと触るように握った後、ライは手をカウンターの上に置く。
「作業中だったか?」
マコウが聞くと、ライは気にするなと言うように、片手を振った。しかし、マコウは奥を指差し続ける。
「奥で何をしているんだ?」
しかし、ライはこの質問を冷ややかな眼差しで見つめる。
「……依頼の話はしないのか?」
「もちろんするが、ちょっと興味があってね。俺も実は、以前は店を構える商人だったんだ」
共感を得られないかと話したが、ライはイラついたように片眉をつり上げた。マコウは方針を変えた方が良いと思い、ストレートに話す。
「正直なところ、あんたの金に興味がある。そっちはそっちで、何もしないやつに金を持って行かれるのを警戒していると思うが、こっちもタダ働きはしたくなくてな」
ライの警戒心は緩んだようだが、好意的になったわけではない。変化を感じた後、マコウは話し続ける。
「見たところ、遺品を売っているようだが、それでやっていけるのか?」
葬儀・家具という看板を見た時、マコウは商いの仕方がおおよそ予想できた。
王都ではきっと毎日誰かが死んでいる。遺体は埋められるなり焼かれるなりし、それは教団の司祭が取り仕切るのだろうが、どの教団に頼むべきかという判断はすぐにできるとは限らない。特定の神だけ強く信仰している者は、教団関係者以外にあまり居ないからだ。たいていの者は、一度に多くの神様を信仰している。多ければそれだけ見守っている機会が多くなるという考えかもしれない。一方で、マコウのように、日常的にどこの神にも祈りを捧げず、教団へ寄付をしない者もいた。だから、いざその時が来ると困惑し、決められなくなる。いや、それ以前に、金銭的な問題が大きいのかもしれない。
どこかの教団に葬儀を頼むには、寄付がいる。馴染みの者は安くしてくれるかもしれないが、そうでない者に突然の出費は厳しい。
この店は、おそらくこの隙間を狙っているのだろう。葬儀に関わる金は無くても、亡くなっていた者が使っていた物は残っている。その遺品を譲り受けて、葬儀の手続きを幾らか代行する、そういう仕事内容だろう。そうであれば、表の看板は、葬儀と家具だったが、実質は葬儀にまつわる質屋だ。確実に、存在しうる余地がある。ただマコウが気になるのは、その収支だった。家具や日用品を工面して、葬儀費用に充てたいという者は多いだろうが、そうやって集めた物を捌けるのだろうか? 集めるばかり、つまり出費ばかりが増えそうな気がする。
「まあ、何とかな。引き取った物も修理すれば売り物になる」
ライの言葉で小さな謎の一つが解決した。マコウは、ライを見て、皮の前掛けから職人っぽいと感じていたのだ。これは間違いではなく、ライは職人としての一面も持っているようだ。
商人と職人は区別が難しい。作業内容としては分けられるのだが、実態として二つがくっ付いている場合が多い。鍛冶屋や大工も直接商いをするが、これらは技術を売っているから職人らしいと言える。しかし、細工屋は職人でもあり商人でもある形態が多い。窓兼陳列棚に売り物を並べ、普段は店の奥で細工作業をしている。そこに、足を止めた客が来れば、作業を中断し、売り子として窓近くに立つ、と言う具合だ。調子が乗らないからなのか、作業をそっちのけで道行く人に声を掛けている者もいるくらいだ。こうなると、職人が主なのか、商人が主なのかわからなくなる。
この店で、窓兼陳列棚が使われていない理由も分かった。店の主人が奥の部屋に居て、陳列棚を見張れないからだ。細工屋なら、窓のある部屋を作業部屋にできるが、この店では置いている物が大きいせいで、この部屋で作業ができないのだろう。これは、マコウが予想したとおり、在庫を多く抱えているからだとも考えられた。
「アリ、何か必要な物はないのか?」
マコウは今、所持している家はない。かつていた住居は今や妹夫婦の物だ。しかし、アリには家があった。
「……いや、いらねえな」
聞く前から答えはわかっていた。アリは寝に帰るくらいしか、家に居ない。家で何が不足しているかを把握している感じはなかった。それ以前に、先立つ物も無い。
「つーか、本当にこんな物売れるのか? 俺は欲しいと思わないが」
マコウには、アリの「欲しい」が特定の意味を帯びている気がした。周りの物は、口にしたようにつまらない物として見ていたが、ライの後ろの棚に並ぶ物には興味があるようだったからだ。盗んで金になる物かどうかとしか見ていなさそうだ。
「あんたらが近くの酒場で喧嘩でもしてくれりゃあ、すぐ売れていくぜ」
なるほど、とマコウは納得した。食卓や椅子を急に欲しいのは、それを仕事に利用している人達だ。自分の家の物なら待てるので、大工に頼むのが簡単だ。でも、自分ではなく客に与える物なら、質より値段を気にする者がほとんどだろう。
「なるほどな、そいつはそうだ」
アリも納得し、笑って手をポンと打った。しかし、ライは変わらず不機嫌だ。
「で、いつになったら、探しに出てくれるんだ? じきに一刻の鐘が鳴っちまうぜ」
ライにとっては雑談ばかりでイラつくのは理解できる。マコウは、本題に移る。
「じゃあ、俺たちは誰を捜せば良いんだ?」
「子供だ。プルサスから王都まで連れてくる手筈になっていた」
「ガキかよ」
アリが呟いた。言外の意味はわかる。マコウも聞いてすぐ思ったからだ。荒野の支配者は、人捜しを多くやってきたわけではない。だから、経験に裏打ちされた感覚ではないのだが、それでも考えてしまう。その子供はきっと死んでいると。
「……子供に旅などさせるべきじゃないって顔だな」ライには端からそんな考えがないせいか、マコウたちの考えを残酷ではないように解釈した。「だから、人を雇って迎えに行かせた」
これには少し感心した。もちろん、荒野を子供だけで渡らせるわけではなかろうと考えていたが、どうせ金の掛からない親戚などの素人に任せたのだろうと考えていた。
「誰だ? 知っている奴かもしれない」
マコウが口を挟んだ。もし、雇った相手がマコウの考えるような相手なら、同業者と言えた。そのうち単独で行動している者は、余り多くは知らないが、聞いてみる価値はある。
「ナック兄弟とか言ったな」
「アイツらか」
知っている相手だった。会ったことすらあった。ただし、ほとんど話していないので良く分からない。
「知っているのか?」
アリは知らないようだった。マコウは呆れ、怒る。
「お前なぁ、ライバルの事くらい、ちゃんと知っておけ」
「ンだよ! ライバルって何だよ?」
思いの外、アリから鋭い睨みが返ってきた。ジン・ヨウ語を混ぜると、たまにこうなる。
「商売敵だよ」
「へえ、そいつらも始末屋か」
始末屋という言葉をどう使っているかは人によってブレがある。アリがどういうつもりで言ったのかは詳しくわからないが、マコウは、ナック兄弟には当てはまらない気がした。
「いや、護衛を専門とする二人のはずだが」
プルサスから誰かを連れてくるのには適任だろう。むしろ、子供一人には金を掛けすぎる事になるとすら思う。
「もしかして、子供は一人じゃないのか?」
「いや、一人だが、なぜだ?」
ライは、マコウの疑問が気になったようだ。
「いや、思っていた以上にしっかり手筈を整えていたので驚いた」
「ふん、それでもうまくいかなかったがな」
ナック兄弟への不満か、それとも努力が足りなかった自分への苛立ちか、ライが鼻を鳴らした。
「あいつら、腕は確かだったのか?」
難しい質問だ。もし、失敗しているなら、結果的にそうではなかったと言えるが、とりあえずマコウは思ったままを答える。
「さあな。一緒に仕事したことはなくてな。だが、この仕事を何年か続けているから――」
続きは言わなくてもよさそうだった。ライが、同意の頷きを返したからだ。
「そう思って、頼んだのだがな……」
後悔が滲む。同情はしないが、同調はする。荒野を働き場とする者にとって、絶対安全はない。マコウたちにとっては、明日は我が身と思う。が、思うだけで、実感は薄い。きっと、ひしひしと危険を感じてしまうようになったら、引退時なのだ。
「で、ガキが来なくなって、何日経つんだ?」
アリが重要な事を聞いた。これが、十日前なら、きっと子供は生きていない。
「一日だ。昨日、着くはずだった」
マコウは、驚きから考えが一旦止まってしまった。アリも同じで、束の間、妙な沈黙が生まれる。が、すぐにアリは笑い出した。
「一日って、おっさん、気が早すぎるぜ」
それ以上はまたゲラゲラと笑い始める。ウェイが一緒なら、イラついた顔を向けただろう。確かに、マコウも、アリは依頼人に礼を欠いていると思う時はあった。今もそうだが、アリは元より礼儀を知らないので、注意しても無駄だと思っている。代わりに、依頼人の気をこちらに逸らせる。
「俺たちは何度も荒野を旅しているが、一日二日の遅れくらいよくあるもんだ。だから、心配するほどの事ではないかも知れないぜ」
「そうだといいがな。だが、一日もあれば、十分手遅れになる時間だ」
ライの声は落ち着いていた。そして、言われた内容も正しかった。丸一日危険な状況を放置しているだけで、命の保証はできないのに、三日経ってから対応しては、確実に間に合わない。それに気付いたアリの笑いも急に静かになる。
「ま、それもそうだ。だが、こうして話している間に、帰ってくるかもしれないぜ」
「そうなったとしても、手付金は払おう」
「お! おっさん、話がわかるねえ。幾らだ?」
アリが手を揉みながら、前に出る。
「銀貨十枚でどうだ?」
ライは少し下がり、首を傾けながらカウンターの下を覗く。袋か箱かはわからないが、硬貨入れを捜しているのだろう。全額のうち二割が前金だという計算は妥当だ。しかし、マコウは銀貨を並べられる前に、アリの前に腕を伸ばして止める。
「その前に、依頼の達成条件について確認したい」
ライが頭を上げて、動きを止めた。何も言わなかったが、続けろという意思だろう。
「あんまり気分のいい話じゃないが、子供の死体を見つけても、依頼は果たしたと考えていいんだよな?」
ライは数拍黙った後で、頷いた。態度からある程度、こういう感じになるだろうと予想は付いていたが、違和感は残った。子供の保護にかなり気を払い、今も救出しようとかなり早くに手を打っている。だから、子供が死んでいる事を受け入れられないという態度を示すのが、普通だ。そうではないのなら、最悪の事態の覚悟ができているということか。それでいて、対応は淡々として、的確。マコウは空恐ろしくなった。そして、そんな自分を意外に思った。荒野ではもっと危険な経験をしているからだ。もしかすると、怖いと感じたのは、解消業の自分ではなく、商人の自分かもしれない。商売敵としたら、厄介そうだからだ。
「もし、死体を見つけたら、良ければ埋葬してやってくれ」
「おいおい、人を埋めるのは大変なんだぜ。追加で幾らかくれるのか?」
アリが報酬を吊り上げようとしたので、マコウは片手を挙げて黙らせる。アリの意見は正しいが、頃合いを見計らい、上手く切り出さないと、貰えるはずの物も貰えなくなりかねない。
「何か、証拠となるものがあればいいが、どうだ?」
ライが両手をカウンターに置くと、視線はカウンターに落としていた。でもたぶん、そこは見ていない。見ているのは、自分の記憶だ。
「人形を持っていると思う。木彫りの人形だ」
ライが両手で大きさを示す。一握か一握半というところか。
「何の人形だ?」
アリの問いにライは首を左右に振る。
「詳しく話しちまうと、あんたらがそれをどこかで見繕って、証だと言いかねないだろ」
「なるほどな」
アリがニヤリと笑った。そういう手があったかと思ったのだろう。つまり、そうするつもりはなかったという事だ。マコウも手柄を偽るつもりはなかったが、アリと同じく、疑われている事に不快感はない。むしろ、正しい判断だとさえ思った。
「確認するぞ。子供本人か、人形を持ち帰れば、依頼達成でいいんだな?」
「ああ、名はゼナという。用心深い子だから、私の名を出して、迎えに来たと伝えてくれ」
「ライだな」
「ラドミン・ライだ」
マコウが頷くと、アリがもう良いだろうとマコウを窺ってから前に出る。
「で、前金を頂こうか?」
しかし、マコウはアリの肩へ手を置き、止める。依頼内容と報酬で考えると、かなり実入りが悪い。王都内やその周辺であれば、銀貨五十枚で手を打っていい。しかし、プルサスと王都の間の捜索となると、範囲が広すぎる。
「すまないが、それでは割に合わない。プルサスとの往復だけでも時間が掛かるが、何かを捜しながらだからな。半月は掛かる。それを銀貨五十枚という値段じゃ無理を言い過ぎだ」
マコウは断るつもりだったが、ライの態度を見て、最終的な結論を口にする前に止めた。向こうからすると、頼んだつもりになっていただろう。そういう場合、断られそうになると、怒るか落胆するか、するのだが、冷静に頷いただけだったからだ。素直に理解してくれたわけでもなさそうだった。何か満足しているように見えた。
「依頼を受けたからには義理を果たす。噂は本当のようだな」
マコウは何を言われているか良くわからなかった。その間にもライは話し続ける。
「手付金だけもらって知らん顔をするつもりなら、そこまで考えないだろうからな」
そこでようやく、マコウは褒められているらしいとわかった。この点については、以前アリと揉めたことがあった。アリは目先の徳を得ようと、嘘をつくのにためらいはない。マコウも嘘をつくことに罪悪感はないのだが、仕事の上では、なるべく嘘をつかないように意識している。そうして得られる信頼が、次の仕事を呼ぶと知っていたからだ。
ライは小さく首を左右に振る。
「しかし、その心配は不要だ。ゼナは隣町まで来ている事がわかっている」
「どういう事だ?」
アリは、素直に相手の言葉を鵜呑みにしない。疑わしい目をライにぶつける。
「昨日の午後、北門に迎えに行った。そこで、隣町までゼナが来ていると聞いた」
「誰にだ?」
「名前は知らんが、荷馬車の商人だ。その男は夕暮れ前に着いたが、ゼナはそれより先に出ていたらしい」
子供を連れて旅をしている者は珍しい。旅人の記憶に残るのは当然だろう。アリも納得したのか、一旦口を閉じた。
「ただ、あの兄弟はゼナ以外に二三人を連れていたらしい」
ライは疑問を持っていたようだが、マコウにとってはおかしくはない。プルサスと王都の間は市の季節でなくても、行き来する者はいる。プルサスから帰ってくるついでに、さらに護衛を希望する者を募って、より金を稼ごうとするのは賢い策だ。ただ、旅は行動する者が増えるほど歩みが遅くなりがちだ。双子樹の町からは一日の行程だが、子供もいて、人が多いなら、無理せずどこかで夜を明かしている可能性はあった。もしかすると、今頃は王都に着いてこちらに来ている最中かもしれなかった。それなら、気が変わる前に、前金を貰っておくべきかもしれない。
マコウがアリに頷くと、ライが五枚重ねの銀貨の筒を四つ作った。
「あんたたち二人だけか?」
ここは搾り取れる機会だったが、マコウは今回も正直に答える。
「いや、もう一人増えるかもしれない。後の二人はきっと急には動けない」
「では、増えた一人は後でまとめてでいいのか?」
「ああ」
アリはとうに銀貨を懐に入れていた。もう出るつもりだ。マコウはまだ聞いておいた方がいい事がないか考えるが、すぐには思いつかなかった。だったら、早く仕事に移った方が良いか。そう考えた時、意外にライから声を掛けられる。
「当てはあるのか?」
アリのようにすぐに動かず、立ち止まった事が不安の表現と見られたのかもしれない。心の中では、八割方、依頼人の思った結果にはならないと思っていたが、自信がないと思われるのは心外だ。
「いや、その当てを知っていそうな奴はいる」
その言葉は噓ではなかった。これからその男に会いに行くのだから。