12 赤毛の狐
プルサスまでの旅は急ぎだった。
急ぎ足で歩いただけでなく、いつもなら仲間が終えるのを待つ、大きい方の用便も待たずに進んだ。なので、残された方は用が済んだら、走って仲間に追い着いた。
しかし、休憩はいつもと変わらずに取った。だいたい一刻進むと八半刻休む。ずっと歩き続けると疲れてしまい、そうなると、いざ問題が起きた時に、うまく動けない事が起こりうるからだ。もちろん、この疲労は死に直結する。だから、荒野を旅するのに慣れた者にとって、疲れすぎない事は重要だった。
他の旅人との接触もなるべく避けた。特に数の多い相手は、騒動になった時に危ない。しかし、数が多い相手は近づく前にこちらが気付きやすい。だから、アリとウェイは時折、街道から逸れて、脇の藪や木々の中に身を潜めた。
雨に降られなかったのは幸運だった。強く降らない限り、雨粒が直接、旅の足を緩めることはない。だが、地面が泥濘む変化が、旅の足を大いに引っ張る。荷車を引いていたら、もう動けない。人が曳こうが、牛や馬が曳いていようが、大差はない。どこかで車輪が泥に取られて動けなくなる。坂道であれば尚更だ。上ろうとしても、ずり落ちてしまう。
徒歩の旅で、雨が問題になるのは川だ。歩いて渡れるはずの小川が、大きく成長し、濁った流れが速くなる。無理に渡ろうとして流されれば、死にかねない。命からがら向こう岸に着いたとしても、街道から離れて道を見失えば、やはり死にかねない。荷物を失っていたら、もうダメだろう。この川の増水は、雨が振り出した時はさほど変わらず、止んでからしばらく続くのが厄介だった。そういう観点で言えば、アリとウェイは旅をしている日だけでなく、その前の日にも大雨に降られなかった事が幸運だった。
最後の一刻半は、休憩をほとんど取らず、時に駆けた。危険な行為だが、日が傾き始めると、プルサスから出発する者はほとんどいないはずなので、強盗に変化する旅人とは出くわさないだろうという読みだ。狩り待ちをしている野盗も、討伐されやすい都市近くには罠を張らない。魔物には、そういう考えはないだろうが、プルサス近くまで寄ってくる魔物は、城壁の外の貧民街を襲うつもりのはずだ。急いで移動している二人を襲うのは面倒だと考えるかもしれない。
そして、実際、アリとウェイは問題に巻き込まれる事なくプルサスの門を潜り抜けられた。門を護る衛兵は、未だ荒野の支配者を覚えていた。衛兵たちに煙たがられる職業だが、久々なせいか、対応は以前より柔らかだった。
プルサスに入ると、ウェイは、遺跡捜索を専門としているラモーラを探す。アリは、かつて所属していた、もしかすると今でも手下だと見なされているかもしれない、組織に接触し、暗殺者の情報を得るつもりだった。だが、少なくともラモーラに会うまでは、ウェイに同行する事にした。
アリは、ラモーラという女をあまり信用していなかった。いや、信用していない相手は、世の中の人ほとんどだ。ラモーラは、信用できないだけでなく、警戒すべき相手だった。
警戒すべき理由は、アリ自身も良くわからなかった。一応、ラモーラの悪い評判を聞いているからだ、というのはある。
遺跡荒らしをするラモーラは、その都度仲間を募るらしい。が、実際は仲間というより手下だ。それら手下を使い、荒野や古代遺跡を抜け、何人か欠ける。
人殺し、と遺族が罵るこの評判について、実のところ、アリはさほど悪いとは思っていない。荒野ではヘマをした者が死ぬものだし、ラモーラが手下を雇っているなら、指図して当然だ。
アリが、ラモーラを気に入らないのは、出会った時の印象だった。出会ってすぐ、ヤバい奴だ、と感じた。しかし、考えてみれば当然で、魔物が特に住処にしやすいと言われる古代遺跡に、十数回出掛けて生還している女なのだ。そんなヤバい奴には、用もない限り近づくべきではない。
だが、今回、そのラモーラに用があった。ウェイは、相手が女だから警戒せずに近づいてしまう。だから、アリが警戒しなくてはいけない、と感じていた。
一方で、相手が女だからこそ、ウェイ一人の方がうまくやれる、という考えもあった。しかし、この考えと警戒を、天秤に掛けた結果、アリは付いて行く事に決めた。何か起きた時に、付いて行かなかった自分が許せなくなるからだ。
まずはラモーラが馴染みの酒場を探すしかないか、とアリは考えた。プルサスに住んでいた頃は、何となくわからなくもなかったが、今はその勘も鈍ってしまっている。記憶を掘り起こそうとしていると、ウェイは覚えているのか、迷いなく進む。
「この時間帯なら、ラモーラさんの居場所に心当たりがあります」
ウェイがそう言うので、アリはその後に付いて行く。そうしてドンドン進み、西の城壁に行き着いた。この辺りは居住区で、酒場らしき建物は見当たらない。
もしかして、ウェイはラモーラの家を知っているのか、とアリは思った。そうだとしたら、過去に二人の間に何かあった可能性が高い。が、それについてはあまり知りたくない。
「回廊があるのはどの辺りですかね?」
ウェイに聞かれたが、アリには意味が分からなかった。
「何だ、それ?」
「城壁の上の通路がある場所です」
「ああ」
城壁は全て同じ高さで揃えられていない。塔を挟んで高さが変わっている箇所がある。いずれは、揃えられるのかもしれないが、今はちぐはぐだ。高さと同じく、城壁の上が歩けるようになっている場所も、あったりなかったりだった。アリたちのいる目の前が、ただの壁で上を歩けるようになっていなかった。
そもそも、城壁は都市を外敵から守る役目の建造物だ。その相手は戦時であれば敵兵だが、戦争をしていない時は魔物の襲撃から市民を守る。
しかし、実際には、魔物は城壁の外に広がる貧民街を襲い、数人を摘まんで去って行く事がほとんどだ。言い方を変えれば、魔物に対して、貧民街が障壁に相当する。
だから、城壁が日常的に侵入を阻んでいる真の相手は、貧民街の浮浪者たちになる。
だが、浮浪者たちには、技術もないし道具もない。ある程度の高さがあれば、外を見張る必要はほとんどない。それで、衛兵たちは中を見る時がある。それが、アリにとっては問題となった。
アリは、貧しかったが、壁の内側で育ったので、城壁を越える問題について考える必要はなかった。なので、本来、城壁の見張りたちとも直接ぶつかることはなかった。
鍵を開けて忍びこむには、手元に明かりがあると便利だ。最終的には、目を閉じて手の感覚に頼るので、明かりは不要になるが、鍵穴に針金を突っ込むには、明かりがないと手間取る。特に怖いのが、暗ければ盗賊除けの罠に気付きにくい点だ。だから、盗みの現場では明かりがいる。
けれども、闇夜での明かりは目立つ。忍び込もうとしている相手に気取られないよう注意するのは当然だが、遠くから見られているというところまでは、なかなか気が回せない。
こういった背景があるおかげで、アリはプルサスの城壁のどこが歩けるのか、意識して把握していた。衛兵たちから見られているかいないかを知りたかったからだ。プルサスを離れてから、増築されている可能性はあるが、取り壊されている事はないはずだ。
辺りを見回して、自分がプルサスのどの辺りにいるのか、把握しようとしたがわからなかった。狭い街路の両側から住宅が覆い被さってくるような場所なので、周りがよく見えないのだ。仕方ないので、後ろを振り返り、離れた場所にある聖堂や塔など高い建物を見て、位置を判断する。
「こっちだな」
アリが一方を指差し、二人はそちらへの移動を再開する。
下からでも、城壁の上が歩けるようになっているのがわかる場所まで来ると、ウェイは近くの城壁塔の扉を叩いた。アリは思わず顔を顰める。中にいるのは衛兵だ。衛兵は基本的に嫌いだし、関わりたくない。
「何だ?」
しばらくして、中から顔を出したのは、アリの想像どおり不機嫌そうな衛兵だった。その男に、ウェイはいつもの朗らかな声で聞く。
「ラモーラさんは上に居ますか?」
アリにとっては、意外な質問だったが、衛兵は驚かなかった。やや間を空けてから「ああ」と答えたが、答えなくとも驚かなかった事から、ウェイの予想が裏付けられているのはわかった。
「では、彼女に話があるので、通していただけますか?」
「はん! 通せと言われて、はいどうぞ、で答えていちゃあ、俺たち衛兵の――」
衛兵の話が途中で止まったのは、ウェイが財布から銀貨を何枚か取り出したからだ。
「はい。二人分の通行料です」
「お、おぉ」
衛兵は、話の早さに戸惑っているのか、ぎこちない動きになったが、手元の銀貨は確かめる。その後、塔の中に呼びかける。「客人を通して良いか?」と言いながら、貰った銀貨を持った手を掲げる。
中に居るのは、戸口に出た衛兵より、偉い奴らしい。そいつからの許可が下りたのか、衛兵は道を空けた。
「そこから、上に行け。途中で何も触れるなよ」
「ありがとうございます」
ウェイは、お辞儀をしてから中に入り、アリのために扉を支えた。アリは、金を払うくらいなら、付いていくのを中断するつもりだった。だが、ウェイが払ってくれたので、むしろ通らないと悪い。気分的には、こうして楽に金を稼いでいる衛兵に腹が立つが、ウェイの顔を立てて我慢する。
塔の中は狭く、奥には小さな食卓が一つあった。そこに別の年長の衛兵が座っており、食事をしていた。ちらっと見た限り、予想より豪勢だった。
面倒が起きると厄介なので、言われたまま壁沿いの階段を上る。二階は武器庫になっていた。特に、矢や石などの弾が目についた。すぐに、場所柄そうなのだろうとわかる。
金になりそうな物がこう詰まっていると、つい手を伸ばしたくなるが、良く考えると目ぼしい物はないな、と気付く。衛兵たちの前を通って出ないといけないので、必然的にかさばる物は盗めない。そうなると隠せる物になるが、短刀や石礫を盗んだところで、大して金にはならない。
三階は武器とは違う倉庫だった。大きな槌やツルハシなど、工事で使う物が目立った。さらに上への階段はなかった。代わりに、回廊へと至る出入り口があった。アリが辺りを物色している間に、ウェイがとっとと外へ出てしまう。アリも、どうせ高価な物はないと見切りをつけ、続く。
「ラモーラさん、やっぱりここに居ましたか」
「あら、ウェイちゃん!」
嬉しそうに上がった女の声が、ウェイの後ろにアリの姿を認めると、不満そうに濁る。
「なんだ。アンタも居たのかい」
西日を浴びて赤毛の女が立っていた。遺跡荒らし『赤毛の狐』の頭だが、集団名というより、ラモーラ自身のあだ名とも言えた。ラモーラは釣り上がったキツネ目をしていたからだ。
「アンタがいるって事は、これは仕事かい」
質問というより、問い詰めている口調だ。もちろん、この程度でアリは気圧されたりしない。
「まあ、そうだな」
「ふん。アタシの悪名の清算に来たのかい」
ラモーラがアリを睨む。恨まれているという自覚はあるようだ。しかし、そういう依頼は受けていない。
ラモーラは鞭使いとして、有名だった。今も右の腰の小袋から、巻かれて飾り紐に結わえられた鞭の一部が覗いていた。それを引っ掴んで取り出し、紐を解けば、数拍のうちに三歩あるいは五歩くらいまで離れた相手を打てる鞭が伸びるだろう。
鞭の威力そのものは低い。肌や薄い布くらいなら切り裂けるが、革鎧なら十分受け止められる。金属鎧が相手だと歯が立たない。だけど、荒野を旅する者にとっては、長い鞭を自在に操る技術は憧れだった。槍よりも間合いが広いのに、槍よりも嵩張らないからだ。
旅をしていると、飢えた野犬や狼の群れに出くわす時がある。それらは、魔物化していない限り、一対一ではさほど恐れなくて良い相手だ。しかし、それらは集団で襲ってくるから厄介だった。しかも、攻撃の位置が低い。剣が短めのアリは、屈んで撃ち払わないといけなくなるので、面倒だ。常に背後に気を払わないと、襲い掛かられて倒される。そうなると、仲間の助けが間に合わない限り、終わりだ。
というふうに、狼たちは、怯えるほどでもないが、手間の掛かる面倒臭い相手だった。しかし、鞭を使えれば、あっさり退散させられる。
狼たちは、いきなり距離を詰めてこない。しばらく付いてきて、向こうがいけそうだ、あるいは、腹が減っているからいくしかない、と判断し、包囲や半包囲をしかけてくる。こちらが休憩中の時に襲われたなら、この段階から始まる。けれども、ここからもすぐには襲ってこない。グルグルと呻りながらこちらの様子を窺い、押したり引いたりしつつ、じわじわと包囲の幅を狭めてくる。
この時の間合いは、こちらの得物の長さを見ているのか、当たらない距離だ。杖や槍を持っていても、届かない。しかし、鞭であれば、おそらく届く。地面に垂らした鞭は、獣では正確な間合いなど計れないからだ。獣だけでなく、人であっても、鞭の正確な間合いを計るのは難しい。だから、鞭は、包囲を図る狼たちを一方的に先制攻撃できる。威力の問題から、一撃で倒すことはないが、倒す必要はなく、怖じ気づかせることができる。怖じ気付いた個体が複数現れて逃げ出せば、群れ全体も逃げる。
これは、いつも破裂の魔法を二三発使って追い散らしている荒野の支配者にとって、信じられないほど楽な方法だ。偵察などでウェイやイーギエが近くにいない単独行動中に、狼の巣に足を踏み入れてしまった事を想像すると、破裂の魔法を使えないアリにこそ必要な装備とさえ言える。
だから、昔、アリも鞭を使えるか試した経験があった。が、自分の顎を鞭先で切ってしまい、扱うのを諦めた。
しかし、ラモーラと相対した今、アリは鞭を恐れてはいなかった。既に間合いは三歩の距離。ラモーラが鞭を振るまでの時間が数拍だとしても、その短い間にアリは踏み込んで短剣を振れる。それを躱されたとしても、もはや鞭の間合いではない。
それをわかっているからに違いない。ラモーラは、右手を、鞭にではなく、左腰に下げた反り身の剣の柄へ伸ばしていた。抜かれなくても、鞭だけでなく、反り身の剣も使い手だろうとわかる。
つまり、容易に踏み込めない。
アリがラモーラと睨み合った時間は長くなかった。間にウェイが割りこんだからだ。
「まさか。ラモーラさんが依頼の対象なら、そんな依頼、受けるわけないじゃないですか」
ウェイがそのままラモーラに近づき、再びラモーラの表情が見えると、険しかった顔が和らいでいた。立ち上っていた殺気は見事に失せていた。
アリはホッと息を吐く。もともと殺り合うつもりなどなかったが、ヤバい相手だから、自然と気が張り詰め、相手がそれに応じた。いや、どっちがどっちなどない。どちらも同時に同じように感じたのだろう。こうなってしまうから、アリはラモーラに会いたくなかった。頭の中では、こうなるのではないか、とわかっていた。ウェイに対するラモーラの態度を見ていると、やはり付いてくるべきではなかった、と反省する。
「どうだい? ウェイちゃんも一口やるかい?」
見かけてからずっと左手に持っていた皮袋を、ラモーラが掲げる。話しぶりから中に入っているのは酒だろう。
そう判断したアリは今になって、下の衛兵たちが摂っていた食事が、ラモーラからの差し入れだったのではないか、と思い付いた。通行料ではなく、食料だったのだ。
「あ。結構です」
こちらからは後頭部しか見えなかったが、アリにはウェイが微笑んでいるのが容易に想像できた。向かい合っているラモーラの顔がまた緩んだからだ。
「そうかい? ここで夕日を眺めながら、お酒を飲むのは最高だよ」
「ええ。以前、ラモーラさんがそう話しているのを思い出して、今なら居るかな、と来たんです」
「あら、嬉しいねえ。私が言ったのを覚えていない事を、ウェイちゃんが覚えているなんて」
ラモーラはウェイの肩に手を掛ける。左手は酒袋を持っているので、右手だ。当然、剣から離れていて、気を緩んでいるので、無防備に近い。
あの赤毛のキツネをあっさり手懐けたウェイのいつもの能力に、アリは圧倒されつつも、呆れていた。何でこんな二人を黙って見続けないといけないのだ、とバカバカしく思う。だから、わざと咳払いを入れる。途端に、ラモーラの目が鋭く、アリに刺さる。
「ふん。……ウェイちゃん、さあ、荒野の王様だか言うとこ抜けて、ウチに来なよ。あんなのと一緒に居ると目つき悪いのがうつるよ」
「荒野の支配者だ」
アリが言い直す。うつる、というのは言いがかりが、目つきの悪さは、アリも自覚があった。だから、そちらへの文句は置いておく。その時のラモーラの表情を見て、知っていてわざと間違えたのだと確信する。
「はっ。どっちにせよ、大げさ過ぎる名前さ」
それはアリも思わなくない。今は慣れているから何とも思わないが、改めて考えると、少し気恥ずかしい。そもそもアリは目立つのが嫌いなのだ。しかし、若い頃は調子に乗っている部分があったので、むしろ格好良いとさえ思っていた。
「考えたのはマコウだ」
この言い方は、ある程度ラモーラの意見を認めてしまっている。しかし、意外にもウェイが反対意見を挙げる。
「そうですか? 私は『荒野の支配者』好きですよ。スケールが大きくて、良いじゃないですか」
「……まあ、ウェイちゃんが良いなら、アタシは別に構わないけど」
少し間が空いたのは、ラモーラもアリと同じく、ウェイが言ったジン・ヨウ語の部分が何となくしかわからなかったからだろう。そこはアリも共感できた。だが、ウェイだったら良い、の不平等にはイラついた。ラモーラに限らず、女どもはみんなそうだ。何でだよ、と思ってすぐ答えがわかってしまう部分も、どうしようもなく、イラついた。
「ウェイ、さっさと済ませろ」
また、ラモーラがアリを睨む。が、ウェイは「ああ、そうでした」と続ける。
「実は、ラモーラさんにお聞きしたい事があるのです?」
「……何だい?」
「王都の近くに、盗賊たちが身を隠すのに適した古代遺跡は、ありませんか?」
「王都の近く?」
ラモーラは腕を組もうとして、酒袋を思い出したようで、持ち上げて口を付ける。その後、西の空へ目をやった。アリも釣られて見る。太陽は低くなっているが、まだ色は黄みがかったくらいだった。夕日と呼ぶには早い。おそらく、見頃は未だだ。
「もちろん、なくは無いね。むしろ、遺跡はここいらより、王都の近くの方が多いからね」
アリはそんな事など知らなかったが、聞いて一つ疑問が浮かぶ。
「だったら、プルサスより王都を根城にした方が良くねえか?」
言ってから、まるで一緒に王都の生活をしないか、と誘っているようだ、と気づいた。失敗だった。
ラモーラは渋い顔をして、首を左右に振った。
「ダメだね。王都じゃ、遺跡を簡単に漁れないのさ。魔法使いたちが、遺跡は自分たちの物だと考えて、許可なく入れば罪だ、とか抜かしやがるからね。これくらい離れているのかちょうど良いんだよ」
話を聞いて、見せていたラモーラの渋い顔が、アリに向けてではなかったとわかった。王都の魔法使いたちに向けてだろう。
次は、ウェイが疑問を口にする。
「でも、魔道士ギルドが王都周辺の古代遺跡の権利を主張しているなら、プルサスから出発したところで、訴えられませんか?」
ラモーラがニンマリ笑う。
「そこは、アタシもこの道の専門家だからね。上手くやるよ」
そこで酒を一口飲んでから、口を開く。
「で、どうして、そんな場所を探してるんだい? 確かに、盗賊の掃除はあんたたちの領分だけど……」
ウェイがアリを振り返った。アリもウェイを見る。どうすべきか、お互いの目を計っているのだ。
受けた依頼の中身について、普通は周りに話さない。何故かと聞かれたら、アリは答えに困る。始末屋としての当然としか、答えられない。だから、依頼の中身は必要な時しか、話さない。そして、今が本当に必要な時なのか、という判断に、アリもウェイも迷っているのだ。
ラモーラは興味から聞いているのだろう。だから、そこだけなら、話す必要はない。しかし、ラモーラは重要な知識を持っているかも知れず、それを自然に引き出す為には、会話を繋げた方が良さそうだ。それに、依頼人は、中身を広めるな、という注意をしなかった。たぶん、依頼人は話してもいいと思っている、と考えられる。話したところで、ここはプルサスなので、王都周辺での問題が拗れるとは考えにくい。それに、ラモーラも似た仕事をしている。依頼の中身を軽々しく広めるとも思えない。
アリが考えた事を、ウェイも考えていた。お互いが納得して、頷き合った時、ラモーラが手の平を向けて左右に振る。
「あ、今のなし! 話さなくていいよ。ちっ。ちょっとのぼせちゃったみたいだね。気にしないで」
ラモーラが酒袋に目を落とす。
考えてみれば、ラモーラもこちらと同じ感覚を持っているはずだった。そもそも、依頼の中身を興味本位で聞くべきではないとわかっていた。逆に、首を突っ込むと厄介事に巻き込まれかねないまで思っているかもしれない。実際、そういう危険はある時もある。
「で、遺跡ね。王都の近くって、どれくらいの範囲なんだい?」
「徒歩一日以内、ですか?」
ウェイは最後の部分を、アリを見て、首を傾げる。アリもだいたいそうだろうと思っていたので、頷く。が、少し付け加える。
「王都からなら二日近くかかるかもしれない。双子樹の町から一日と考えた方がいいかもな」
子供連れなら、遠くには行けないはずだった。
「ふうん。……人が住みやすいってなら、建物の形が残っているとこだから、あそこが一番かねぇ」
ラモーラが考えながら呟いた。どうやら、目当ては付くらしい。ウェイが嬉しそうに、アリに対して頷いた。当たりを喜んでいるのだ。
「それが何処か、教えていただけますか?」
ウェイの呼びかけに、自然と下がっていたラモーラの顔が上向いた。その目には妙な輝きがあった。
「もちろんいいけど。アタシも、これで飯食っている立場でねぇ」
アリは舌打ちした。当たり前だ。情報にはそれなりの金が要る。
問題なのは、アリにその余裕がないことだった。王都を離れる前、依頼人に会って、前金の銀貨四十枚を貰ったが、プルサスまでの往復の準備と、プルサスでアリが昔の仲間から引き出す情報料を考えるとギリギリか、少し足りないくらいだった。そうなると、困ったことになる。家に置いていく金が無くなるからだ。
母親が飢えて、周りに物乞いするのは構わなかったが、弟のトーリが腹を空かせたままにするのは可哀想だ。だから、プルサスに着いてから、帰りに掛かる金はウェイに借りようと思っていた。ウェイなら、返すようにしつこく迫ることもないし、運が良ければそのままウヤムヤにできそうだからだ。
しかし、この目論見はマコウに読まれていた。ウェイに金貸しはできないと前から考えているマコウは、自分からアリに金を貸す事を提案してきた。「本来、貸した金には利子が付くが、大目に見てやろう」と支払いは、報酬を受け取った後で良かった。この大目は、プルサスまで話を聞きに行く手間賃も含んでいる、とのことだった。貸してもらった額は、前金そのままの銀貨四十枚だ。
昔は、依頼の為にそれぞれが払った金を報酬からさっ引くべきじゃないか、とアリは思っていた。しかし、マコウが認めなかった。アリの言い分は正しいが、そこを突き詰めていくと、管理ができないからという理由だった。毎回、仕事をこなすために、個人が払うお金は変動するので、まとめるとある程度均されるから満足しろ、と言われた。が、アリは納得できなかった。するとマコウは、「イーギエが魔道士ギルドに払っている金も、みんなで負担することに繋がるぞ」と言った。そして、イーギエが毎年魔道士ギルドに払っている額を聞かされて、ビビリ、すぐ報酬からさっ引くのは止めよう、と思った。
今回、ラモーラに対して金を払うのはウェイだ。自分の財布じゃないアリは、直接払わなくてもいいのだが、この取引そのものが気に食わなかった。ラモーラは、自分がウェイにとって重要な情報を持っていると分かっている。さらに、この手の値段の上げ下げは、依頼を受ける時に毎回しているはずなので、ラモーラは慣れている。一方、ウェイは自分のお金にこだわらない所があるので、割高に取られかねない。相手が女だから、扱いがマシになる、いつものウェイの能力を考えて、ようやくトントンといったところか。
しかし、ラモーラの立場が強いのは変わらない。アリは、ウェイがそんな取引に立たされているのを見るのが嫌だった。
だが、取引は、アリの予想していなかった展開を迎える。
「他の奴だったら吹っかけているとこだけど、ウェイちゃんだったら良いよ。タダで教えてあげる」
「ホントですか! ありがとうございます」
素直に喜ぶウェイに、ラモーラも顔をほころばせる。
「ああ。だけど」ここでラモーラはゴクリと唾を呑んだ。「ウェイちゃん、アタシと一晩一緒に過ごしてよ」
「げっ!」
思わずアリが呻いた。子供じゃないので、ラモーラの意味する所は分かっている。そして、拒否反応が出たのだ。ラモーラの顔は悪くないし、体つきは良い方だ。けれども、中身が問題だ。アリなら、よっぽど金を積まれない限り、断る。無理に受けたところで、体の方が乗ってこず、デキないことさえあり得た。
その拒否感が噴き出た後で、アリは、実はラモーラが法外な金額を吹っかけてきているのと同じだと気づく。ウェイのようなとびきり上玉の男娼を一晩雇うのに幾ら掛かると思っているんだ、とアリが口にする前に、あっさりウェイが答える。
「いいですよ」
「げっ!」
また、アリは思わず呻いた。今度は、その後をチラリと想像してしまったからだ。
「何だよ、さっきから。アンタは連れてかないよ」
「当たり前だ。頼まれても付いていくか」
「……だったら、とっとと行きな! ウェイちゃんは、ここで一緒に夕日を見ようねぇ」
猫なで声に寒気を感じながら、アリはその場を去る。塔に入ってから、もう一度様子を窺うと、ラモーラはウェイの腕に自分の腕を絡ませていた。「恋人気分かよ」と反発を覚えながら、ラモーラの顔を見て驚いた。ラモーラの輝く笑顔がまるで若い娘のように見えてからだ。もちろん、錯覚だった。不覚にもそう感じてしまった自分に苛立ち、アリは最後に一言投げ掛ける。
「変な病気、うつされるんじゃないぞ」
「うるさいよ!」
ラモーラの怒号と一緒に、短刀が投げつけられる。本気で当てるつもりはではなかったろうし、塔の中にいたので、アリは簡単に避けられた。
「やっぱ、オレにはアイツは無理だ」
そう呟きながら、アリは階段を下りた。