魔女の目覚め
最新ハードがディスクを飲み込む。
世界で一番好きな音がする。
ゲームの為に買ったハイビジョンTV。画質はより美しく快適にプレイできるようカスタム設定している。
ゲームが起動する。
開発、制作、ゲームデザイン、音楽、美術…
各会社のロゴや監督の名前がゆっくりと流れる。
そしてオープニング。
荘厳なオーケストラの演奏に合わせ、花が舞い、風が吹き、人々が踊る。
一旦暗転。
ああこの瞬間の為に生きてきた。
子供の頃からプレイし続けたRPGシリーズの最新作。
告知から数年、待ち望んだ発売日当日。
先入観を持たない為、事前情報は一切見ない主義だ。
全く知らない新しい世界に、私は今日初めて降り立つのだ。
コントローラーを握りしめて。
ゲームをする時は部屋の電気を消している。
その為暗転中は真っ暗闇になるわけだが、一向に次の場面に映らない。
目を開けているのか閉じているかもわからない闇の中。一番心配なのは買ったばかりのゲームがバグっていることだ。
何年も楽しみにしていたのにまたおあずけなんて…
焦りはどんどん強くなる。
コントローラーのボタンを押せば、ホーム画面に飛べるかも知れない。しかし初めてのプレイでオープニングは飛ばしたくない。
もうしばらく待ってみよう。
落ち着いて様子を見よう。
それにしても、こんなに辛い部屋だったか?
コントローラーを一度置いて、部屋の電気をつけようとする。
しかし、いつも照明用リモコンが置いてある場所には何も無い。
飲み物を置いていたはずの机も無いし、座っていたはずの座椅子の感触も無くなった。
コントローラーを探るが置いたはずの場所から消えていた。
そもそも、住み慣れた部屋の匂いでは無いし、座っていたつもりがベッドに寝転んでいるようだ。
急に、強い光が目に入る。
ずっと閉じていた目を開けたのだ。
そして目を疑った。
2年住んでいた1Kの部屋は消え、絵本のような木造家屋の一部屋に、自分が存在していた。
ニ○リで買ったパイプベッドもコタツも無くなり、頑丈そうな木製ベッドと大きな本棚、窓際には小さな机と丸椅子が1セット。床にはラグも敷かれておらず、土足の生活をしているようだった。
ここはどこだ…?
と思ったが、一瞬で場所の把握はした。
ここはゲームの中だ。
家や家具に見覚えがある。
さっきまでプレイしようとしていたゲームシリーズでお馴染みのデザインだ。
するとここは夢なのか。
プレイするのが楽しみ過ぎて、バグったのがショック過ぎて、気を失って夢の世界に来てしまったのだろうか。
それにしては、毛布の感触や家とは違った埃の匂い、微かな土の匂い、そして目に見えるものが鮮明だ。
とても夢とは思えない。
---転生だったら面白いな。
そう思いつくと、なんだかそれが正解な気がしてきた。
仕事に行くために起きて、生きるためにつまらない仕事をする。一日の大半を退屈で憂鬱な気持ちで過ごし、適当に食べて寝るだけ。
ゲームをしている時間だけが楽しかった。
このまま毎日同じことを繰り返すであろう自分の人生の、平坦な日常の中で、唯一の生きがいだった。
とりあえず、ここがゲームの世界なら、ベッドから起きて動き出せば何かイベントが起こるはず。
そう思い、ようやくベッドから起き上がり、床に置かれた靴を履いた。
しばらく部屋をウロウロしてみる。
この世界での自分はどんな人間なのだろう。
テーブルの上に手鏡がある。
もしかして美少女に転生したのでは、という淡い期待を抱いて覗き込んでみた。
残念なことに、そこには前世と同じ平凡な顔があった。
ただし髪や肌や目の色素は若干薄くなっている。
そして自宅では適当なTシャツと短パンで過ごしていた自分なら絶対着ることの無いような、白いネグリジェを着ていた。
若干、中世の絵本のような世界観に、外見も合わせられているのだろうか。
次にクローゼットを開く。
中には同じデザインの紺色のローブが何着か入っていた。
そうか、ゲームの中の人は基本的にいつも同じ服を着ている。
今後のストーリー展開によっては装備の変更に伴い衣装のデザインも変わるかも知れない。
そこでふと思った。
自分は主要キャラクターなのか?
それとも、ただの村人なのだろうか?
もしただの村人なら、きっと一生この村を出ることなく、旅人が来るたびに同じ台詞を話して状況説明するだけの人生なのだろうか。
それが、元の世界の自分とどう違うのか。
ーーーどちらでもいいか。
別に冒険に出なくても、この平和そうな村で一生平凡に暮らすのもいいかも知れない。
クローゼットのローブを一着手に取る。
着替えますか?
→はい
いいえ
という文字が見えるような気がした。
着替え終わり、クローゼットの扉に付けられた全身鏡で、自分の姿を客観的に見る。
中肉中背の平凡さだ。
しかし衣装を着てみると、もしかして魔法使いかも知れないという気がしてきた。
次に本棚を調べてみる。
目に入った本を手に取り開いてみる。
読めない文字、不思議な図がズラリと並び、全く理解できなかった。
これはまずい。
識字ができなければ、魔法使いどころか普通に暮らしていくのにかなり不便だ。
一旦本を戻す。すると本棚の横に、シンプルな両手杖が立てかけてあるのに気付いた。
手に取ってみるとしっくり手に馴染む。きっと私用にオーダーメイドされたものなのだ。
魔法は出せるか?
おもむろに杖を振ってみた。
当然、何も起こらない。
初回プレイの際は、攻略本や攻略サイトは見ない主義だ。
それでもゲームならある程度ストーリー内で説明をしてくれるが、ここでそんな機能は使えない。
どうしたものか。
もしかして魔法使いではないのか?
考えあぐねていたその時、扉をノックする音が聞こえた。
「クララ?起きてるの?おじいちゃんが来てるわよ。今日は大切なお話があるのでしょう。」
おそらくこちらの世界の母親だろう。
前世の母親とは似ても似つかない、優しくて上品な声だ。
はい、今行きます。
と返答した。
声も名前も変わっていないようだ。
私は部屋の扉を開け、母親の声のする方へ歩いて行った。