第4話【ダッシュ・アンド・ラン】
次の日の朝、俺はランニングをしやすそうなシャツとズボンで鈴木さんが来るのを待っていた。
「今日は早いですね?」
鈴木さんは昨日と違い、ウェットスーツを着て、汗だくになりながら走って来る。
その汗の量はかなりのモノであった。
「えっと、鈴木さん、その格好は?」
「減量の為のトレーニングですよ。
こう言う事もしてないとコンビニの立ち仕事だけではなかなか、ウェイトが減りませんからね?」
そう言いながら、鈴木さんはシャドーボクシングをして少しでも汗を出さんとする。
知らなかった。
鈴木さんはただ、トレーニングするだけでなく、こんな事もしながらコンビニでバイトをしていたのか。
あの印象の薄い顔なのは減量とボクシングで体力を使い果たしているからなのか。
過酷な現実を知って、俺は生唾を飲み込む。
「それでは行きましょうか?」
鈴木さんは俺にそう言うとダッシュで走り去ってしまう。
減量しているとは思えないその走りを目にしてしばし、呆然とした後に俺は慌てて鈴木さんを追う。
鈴木さんはただダッシュしているだけではなく、時折、スピードを緩め、軽く走り、またダッシュを繰り返す。
所謂、ラン・アンド・ダッシュと言う奴である。
考えが甘かったかも知れない。
鈴木さんに認めて貰う為にランニングに参加したのにこのままでは追い付く事すら出来ない。
俺は少しでも鈴木さんに追い付こうと速度を上げる。
だが、追い付けない。
まるで俺の心情を表すかの様に鈴木さんの後ろ姿が遠くに見える。
それでも鈴木さんの背中を見失わない様にひたすら走る。
息も乱れ、心臓の鼓動も今まで聞いた事がない程、早く感じる。
そして、俺はとうとう立ち止まってしまう。
足も重く歩くのもしんどい。
これが俺と鈴木さんの違いか・・・。
とうとう、見えなくなった鈴木さんの姿を探しながら俺は運動不足で動くのも辛い足で鈴木さんの通うボクシングジムへと歩く。
昨日の感じではジムまでは一本道だ。
このまま歩いていれば、ボクシングジムまでは歩いて行けるだろう。
だが、このままで良いのか?
俺は自分を変えたいんじゃなかったか?
そんな心とは対照的に俺の体は動かない。
動こうとしてもふくはぎが限界で歩くのも辛い。
・・・このまま、帰ってしまうか?
そんな甘い誘惑さえも聞こえる様な気がした。
こんな辛い思いをしてまで俺は変わりたいのか?
こんな俺が変われるのか?
そんな俺が見たのはただただ長い歩行者用道路だった。
やがて、俺の中で帰ってしまおうと言う思いが強くなって行く。
こんな思いで鈴木さんに近付ける筈もない。
そこで俺はふと、立ち止まる。
鈴木さんに近付く?
違うだろ?まずは鈴木さんに認められる事から始めるんだろう?
俺は自身を奮い起たせ、ひたすら前へと前進する。
そうだ。俺は何を勘違いしているんだ?
あの人に認めて貰いたくて自分から言い出したんじゃないか!
ここでやめる事はいつでも出来る!
だが、何も残してないのに諦められるものか!
俺は鈴木さんのペースではなく、自分のペースで走る。
最初から鈴木さんと同じ事が出来るなんて思っては駄目だ。
まずは自分のペースを維持して走らなくては。
俺はパンパンになったふくらはぎで走るとも歩くとも言えない走り方でランニングを再開した。
まずは自分のペースを掴む事・・・まずは自分のペースを掴む事・・・。
そう念じながら、俺は自身を奮い起たせてノロノロと走る。
そして、なんとか、ボクシングジムへと到着した。
「やあ。遅かったね?」
そう言ってボクシングジムで待っていたのは鈴木さんではなく、坂田さんだった。
「あの、鈴木さんは?」
「宗成君なら次の練習に入ったよ」
「そう、ですか」
俺が落胆していると坂田さんは俺の肩に触れる。
「本当は君が途中で帰るんじゃないかと思っていたんだ。
だが、彼は君が来ると信じていた」
「え?でも、鈴木さんはーー」
「まあ、普通はそう思うだろうね?
だが、彼は次の試合が決まっている身だ。
来るか来ないか分からない君をただ待つには時間が惜しいし、周りが許さない。
だから、代わりに俺が待っていたんだよ」
坂田さんがそう言うと俺は一心不乱に会長さんとミット打ちをする鈴木さんを見詰めた。
鈴木さん。俺、鈴木さんの期待に答えられたでしょうか?
そんな事を考えていると坂田さんが俺に問う
「それで君はこの後、どうするんだい?」
「え?」
「このまま、帰るのかい?
それとも、ジムをまた見学するかい?」
そう言われて俺は迷う。
このまま帰っても、部屋に引き込もってしまうだけだ。
だけど、ここにいても場違いな気がする。
そんな風に迷っていると坂田さんが背中を押す。
「え?ちょっーー坂田さん!?」
「迷ったのなら、先輩のアドバイスに従うべきだろう?
会長さんには俺から後で伝えて置くから、君は宗成君を見ていて御覧。
多分、そこに答えはあると思うよ」
そう告げると俺は坂田さんに有無を言わさずに鈴木さんの練習するリング近くへと座らされる。
そこには息切れしながらパンチを繰り出す鈴木さんの姿があった。
その姿を見て、俺も鈴木さんと同じリングに上がりたいと思うようになる。
そんな俺を鈴木さんが一瞥する。
「宗成君。余所見はいかんぞ?」
「分かってます」
鈴木さんは会長さんの忠告に短く応じると練習に集中する。
そんな鈴木さんの姿を羨望の眼差しで見ている俺の横に立ち、坂田さんが笑う。
「どうやら、宗成君は君に良いところを見せたいらしいね?」
「え?」
「しっかりと見届けていくといいよ。
君の憧れる鈴木宗成という男の姿を」
「ーーっ!はい!」
俺は坂田さんに返事をすると鈴木さんの姿を少しでも目に焼き付けようとまばたきをするのも忘れて、鈴木さんを見詰める。
俺もあの人の様にリングへ上がりたい。
そんな思いを込めながら・・・。
そんな俺に坂田さんからプレゼントを貰ったのはジムから帰る時であった。
それは試合のチケットだった。
勿論、鈴木さんの試合のチケットである。
「行くかどうするかは、君が決めて御覧。
まあ、君の事だ。勿論、来るとは思うが・・・なんなら、俺が君を車で乗せて行こうか?」
「だいじょうーーあ」
そう言えば、この日は仕事を探しにハローワークへ行くんだったな?
どうしよう?
折角、坂田さんが気をきかせてくれているんだし、ここは好意に甘えて置こう。
「お願いします。それで、えっと・・・」




