第12話【シャドーボクシング】
次の週からは怪我の治った鈴木さんとロードワークをするようになった。
勿論、まだ挫いた足は完治していないが、それでも俺のロードワークについてこれる程には痛みが鎮まっているらしい。
痛み止めの薬も飲んでいたりもするのだろうか?
そんな俺はと云うと佐藤さんのアドバイスの元、トレーニングを繰り返していた。ミット打ちも大分、上達した。
だが、それでもプロどころか、アマチュアにも合格しないだろうと言われた。
理由は至極簡単である。
拳にばかり集中して、足が疎かになっているしまっている為、ステップからのパンチが下手だからである。
足に意識を向ければ、拳が疎かになり、拳に意識を向ければ、足が疎かになる。
今のところ、その両方を出来るようにする為に特訓中だ。
「頑張っているみたいだね、正樹君」
そんな俺に柔軟をする坂田さんが声を掛けてきた。
まだ在籍しているとは云え、もう辞める準備を始めているのか、坂田さんがグローブをはめる姿はここ最近見ない。
「坂田さん。何かアドバイスはないですか?」
「そうだな。今の自分を振り返って見るなら、シャドーボクシングがいいだろうね」
「シャドーボクシングですか?」
俺の言葉に坂田さんは頷くとその場で軽くステップを踏む。
「例えば、相手をイメージするんだ。
有名なボクサーやゲームの敵でもなんでも良い。
自分が技を盗めそうな相手を見付けて出方を覚える。
そして、それに合わせて、想像の攻撃を避けたりしながら、拳を振るう」
そう告げると坂田さんは高速でシャドーボクシングを行う。
ステップはオーソドックススタイルから左利きの選手が使うサウスポースタイルなど変幻自在だ。
坂田さんは一通り、拳を繰り出しながらステップを踏み終えると俺に顔を向ける。
「ーーと、まあ、こんな感じさ。まずはイメージし易い相手を想像してから、レベルを上げる。この繰り返しさ」
たまに思うが、坂田さんは本当にゲーマーなんだと思う。
ゲームのキャラやレベルなどの単語が飛び出すのが、いい証拠である。
「折角だ。佐藤君にお手本を見せて貰うといい」
「え?僕ですか?」
「パンチドランカーになったとは云え、君も元ボクサーだろう。
後輩にお手本を見せるのが筋ってもんさ」
そう言われて、佐藤さんは溜め息を吐くとゆっくりと構えた。
その手は心なしか震えて見える。
そして、繰り出された拳は俺にも解るくらいスローなものであった。
これ位なら俺にも出来そうな気がする。
「いま、簡単に見えると思わなかったかい?」
「え?」
やはりと言うか、坂田さんには見透かされているようだ。
「今のは君にでも解るようにスローでやっただけだよ。初心者が基礎から教わるなら、彼が適任だろう」
坂田さんはそう言うとロードワークをしに外へと出る。
「課題も見えただろうし、俺はロードワークをしてくるよ。頑張ってくれ、正樹君」
それだけ言い残して坂田さんはランニングに出掛けてしまう。
坂田さんの言うように確かに課題は見えた。
なら、トレーニングあるのみだろう。
「佐藤さん。ちょっとシャドーボクシングをやってみたいので見て貰って構いませんか?
変な所があったら、指摘して貰って構いませんので・・・」
俺はグローブを外しながら佐藤さんにそう言うと佐藤さんは坂田さんに誉められたのが嬉しかったのか、「はい!」と答え、意気揚々と俺のシャドーボクシングを見る。
それから一通りのトレーニングをこなし、鈴木さんと帰る。
「多田野さん。変わりましたね?」
「え?そうですか?」
「ええ。まだ道は険しいですが、前向きになられたんじゃないですか?」
そう言われれば、そうかも知れない。
だが、それは自分の力だけではないのは解っている。
俺には鈴木さんや坂田さんなど、本当に良い人に恵まれているからだ。
鈴木さんに会う前の俺なら、きっと挫折していたろう。
いや、そもそも、あの日、鈴木さんに助けて貰わなかったら、きっと自分は今も悩み続けていたろう。
あの日、あの出来事がなかったら、きっと今の俺はここにはいなかった筈だ。
「俺は恵まれているだけですよ。鈴木さんがいなかったら、どうなっていたか・・・」
「・・・ああ。あの日の事ですか」
「俺、本当に感謝しているんです。鈴木さんや坂田さんに会えて」
俺はそう言うと泣くのを堪えて空を見上げた。日が沈み、もうすぐ夜になる。
俺はこれからも二人の後ろ姿を追って走り続けるだろう。そう思っていた。
流行り病による近年では稀に見ぬ世界恐慌が訪れるまでは・・・。




