森の鍵
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは山と海、どちらが好きとかあるかい?
僕は今でこそ両方楽しめるようになったけど、昔はもっぱら海。それも砂浜でのんびり遊んで、水の中に入ることをよしとしなかった。
あの頃はちょうど、サメものの映画が流行していたからねえ。うかつに泳いだら映画みたく「がぶり」とやられてしまうんじゃないかと、不安になってしまった。それほどまでに、観た人へ影響を与えるって、創作物としてはグッドな出来だといえる。でも、マイナスな意味で足を遠ざけさせるほどになると、問題かもね。いや、悪いのは作った人じゃなくて、影響受けまくりな人の方なんだろうけど。
山に関してもそうだ。同じように気味の悪い話を聞いたこともあって、こうして大人になるまでは、進んで足を向けようと思わなかった。提供源はおじさんで、何でも前に自分が住んでいた地域でのことだったとか。
つぶらやくん、興味があったら聞いてみないかい?
おじさんが小さい頃、住んでいた場所は低地の開発こそ進んでいたけど、高いところは自然が手つかずで残っていたらしい。学校の裏山なんかその最たる例で、おじさんは友達と一緒にそこで遊ぶことがよくあった。
だが、そこで遊ぶに当たってひとつの注意ごとがある。もし、山の中で遊んでいる時、葉から根まで真っ白な一対の樹を見かけたら、山を出るまで誰とも手をつないではいけない、というものだ。たとえそれが手のひら同士でなく、服の端を掴むような些細なものであっても。肝心なのは、誰かの腕を通じてつながってしまうことらしいんだ。
おじさんは当時、引っ越してきて日が浅いこともあって、その手の言い伝えには疎い。初めて聞いたのも、一緒に遊ぶ友達からだったとか。
子供心に、言いつけなら守らないと、という義務感。そしてつないだら何が起こるのだろう、という好奇心が湧きたってくる。
どうにか偶然を装って試そうとするのだけど、そもそも白い樹というものを見つけなくては、意味がない。視認するまでは手をつないでいても問題はないという点が曲者で、実証には相当な忍耐強さを必要とした。
すぐに試せるよう、おじさんは弟である僕の父をたびたび遊びに誘っていたらしい。けれど父は外に出ることを嫌って、付き合いはしなかったという。時間と共におじさんの中で試したい思いは強まっていく。
そしてついに、時が訪れたんだ。
その日の遊びは隠れ鬼で、おじさんは逃げる役だった。裏山は小さいとはいえ、学校のグラウンドよりもはるかに広い。最初から鬼は3人いて、捕まった人もどんどん鬼に加わり、物量作戦ができる取り決めにしてある。
おじさんは逃げる役で、今日はいつもより奥まった場所へ逃げようと思ったんだ。鬼が数え始める、おじさんは山の奥へ奥へとまっしぐら。共倒れを防ぐため、他の皆と同じ方向へは向かわない。
地面を覆う、色の落ちた大量の葉。ややもするとつまずきそうになる、盛り上がった根。それらを踏みしめ、飛び越えながら駆けるおじさんだったけど、不意に視界が開けて木々の並びが途絶えた。
ちょっとした崖っぷちだった。おそらく校舎の3階ほどの高さはある。落ちたら少なくともケガをしてしまうだろう。おじさんはブレーキをかけたけど止めきれず、傾斜に引きずられる形で、落下しそうになった。
そこに「危ない!」と、完全に足が地面から離れてしまう前、反射的に後方へ伸ばした腕を誰かがぎゅっと掴んだ。
ごつごつとした固い手。紙一重で命拾いしたおじさんが振り返ると、そこにいたのはフリースを着込んだ40ばかりの男性。ナップザックに登山靴と、いかにも山登りといったいでたちだが、子供たちがしょっちゅう遊ぶこの山に臨むには、いささか重装備のきらいがある。
そして何より、おじさんが気になったのが、その男性の背後にある樹。数メートルの間隔を開けて横に並ぶ二本の樹が、新品の筆先のように真っ白だったんだ。周囲の木々が黄色い葉と茶色い幹で構成されている中、この容姿はあまりにも目立つ。
「いや、間に合って良かったよ。こうして通りかからなかったら、どうなっていたことか」
男性は、腕を掴んだままおじさんをぐっと引き寄せる。おじさんはお礼を言ったけれど、男性は「気にするな」といいつつ、手を離す気配を見せなかった。また同じようなことがあるといけないから、山を下りるまで付き添うというんだ。
男性はそのまま、ずんずんと先導していく。いかにも自然な所作で、あの真っ白い木々たちの間を通り抜けた。連れられるおじさんは、白い樹の間をくぐった時、周囲の空気がむわっと暑くなったように感じたとか。
「私もこの山に来て長いが、どうにも機会が限られていてね。今年はこれが、ようやくの登山だったのさ」
ずんずんと二人が進んでいく道は、方向こそ、おじさんが通ってきた道を引き返すものだけど、何か違う。来る時には落ちていた葉っぱたちがきれいに無くなっていたし、張り出していた根も消えている。そして男性は先へ進みながら「よし……よし……」と小さくつぶやきながら、しきりにうなずいていたんだ。
やがておじさんたちの目の前に、二体の小さいお地蔵さん現れる。膝小僧までの大きさしかなく、身体と同じ石でできた前掛けと錫杖を手にしている。行く手の正面に現れたそれも、おじさんは行きに見かけたことがないもの。
お地蔵さんの前にはそれぞれ、金色に輝く茶碗が置かれている。男性は向かって右側の茶碗を無造作に手に取ると、上や下を用心深く観察し、おじさんに見せてきた。
「これが私の求めていたものさ。この茶碗があれば、あらゆることに困ることはない。たとえば」
男性が茶碗を服の袖で隠し、ぐるりとひと回しさせてから外すと、そこにはてんこ盛りの金の粒があった。ひとつひとつが米粒ほどの大きさで、それが何千、ことによると何万も集まって、茶碗の中で山を成している。
おじさんは目を見張るばかりで、何もいえなかった。真贋は分からなかったけど、少なくとも男性はこれが本物の金だと信じている様子。顔はほころんでおり、確かめるように先ほどと同じく、袖のカーテンを張ってこね回し出した。
袖が取り払われるたび、茶碗の中には異なるものが姿を現す。金が水になり、次にはいがを取り除いた栗たち。その次にはぐったりとした小鳥の姿になる。「さばいて食べると美味いんだ」と、男性は何度も舌なめずりをした。その音が思いがけなく大きくて、おじさんは思わず身を引きかけちゃったとか。
男性は残っているもう一つの茶碗を、おじさんに持っていくよう勧めてくれたけど、おじさんは首を横に振る。こんな得体の知れないものに手をつけるなんて、とてもできない。
「残念だねえ。こいつがあれば、君のお父さん、お母さんも喜ぶだろうに」
男性はやれやれと肩をすくめると、さっさと踵を返す。山を下りるまで付き合うという、先ほどのセリフはどこへやら。どんどんと足を早めて、おじさんがとうていついていけないスピードに。ほどなく、その姿は森の奥へと消えていってしまった。
おじさんは来た道を振り返る。そこにはまた落ち葉や根っこたちが姿を現していたらしい。そして真っすぐ引き返していっても、あのお地蔵さんたちは見つからず、代わりに姿を現した鬼のひとりに発見されてしまったとのことだよ。
おじさんはそれから、時間を見つけて白い樹にまつわる話を集めたらしい。その結果、白い樹の見えるところで二人以上が手をつなぐと、それが森の最奥へたどり着くカギになるらしいとのこと。
いわば森の金庫というべき場所。手をつなぐというのは、そこへつなぐカギとなるべき行為なんだ。ということは、金庫の中身であるあのお地蔵さんと茶碗は、山の宝にあたるのではないか。
おじさんがそう予想を立てた数年後の時点で、例の裏山はすっかりはげ山となっていたらしい。開発の手が入れられたわけじゃない。どうにも男性とおじさんが踏み入った年から木々の姿が目減りし、盛り返すことなく、今に至るという話だよ。