東の島
怪魚と大きな島が発見されました。
日本の対応は?
三匹の、恐らく混沌獣だと思われる怪魚を撃破した野分と黒鶴艦爆隊だった。
黒鶴艦爆隊長は、爆弾を無駄にしたと飛行隊長や飛行長からお小言を戴いた。上手くすれば、浮いていた可能性もあった。サンプルとして貴重である。
野分艦長は危険として沈めるよう要請したが、上層部は野分周辺の二匹だけではいつ沈むか分からない。もう一匹と思っていた。それをバラバラにして沈めてしまったのだ。しかも後続の二機は投弾せずに帰還した。爆弾は海洋投棄である。勝手に装備させて高価な二十五番を二発無駄にした。お小言を言いたくなるのも当然だった。
野分は二匹の怪魚のまわりを旋回していたが、いつまでも続けるわけにはいかなかった。兵員の疲労や船体の状況から出来れば穏やかな海面に移動したかった。
谷風が交代としてやってきたのは、その日の夕方だった。これで野分はお役御免だった。分艦隊に合流すべく速力を上げた途端、不整振動が野分を襲った。速力を振動が出なかった前進原速まで落として原因を探ると、推測であるがスクリューが変形している可能性がありそうだった。あるいはベアリングが損傷していて高速回転になると振動として伝わってくる可能性の考えられるとのことだった。
損傷しているのは左舷軸で右舷軸は異常なかった。怪魚との衝突時ガリガリ言っていたのはスクリューに当たったせいか。
仕方なく速力は前進原速で分艦隊に向かう事になった。向こうは十八ノットだ。此方は十二ノット。追いつかない。島を調査するというのでその頃には追いつくだろう。
谷風艦長は探針儀を使って周辺の海中に大型水棲生物がいないか確認したかった。しかし鳴き声で仲間を呼ぶのであれば、探針音でも可能性がある。迂闊なことは出来なかった。谷風も怪魚の周辺を旋回することしか出来なかった。
谷風が周回を重ねている頃、分艦隊は発見された島影を見た。哨戒機によると大凡南北三百km東西六百kmの大きな島らしい。
分艦隊は島の南側に泊地になるような入り江が無かったため、島の北側の大きな湾に泊地を求めた。
哨戒機によると、文明の痕跡は無い。と言うことだが、山東半島の例もあり詳細な調査が必要だった。
野分は分艦隊に遅れること一日で泊地にしている湾に到着した。
途中で磯風とすれ違った。谷風と交代するのだろう。怪魚はまだ浮いていると言う。
泊地は湾と言っても湾口が百五十kmほどある湾で外洋と言っても良いくらいだった。
これは黒鶴が艦載機の発艦に必要な海面を求めたためであった。
それでも西の半島で風がある程度遮られるのか波は外洋より穏やかだった。
怪魚を警戒しているためか水深は浅めの所で五ノット程度で移動している。駆逐艦と直衛艦が交代で分艦隊外周を警戒している。
新田丸に乗船している学者先生達が上陸を希望したが、安全が確保出来ないとして断った。
野分は艦隊よりも浅い海面に移動して、描泊をする。艦外の点検が必要だった。
飯塚艦長もこの状況では艦底の様子を見てこいと命令するわけにもいかず、デリックや甲板から見える範囲でしか点検出来なかった。あんな魚がいるのだ。他にも怪物がいておかしくなかった。
海水の透明度が高いのでよく見えるが艦首砲塔直下の左舷水面下が凹んでいるのが目視で分かった。時々泡が上がってくる。けっこう重症だな。
飯塚艦長は分艦隊司令の九戦隊司令に対し、「本艦、水線下に損傷並びにスクリュー損傷につき高速行動不能」と報告する。
「詳細を報告せよ」に対して「出しうる速力、十二ノット。それ以上では異常振動発生。水線下の損傷は、少量ながら気泡が途切れず」
対しての返答は
「艦の保全を第一にせよ」
まあそうなるわな。
翌日、浦風が怪魚の死体警備を交代すべく向かった。本日特に何も無し。いあやったな。新田丸での休養があった。全員風呂でさっぱりして食堂で良い食事をした。良い日だった。少し危険だったが、新田丸に接舷しての乗船だった。
また日が上った。東遣艦隊本隊が何も無ければ引き返してくる頃だった。最東端で強度の高い電波を発信すれば、東にあるという文明に気付かれるかもしれないので無線封止をしている。
この日重要な発見を島の空撮に出ている機体がした。
ケンネルの集団であった。出会ったら逃げるか殺すか、どちらかを選べと言われた存在だ。
黒鶴は戦闘機まで出して、偵察を行った。
さらに二日後。結局東遣艦隊本隊は何の発見も遭遇も無く無事に帰ってきた。
恐らく南アタリナ島から三千海里は進出したはずだ。今は泊地と決めたこの湾で補給と休養をしている。
あの怪魚、一匹は東遣艦隊本隊が来るまでに沈んでしまった。一匹は運の良いことに浮かんでいた。引き上げることも出来ないので、甲斐が碇で引っかけて曳航?するという非常識な手段に出た。さぞや大変だっただろう事は想像に難くない。
島への上陸もためらわれた。海中にどんな危険な生物がいるのか分からない。上陸時に損害が出ては大変なことになる。内火艇の使用も危険とみなされた。あの怪魚クラスの怪物がいれば内火艇の使用は出来なかった。
さらに二日湾で過ごし帰還することになった。艦隊速力は怪魚を曳航している事も鑑みて、十ノットとされた。
南アタリナ島まで七日か。
政府は怪魚との接触という報告を受けて、方針を変えざるを得なかった。
南アタリナ島東海域まで遠洋漁業が出来ればと思っていたらしい。しかし漁船では到底対抗不能な怪魚である。
当面漁船は日本の領海外に出ることを禁止された。
海図も無ければ天測も出来ない。そんな状態で遠洋に出て行く船がないとしても。
だが、漁業と領土は別だった。
政府は海軍と陸軍に、東の島を領土化すべく行動することを求めた。これには陸海軍ともに賛成だった。ただ、陸軍はケンネルの存在が、海軍は怪魚の存在が、気に掛かった。
防疫はシベリア大陸の様子から、地球と同じ体制で良いだろうと言うことになった。
怪魚からは魔石が取り出され、混沌獣であることが確認された。この魔石は非常に大きく、カラン村の寄生虫対策魔法陣を100回近く発動可能という見立てがされた。
ウロコは軽量かつ強靱であるため、様々な用途があると聞かされた。カラン村にウロコを半分ほど渡したら、すごい感謝をされた。
他にもこの大きさの魔石ならではの魔法陣も存在すると聞いた政府は、魔石狩りを決意した。
陸軍は最新鋭の揚陸艦・神州丸を持って望むことにした。チハを積んだ特大発を十隻積んだ上に大発二十隻を搭載し、大発は艦尾から発艦するという画期的な船だった。
陸軍は歩兵一個師団、戦車二個連隊、砲兵一個連隊、工兵二個大隊を投入するという。貴重な戦車隊と工兵隊を投入するのだ。最新鋭の三式装甲車も投入する。陸軍の意気込みは凄かった。
対して海軍の現場は、乗り気では無かった。
野分の損傷が意外に重症だったせいだ。左舷スクリューの変形とスクリュー支持架の変形及び内蔵のベアリング損傷。左舷水線下の浸水するほどのへこみと艦底部のへこみ。
三週間のドック入りだった。スクリューが間に合わず、スクリュー以外の修理が終わった所でドックから追い出された。
貴重な駆逐艦が、怪物とは言っても所詮野生生物の数回の体当たりで下手をすれば沈んでいたと言う事実は今後の外洋展開に重くのしかかってくるのだった。
さらに25ミリ機銃が通用しないのも問題だった。一式三十三ミリ機銃への転換が急がれるが、製造数に限りがあり、おいそれと全艦に装備とはいかなかった。
それでも海軍は、一式三十三ミリ機銃の装備を急がせた。対空射撃は無いものとして銃側直接照準とし射撃管制装置を省くことで、駆逐艦一隻当たり二基の33ミリ連装機銃、補給艦・輸送艦も一隻当たり二基の三十三ミリ連装機銃を装備出来た。火龍・雷龍・最上・熊野・能代は各艦四基であった。
新田丸にも自衛用として、二基装備された。
また、海面付近を目標とするため設置位置は低い場所とされた。
全艦に怪魚対策として、新たに制式化された三式対潜迫撃砲を両舷に搭載した。
駆逐艦はこれらの装備場所の確保と代償重量として発射管一基と予備魚雷を下ろした。
甲斐・凍鶴・黒鶴・新月・若月・霜月・酒匂・二十二駆は、三十三ミリ機銃が建造当時から装備されている。三式対潜迫撃砲を両舷に追加装備したが、大型艦であり装備重量は許容範囲に収まった。
海軍は東遣艦隊を元に以下の陣容で望んだ。駆逐艦をもっと増やしたかったが、船も人も足りない状況では、これ以上の規模は不可能だった。
第二次東遣艦隊
旗艦 甲斐
第一戦隊二分隊
戦艦 甲斐
第二航空戦隊
空母 火龍 雷龍
直衛隊 新月 若月 霜月
第七航空戦隊
空母 凍鶴 黒鶴
直衛隊 影月 冬月 春月 初月
第九戦隊一分隊
軽巡 最上 熊野
第二水雷戦隊
軽巡 能代
第二十二駆逐隊
長波 巻波 高波 大波
第十一駆逐隊
浦風 磯風 谷風
第四駆逐隊
時雨 村雨 春雨 五月雨
第三水雷戦隊
軽巡 酒匂
第五駆逐隊
海風 山風 江風 涼風
第七駆逐隊
朝潮 大潮 満潮 荒潮
第八駆逐隊
山雲 夏雲 霞
他、艦隊補給艦二隻、艦隊油槽艦三隻、新田丸
陸軍は、輸送手段として海外貿易が無くなってしまい暇になっていた外国航路の船舶を徴用した。
貨物船二十五隻、タンカー二隻、八幡丸を含む貨客船五隻の陣容だ。いずれも一万トンクラスの優秀船で構成された。
陸軍は自衛用として、各艦に三十七ミリ速射砲二基を取り付けた。勿論操作は陸軍が行う。海軍からは三式対潜迫撃砲が提供され、両舷に装備した。操作は海軍が行う。
司令部は神州丸に置いた。
捕鯨船団が二船団政府に雇用され、今回の船団に入っている。成功すれば護衛付きで恒常的に展開するようだ。怪魚対策は、重量や場所的に無理であるとして、キャッチャーボートには気休めの二十五ミリ単装機銃以外装備されなかった。捕鯨母船には三十七ミリ速射砲と三式対潜迫撃砲を両舷に装備した。
ただ、日本はこれだけの規模の船団を構成するのはWWⅠ以来とあって、複雑な艦隊運動や韜晦航路は無理だった。
それらの対敵国用の技術は今回必要無いとされ、海軍艦艇の先導のもと南アタリナ島に集結を図った。
南アタリナ島に集結後、二日間は休養と補給、最終調整に充てた。
かくして、日本時間正和十八年初冬、仮称東鳥島攻略戦が発動された。
総旗艦は八幡丸とされ、統合司令部も置かれた。
ケンネルを掃討する気ですが、どうなるのか。
魔石狩りに捕鯨船投入。キャッチャーの銛が通用するのか。
次回予告 仮称東鳥島攻略戦 十月五日 05:00予定