現地対応 イギリス航空機
閑話ですね。
いいかげんですが、作者ではこれが一杯で。
イギリス空軍(RAF)は転移時、戦時体制に移行しており各種航空機を開発していた。
それは、自国の航空産業に大きな負荷を掛けていた。特に、朝令暮改とも言える仕様書の変更が原因だった。戦訓に基づく物といえば都合がいいが、ただ単にその場限りの対応策とも言えた。
それが転移により、敵国の消滅、資源の不足、などで不要になった。
RAFは資源不足と予算削減による軍縮に対応しようとした。航空機開発にあっては、新規開発数を抑え従来実績のある機体の延命である。
それは人員の削減を当然伴うものだった。特に、士官では将官クラスと大佐・中佐クラスの人員削減が進められた。かなりの人数が営門昇進して退役していかされた。これによりかなり風通しが良くなった。横槍も減り、無駄な仕様書の乱発も無くなると、現場では喜んだ。
多くの新型機・新技術の開発が中断され、あるいは中止となった。
継続して新規開発したのは艦上機くらいなもので、後は既存機体の性能向上で当面をしのぐことになった。
何しろ周囲の状況もよく分からない。ヨーロッパ対応の機体を開発したはいいが、まるで役に立たない可能性もあった。その懸念は当たり、周辺にはイギリス連邦構成国が固まっていたが、それ以外は大海原だった。
開発中止になった機体は主に設計時点で旧式的な機構が採用されていた機体が主だった。
開発中断された機体は、既存機体の性能向上では届かない性能が予定された機体で、資源供給の問題が無くなれば再開するとされた。
開発中断された技術にジェットエンジンがあった。資源不足の中、大量の燃料と貴重な金属材料を大量に使うことが懸念されたせいだった。資源供給に問題が無くなれば再開するとされた。
それでも基礎研究だけは行われていた。
既存機体も資源不足と予算削減によって、機種の整理と共に生産数は技術維持のための最低限とされた。
その縛りが完全に解けたのは、日本との接触後だった。
ビクトリア砂漠の大規模油田や各種金属資源の発見も有り、国内経済の上昇と共に開発費(軍事予算)も増え順調だったが、生ゴムの配分を民生に多く取られ軍にはあまり回ってこなかった。軍の中でも海軍が優先された。
インドゴムの木は発見されたが一般用途には性状からしてブラジルゴムの木の方が良く、インドゴムの木の樹液も使われていたが日本との接触前には神倉庫からの供給に頼っていた。そのため、供給が制限されていた。対ガミチス戦勃発後もそれは変わらなかった。
日本との接触後、日本がインドゴムノキを栽培しイギリスへの供給も可能となったことで一気に制限が解除されたのである。
日本との接触前に再開された新型機開発でいち早く採用されたのが、艦上戦闘雷撃機ブラックバーン・ファイヤブランドだった。これは艦上戦闘機として開発されていたが艦上戦闘雷撃機となったところで見直しに会い、細々とした開発が続けられた。ほぼ完成していたこともあり、早期に採用された。いくらなんでもソードフィッシュの雷撃機としての時代は終わった。
次いで艦上戦闘機ホーカー・シーフューリーだった。シーファイヤでは離着艦事故が多く新型機の導入が急がれていたためだった。ライバルであったスパイトフル艦上機型はその航続距離の短さと価格の高さで不採用となった。
艦上機が優先されたのは広大な海に対応するためで、従来機では性能不足も良いところだったためだ。
陸上戦闘機はスピットファイヤのままだった。スパイトフルは高性能であっても価格の高さが邪魔をしたが、対ガミチス戦ではスピットファイヤの性能頭打ちも有り後半になって登場している。
爆撃機は奇跡の木造機モスキートに自信を持っており、高速四発機の開発はされなかった。ランカスターの後継機であるリンカーンは開発された。
リンカーンは相変わらず搭載量重視で、武装は大幅に強化されたものの低速は変わらなかったため損害が多く、戦争終盤には連山をライセンス生産する羽目になった。これは航空行政の怠慢として更に老害の排除や人材の選別が進むのだった。
ただ、レシプロ軍用航空機はここまでだった。ジェットの轟音が聞こえているのだ。
ジェットエンジンの開発はビクトリア砂漠での大規模油田発見後進んでいた。日本との接触後、資源供給に余裕が出来、貴重な耐熱材料も大量に使用できるようになった。そのために一気に進んだ。日本も自国でのジェットエンジン開発に難航しておりイギリスの技術に期待したのである。
細々と行われていた研究では、遠心式は高速戦闘機用途としては将来性が無いとされ高速戦闘機用としては軸流式が研究されていた。遠心式もその軽量コンパクトによる利用用途が有るとされ継続研究されている。
研究を行っていたのはロールスロイスとメトロポリタン・ヴィッカースの二社であり、先に実用レベルの完成を見たのはメトロポリタン・ヴィッカースのエンジンだった。ただ、メトロポリタン・ヴィッカースは転移後国策によってガスタービン部門をアームストロングに売却しており、実用化はアームストロングの企業力によるものであった。
ランエール世界初の実用ジェトエンジンは、アレックスと名付けられた。
アレックス搭載機は数々開発されイギリスの英国面が顔を度々出すのだった。
アームストロングですから、命名はルイでは合わないしランスもイメージが悪く、結局これに
次回更新未定
少し東大陸関連を入れます




