帰国
帰ります。
その偶発的海戦ではどちらも酷く消耗してしまった。酷さで言えばガミチスだが、帰国の途に就いていた日本海軍将兵への精神的打撃は大きかった。負傷者は日本から持ってきていたポーションや薬草原料の各種薬でかなり良くなってはいる。最近では、ランエールの医療技術や薬草の研究も進み、四肢欠損や視力・聴力を失った者でも時間を掛ければ回復出来る可能性があり、そうなった者達も意思を弱くしていない。
遣英艦隊司令長官島崎中将は日本と連絡を取り、
ガミチス艦隊と遭遇戦が起こり、双方共に大損害であったこと。
大和と北上が帰国出来ないこと。
残存艦隊での帰国の是非。
などを報告、問い合わせをした。
対する本国の回答は、
残存艦退での帰国は可能と判断。負傷者を伴い、至急帰国すべし。
大和と北上は応急修理の後、再度派遣する艦隊と共に帰国すること。
この二点を主体とした回答だった。
ちなみに吉田茂他外交団は駐英勤務とする。
の辞令も入っていた。
外交団の内、帰国する気だった数人は途方に暮れた。
また、
大和級戦艦の水中防御がバレてしまうが、それは回避不可能であり仕方が無いとされた。
北上は修理困難な場合、調査したいので現状保持を求める。
修理代と滞在費は持ち込んでいる金塊で支払うべし、と。
島崎司令長官は艦隊主要人物と吉田茂達も交え協議した。
本国の決定に従うべきであり、帰国可能な艦・人員は帰国することになった。
イギリスの反応であるが、
日本への派遣艦隊は再度検討して派遣するのでそれまで待ってもらい前回同様、合同艦隊としたい。
島崎達はイギリス艦隊の再編を待つとした。
大和はドック入りして調べた結果、修理に半年以上掛かることが判明。これは図面が無いためであり、取り敢えず形を作るだけなら二ヶ月で可能とされた。
艦政本部からは艦首付け替えの必要も考慮して、形だけの修理をイギリスで実行。本格的な修理は帰国後とされた。
北上については、修理には装甲を外し構造材から修理する必要が検討されたため、現状で保存とされた。日本から艦政本部の人間が来て詳細な調査の後、処遇が決定される事となった。
海戦から二ヶ月後、帰国する艦隊と訪日艦隊がイギリスを出港した。
吉田ら英国駐在が決定された面々には当座の活動費として金塊百キロを渡してある。これは、艦艇の修理代や残る島崎達を始めとする海軍将兵の滞在費も含まれている。
艦隊はずいぶん寂しくなった。これはイギリス海軍が主力空母の派遣に難色を示したためで、隻数は半分程度になってしまった。
日本遣英艦隊 帰国時
旗艦 利根
八戦隊 利根 筑摩
四航戦 凍鶴 黒鶴
七水戦 大井
十五駆 檜 欅 楓 柿
十六駆 萩 梨 椎 榎
十七駆 梓
十八駆 葵 蓬
艦隊型タンカー 四隻
艦隊型輸送船 六隻
商船
橿原丸
貨物船八隻
四航戦の使える搭載機は七割。特に天山の消耗が多かった。彩雲は全機無事であった。
八水戦は解隊。残存駆逐隊は七水戦の指揮下に入った。
イギリス訪日艦隊は
旗艦 ロドネー
戦艦 ロドネー
重巡 ロンドン デヴォンシャー
軽巡 ベローナ スパルタン
駆逐艦 コーマス コンコード コンテスト コンソード
コッケード コメット コンスタンス コサック
タンカー 六隻
輸送船 二隻
商船
客船 ブリタニック
貨物船 一二隻
イギリスも艦艇数は減った。特に空母がいない。帰り道も日本空母に頼る気なのは明らかだった。これはイギリスの空母数が少ない事もあり、問題とはされなかった。
代わりに貨物船が増えてしまった。商魂が逞しいとしか言いようが無い。タンカーが増えたのはこれらへの補給も有った。
日本海軍の負傷者への医療対応を知ったイギリス医療界が是非日本の最新医療を導入すべく、多量の人材を派遣した。
航行時には「可能な限り航空機を飛ばし周辺哨戒を厳とする」とされた。前回の油断を引き締めた。
日本への航海の統合指揮は八戦隊司令が行うことになった。
八戦隊司令福島少将は自分の胃の心配をするのだった。遣英艦隊参謀長中川少将は先頭に立つ気は無く機関参謀を除く参謀達と橿原丸に乗船。戦訓を纏めるのに忙しかった。
機関参謀は大和と北上の件もあり島崎司令長官のお供に残された。島崎中将と共に駐在武官扱いである。
四航戦各機は、航海中気合いの入った哨戒活動を続けた。各駆逐艦も大きく間隔を取り対潜警戒を強化するのだった。
やがて、東インド大陸南端を変わりシベリア大陸南端まで来た。ここからなら日本の哨戒圏内であり、ようやくホッとするのだった。
途中での行き会い船も増えてきたと思ったら、台湾が見えるところまで来ていた。高雄で一度休養を取ることとなった。温泉に浸かって長い航海の疲れを癒やし、日本へと向かう。
中川少将はここで航空機に乗り一足先に帰った。現状総責任者であり、いち早く報告をする必要があった。
艦隊が大阪湾に入ったのは1952年7月、正和二十七年七月。八ヶ月ぶりの日本だった。
再び歓迎されるイギリス艦隊の中でもロドネーはその威容で注目を集めた。
大阪には全国から紳士服や毛織物問屋、商社が集まったと言っても過言では無かった。
輸入車取り扱い各社もロールスロイスや英国製部品をいち早く入手するべく集まっていた。
スピットファイアMk.Ⅴaは貨物船から降ろされ、日本貨物船によってサンプルとしてディッツ帝国まで運ばれる。
「中川少将、松級は使えないと?」
遣英艦隊の中川参謀長と艦政本部の少将が戦訓に基づいた対策を考えている内に松級の話になっていた。
「そういう意味では無い。艦隊戦だと能力不足だと言っている」
「砲戦能力か?」
「主にそうだ。八十九式改二、三門では苦しい。水雷も出来れば六射線以上欲しい」
「ヘパストイ島沖海空戦では、夕雲級が活躍したと共に多数失われた。夕雲級は高い。数を揃えるには辛い」
「松と夕雲の中間なら使い出がいいかもしれない」
「中間か」
「例えば、一式十二.七センチ連装高角砲二基と四連装発射管二基で如何だろう」
「対艦、対空とも十分だな」
「そこへ対潜能力を付ける。松級ほどの対潜能力は必要ない。艦隊を一時的に守れればいい」
「松と夕雲の対潜能力は、高すぎると?」
「いや。アレは頼もしいが、艦隊戦だとあそこまで必要だろうか」
「そういう事か。松も夕雲も平時に考えた言わば贅沢な船だからな。松級は戦時急造を考えたものだったが、やはり戦時は違うか」
「そうでは無い。考えた頃はガミチス帝国などいなかった」
「対米戦なら船団護衛が主任務で充分だったが、この世界でガミチス帝国を相手に艦隊戦をするには辛いと言うことだな」
「そういう事だ。ついでに速力も三十五ノット出るといいな。松では加速能力も最大速力もイマイチで敵艦隊の運動に付き合うのは辛かったと聞く」
「それは十七駆と十八駆から聞いた。同じ事を言っていた」
その後も会話を続けたが、この東インド大陸沖海戦を契機に戦時艦隊型駆逐艦が考えられた。
戦時艦隊型駆逐艦
基準排水量 二千二百トン
機関出力 六万馬力
最大速力 三十五ノット
航続距離 七千海里/十八ノット
武装
主砲 一式十二.七センチ連装高角砲 二基
機銃 一式三十三ミリ機銃 四連装 一基
一式三十三ミリ機銃 連装 六基
九十九式二号一型二十ミリ機銃 単装 十二基
魚雷 四連装発射管 二基 九十三式魚雷 予備魚雷無し
爆雷 対潜迫撃砲二十四連装 一基
電探 最新型
音探 最新型
一番艦就役は大戦後半で戦争の目処が付いた頃だった。それなりの活躍をした。就役するまでの繋ぎとしては贅沢だが、移住者護衛艦隊から中古と言う名目で大量の夕雲級を譲り受けた日本海軍だった。
イギリスの自動車会社の代表的存在としてロールスロイスにしました。
駆逐艦は結局夕雲が主力で戦います。
次回 六月三十日 05:00予定