正和二十三年 航空機と車両
最後の方に気になる存在が
航空機は陸軍海軍とも新規開発の手は滞っている。
何しろ明確な目標が無いのだ。オマケに民主光輝党の軍事軽視があり、前政権の置き土産と移住者護衛艦隊のおかげで狂想曲を奏でる艦艇とは雲泥の差である。
ディッツ帝国との接触後でもディッツ帝国の技術力が日本よりも遅れていることは確かだった。それを理由に民主光輝党は新型機開発には理解を示さなかった。今有る機体で優勢なのだから新型機はいらないだろうと。
物凄くのんびりとしている。
転移後設計開発された新型機は少ない。
制式化されたのは四式爆撃機くらいなものだ。あとはいずれも改造機である。
四式爆撃機は必要に駆られて開発された機体で哨戒任務が主体で攻撃能力はそれなりだった。速度も遅く実戦になったら損害が多そうだと予想されている。
既に各地での哨戒任務についている。
現在は中島が民生型を開発、民間空路に投入している。軍も輸送機として導入。山東半島や東アタリナ島へ直行便を飛ばしている。これらの地域はまだ民間需要がほとんど無く、軍務が多いのだ。
これにより大艇はより遠隔地の任務が増えている。例えばギルガメス王国連邦とか。
飛燕は金星を装備した機体が五式戦として少数配備されている。振り回しやすいと好評である。
彗星は金星を装備した機体の方が高性能になってしまった。発着艦速度が速く小型空母での運用は難しいがカタパルトのおかげで何とかなっている。
天山は大型過ぎて小型空母での運用は無理だった。おかげでまだ九十七艦攻は現役で生産も続いている。
転移時開発中だった機体でも十四試局戦など開発中止になった機体も多い。
中島のキ-八十四は誉発動機の潤滑問題や異常燃焼問題が結局長引き二十二年秋になってようやく発注された。軍は急いで採用する必要が無かった。性能が安定してからで良かった。
この問題は日本の石油精製や石油化学の能力が低かったせいも有った。航空ガソリンは試験生産のように少量であれば百オクタンも生産できるのであるが、連続稼働で量産できるのが九十五オクタンが精々だったのである。魔石添加剤をくわえても誉の性能を発揮させるのには足りなかった。
二十一年になってようやく百オクタン百三十グレードのガソリンが大量供給可能になった。
潤滑油も転移時高性能な国産航空用潤滑油は無かった。カストロ油が珍重されていたくらいである。
滑油も二十一年になってようやくガソリン精製と共に一種の技術的ブレイクスルーがあり高性能な滑油が提供されるようになった。
誉は周辺工業力を無視して短期間で高性能を狙いすぎたのだった。
だが、長引いたおかげで離昇出力二千二百馬力が出ている。魔石添加剤を加えれば更に馬力は上がる。稼働率や生産性の問題もかなり改善された。
ライバルの三菱は金星ベースの十八気筒発動機の開発に手間取っている。誉を上回るべく小型高性能を狙いすぎドツボにはまったようだ。目標出力は流れてくる噂だと二千五百馬力とか言うとんでもない数値だった。
そこまでの大出力は木星でやれば良いのにと関係者は思う。
そんな状態で日本の航空機業界は暇だった。
中島・三菱・川崎・愛知と生産能力を持て余していた。かと言って無駄な航空機の生産を発注するわけにも行かない。川西だけは四式爆撃機と大艇の生産で手一杯だった。
政府は開拓地で不足している軽輸送車の生産を委託した。中島はこの時の経験を元に自動車生産に参入していく。川崎は何故か自動二輪に行ってしまった。魔王戦後に愛知は日産と合併したが社名は日産とした。これは愛知という地方よりも日本の方がでかいだろう。もっとでかくなろうという当時の社長の考えだったという。
自動二輪も転移後ハーレーダビッドソンをデッドコピーして国産化。陸王と名付けられた。輸入代理店が抗議したがアメリカが無くなっているのだ。販売権を持たされて黙らされた。
軽輸送車ベースの農作業機も耕運機として開発された。軽輸送車製作メーカーであるクボタやヤンマーが市場を席巻している。イセキとモガミも続く。
トラックは山東半島開拓と日本の拡大で爆発的に需要が増えた。いすゞと日野が中型以上では二大メーカーであり豊田は小型が主体だった。三菱も当然のように造っている。
日産は小型乗用車主体でトラックは小型トラックや中型トラックを豊田の半分程度の数を作っているだけだ。
乗用車は豊田も作っている。中々良いがフォードとの差は大きかった。
乗用車はフォードが圧倒的だ。アメリカが無くなったが生産設備は全て日本にあり高級車を中心に日本の乗用車市場をひっぱていく。一部輸入していた部品も国産化でき隙は無い。問題は新しいデザインや新しいエンジンがもう手に入らないことだ。
ヨーロッパの高級車は遂に部品がつき共食い整備に移っている。市場が小さすぎて部品を量産する企業が見つからない。ワンオフとなり部品価格はとんでもなくなった。それで手放す人が増えており部品となるのだった。
GMはノックダウン工場だけだったので既に生産はしていない。同業他社からの委託生産で飯を食っている。GM製自動車はヨーロッパ車と同じ運命をたどる。
軍用の機動乗用車は黒鉄社が造っており、その四輪駆動技術で独自の地位を築いていく。
建設車両は小松製作所と日立製作所が主流だった。何にでも顔を突っ込む三菱もやっているが少数だ。
小松はブルドーザーが日立はバックホーが得意だった。
そんな状態だった日本航空機業界だが南方で潜望鏡騒ぎが有った後、風向きが変わった。
もし、敵対的国家だったらその対策を講じなければならない。相手の能力が分からない以上こちらの戦力は向上させるべきであると。
中島には誉の生産余力を上げるように要請を出した。またいざとなれば川崎でも生産できるよう交渉をしている。
陸軍は、これまでの経験からせかすと結果が良くないことはわかっているのでキ-八十四をせかすようなことはしなかった。
川崎に新たな双発戦闘爆撃機をキ-百五として発注した。遂に百番台になった。今度は万能戦闘機などと言うはやりのものでは無く、まっとうな対大型機戦闘機兼軽爆だった。
川崎には双発戦闘機の他に中島のキ-八十四が失敗した時用に飛燕の誉搭載を指示した。同時に風防の涙滴化と胴体銃の廃止と主翼に二十ミリ四丁を搭載するよう改造を指示した。
従来の機体も百式司令部偵察機に誉を装備するよう注文を出した。
海軍は中島一社指名で二十三試艦上偵察機を発注。久々の艦上機であり社内は興奮を隠せない。
三菱には二十三試艦上戦闘機、二十三試陸攻を発注した。
愛知には二十三試で艦爆・艦攻両用という無茶な注文を出した。
川西には二十三試局地戦闘機を発注。
いずれも発動機は中島[誉]だった。三菱が文句を言うが完成していない発動機では危なくで仕方が無い。完成したら積み替えると言ってなだめた。
空軍は四式爆撃機に替わる攻撃的な性格を持つ四発高速爆撃機を中島に発注した。
基地防空用戦闘機も同時に発注する。
中島大興奮である。
設計試作部門は忙しくなるが、工場は二年しないと忙しくならない。それまでは軽輸送車を造るのだった。
各社暇を嘆いていたが研究を怠っていたわけでは無い。きっと優れた機体が登場するだろう。
転移後、陸軍海軍と三菱重工・川崎重工で共同開発しているガスタービンだが、ようやく目処が付いてきた。
航空機用として現在推力百kgが運転試験中である。ただ耐久力が絶望的に無く一時間も持たなかった。
日本の耐熱合金技術は欧米に比べて劣っており排気タービンの実用化も遠いのである。
産業革命に乗り遅れ基礎技術の蓄積を始めるのが遅かった。それが今も響いている。しかも先進技術や理論がもう入ってこない、全て日本独自で行う必要があった。
頑張って行くしか無いが道は険しい。
だがそこへ総技研が口出しをしてきた。此奴ら。開発関係者は思ったが大人なので顔には出しても口には出さない。
総技研もそんな事は分かっているので気にしない(ウソ)
総技研は元々こういう所からのはみ出し者の集まりである。それが魔石とか混沌獣素材とか訳の分からない物を研究している。しかも役に立っているのが普通の研究開発者としては悔しい。
「耐熱材料と聞いて良い物持ってきました」
「なんだ」
「もう少しいい対応して下さい」
「早く出せ」
行き詰まっているので対応が悪い。総技研もしょうがないかとブツを出す。
「なんだこれは」
「骨とウロコです」
「何の」
「混沌獣、ボラールです」
「中々旨いが」
「このウロコ軟化温度が鉄より高いんですよ」
「・・?」
「しかも鉄より硬くてそれでいて靱性も高いんです。この厚さで二十五ミリ機銃を弾きます」
「まさかな・・」
「タービンのブレードに使えませんか?」
「どうやって加工するんだ?」
「実は魔石を使った工作機械を開発しました。魔力を扱える人間が魔力を通すことで混沌獣の素材もある程度加工する事が出来るようになりました。ドワーフの技には勝てませんが」
「何考えてんだ?」
「さあ?」
「「さあ」って言うなよ!」
藁にもすがるような思いをしている開発者達は総技研にタービンの図面を渡した。出来るならやってみろと。
モガミは電線屋さんでありません。東北の農機屋さんです。
自分はモガミ2497とか2534とか使ってケーブル自作して遊んでいます。
再び登場
やつら
次回 三月十四日 05:00予定