新薬の実験ってまたベタだよね
『僕らの勇気未満都市』が死ぬほど好きでした。
ついったー ⇒ 飯倉九郎@E_cla_ss
彼女はあくまで推測だけれど、と付け加えた。
確信を持てるわけではないのだろう。しかしここに僕よりも長く住んでいる彼女が、いろんなものを見て来た結果、そう言うのであれば、それはこれ以上ないくらい信用性のある言葉ではないだろうか。少なくとも、何も知らない僕はそれを信じるしか他に何もないのだ。
だからそれをそうなのだと飲み込み、話を進める。
「実験て、何の?」
「さあ。彼らが目指してるゴールはわからない。でも私たちはその新薬か何かのモルモットとしてここに存在している。そしてその新薬の効果が、私たちの超人的な身体能力を引き出していると、私は睨んでる。簡単に言えば、人間の潜在能力を無理矢理引き出す薬。よく言うじゃない、人間は普段脳の一割程度しか使っないって」
「それは確か俗説だけどね。本当は九割近く使ってるらしいよ」
「そうなの? へえ。でも見たでしょ、私の瞬発力。あれが常人の成せることかしら?」
確かにあれは驚異的だった。人の動きとはにわかに信じがたい。
あれも人間が普段抑えている力をいかんなく発揮すれば成せる業、なのだろうか。
「そしてそれを避けた君もまた、その効果が発揮されてると言っていいわ。君、ここに来る前してたスポーツで結構いい線いってたでしょ?」
「え、どうしてわかるんだい?」
ソウはふふふ、と笑った。
それが驚くほど可愛らしくて、一瞬、それは本当にただの女子高生のように見えた。
「人にはね、残念だけどそれはやっぱりセンスって言うものがあるの。努力だけではどうにもならない才能って言うやつ。私はね、これだけ言うけど、こうなる前は陸上をしてた。短距離ね。一応、中学の時に全国に出た事もあるわ。そのせいか、それとも持って生まれたものかはわからないけど、気がついた私の身体能力は脚力が異常に高かったの」
彼女の脚を見下ろす。特に筋肉が隆々としているようには思えなかったが、それは彼女がぶかぶかのズボンを穿いているからだろう。
「今この塀の中で暮らしてる人間は数百人以上だけど、やっぱりそのどれもが各々の特徴を持ってる。私みたいに脚が強い人もいれば、腕力に特化した人もいるし、そこに寝てるオンみたいに異常に耳が良い子だっている。程度はあるけれど」
そう言って彼女が見下ろしたのは未だ気持ちよさそうにソファで眠るオンと呼ばれる少女。今度は「おたべぇ」と口をもごもごさせて寝言を言っているみたいだった。本当に幸せそうな子である。
「そして君みたいに反射神経が鋭い人間もいる。正直、私の攻撃を避けられる人間は初めてだったから、驚いたの。それはつまり特異な反射神経の持ち主だってこと。だから君は過去に反射神経の鋭くなるスポーツをしていて、ここに来るにあたって薬を投与されてそれがすこぶる強化されたんだろうね。君は何をやってたの? 野球? ボクシング……には見えないわね」
「僕は……」
言おうとして、僕の心がそれを塞き止める。
別に僕が何をしていたかなんて、言ったところで何が変わるわけでも、何か悪影響があるわけでもない。でも何故か僕の弱い心がそれを言うことに躊躇いを覚える。
それはやはり不必要の烙印が押された今でも、振り返りたくない、認めたくない過去なのだ。
「言いたくないならそれでいいわ。私も今以上の情報を君に与えるつもりはないしね。過去を隠したいのはここでは誰だって同じ。それほどに今この塀の中で生きている人間は過去を恥じて、過去を悔いている。それは既に遅いと気づきながらもね」
所詮ゴミなのに――。
「これもあくまで他人から伝聞した上での推測だけれど」
彼女は黙り込む僕の様子を伺い、会話を続けようとそう言った。
「初めはね、今のこの国における問題を解決するために、社会貢献度よりも消費の方が遙かに多い老人を秘密裏に隔離するための場所だったみたいなの。よく言うでしょ、少子高齢化って。確かに道徳的なものを全く無視すれば、老人というものは働かなくなれば負担以外にはならない。わかってる。もちろんそんな考えは醜いし、私はお婆ちゃん子だったから、その考えに納得はできないわ。でも、だからこそ秘密裏に政府は老人を排除しようとした」
それは、確かに声を大にして言いたいことではない。言っている自分も気分が悪くなるだろう。しかしこんなところでそんな倫理観に従ったところで、誰が褒めてくれるわけでもないし、そもそも僕らは人としての扱いを受けていないのだ。倫理観などくそ食らえ、である。
「だから初めはそういった老人たちが実験の対象だったみたい。初めはたくさんそういった人がここに送り込まれてた。でもね、その計画はすぐに頓挫したわ」
「どうして?」
「さっき言ったけど、おそらく政府が開発してるのは、人間の潜在能力を最大限まで引き出す薬、なの。でも老人には残された潜在能力はほとんどない。だから身体の弱い老人にとって、きっとそれは毒でしかなかったのよ。目撃証言があるのは、数日間若者のように活き活きと動き回る老人と、数日後に電池が切れたように倒れていく彼らの姿だった」
彼女は遠い目で何かを睨んだ。
それがそんな実験を繰り返す政府への怒りだということは訊くまでもなく。だが僕はどうしてか、そんな政府とやらに苛立ちが湧いてはこなかった。
納得できる。どうしてか。
「それを何度か繰り返し、政府は実験対象を変えた。それが私たちみたいな、国にとって不必要な若者よ」
「ハッキリ言うね」
「今更気を使ったってしょうがないでしょ。ここにいる時点でそういった碌でもない人間であることは証明済みなのよ。《ゴミ箱》に有用なものは無いわ。政府だって馬鹿じゃ無いの。むやみに将来の明るい芽を摘み取ったりしない。きちんと分別はしてる」
そう言って僕らは少しだけ自虐的に笑った。
久しぶりに笑った気がする。不安定な気持ちが、現状を把握していくことで、ようやく落ち着いてきたのだろうか。
「一つ私が政府のやっていることの不合理性を唱えるとすれば、彼らはこの国のため泣く泣く、と言いながら、ただ自分たちの非人道的な実験を進めるために国民を利用しているだけ、ということね。手段と目的が逆。不必要な人間を無駄にせず利用して実験しているのではなく、実験をするために不必要な人間を探し出していると言った方が正しいわ」
そう言われても、僕が不必要な人間であることに変わりは無く。
新薬の実験であれなんであれ、それはいずれ国のために利用されるのであろうから、僕がここで実験動物として生涯を終える事は不必要な僕に与えられた最後の役目なわけで。
それはもしかしなくても喜ばしいことなのかもしれない。
だって不必要な僕に、生きる意味を与えてくれたのだから。
「何か、自虐的な思考に走ってるみたいだけど、それはまさに政府の思うがままに利用されてるだけよ。君を迎えに行った奴らの唯一最大の仕事は、あなたたちの心を打ち砕くこと。そうすることで無理なく実験に協力させることができるから。嫌がって抗って塀の外に逃げだそうなんて考えられたら面倒だからね。大人しくここで生涯を終えて欲しいのよ」
本当にそうだろうか。
それは政府に恨みのある彼女のうがった見方であるとも言える。
だって彼らが言ったことは正しかったから。僕は不必要な人間だし、ゴミと言われて何ら差し支えない。こうなって当然、である。
「実験だと君は言うけど、でも具体的に僕らはここで何をさせられるんだ? その、実験動物として」
「そうね。至極単純にわかりやすく言えば、サバイバル」
「サバイバル……」
それは僕には生い茂った森の中でモデルガンを持ちながら相手と戦争ごっこをする遊びしか思い浮かばないのだが、それで合っているのだろうか。そんなものを題材にした推理漫画もあった。
「別にゲーム上のルールがあるわけでも何でも無いわ。ただここで暮らすだけよ。そのために争う結果になるだけ。別に争わずに済むならそれに越したことはないんだけど」
そう言葉を濁した。
それは彼女は争いたくないのだ、とそう感じさせるに充分だったが、しかし僕を見るや否や斬りかかってきたこの子がそんな感情を吐露したところで、どうなんだろうと思う。複雑な気分だ。
ただそんな優しいであろう彼女が、間髪入れずに殺しに掛かってくるほどに、この《ゴミ箱》の中では他人を信用できないのだろう。そう考えることにした。
「多分そうやって争わせて、新薬の状態を観察してるんだと思う。新薬はきっと戦争か何かで使うつもりなんじゃないかな。兵士に投与したりね。まあ考え出せば切りが無いんだけど」
「なるほどね……でも急にそれだけいろいろ言われても、正直信じ難いの一言に尽きるな。僕にとっては未だ君が僕を騙して冗談を言っているという可能性の方が大きい」
「それを今言う? 君は見てきたはずよ、たかだか一本のペットボトル水を求めて争い殺し合うこの《ゴミ箱》の住人の姿を」
浮かび上がる。あの世紀末のような、地獄絵図のような光景が。
僕の知る正義や倫理感などというものが一切合切無くなってしまっている、暴力だけがものをいう光景を。
あれを見て、僕はここが法整備の整った、道徳感情が支配する世界とは到底思えない。
ここは、地獄だ。
「何が起こっていて、何をすべきなのか。それに対しての答えは、君は政府によって実験動物にされていて、ここで生きるために死ぬまで争っていくしかない、よ」
ソウは立ちあがり、僕に向かってそのすらりとした腕を伸ばした。
「……?」
「手を組みましょう、シュン」
彼女は爽やかに、そう言った。
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ついったー ⇒ 飯倉九郎@E_cla_ss