僕たちは繁殖できないゴキブリらしい
政府陰謀論って夢がある。
ついったー➡︎飯倉九郎@E_cla_ss
「壁?」
僕は確認するように尋ねた。
「そう。大きな大きな壁。下は地中深く、上は何十メートルにも渡って、ぐるりと壁が張り巡らされている。まるで私たちを逃がさないための檻のようにね。政府がそうしたの」
「どうしてそんな……?」
「それは私たちが人間ゴミ、だからよ。言われたんでしょ、君も」
言われて僕はあの白スーツの男を思い出す。《分別屋》と名乗った、あの男を。
思い出すだけで、胃がきりきりと痛み出す。吐きそうにすらなる。
ちらりと視線を横に向けると、このシリアスな雰囲気をぶち壊す顔でぐうすかと眠っているブロンド髪の少女がこの状況にどうにもミスマッチで少し面白い。
こんなところでよく眠れるものだ。
「私の所にも来たわ。白いドレスを纏った、貴婦人のような女が」
「女?」
「そう。私は女だった。《分別屋》は人それぞれ違うらしいわ。ある人は帽子を被った少年だったと言うし、ある人は老人だったと言う……でもそのどれもに共通するのは、白い衣服を纏っていたということ。そして皆が口を揃えて、政府の人間だと名乗ったこと。そして人間ゴミと認定された人は、皆総じてここに連れてこられている」
だから、《ゴミ箱》。そういうことか。
「……君はどうして?」
そう尋ねた途端、ソウは僕を強く睨んだ。
「言ったでしょ。それはこの中では禁句。だって私たちがゴミと認定された理由よ? 好ましくない過去であることに、違いはないわ。そしてそれを他人に話したいわけがない……だからこの中では、他人の過去を詮索することは禁じられてる。いえ、誰も自分からすすんで尋ねようとしないわ。だって自分が詮索されたら困るもの。そんな黒歴史」
そう言われては言葉が出ない。
確かに僕も、誰かに話したいと思う過去は持ち合わせていないのだから。
「それがあだ名を名乗る理由。わかった?」
「なるほどね」
「ちょっと待ってて」
そう言うと、ソウは固そうなソファから立ち上がって、先程入って来た入り口とは別のドアをくぐって消えていってしまった。もちろん長刀を持って。
薄暗い部屋に残される僕と眠り姫。どうしたものかとそわそわしていると、隣で寝る少女が目を開けてじっとこちらを見ているのに気がついた。
「っ?!」
びっくりして冗談じゃなく後ろにこけそうになる。
それでもブロンドの少女は何を言うわけでもなくソファに横になりながらこちらを見つめるだけ。怒っているような、咎めているような、それでいて見定めているような、怪しんでいるような、不思議な目をしている。
「あ、あの……」
僕が何かを言わなければと口を開くと、
「ふああ」
と少女は大きな口を開けて眠たそうに欠伸をし、またむにゃむにゃと気持ちよさそうに眠ってしまった。まるで猫だ。寝言で「ソースカツ丼」と言ったのは聞き間違えではないだろう。心なしか涎が垂れているように見えなくも無い。
この子はいきなり現れた僕を誰だと怪しむことをしないのだろうか。眠るなんてそれこそ落ち着いた環境でしかできないことなのに、不審者がいるこの状況でよく眠れるものだ。
それにしてもこのブロンドの髪と、そして先ほど目を開けた時に見えた青い瞳。彼女はおそらく純正の日本人ではないのだろう。ハーフかそれ以上。ここは外国人もいるのだろうか。そう思って観察するように僕は眠る彼女に顔を近づけていく。
「それ以上近づくなら、今ここで君の首を落とすわよ。変態」
チャキリ、という刀を構える音がして、僕は後ろでソウが僕の首筋に長刀を添えていることに気がついた。
「別にいいけどさ。でも僕はそんないかがわしい気持ちは持ち合わせていないよ。ただ彼女が日本人ぽくなかったから、気になっただけで」
「……ふうん。そ。だったら今すぐ顔を離して」
そう言われ僕は顔を引いてさっきと全く同じ体勢に戻った。
ソウは僕に刀の切っ先を向けたまま僕と同じように先ほどと同じに目の前のソファに座り込んだ。そして長刀をしまい、脇に置いた。
別に切り落としてしまってくれても構わなかったのに。こんな首。
「今度変な気を起こしたら君の大事な部分を身体から切り離してピラニアの餌にするわよ」
わざわざピラニアがいるところまで持っていくんだな、とは言わない。
「そもそも変な気を起こしてはいない。というか……こんな事言ったら引かれるかもしれないけれど、でもこれだけ美人に囲まれているというのに、僕は一切変な気というものが起こらないんだ」
「それはここにいる人間の仕様よ。ここに連れてこられた人間は身体をいくつか弄られてる。そしてその中の一つとして、《性欲》って言うものを排除されているわ」
「《性欲》が? どうして?」
「ゴミに繁殖する必要なんてない、って事よ。繁殖されたら困るって言った方が正しいかな。ゴキブリが卵産んだら困るでしょ? それと同じ」
ゴキブリと同じか。それはなんとも的を射た例えではあると思う。
「それは?」
話題を変えようと、彼女が奥から持ってきたのであろうテーブルに置いていたものを指して尋ねる。
「それ、食料よ。貴重なね。それと水」
「その水って」
「ええそうよ。さっきの遺体が持ってたもの」
そう言われて、僕はきっと気分の悪そうな顔をしたのだろう。それを見てソウが気を使ったように言った。
「大丈夫よ。水自体はついさっき支給されたもので、腐っちゃいないわ」
彼女はヒビの入った汚らしいコップに入ったわずかばかりの水をさしだして言った。その隣にはテレビCMでよく見るようなスティック状の携帯食料が一つだけあった。
「あげるわ。それ。新規入会サービスよ。レア度はハイノーマルってとこね」
と言われても、こんな粗末なものを出されても、喜びにくい。
「不満そうな顔ね。でも残念だけど、この中でそれ以上のものを期待するのは贅沢よ。むしろ他人にこうやって貴重な食料をあげること自体奇跡だと思って欲しいわ」
「……そうなんだ。ありがとう」
どうにも腑に落ちなかったが、しかし彼女がそう言うのであればそうなのだろう。僕は黙ってそれを自分の側に引き寄せた。
「君、最初に私と対峙した時、身体に違和感を覚えなかった?」
自分の分の携帯食料をかじりながら、ソウは言った。
僕は思い出す。自分の身体に感じた違和感を。
「君が感じたのは多分、視界がぼやけて焦点が合わない視覚の違和感と、自分の身体が想定以上に動いてしまう身体の違和感の二つ、じゃないかな?」
「うん。その通りだ。どうしてわかったんだい?」
「それを私も初めに感じたからね。そして君のその感覚は気のせいじゃない。君が感じた視覚の違和感は、君の鋭くなった視力に君の脳がまだ追いついてなかったから。君の身体の違和感は、君の急激に向上した運動能力に君の感覚がまだ追いついていなかったから。つまりはそういうことよ」
ということはやはり僕のあの違和感は全く勘違いじゃなく、妥当な違和感だったというわけだ。
「確かに、気分は清々しかった。身体の鈍りが全部吹き飛んだ感じで、すっきりとした気分だった」
「でしょ? 私もここ来てすぐにそう感じた」
「あの脚の速さもかい?」
「ええ、そうよ。でもあれは私が特化してるだけで、皆が皆ああいった力を出せるわけじゃないわ。」
「へえ」
ソウは自分の水を口に含んで飲み込んだ。
決して綺麗な容器ではなかったけど、それはおそらく僕なんかより清潔さを気にする女性ならばとうの昔に感じていることだろうし、そんな彼女がそれを致し方なしとしているのならば、容器の汚さや食料のわびしさなどを話題に上げたところで相手を不愉快にするだけだろう。だから僕は何も言わず自分の分の携帯食料を口に運んだ。こういったものは初めて食べたが、やはり栄養が取れるからと言って、美味しくないのはいかんともしがたいものである。
僕のそんな感情など知るよしもなく、彼女は言葉を続ける。
「さっき言ったこの辺り一帯、つまり高い高い塀で囲まれているこの《ゴミ箱》という区域は、既に政府によって俗世間とは切り離されて、治外法権となってる。そしてそれを国民は誰も知らない。これは間違いがない」
ふと、今時そんなことが可能なのだろか、と疑問があがる。
だって今時ツイッターやらストリートビューやら衛星写真やらが、いつどこ誰にでも利用できる時代である――と思う。僕はネットには詳しくない――であれば、この地を、少なくとも一つの村が存在する広大な地の異変を誰も気付かないなんてことがあり得るのだろうか。
「衛星、航空写真なんていくらでも偽造できるわ。そんなの世界中でやってることよ。それに政府が本気を出せば、一地域の隠蔽なんて、政治家の不祥事をもみ消すくらい容易なこと……ま、これは知ってる人からの受け売りなんだけどね」
そう言ってソウは少し自虐的に鼻で笑う。
「じゃあこんな火山の近くの廃村一帯を壁で囲んで、政府が私たちみたいな世間的に不必要とされる人間を集めて何をしているかと言えば……私たちを使って実験を行ってるのよ」
「……実験?」
「そ。そしてこの地はその実験の、実験場というわけ」
彼女はあくまで推測だけれど、と付け加えた。