長刀の女
騒がしい。
単純にそんな不快な感覚と共に、僕は目を醒ました。
そこでようやく僕は自分が生きているということに気がついた。もちろん死後の世界なんてものがなければだが。でもこれは確かに生きている時と同じ感覚である。
騒がしいが、どこか音がどもっている。耳にイヤフォンをつけている感じだ。
僕は目を開けて、ゆっくりと立ち上がろうとした。しかしその腕、腰、足、全身が痛む。骨が軋むというより、筋肉、筋が痛む感じ。なんとか立ち上がって顔を上げる。
一瞬、視界が狂った。自分が何を見ているか全くわからず、頭を振って視界を安定させようとする。それでも視界が安定しないので、何とか焦点を合わせようと目を細めた。次第に入ってくる光。そしてはっきりする音。
ようやっと僕は自分が見ているものが何かわかった。
僕の視界いっぱいに、大勢の人間が入り乱れていた。
まるで時代劇で見た合戦の様だ。
「え……」
何故、どうして、その疑問を答えてくれるものはいない。
ただその真ん中に巨大な布包みが広がっていて、そこを中心に、人間が入り乱れる。
決してお祭り騒ぎを行っているわけではない。
単純に、純粋に、そう、争いあっている。
上空を見上げた。そこには一機のヘリが飛んでいて、それは僕の上を越えてどこかへと飛んでいく。
もう一度地面を見下ろす。そこではやはり男女問わず争いあい、その大きな布包みの中身を奪い合っている。よく見ればそこにいる人間は皆若い男女だ。
一人の男が中心の大きな布包みから何かを両手いっぱいに取って、こちらに向かって走り出してきた。男の顔は汗だくで、どこか必死に、死にものぐるいでそれを守るように走ってくる。
だがその男は、僕の目の前で横から飛び出てきた別の男によって身体を掴まれ、二人は転げるように地面に重なり合う。
「離せッ!」
「うるせえッ!」
二人はまるで仇敵のような表情を向け合い、その手に持った物資を奪い合っている。しかし片方の男がなかなかその手を離さないため、もう片方の男はその拳で男を殴りつけた。
思い切り。容赦無く。何度も。何度も。
「ちょ……な……」
血が飛び、男は気を失う。両手からこぼれ落ちたのは、菓子パンやインスタント食品。それにコンビニで売っていそうな白いシャツなどだった。もう一人の男はそれを嬉しそうに両手で抱え、立ちあがる。その際、僕を見た。
いや、僕を睨んだ。
「な、何だよ、やんのかよ?」
怯えるように、しかして威嚇するように、そのひ弱そうな、僕と同じ歳くらいの男は僕に言う。顔には先程の男の返り血がついている。
その男のあまりの異常さに、僕は慌てて首を横に振ると、男はそれでも僕を警戒し睨み付けるように横を通り過ぎようとする。
が――その男の背後から飛び出てきた女の子が、その男の後頭部を思い切り手に持った鉄の棒で殴りつけた。
その頭から、血が飛び散り、僕の頬にかかった。
「な……何、して……」
ようやくそこで、僕は事の異常性を受け入れた。そして同時に脚が震えた。
その倒れ込んだ男の子の手からこぼれた物資を、今度はその男を殴りつけた女が悠々と奪っていく。女の手には血の付いた鉄の棒がしっかりと握られており、女は物資を持てるだけ持って、今度は僕を睨んだ。
僕は本能から、その場から逃げ出した。一目散に。その女に見つからないように、近くの木の陰に隠れ、そしてしゃがみ込んで息を潜めた。今この状況が理解できずとも、しかし僕が人としてそうすべき事は明白であったから。
次第にうるさかった音が止んでいく。中央にどかんと置いてあった数メートルはあろう大きな布包みは、初めの中身の詰まったまん丸とした形を失い、もはやしぼんでしまっていた。
おそらくあの中には大量の食料などが詰め込んであったのだろう。そしてそれを彼らは奪い合っていた。死にものぐるいで。だが奪うものもなくなったのか、今度はその身を隠すように、彼らは一斉に去って行った。まるで獣だ。ハイエナだ。
ようやく音が一切なくなり、顔を上げる。ゆっくりと、恐る恐る。
場は閑散としていた。だが確かにそこに、幾人かの人間が倒れている。しかも動いていない。
死んだように、動かない。
するとその誰もいなくなった場所に、一人の人間が歩いて現れた。
僕は慌てて顔を沈めた。
それは女性だった。十代後半の顔立ちで、長い長い、足首まで届きそうな黒のポニーテールを風になびかせている。彼女はこちらを見ず僕に横顔を向けており、足下の地面を探るように歩きながら、その大きな布包みへと近づいていっている。
何が変かと言われれば、彼女の格好である。彼女は今時の若い女子のようにおしゃれをしているわけでもなく、かといって制服姿というわけでもない。彼女が着ているのはなんだろうか、ぴちっと身体に張り付くような黒い半袖のインナーに、下はボロボロの作業服のようなものを着ている。その顔立ちはすさまじく綺麗なのに、しかし彼女の肌は褪せて薄汚れていて、まるで聖地を求めて荒野を行く騎士のようだ。
そして最も特徴的なのが、彼女が腰に携えている長い長い刀である。腰に差したまま抜刀できるのか信じがたいくらい長い刀。それが彼女にいかにも不釣り合いでおかしい。
その長刀の少女はしばしあっちこっち首を動かしたあと、何も見つからなかったのか、少し失望した顔で息を吐きながら空を見上げた。それを見て僕も空を見る。今は夕方だろうか、空は少しずつあからんできていた。少し辺りの風景が濁って見えるのは僕の視界がまだ安定しないからだろうか。周りを見渡すとそこは何も無い空き地らしく、周囲を森に囲まれていた。ぽっかりと森に穴が空いたような場所だろう。
「ん?」
ふと改めて自分を見下ろすと、気を失う直前に着ていた衣服と違う服を着せられていた。僕のそれも少女と同じ身体に張り付くような黒い半袖半ズボンのボディスーツを着せられていた。おそらく彼女はこの上にズボンを履いているのだろう。
僕はそれを確認したあと、意を決して顔を上げ、少し遠くで未だ佇んでいる少女に向かって、
「あの……」
と言って声を掛けようとした。
するとその声に少女は予想以上にビクリとして驚いた様子を見せ、すぐに体勢を低くしてきょろきょろと辺りを見渡し始める。そしてすぐに僕と目が合った。
「貴方は……?」
「あの、僕は――」
「動かないで」
そうきつく言われ、僕は踏み出した足を止める。
その鋭い眼光以上に、彼女がその長刀に手を添えた事が一番の理由だった。
僕は両手を挙げて様子を見ることにした。彼女は辺りを見渡した後、最後にもう一度僕を見て、鋭い視線をさらにぎゅっと絞って僕を睨み付ける。そして彼女が足をぐっと地面に踏み込んだと思った瞬間。十メートルほど先にいたその少女が、一瞬で目の前まで迫ってきていた。
「ッ!」
あまりの驚きに僕は反射的に横へと跳んでそれを避けた。まるで電車にでも迫られたような勢いだった。しかし横へ転ぶように跳んだだけなのに、僕はそこから五メートル近く横へとよろめくように移動していた。
身体が思うように動かない。というより、僕の身体能力が僕の知っている以上に向上している感じだった。暴れ馬に乗っている感じ、といえばわかりやすだろうか。
なんとか体勢を整えて顔を上げると、少女は右足を大きく前に踏み出し、右手で抜いた長刀を斜め上に振り上げている状態で固まって唖然としていたが、すぐに目だけをこちらに向けて驚いたような顔で僕を見た。その体勢は明らかに今そこにいた僕を真っ二つに切り裂こうというものだった。
それを見て僕は自分がいかに危険な相手と接しているのかを理解させられる。
「ちょ、待って――」
何かを勘違いされていると思い、慌てて制止しようと声が漏れたが、しかし少女はそれを聞き入れず、向きを変えてこちらに目がけてその長刀を振り下ろしてきた。
よければ是非〜
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