そろそろクライマックス、かな。
「それだけさ。そう最後に言ってやるだけで、迷っていた彼らは逃げる事を即決する。それよりも早く逃げなきゃって、焦り出す」
「な、そ、それだけで?」
「彼らは皆、依存心の塊だった。他人に依存し、心の平穏を保っていた。彼らをつなぎ止めていたのは何かと言えば確かに恐怖だけれど、それ以上に彼らをつなぎ止めていたのは依存心に他ならない。皆がしているから、自分もやらなければ。そう言った至極当然な感情が、心の弱さが、彼らを君の元へと押しとどめていた。自分だけ逃げるのは怖いって考えに至らせていた。でもその集団意識が少しでも逃げる方向へ傾けば、人間ピラミッドのように、バランスを崩した所から次から次へと一瞬にして崩れていく。自分もさっさと逃げなければ、皆が逃げたのであれば自分だけが悪くはない、そうなってしまう」
そして結果的に、説得した人間の全てが、カイザーの元から逃げ去った。
「もはやカイザー、君の元に残っているのはそこにいる四人の仲間だけだ」
「う、うるせえ! だからなんだよ! こっちはまだ数的優位じゃねえか! ビビるこたあねえ! 全員かか――」
カイザーが勢い良く後ろを振り返ると、しかしそこにはさっきまでいた四人の仲間はいなかった。全員がもうこちらに背を向けていて、叫び声をあげながら霧の向こうへと走り去って行く。
そう、逃げたのだ。
彼らもまた、マイノリティな立場に耐えられなかった。自分だけこんな辛い状況にいるなんて、耐えられなかった。だから逃げるしかなかった。
我先にと。この場を後にしたのだ。
「お前らァ! 戻れよ! おいッ! 撃つぞコラァッ」
「撃ちなよ。どうせ撃たないくせに」
「いい加減にしろよ、てめえ……!」
結局一発も撃つことなく、カイザーはこちらを再度振り返った。ただ振るえるほどに力がこもっていて、今ならば撃つかもしれない。
もう少しで。
「そもそも君の射撃能力じゃ少し離れた相手に当たるかどうかも疑わしいけどね」
「試してみるか? あァ!?」
「いちいち聞かずに試せよ。ビビッてんなよ、酢豚野郎」
限界が来た。それは僕の目にも見て取れた。
それに気付いた瞬間、銃声が鳴り響いた。ただ僕はじっと彼の指先を見ていたから、それになんとか反応でき、避ける。
「ほら、当たらない。君は何だったらできるんだい? カイザーが聞いて呆れるね」
「てめえ! てめえてめえてめえッ!! 殺す! 絶対殺す! ぶち殺す!」
切れた。カイザーの理性を保つための一本の糸が、今切れた。
カイザーはもう一発銃弾を放った。それを僕は見ていなかったが、しかしそれは助かった事に近くの壁に着弾する。
僕はソウに目配せして、診療所の中へと入っていく。そして一番近くに見えた隠れれそうな物陰に隠れた。
「あんだけ偉そうな事言ってて逃げんのかよッ! 情けねえァおい!」
僕らを追うように、カイザーが診療所内に入ってくる。入ったところの受付広場で僕らを探すように周囲を睨み付ける。
「仲間なんて後でいくらでも集めれんだよ! 毎日毎日、何も知らねえ新しい人間ゴミがここに送られてくる! そいつらを脅して言う事きかせりゃ、《新生オタカ帝國》の誕生だ! お前らの行動は全部無駄なんだよ! 俺を怒らせて寿命を縮めただけだ! おめえらは殺してバラして晒して、その上で排便と混ぜて水に流してやる!」
「排便みたいなやつが良く言うよ!」
僕が物陰に隠れながら挑発をすると、僕らの方に向かって、診療所の椅子が飛んで来た。カイザーが投げたのだろう。
「ソウ、君は上へ上がって。一つ頼みたいことがあるんだ」
「でも……」
「いいから!」
ソウに耳打ちをして背中を押し、僕は僕でカイザーの方に歩み出る。
カイザーは迷わず僕に銃口を向けた。
「撃つかい? でもきっと当たらないよ」
「ほんと凄ぇよなあ、お前は。俺の銃弾をものともせず避けちまう。それも卓球で反射神経を馴らしたおかげか? すげえ、人間ってのは凄えよ」
カイザーがいやに大人しい。僕はカイザーの言葉に惑わされることなく、彼の指先を見つめ続けた。
「でもよお、シュン」
「なんだい?」
「俺様が仲間を全員正面から向かわせると思うか?」
「――ッ」
しまった、と僕は慌てて後ろを振り向いた。診療所には裏口もある。それを僕は失念していた――だが。
そこには誰も、いない。
ゴッ、と僕の頭を衝撃が走った。銃弾が当たったのではない、おそらく何か固いもので殴られたのだろう。脳が揺れ、地面に倒れ込む。
「ひゃっはっはっ! ばーか。欺されてんじゃねえよ!」
「……本当に、性格がわ、悪いね……」
至近距離、カイザーは床にへたり込む僕に、銃口を押し付ける。
「チェックウェイトだな」
「チェックメイト、ね。前から言いたかったけれど、無理矢理難しい言葉を使おうとしない方が良い……馬鹿が際立つよ」
「減らず口だねえ! この状況で!」
ぐりぐり、とカイザーは銃口を強く強く押し付ける。
「カ、カイザー。君は、どうしてそう支配者であることに拘るんだい? どうしてそんな酷い事ができるんだい?」
「あァ? んなもん決まってんだろ! 気持ちいいからじゃねえか!」
腐ってる。救い様の余地もない程に、この男は腐っている。
「俺様はなァ、クソみてえに貧しい家に育ったんだよ! 毎日毎日飯を食えるわけじゃない、冬でも毛布一枚着て寝られない、両親が何度もサツに捕まってるような、そんなみそっかすみてえな環境で育ったんだよ! だから俺様には、生きるために他人から物を奪うって選択肢しかなかったんだよ! だから奪った! だから殺した!」
そうすれば必然、警察に捕まる。
「俺様は呆気なく捕まったよ。でも俺様を心配して両親が面会に来てくれなんかしねえ。あいつらにとっちゃ、食い扶持が減ってせいせいしてたに違いねえ。そんで俺様がムショから出て家に帰った時、そこに俺様の家はなかった」
「……え」
「全員俺様をほっぽり出してどっかに逃げちまったんだよ! 酷えよなあ本当! 実の息子を何の躊躇いもなく捨てちまうんだぜ? 笑える!」
本当に笑えるのか、カイザーはどこか気の入っていない笑いを繰り返した。
「その後路上でふらついてるとこを、白い服着た政府の人間に捕まった。俺様は世間に害をなすだけの、不要な存在だってよ……そんなもん俺を生んだ両親に言えよ! そんなクソみたいな環境に生まれて、俺に他にどうしろってんだよ! なあ!?」
「ぐ……」
「でもな、俺様はここに連れてこられた事を満足してる。あんなクソみたいな環境に比べれば、ここは天国だ。食料は定期的に補充されるし、殺して奪うのが許されてる。何より力を持ったものだけが上に立てる……こんな気持ちいいことあるか? 今まで何不自由なく親のすねかじって生きてきた軟弱野郎らを、合法的に殺せるんだ! こんな最高な事ァねえよ!」
「……それで、君の心は満たされるのかい?」
「あ?」
「そうやって他人を傷つけて、君は快感以外の何かを得られるのかって聞いてるんだよ!」
銃口を押し付けられていても、僕はそう叫んだ。そして銃口越しに、カイザーを睨み付ける。
「何言ってんだてめえ? 殺すぞ」
「君の環境は確かに同情されるべきものかも知れない! でもね、だからって自分が最低で、自分が一番可哀相だなんて勘違いするなよ!」
「なんだと……じゃあ俺よりも酷い環境で育ったやつが他にいんのかよ!? てめえはガキの頃から裕福に育って何不自由なく暮らさしてもらって、てめえに俺の気持ちなんかわかんのかよ!」
「わからないね! わかりたくもない! でもね、皆、ここにいる人たちは皆、苦しんでるんだよ……辛い思いをしてるんだよ。何不自由なく育ててもらったって、貧困に飢えて育ったって、そんなの関係ないんだよ! 皆同じだけ苦しんで辛い思いしてここにいるんだよ! 自分だけが苦しい思いをしてきたなんて、勘違い言ってんじゃねえよ!」
「じゃあお前は親に捨てられた事あんのか? 家に帰ったらその家がなかったなんて経験あんのか!? 親に無様に捨てられる気持ちがわかんのか!?」
「どうして君の両親が君を何の躊躇いもなく捨てたってわかるのさ?」
「それは、だってじゃあどうして一度も捕まった俺に会いにこなかったんだよ?」
「わからない。僕はその理由はわからないけれど、でもきっと君の両親は仕方がなくその場を去るしかなかったんじゃないかって思う。だって親ってのは、どれだけ情けない子供でも、それを庇いたくなる、擁護したくなるものだから」
僕の母のように。
僕の父のように。
ゴミのような息子でも、それを擁護したくなるものなのだから。
「てめえの親と俺の親は違えんだよ!」
「君を捨てるつもりならもっと早く捨ててたさ! なんとか君を大きく育てようと、そのために罪を犯してまでお金を稼ごうとしてたんじゃないのか! 君の両親は君に犯罪者になんてなって欲しくなかったんだよ! 君を不幸な環境に貶めたのは誰でもない、君自身だ! 悲劇のヒーローぶって、諦めて、妥協して、開き直って、そうやって自分自身を碌でもない人間にしたのは環境じゃない、君自身だろう!」
「うる、せえ……うるせえんだよ! 黙れッ!」
「それを他人のせいにして、環境のせいにして、そんな自分なら何をしても許される? 甘えんじゃねえよ! 君を人間ゴミたらしめるのは、君自身の行いの結果だ!」
ガッ――と、カイザーは空いている方の手で僕の顔面を殴った。
痛い。
「俺様は悪くねえ! 俺様は悪くねえんだよっ! そんなこと言ったら、てめえだってそうだろ! 人のこととやかく説教できる立場かよ!」
「……そ、そうさ。僕も同じ。結局君と変わらない、クズ野郎だ……」
でも、だからこそわかる。
「だからこそ、君に言えるんだ。君に言いたいんだ! もう言い訳はやめようって!」
「……そんな目で、俺を、見る、見るなァッ!」
「シュン!」
今にも撃とうとせんカイザーのその上から、ソウの声が響いた。
僕はそれを聞いて、カイザーの身体を思い切り蹴りつけ一瞬の隙を作り、彼のその引き金を握る指先へと集中を高めたーー。




