忘れてもらえると嬉しい。
僕がここに来て何日目だろうか。
そんな事も忘れてしまうくらいに、僕はこの《ゴミ箱》という肥だめに、馴染んできてしまった。気がつけば、僕の精神は恐ろしい程に、ゴミ箱染みてきていた。
「さあーて、諸君。おはよう」
「イエス! マイカイザー!」
《オタカ帝國》の人間が全員集まった場で、カイザーは両手を左右に広げながら、そう言葉を切り出した。全部で二十人くらいだろうか。男と女で半分ずつくらいだ。
しかし異様なのが、彼らはみな、何故か片膝をついてカイザーを仰いでいる。先程のよく分からない返事といい、王様気取りの彼が好みそうなくだらない決まり事なのだろう。
ただ僕はカイザーに気に入られた兄弟らしく、同じように片膝はつかず、カイザーの後ろで立って彼の背中を見つめていた。
僕の横には、ソウが吊された逆十字が立っていて、ソウは目を瞑っている。
「昨日の作戦はご苦労だった。誉めてやるぜ。おかげで俺たちを舐めくさったコソドロたちはほぼ全員あの世へ送ってやった。そして今から、その最後の生き残りの女、《黒塵ノ矢》を処刑する!」
カイザーがそう言った瞬間、周囲はそれに合わせて盛り上がるのかと思いきや、誰一人として歓声などあげはしなかった。
そりゃあそうだろう。誰が好んで人が死ぬところを見たいと言うのだろうか。
「ここでもう一回皆に紹介しておく。昨日から俺の弟分となった、シュンだ」
ちょいちょい、とカイザーは僕を手招いて、僕は皆の前へと踏み出た。カイザーはそんな僕の肩に手を回し、
「こいつあ最高だぜ。その実力もさることながら、実質《黒塵ノ矢》のチームを仕留めたのはこいつ一人といっても過言じゃあねえ! こいつには《オタカ帝國》の副カイザーを務めてもらうことにした! これからはこいつの言う事は俺様の言う事だと思ってもらっっていい! こいつの頭と強さ、そんでもって俺様のカリスマ性が合わされば、《ゴミ箱》の天下はそう遠くねえ!」
酷く不快な高笑いをするカイザー。耳障りだ。
そしてそれを、仲間の皆も感じていることは間違いない。
「じゃあ兄弟。ちょっくら演説でもしてやって、処刑を開始しろ」
ぽんぽんと僕の肩を二度叩き、カイザーは後方へと引いていく。
衆目を一身に受ける事になった僕は、意を決して口を開いた。
「知ってる人はおはよう。知らない人は初めまして。シュンです」
なんだか不慣れなせいか、奇妙な入り方になってしまった。漫才か。
ふざける雰囲気でもないので、気を取り直して僕は言う。
「いきなりですが、僕は引きこもりでした」
そう、語り出す。
僕の人生を。僕の全てを。
案の定、皆は驚いた様に顔を見合わせた。
「毎日起きてダラダラして、ご飯を食べてお風呂に入って寝る。家族の様子を伺い怯えながら毎日を過ごす。それが僕の人生でした。それが僕の全てでした」
よく考えれば今とたいして変わらない、ゴミの様な人生。
「罪悪感はあった。何かしなければ、早く外に出なければ、そう思う毎日で、でもそう思うだけで僕は何かをした気になって、結局いつものように眠っていました。また明日から――って」
でも何も、僕だって初めからそうだったわけじゃない。
「僕が生まれて初めて頑張った事と言えば、それはもしかしなくても大人なら生まれてきた事だ、なんて洒落た事を言ってくれるのだろうけど、でもそんな下らない事じゃなく、僕自身が、僕自身の意志で努力をしたことそれは……卓球でした」
そう。小さなオレンジの玉を小さな台の上で打ち合う、卓球。
テーブルテニス。
「三歳の頃から初めて、場所は近くの卓球教室でした。相手は皆僕より大きな人たちばかりで、僕はいつも負かされ、泣かされていました。それでも悔しくて悔しくて、僕は毎日その卓球教室に通い、少しずつでしたけど、実力を上げていきました」
思い出せる。昨日のことのように、あの悔しかったけど、充実した毎日を。
「お陰様で、と言ったらなんだけれど、でも中学に上がった時僕は学年では一番の実力を備えていました。しかもそれは学内にとどまらず、学校の外、街の外、県の外に出ても、僕は誰よりも上手だった。自慢みたいですけどね。でもその時知ったのが、僕が通っていた教室の先生は、オリンピックにも出た事のある元プロだったんです。そりゃあ上手くなりますよね。だからもはや敵無しと言ってしまっても良いほどだったんです」
自慢みたいで嫌だけれど、しかしここは話しておかなければならない事だ。
この先の話の核心に迫るために。
「まあ元々絶対的な競争数が少ないからね。だからそんな僕は高校一年生の夏、いわゆる日本代表選考が行われる大会に出場させてもらったんだ。ネタばらしすれば、実は僕を教えてくれていた元プロの先生が僕を推薦してくれただけなんだけどね。それでも僕は全国大会に出場して、そこで自分の実力を知った。まあ結果的に僕は年齢を厭わない強者が集まる大会に出てしまえば、中の下でしかなかった。良くて中の下ね。そりゃあそうだよ、考えればすぐわかる。僕は結局井の中の蛙だっただけで、絶対数の少ない卓球界でもその層は遥かに厚かった。僕は拗ねたね。情けないけれど、ひたすら拗ねた」
拗ねてひねてひねくれて、それでも僕には卓球しかなかった。
「僕は選考会で叩きのめされても、翌年、その翌年と、年齢問わずの大会に出場しまくった。悔しさだけが僕の原動力だったから。そして高校三年の夏だ。それは起こった。卓球ってのは皆も見た事くらいはあるよね。たまにシーズンになるとテレビでやってる。でもその時大体注目を浴びているのは、そうだね、天才少女ってやつだ」
小さな子供が、大人相手に善戦し、可愛いだなんだとちやほやされる。
それが卓球界の現状。世間の認識。
「僕が高校三年生の時にね、丁度その天才少女って言うのが出てきたんだ。世間でもそれなりに話題になり、小さな街の大会にも関わらず、いつもより多いマスコミが押しかけてきていた。その天才少女の一回戦目の相手が、僕だった。両親に引っ付いてばかりいたその無垢な天才少女を、僕は馬鹿にしていた。だってまだ小学校低学年だよ? いくら天才と言ってもたかが知れている。世間がスターに奉り上げようと誇張してるに過ぎない。それくらいの認識だった。でも高校生最後の夏、僕はどんな大会も背水の陣で挑んでいた。それくらいの覚悟があった」
だが僕は負けた。
完膚なきまでに、打ち倒された。
「ほんと情けないよ。油断していたわけでも手を抜いてやったわけでもない。僕は純粋な実力で彼女に負けた。それが悔しくて悔しくて、しょうがなかった。でもね、普段ならそこで、もっと頑張ろうって思えたんだ。次は勝つぞって、いつもの僕なら思えたんだ。ただ今回は相手が悪かった。相手は世間が注目する、可愛い可愛い天才卓球少女。彼女の一回戦突破は、大々的に報道された……何度も何度も、テレビや新聞で彼女が勝利するシーンを見せられた。わかるかい? それはつまり、僕の惨めな敗北シーンを、何度も見せられるってことさ」
僕の惨めな姿を、日本中、世界中の人間が見つめていたってことなんだ。
「世の中ね、得てして主人公以外の人間というのは蔑ろにされやすい。主人公が倒した雑魚敵のその後なんて描かれない。誰もそんな描写を期待してはいない。見たくもない。気にもしてない……でもね、あるんだよ。その雑魚敵にも、人生が! 感情が!」
声を荒げていく自分に気付くが、止められない。
「天才少女に負けた僕は、彼女の強さと卓球というスポーツをよく知らない学校の人間からは小学生に負けた男としてしか認識されない。マスコミは死体に鞭を打つように僕にインタビューを求めてくる。試合はどうでしたか? 天才少女はどうでしたか? 可愛かったですよね? 負けた感想はどうですか? ……って。どうして僕の感情を、誰も慮ってはくれないんだ! 小学生に負けて、恥ずかしいに決まってるだろ! 悔しいに決まってるだろ! 僕を写すな! 僕を哀れむな! 何も知らないくせに! 素人が知った風な口をきくなッ!」
なんとか息を整えようと、呼吸を落ち着かせる。
かつての荒れた時の自分を、抑え込む。
「僕の、僕の人生は、僕が人生をかけて挑んできた卓球は、所詮小学生に打ち負かされるような、何の価値もない薄っぺらいものだったんだよ……そうだよ。僕の才能の無さが悪いんだよ。その通りさ、笑われてもしょうが無いものだったんだよ……そう悟った時、僕は頑張るという感情を失った。努力しようっていう意志を失った。気がつけば学校にも行かなくなって、部屋に籠もりっきりになってた……家族だけは、両親だけは僕を気遣って何も言わなかったから。それが心地良かった」
でもそんな僕を、神様は許してくれなかった。
僕は白い服の男に迎えられ、この《ゴミ箱》へと捨てられた。
言い訳の余地もない。僕は心の安寧を求め、腐り果てた。努力し新しい道を切り開こうという、人として当然の行いすらも、怠った。
怠けに怠け、腐り果てたのだ。
「そして人生の答えとして、今僕はここにいる。人間ゴミと烙印を押され、まるで動物のような非文明的な生活を強いられている」
シャキン、と僕は長刀をゆっくりと抜刀した。
「こんなものを正義として持ち歩き、何の恨みもない人間を殺しては、自分の生を噛みしめる。だってこうしないと生きていけないから。これこそが、僕という存在にふさわしい生き方なのだから」
僕はソウの方を振り返って長刀を構え、彼女の虚ろな顔を睨み付ける。
「でもやっぱりそれは、情けないよ。卑しくて、虚しいよ。そうするしかないからって、そうしないと生きていけないからって……そうやって妥協してたら、結局それは以前の自分と何も変わらない」
「おい……兄弟」
「拗ねて、ひねて、諦めて、引きこもってた時の自分から、何も成長していない! 僕はそんな自分を後悔してる! 懺悔でも何でもない! ただ僕のプライドが、それじゃあ駄目だって叫んでいる! 泣いている! 僕はもう、自分を甘やかして逃げたくないんだ! だから僕は――」
「お前ら! そいつを止めろッ!」




