ここは飛ばしても大丈夫かと。
ゲームしてた。
サッカーみてた。
言い訳以上。
蠅が飛んできた。
僕の周りを、一匹二匹……その数は増えていく。
それだけ僕は今、異臭を放っている。血と尿とその他諸々の臭いが交じり合った臭い。
まさにゴミらしい。生ゴミだ。
「こんなもんか」
空は暗くなりはじめ、今僕の目の前では火が燃え上がっている。
そこでは男達がどこかで釣ってきたであろう魚を焼いている。彼らは皆今からここで行われる僕の公開処刑のために集まっているのだ。イベントスタッフみたいな役割かな。
ぎゅるる――僕の意志に反して、お腹から大きな音が出る。
「何だ、腹減ったのか?」
一人の男がそれに敏感に気付き、そう言った。
違う。これは生理現象だ。
これを乗り越えれば、僕は潔く死ねるのだ。だから決して食事がしたいわけじゃない。
「ほれ、食うか?」
目の前に焼いた魚を差し出される。
良い香りがする。この肌寒い夜に、最高の料理だ。
やはり僕の意志に反して、涎が出始める。そしてそれが驚く事に、僕の顔を伝って地面にぽたぽたと落ち始める。こんな空腹なことは今までなかったろう。
「おいおいこいつ相当空腹だぜ」
「死ぬ前に一口くらいやれよ」
「知るかよ。それならてめえがやれ」
ひょい、とその暖かそうな焼き魚は僕の目の前から持ち上げられ、目の前の男の口に入っていく。
「っつうかよ、マジで他のチームにも伝達したのか? 公開処刑」
「やれって言われたからにはやるよ。来るかどうかわかんねえけどよ」
「来ねえよ。誰が公開処刑なんて見たいんだよ、気持ち悪い」
「それ言うかよ。あの人くらいだよ、人が死ぬの見て楽しいのは」
「何やるんだろうな」
「前はリアル黒ヒゲ危機一髪だったろ?」
「うえっ……思い出しちまったじゃねえか、やめろよ」
「あれは酷かったよな……その前はクイズに答えられないと火が近づいてくるやつだったな。結局どんだけ答えても死ぬまでやらされ続けた」
言いながら男は口元を抑え、慌てて木陰に走り出し、そこで嘔吐のような声を響かせていた。
「今日はいつになくやる気だったからな……相当手の込んだ殺し方だろうな」
「はっ……恐怖政治っちゅうのはこんなのが当たり前だったんだろうな」
僕の存在など全く無視して、男達は世間話のようにそう会話する。
僕はどんな殺され方をするのだろうか。
どうせ死ぬなら安らかになくなりたかった。それくらいの我が儘は許されると思ってた。
ただゴミである僕に、そんな選択権は許されない。
その時、ポタポタ、ポタポタと、僕の涎ではない、別の何かが地面を打ち始める。
「嘘だろ……雨かよ」
雨は次第に強くなり始め、そして僕の全身を濡らしていく。
「どうするよ?」
「どうってどうせ中止だよ。さっさと戻ろうぜ!」
「お、おう」
男達がそう言って慌てて立ちあがり、その場から立ち去ろうとした瞬間。
フッ――と、唯一この暗い中を照らしていた火が、消えた。
それは雨、ではない。それよりももっと別の何か力が加わったとしか考えられない。
「うっ」
と、その時男のうめき声のようなものが響いてくる。何とも表現し難い、気味の悪い声。
「お、おい。どうじ――」
と、今度は別の男の声が途中で途切れる。
しかし場は一瞬で暗くなったため、まだ目が暗順応しきれていない。ただ音だけを頼りに状況を把握する。
「な、なんだよ……返事しろって!」
最後に残された男の一人がそう声を張り上げる。明らかに慌てている。
次第に僕の目も闇に慣れてきて、そして僕はようやくその闇夜に存在する別の人間の存在を捉えた。
それは細く長い、きらりと煌めく日本刀だった。
そしてそれを持つのは、黒く長い髪を靡かせる、射殺すような瞳をした女だった。
「お、お前何だ!」
ざく、ざく、とその女――ソウは男に向かって歩いて行く。
その距離はおよそ十メートル。
「止まれ! それ以上近づくなら、殺すぞ!」
するり、と男は腰に据えていたであろう一本のナイフを取り出して、ソウに向けた。
だがソウは揺らがず、その歩みを止めない。
「動くなっつってんだろ!」
その時男は、先程うめき声を上げた仲間の、その無残な姿を確認した。一人は胸から大量の血を噴出させ、もう一人はその首があらぬ場所へと転がっている。
「恐ろしく長い日本刀……それに足下まで伸びる長髪……お前、まさか《黒塵之矢》!?」
そう言いきるか否や、ばちゃり、とソウは一歩足を踏み込み、そしてその次の瞬間、彼女は男の背後に立っていた。長刀は天へと突き上げ、まるで今し方振り抜いたかのように。
一瞬にしてその十メートルもの感覚を埋め、抜刀し、そして男を切り裂いた。
ずるる、と男の身体が斜めにずり落ちる。
その閲覧注意の光景に、僕は目を瞑った。
「滑稽ね」
彼女の声がして、僕は恐る恐る目を開けた。
そこには案の定、刀をしまい直したソウがいて、その全身は雨に濡れている。
「何しに、きたんだよ?」
「公開処刑と聞いて、見に来たのよ。馬鹿な男が皇帝に惨殺されるのを見にね」
「……きょ、今日は雨で、中止だってさ……残念だった、ね」
「そう、残念。良かったわね、一日とはいえ生きながらえて」
良かった? どうして? そんなわけないだろう。
「こんなさらし者に、なるなら……さっさと殺して、欲しかったな……ははっ」
本当に。どうして一日も延ばされなければいけないのだろうか。
早くしなければ、ゴミの臭いが充満してしまうぞ。
「本当に、そう思ってる?」
「え……?」
「私には、君が本当に死にたいって思ってるように見えないのだけれど」
何を言っているんだ。死にたいに決まっているだろう。
ゴミなのだから。さっさと処分せねばならない。
「だ、だったら、君が殺してくれよ……僕を、処分、してくれないか?」
「やめてよ。どれも本気じゃない。君は、本気で死にたいとは思っていない」
「思ってるさ……何を言っているんだ、君は。僕は死ぬ以外に価値なんてないよ」
「じゃあ……じゃあどうして君は泣いているの?」
「……え?」
ポタポタ。ポタポタ。
逆さになった僕の顔を伝って地面に流れ落ちるその液体は、雨――ではなかった。
涙だ。
何故か、僕の瞳からは、止まらない涙が溢れ出ていた。
「どうして……」
スパン――と、音がして、僕の身体が地面に落ちる。久々の地面の感触だ。感じたのは足の裏ではなく、僕の頭だったが。
シャキン、と僕を縛っていたロープを切ったであろうその長刀を、ソウはしまい直した。
僕は手の感触を頼りにやっとこさ身体を上げ当たり前の景色を取り戻した。
彼女は、ソウは酷く冷めた視線で僕を見下ろしている。
「どうして……どうして助けたんだよ……どうして殺してくれないんだよ!」
苛立ちそう叫ぶ僕に、しかしソウは言葉では無く、何か別の物を投げた。
僕の視線の先に落ちてきたのは、一袋のパンだった。真ん中にソーセージの挟まっている、マヨネーズたっぷりのコンビニパンだ。
「なんだよ、これ」
僕はそれから視線を外し、ソウを思い切り睨んだが、ぎゅるるる――と、言葉とは裏腹に、僕のお腹が叫ぶように鳴り出す。
「くそ! くそ!」
僕は食べたいという自分を抑え付けるように、自身のお腹を何度も叩いた。
何度も何度も。
「ほら、お腹空いてる」
「違う! これは所詮生理現象で、僕はこんなものを食べたいと思ってはいない!」
「嘘。君は強がってる」
「違うって言ってるじゃないか! 僕は、僕はゴミなんだよ!」
「知ってる。それはもう聞き飽きたわ。何の価値もない、生きてるだけで迷惑な存在。人間ゴミ……だから?」
「だから? だから死ぬのさ! こんなもの食べて醜く生きながらえるんじゃなくて、潔く死ぬ!」
僕がそう言うと、彼女は先程殺した男が落とした、一本のナイフをこちらに向けて投げつけた。抜き身のナイフが、僕の目の前に落ちる。
「じゃあ死になさいよ。それで、潔く、日本人男子らしく、死んでみせなさいよ」
「……」
ナイフとソウを、交互に見て、僕はためらいなくそのナイフを手に取った。そしてそれを逆手に持つ。
「どうしたの? 手が止まったわよ」
「……うるさい。今からやるだろ」
「怖いくせに。嫌なくせに。粋がるのも大概にしたら? 見てて腹立つんだけど」
彼女のその辛辣な言葉に、僕は強い苛立ちを持って彼女を睨み上げる。
そしてそれなら、と自分のナイフを持った手に力を込め、それを腹部に勢い良く突き刺した――と思った。
でも、僕の手は動いていなかった。
ずっとナイフを逆手に持った状態で、固まっている。その手は震えていて、怯えている。
「くそ……クソッ!」
口でそう吐きながらも、しかしやはり僕の腕は一向に動かなかった。
僕の意志に反して、身体が動く事を拒否している。
「残念だけど、それが君の本心なのよ」
「何だって?」
「君は口で偉そうな事言えても、実際君の本能は生きたいって思ってる。一時の感情で死にたいなんて言ってるだけで、その覚悟なんてありゃしない」
違う。僕は死にたいのだ。
死ななければならないのだ。
「怖いんでしょ? 本当は。自分を刺すのが怖い。死ぬのが怖い。だって痛いものね。苦しいものね」
「そうだよ……怖いさ! 逃げたいさ! でもね、僕はそんなことしていい立場じゃないんだ! 怖くても、辛くても、死ななきゃいけない存在なんだ! だから――」
「そんなこと勝手に決めないでよ!」
彼女は怒鳴った。そう、僕に。
「確かに私たちは政府からゴミと見なされた、何の価値もない無駄な人間かもしれない! この社会に生きてく場所なんて無いのかもしれない! でもね、それでも私たちは生きてるの!」
「……」
「疲れて、お腹空いて、眠くなって……そうやって当たり前のように生きてる生き物なのよ? ゴミだろうがなんだろうが、私たちには意志がある! 感情がある! 世間の目や環境問題、資源の問題なんて、クソ食らえだ! 誰がなんと言おうと、私たちは生きる! 疎まれようとも、蔑まれようとも、生きてやる! それが私たちの、そして君の本心でしょ!? 本能でしょう!?」
本能――酷く動物的で、未開的な、そんな言葉だが、今の僕らにはぴったりの言葉だ。
「社会に見捨てられて、それでもその世間を慮ってやる必要がある? いいえ、ないわ! 私はあいつらの思い通りになんかならない! 例え疎まれようとも、意地でも、醜くても、馬鹿馬鹿しくても、生きてやる! そしていつの日か外の世界に戻って、政府の人間を見返してやる! 私たちはここにいるぞ、って!」
私はそのために生きてる――ソウはそう言って、言葉を締めくくった。
なんて傲慢で、生意気で、そして強い女なんだ。
彼女もまた、人間ゴミのくせに。
「だから君も、生きて」
ソウは、穏やかな声色でそう言って、僕の固く握りしめていたナイフを手に取り、それを横に置いた。そしてその手に、袋に入ったコンビニパンを握らせる。
「お腹が空いたら食べる。眠くなったら寝る。そんなの難しく考える事じゃなく、生物が当たり前にしてること。そこに資格も権利も、そして許諾もいりはしない。生きる事に、理由なんていらない」
「でも、僕は……僕の存在は、誰にも迷惑になるから……」
「じゃあ私のために生きてよ」
「え……?」
突如としてかけられた、彼女の暖かい言葉に、唖然と見上げる。
暗い景色の中、何故か彼女の存在が輝いて見えた。
まるで陽が差したように。
「私が生きるために、生きて行くために、君の力を貸して欲しいの。私が君に生きるための価値を与える。だから君が生きる目的は、それじゃあ駄目かな?」
鋭い表情を作り続けていた彼女が、初めてそう言って微笑んだ。
優しい、優しい笑顔だった。
こんな僕に向けられているのが信じられないほどに。
眩い笑顔だった。
「う、うぅぅ……」
涙が、溢れる。
無性に叫びたい、泣きわめきたい感情に苛まれる。
僕はそんな自分を抑え込むように、握らされたコンビニパンの袋を開け、それを口に栓をするようにねじり込んだ。
「うまい……うまいよ……」
普段なら敬遠するような、安っぽいそのコンビニパンの味が、今の僕には至極の食事のように感じられた。
染み渡る。僕の血管一本一本に染み渡る。
僕は生きていたい。この味を再び味わうために、もっともっと生きていたい。
僕は心からそう思った。
よければ無駄話でもなんでもぜひ。
ついった▶︎飯倉九郎@E_cla_ss




