第6話
それは突然にして発生した。
この国の首都で行われた黒魔術による破壊活動。
嵐が吹き、炎が燃え、突如として人々が怪物化した。
大地は揺れ、天を突き刺す建築物は倒壊、経済も混乱した。
人々は互いに他人を疑い、疑心暗鬼に陥り、いわゆる『魔女狩り』も横行し
た。世紀末に起きたこの暴動は、新世紀を迎えた頃、ようやく終息した。
黒魔術による破壊活動を起こしたのは
『井上呪術研究ファクトリー武闘派』。
井上源三郎がはじめた黒魔術研究サークルである、通称『井上呪研』。
そこのほんの一部の会員だった数人が『武闘派』を名乗り、
黒魔術を悪用して暴動を起こしたのだ。
俺たちは『武闘派』の全員を抹殺。
問題を起こした本体の『井上呪研』を解散させ、主宰者である井上源三郎を
逮捕、続けて彼の二人の子供も保護観察の名の元、監禁した。
兄は、強制収容所へ送られ、まだ幼い子供だった妹は、
父、井上源三郎とともに山奥の山荘に『安全確保』の名目で、
囚われの身となっていた。
****
私は別に朝食は食べたくはなかった。
私は朝、食事を取るのは好きではない。
だが、いつもそうなのだが、毎朝この時間に朝食を取らなくてはいけない。
私には自由がない。
毎日毎日、決められた時間、決められた場所ですごさないといけない。
朝食を食べたくない自分ができる精一杯の抵抗は、
朝食の席につき食事に手をつけない事だった。
だが、今朝は違った。
今日は少しいつもと様子が違った。
いつもなら、朝の七時半には朝食を取らなくてはいけなかったのだが、
今日は少しそれが遅れているようだ。
めずらしい。
何かあったのだろうか。
無表情の執事が、今朝は少し朝食が遅れる事を伝えて来た。
執事は、私の要望をできる限りこなしてくれる。
それはとても助かる事だ。たまに感謝の気持ちを執事に伝える事がある。
だが、彼は変わらない。
いつでも、どんな時でも、執事はずっと無表情だ。
私は彼の名前を知らない。
だがここでは、私が生きているこの環境では、人の名前なんて、
関係ない。世界で何が起きていようと関係ない。
私は虜。
自由のない虜。
たまにさみしく思う事もあるが、でも哀しくはない。
十五分くらい待っただろうか、ようやく無表情の執事が私の部屋の
ドアを開け、朝食の準備が出来た事を伝えにきた。
窓の外では、小鳥たちが待っている。
それぞれの木々の枝に留まり、私が外に出て来るのを待っている。
くだらない朝食の儀式を終えて、早く外に出よう。
毎日の日課となっている、庭園に散策に出かけよう。
そして、私に会いに来ている小鳥たちと自由に会話しよう。
そう思ったが、今日はその日課が実現しない事が、すぐにわかった。
自由のない私の唯一の楽しみが、今日は無理である事が朝食の席に
着いてすぐにわかった。
今日の朝食はいつもと違った。
出ている料理がいつもとは違っている。
だからと言って、それがいつもの朝食と違う理由ではない。
私は元々朝食は食べない。
朝食の時間、ずっと席についてただ単に目の前の料理を
ながめているだけだ。
だが、今日は違う。今日は別の物に目が奪われてしまった。
毎日朝食は意味もなく、私を監禁している男といっしょの
時間を過ごす。私には拒否権がないので、それを拒む事はできない。
その変わりに、食事を取らない、と言う権利を行使して自分の意志を
表現するほかなかった。
だが、私は驚いていた。
めずらしく今日の私は自分の感情を表に出していた。
無表情の執事はそれに気がついているようだったが、私は関係なく目を
丸くして驚き続けていた。
私を驚かせたもの、それは目の前に座る男の様子だった。
朝食に使う食卓は、西洋の名画に出てくるような長さであった。
男までの距離はだいた十メートルくらい。正確に計った事はないが、
そんな事は重要ではない。私の十メートル先に座り、私と同じ料理に
手をつけようとする男の姿に、私は目が奪われてしまった。
十メートルも離れているが、男の様子がいつもと違う事は充分に
確認する事はできた。だって毎日毎日、繰り返されている日課だから。
服もカジュアルな物を着て、長髪もきれいに整え、
いつもはビシッと決めている男が、今日は違った。
見た目はいつもと変わらなかったが、あきらかに疲れていた。
服の着こなしも、髪型の調整も、いつもと同じだったが、
私にはそれが疲れて見えた。
私は自分以外に興味はない。幽閉され自由のない自分には、
他人の事など気にはならない。だが、今日は目の前に座る
いつもの男の様子に気が奪われてしまった。
私の日々の生活の面倒を見てくれる、無表情の執事の名前など知らない。
憶えるつもりもない。私を監禁する、目の前の男もそうだ。
興味がなかったので、私はこの男の名前など憶えるつもりはなかった。
だが、今日は違った。私は目の前に座る男の名前が、
非常に気になった。記憶を思い出す。この男の名前は、たしか…。
「リョウ様。お飲物は?」
「…。いつものをくれ。」
そうだ、リョウだ。この男の名前はリョウと言う名前だ。
私は意図的に自分の意識から彼の名前を忘れようとしていた。
私を監禁する男の名前など、おぼえていたくない。
だからずっと私はこの男の名前など、頭のすみに追いやっていた。
そう言えば、はじめてあった時に本人からそう紹介された事を
おぼえている。
…はじめて会った時。それはいつ頃なのだろう?
五年? 十年? たぶん十年くらいは経つのだろう。
そんな時間が過ぎていたのか。
でも関係ない。私の今の生活が続く限りそれが十年だろうが、
百年だろうがそれは関係なかった。
「…お早う。」
リョウは私に話しかけてきた。思わず目と目が会ってしまった。
私はあわてて目をそらした。私がリョウの事を見ていた事に気が
ついたのかも知れない。彼は精一杯のやさしさと親しみをかけ、
言葉を続けた。
「今日もきれいだね。」
普通なら、普通の女の子なら素直に喜ぶべき言葉かも知れない。
だが、私はあえてそれを無視した。
「よく眠れたかい?」
歯の浮いた、くだらない話。
いつも繰り返される、くだらない言葉。
だが、今日は違っていた。この男は疲れていた。
たしかにリョウは、疲れていた。
いや、疲れていただけではない。リョウは何かが不安なのだ。
精一杯不安を隠している素振りであったが、
今日のナイフやフォークの使い方でわかる。
なぜなら毎朝、私はこの男と、リョウと朝食をともにするのだから。
リョウは、何かが不安な様子であった。
何が不安なのだろう。私がそれを探ろうとすると、無表情の執事が、
私の目の前に飲み物が入ったコップを置いた。
彼は私が朝食を取らないのを知っている。
私がリョウの考えている事を探ろうとした事に気がついたのか。
無表情の執事が見事なタイミングでそれを邪魔した。
リョウの考えている事を探るのを止めた私は、ふと窓の外を見た。
薄いカーテンに仕切られた窓の外では、小鳥たちが待っている。
たくさんの木々に留まり、私が外に出て来るのを待っている。
だが、いつもと様子が違った。小鳥たちの様子がおかしい。
なにやら仕切りに騒いでいる。
何だろう? と思って私は小鳥たちのざわめきに注意した。
小鳥たちの会話に意識を集中した。小鳥たちの『言葉』はわからない。
小鳥たちが、どんな『言語』で会話しているかはわからない。
だが私は直感で、ひらめきのような物でそれを読み取る。
小鳥たちのさえずりに集中して、少したって、それが何か判明した。
兄だ! 兄がこちらに向っている!
兄が! 私の兄が私を助けにくる!
小鳥たちは、それを早く私に伝えたいがために、騒いでいた。
庭に出てくる私に、小鳥たちはそれを早く伝えたかったのだ。
思わず私は口を開いた。思わず、声に出して問いただした。
「兄が…兄が脱走したの?」
私は窓の外の小鳥に問いかけたのだが、彼らはそんな事に
気がつくはずもない。めずらしくフォークの音をたてたリョウが、
動きを止めて私を一点に見つめた。
「…何だって? 今何と言った?」
普段は紳士的で、冷静ぶっているリョウの表情が、
険しくなるのが見えた。
そうなんだ。
やっぱりそうなんだ!
兄は脱出したのね。
私を助けるために、ここに向っているのね。
目を細め、眉間にしわをよせているリョウの表情で、
それが事実である事が見て取れた。
私は、嬉しかった。
ものすごく嬉しかった。
兄とは、どのくらい会っていないのだろう?
最後にお兄さんに会ったのは、いつ頃だったのだろう?
私がそう思いをめぐらせていると、リョウはとてもひどい言葉を
私に向って投げかけて来た。
「…俺の心を読んだな? …魔女め!」
だれがお前の心なんか読むものか。
私は窓の外の小鳥と会話しただけ。
私が外に出て来るのを待っている小鳥たちと、心で会話しただけだ。
お前にそれがわかるはずもない。無神経で無骨なリョウに、
それがわかるはずもない。
それに『魔女』と呼ばれる事は、私に取ってそれは『光栄』な事だ。
私は魔女ではない。
決して魔女ではない。
だが、私を監禁している男に、『非人間的扱い』をするリョウに、
そう恐れられるのは名誉な事だ。
私は嬉しかった。嬉しさのあまり、ふだんしない事をしてしまった。
他人を信じず、けっして目の前の物すら信用しない。
食べ物だって、飲み物だって、何か変な物が添加されていないかを
注意しながら取っていた。
私はそう誓ってきた。
私はそうやって生きて来た。
なのに今日は、私の目の前にあった飲み物に口をつけてしまった。
嬉しさのあまり、細かい事を注意するのを忘れていた。
私の意識が遠くなる。目の前の物がグラグラ揺れる。
私の目の前に座っている、リョウの姿がぼけてくる。
しまった、眠り薬か何かだ。
私に兄にあわせないつもりなのか。
私は失敗した。私にしては失敗してしまった。
私が意識を保とうと立ち上がると、無表情の執事が私を支えた。
私を『支えた』と言う表現は間違いであった。
私が逃げぬよう、逃げだせぬよう、力の入った両手でしっかりと
押さえこまれてしまった。
私の目の前に座るリョウの口元に笑みが浮かんだのが見て取れる。
視点がぼけてはいたが、それがはっきりと確認できた。
なんてやつだ。お前なんか地獄に落ちてしまえ!
地獄の業火で焼かれてしまえ!
だが、私の抵抗はここまでだった。
私はこれ以上がんばるのは無理だった。
私が意識を失う直前、窓の外の小鳥たちがパニックになって騒いでいる
『声』が、私の耳元に飛び込んで来た。