一冊目『物語には挫折が必要だ』
ステータス主義という考え方がある。
この世界、特に大国には『ステジオの水晶』という魔道具があり、それは人間の能力を数値化して表すことができる。
ステータス主義とは『ステジオの水晶』によって表された能力の数値によって人間の『強さ』を測る考え方だ。
この考え方は多くの人間に広まっており、この魔術学園でも『ステジオの水晶』で表されたステータスによってクラスの振り分けがされている。
しかし、ステータスによってその人間の全てが表されるわけではない。例えば人間の知能や知識、発想力や技術力などは数値化されない。だからこそ必ずしもステータスが全てではないのは事実であるが、しかし現在の王国がステータス主義であることも事実だ。
「チッ!あぁ、気に食わねぇ」
イーツは学園内を歩きながら苛立っていた。
このステータス主義によってイーツは不遇な扱いを受けている。しかし、イーツ自身はそこに不満を感じていない。平民であるからこそ入学する前から不遇な扱いを受けることは目に見えてわかっていた。
イーツが苛立っている理由は魔術学園のレベルの低さだ。元々イーツは強くなるために学園に入学した。自分より強い存在と戦い勝利を手にすることによって強者となる。
そこに人生の全てをつぎ込む。
イーツの夢は『最強』である事。
しかし、この学園にはイーツが望むような強者はいなかった。親の反対を押し切り、何とか金を苦心して集めたが全ては無駄に終わったのだ。
「ま、所詮箱入りか。温室育ちの貴族様じゃあ血なまぐさい戦場では戦えねぇな」
今すぐにでも退学してくるかな。
そんな事を思いながらも実行できないのは記憶にこびり付くあの男の存在だ。
飄々として不気味。猫のような鼠のような男。トランプタワーのような危うさを持ち、蛇のような嫌悪を覗かせる男。
名前はエナレス・オラトレア。
金と権力で実力も無いのに魔術学園に入学した落ちこぼれ。
周りの評価はそんな所だろう。しかし、実際話してみると得体の知れない不気味さを漂わせる怪物だ。
「……ハッ!考え過ぎだな」
あの男は人畜無害、弱者でしかない。
ずっと思考に耽っていたせいで学園を抜けて路地裏を歩いていた。
このまま真っ直ぐ行けば間借りしている自分の家に戻ることが出来る。
「ちょっと待ちな。兄ちゃん」
背後で声がして振り返ると下卑た笑みを浮かべる男が三人。
「持ってるもの全部置いてきな。そうすりゃあ見逃してやるぜ」
見え見えの嘘で挑発する男を見てイーツは口角を吊り上げる。丁度いい暇つぶしになりそうだ。そう言いながら拳を握り、振りかぶる。
勝負はあっさりついた。
雑魚中の雑魚。話にならない弱さだ。その腕についた筋肉は飾りかと問いたくなるほどだ。
イーツはため息を吐いて発散し切れなかったストレスを吐いて背を向ける。
「はぁ、仕事もできないとは情けない」
背後から声がして心臓が一気に鼓動を早める。
瞬時に振り返る構えるとスーツ姿の男が倒れ伏す三人を見下ろしながら頭を抑えていた。
「貴方達が弱いとは分かっていたことですが、いや、これは私のせいですね。私が彼の強さを見誤っていたせいです」
その言動、行動、全てがイーツの心臓の鼓動を高めていく。
血の匂いがする。魔物の獣臭い匂いじゃない。もっと色濃く残酷な人間の血の匂い。
「さて、申し遅れましたね。
私の名はセレン。セレン・ニーネ。ニーネファミリーの者です」
ファミリー、マフィアかよ!
イーツは心で叫ぶだけで相手の一挙一動を見逃さずに目を向ける。目の前に強い相手がいる。それだけで高揚するはずだった自分の心臓はボロボロで、今でも警戒音を鳴らし、逃げろと叫ぶ。
「さて、これも仕事でしてね。
貴方を殺せと依頼があったのですよ」
「依頼だと?」
そんなに自分は恨まれていただろうか。あるとすれば今日模擬戦で戦った貴族だが、…いや、十分可能性としてありえるか。
思考が早い、頭の中で話して現実逃避しているだけだ。
イーツは再び思考を戻して目の前の男を見据える。
「長話をするつもりもありません。
早速始めましょう」
セレンは背筋を伸ばし、腰に携えた剣に手を添える。ゆっくりと引き上げ、上段に構えて腰を落とす。
まずっ!来る!避け消え後ろ?!飛ぶ殴る速下斬る避けて距離を、取れない。逃げる?逃げる?無理ぃ!死?まだ!頭熱い、熱熱、足右前刀を収めて抜刀。距離を取って視認、ギリギリセーフ、覚悟完了。右腕を引き絞って穿つ。狭い当たる。弾けろ!え?!──────うしろぅ?!?肋骨一本。ナイス距離!!右腕を引き絞る。確実滅殺!穿て!!左腕命中。止まらねぇ!!剣、避ける無理ぃい!!!!─────────うぐっ!思考が消し飛ぶ!!次は!次は!!次は!!!
「なるほど、金貨五枚という報酬金額は高いと思っていましたが。こういう事でしたか」
セレンは折れ曲がった左腕を抑えながも何とか立ち上がる。セレンの剣速に付いていける速度と視認できる目、魔法は使わないがそれ以上の拳技。拳圧なんて技が本当に存在する事にセレンは冷や汗を流していた。
「恐ろしい子供です。『死』を知ってもなお戦える実力と屈しない精神。依頼として受けていなければスカウトしていましたね」
イーツは肩から斬りつけられ多くの血を流しているが辛うじて息がある。
「生命力も強いのですか」
セレンは片膝をつき剣を頭に突き刺そうと構える。
「つ、よく…」
体はボロボロ死んでいてもおかしくない出血量。そんなはずだ、そうでなくてはならないのに。
イーツの腕はセレンの首元まで迫っていた。
全身から溢れ出る警告音と死の恐怖によって全身の筋肉を無理やり動かしてイーツから距離をとる。
すぐさま抜刀の構えを取る。
遠い。
イーツは朧気な意識の中で呟く。
巫山戯るな。こんなに遠い筈がねぇ。強くなるんだ。『最強』は目の前にある。
腕を伸ばせ、この命続く限り伸ばし続けろ!!
「見える魂は鬼神の如く」
イーツの背後から溢れ出る黒色の何か。
このまま戦っても勝てる自信はあまり無い。良くて五分だ。
セレンはそう直感して、部下3人を抱えて全力で離脱する。あの出血量ではほっといても死ぬはずだ。
「全く、最近の子供は恐ろしい。
とても死ぬ気がしないのですから」
まるで『デカトル冒険記』に登場する不死の怪物アルトガのようだ。
一人残されたイーツは傷だらけの体で倒れる。ゆっくりと閉じていく目は最後まで遠ざかっていく男の背中を見ていた。
(届かねぇ…)
操り人形の糸が切れたかのように、イーツの全身から力が抜けて気を失う。