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 あれから何事もなかったかのような顔で数日が過ぎたある日の午後、私はコールス様の端正な顔を眺めながらアフタヌーンティーを飲んでいた。

 私の頭を悩ませる原因である彼は目下、ティーセットのスコーンにジャムをぬっている。



「これが済んだら、馬車の手配を頼めるか」

「承りました。どちらにお出かけですか?」

「なんでも、父が街に屋敷を用意したらしくてな。結界を張るついでに、下見に行く」



 俺は屋敷くらい自分で用意したかったのだけど、とコールス様が漏らすが、私は彼の父親の行動の意図がよくわかる。マイペースな彼ではいつまで経っても屋敷を購入する気配がないし、もしかすると商人が言うがままにおかしな物件を高値で買わされてしまうかもしれない。現に既に4度目の結界を張る時期になっても、彼は屋敷の手配どころか日本でいう不動産屋にすら赴いてすらいなかった。


 食器を片付けた後、身支度をしてコールス様と共に手配した馬車に乗る。馬車というのはこの世界では貴族や金持ちの乗り物で、私のような下働きとは今まで無縁だった。初めて乗る馬車の感想はというと、想像以上に揺れて酔いそうだ。

 布張りの椅子は柔らかく作られているが、すべての衝撃を吸収するほどではなく、馬車が何か固いものを踏んだりする度に私の体は跳ね上がった。それを見かねたコールス様が、何か呪文を詠唱するとその揺れはぴたりと収まる。



「魔術ですか?」

「ああ、道が悪いとどうしても馬車は揺れるものだからな。最近あまり乗ることがなかったので、すっかり忘れていた」



 神殿へ着くとコールス様はいつも通り、何だかとても長い詠唱を歌い上げた。もうこの光景を見るのは4度目になるが、何度見たところでこの幻想的な光景に飽きることはないだろう。

 馬車の乗り降りには、コールス様自らエスコートされる。勝手のわからない私にはありがたかったが、馬車を操る御者は下働きの服装の私と、貴族然としたコールス様を見比べて不思議そうな顔をしていた。



「コールス様は、どうして私を召し上げようと思ったのですか?」

「どうして、か。さて、どうしてだろうか」

「はぐらかさないでください」

「すまない、そういうつもりではなかったんだがな」



 そういってコールス様はふふと笑みをこぼす。



「どうしてか……そうだな、一言でいえばリーコの傍は居心地がいいからだろうか」

「居心地が、ですか? 私はてっきり、刺繍が原因だと思っていたのですが」

「ああ、それもある。しかしどんなに腕を持っていても、合わない人間は傍には置けない。その点リーコは、距離感というものをよくわかっているだろう? 近すぎず遠すぎず、配慮もできる。俺は傍に置くのならば、有能で毒がある者よりも無能で信を置ける者の方がずっといい。もちろん、有能で信じられる者ならば尚更良いがな」

「そういうものですか」

「何も、貴族だからと言って家でまで腹の探り合いなどしないものだ」



 腹の探り合いなど、この人にできるものなのだろうか。そんな失礼なことを考えていると、馬車がとある屋敷の前で止まる。

 街の中心から少し離れたところにある屋敷は、私の勤める宿から徒歩20分の距離だろうか。周囲に何軒も大きな屋敷があるが、その中でもひと際大きく、重厚感のある家だ。



家令(スチュワード)執事(バトラー)は父が手配してくれているらしいが……」



 コールス様の手を借りて馬車を降りていると、重そうな扉が音もたてずに開いた。中からロマンスグレーの髪をきっちりと撫でつけた、上質な執事服を身に着けた初老の男性が出てくる。



「坊ちゃま、お久しぶりです」

「なんだ、ロバートが来たのか。家は大丈夫なのか?」

「後続が育っておりますのでご心配なく」

「そうか、よろしく頼む。あと、坊ちゃまはやめろ。俺はもうそんな歳ではない」

「おお、これは申し訳ございません。おかえりなさいませ、旦那様」

「リーコ、紹介する。これは俺の生家で執事長を務めていたロバートだ。ロバート、こちらはリーコ」

「はじめまして、お嬢さん。まさか坊ちゃまがこのようなかわいらしい女性をお連れとは、思いもしませんでした」

「こんにちは、リーコと申します。銀の宿アルケスの羽でコールス様のお部屋付きをさせていただいております」



 誤解されてしまいそうな紹介の仕方だったので、早めに訂正しておおく。

 そのままにこにことしたロバートさんに案内され、屋敷を一通り見て回った。現在はこの大きな家に家令と執事が4人、料理人が1人、下男が3人ほどしかいないという。



「今は荷を運び込むのが主な仕事ですので男ばかりですが、旦那様が御住みになる頃には何人かメイドを入れねばなりませんなあ」

「俺も現在、一人口説いているところだ。残りの手配は任せる」

「わかりました。あと20日もすれば、旦那様をお迎えに上がるに完璧な屋敷になるでしょう」

「なんだ、俺は今からでも住むつもりだったが?」

「ほほ、それは性急すぎでしょう。そもそも数日前まで手の入っていなかった屋敷です」

「少しくらい粗があったところで、俺は気にしないが」

「コールス家の使用人は、完璧な屋敷で主人を迎えたいと思うものなのですよ」

「なるほど。急かしてしまうようで悪いな」

「坊ちゃまのわがままなどこのこの老骨、随分聞いておりませんで。うれしいことですよ」





 屋敷から戻った後、コールス様との夕食を済ませ私は待機部屋で体を休めていた。

 コールス様とロバートさんの私への対応は、何だか既に私があの屋敷で働くことが決定しているみたいだった。他の使用人も紹介されたが皆優しそうな人ばかりで、忙しく働いているのにわざわざ手を休めてまでコールス家に仕える喜びを語ってくれた。徐々に洗脳されている気分ではある。


 私としては、コールス様に仕えることを厭う気持ちはなかった。がらりと変わる環境は不安ではあるが、もう3年前にひとりぼっちでこの世界に落ちてきた私とはもう違っている。支えてくれる友人や、見守ってくれる人がいる。

 コールス様はとてもいい人だ。人が良過ぎるきらいがあり、目が離せないこともあるがあの人の元に仕えたならば私は充実した気持ちで働けるだろう。給金だとか、労働条件だとか。そんなことよりも、あの優しい人柄に惹かれている自分がいた。


 夜。僅かばかりの湯で身を清めた後、火照りを冷ますために中庭へと赴いた。コールス様は夜に使用人を呼び出すということをしないので、毎晩じっくり身を休めることができる。

 部屋付きになった当初はいつでも対応できるように仮眠という形で待機していたが、それを逆に咎められてしまった。なんでも、大の大人なのだから大抵のことは自分でできるそうだ。私はそれに対して、買い物は供を連れた方が賢明ですよと返してしまい、不満げな表情を向けられた。しかしながらその目が僅かばかり泳いでいたので、彼も彼とて自分が断れない人間であることを自覚はしているらしい。


 中庭のベンチに腰を下ろそうとしたが、ふと厨房に灯りが小さく灯っていることに気づく。厨房の仕事は早朝から行われるため、この時間に誰かがいるのはめずらしい。不思議に思って覗いてみると、そこにはランプ一つを灯して何かに真剣に向き合っているリトがいた。



「リト」

「あ? なんだ、リーコか。どうした?」

「どうした、はこっちのセリフだよ。何やってるの、こんな遅くに」

「今日さ、親方に新しい細工を習ったんだよ」



 うれしそうに笑うリトの手元には、黄色いニンジンに似た根菜であるニンクが握られている。そのニンクは少しばかり歪ではあるが、角の生えたうさぎ――アルケス――のような形をしていた。



「アルケス?」

「わかるか?」

「まあ、そんな感じはする」

「うまくできたら明日の夕食に使ってもらえるんだよ」

「だからこんな遅くまで?」

「ああ、親方には何本ニンクを駄目にするつもりだって叱られるかもしれねぇけどよ。俺たちはしばらくニンクのスープが続くかも」



 はは、とリトの乾いた笑いが響く。



「リトは、器用で何でもそつなくこなせると思ってた」

「まあ、リーコよりかはずっとマシかもな」

「うるさいなぁ」

「……俺だって天才じゃねぇんだ。こういうことだって必要だ。だけどいかにも頑張ってます、なんてキャラじゃねぇだろ?」

「かっこつけ」

「うるせぇ」



 二人で顔を見合わせていると、どちらからともなく笑い声が漏れた。そしてふと、リトとこうやってゆっくり話すのがとても久しぶりなことに気付く。お互い歳を重ねるうちに、ひとりでできることが増えていき、昔みたいに膝を涙で濡らすことが減っていた。歳の近い私たちはお互いを励まし合い鼓舞してきたが、いつの間にかひとりで立ち上がることを覚えていた。



「なんか、久しぶりだね。こういうの」

「ん? そうか?」

「私がここに来たばっかりの頃はよくこうやって、リトやマリーと夜遅くまで話してた気がする」

「ああ、お前が泣きべそばかりかいてた頃の話か」

「んーまあ、否定はしないけど」

「しないじゃなくてできないんだろうがよ。あの頃はリーコ、ぴーぴー泣いてばっかだったな」

「リトだってマリーに泣かされてたくせに」

「泣かされてねぇよ! ガキじゃあるまいし」

「私から見たらリトは今だって十分子供だよ」

「はぁ?」

「だって年下だし」

「お前の理論で行くと、俺は永遠に子供になるんだが? どうやって年を追い越せと?」

「だってまだ未成年じゃん?」

「俺はもう18だ!」

「私の世界では未成年なんだよ。お酒も煙草も、あと2年は駄目だね」

「……俺からすりゃ、リーコの方がよっぽど手がかかるガキだけどな」



 そういってリトは、口の端を釣り上げたような笑い方をする。ニヒルな笑い方を失敗したような、何とも言えない表情だった。その顔を見てしまうと私も文句は言いづらく、自然と沈黙が場を支配する。



「そういえば、さ」

「ん」

「私、コールス様に屋敷で働かないかって言われてるんだ」



 苦し紛れに紡いだ言葉を音にした後、失敗したと感じた。

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