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長期滞在の部屋付きになっても10日に一度の休みは随分と遅れる形でだが貰えた。本来ならば客の好みを知り尽くした部屋付きの途中交代は行われないのだが、コールス様に至っては滞在日数が未定のため実行された措置である。
ちなみにこの休みが女将さんの意志で与えられたのならば「我が宿のコンプライアンスはなんてしっかりしているんだ!」と咽び泣いたところだが、実際はコールス様の「もう半月ほど働いているが、リーコの休みはいつだ?」という私の休日を気にする会話から始まり、滞在期間中は大抵の部屋付きの休みがなくなることをお伝えしたところそれではいけない、と彼自ら女将さんに掛け合った結果である。
確かにうちの宿の部屋付きの休日は曖昧に設定されていたが、これは何も別に女将さんだけが悪い訳ではない。そもそもノースの街に貴族の長期滞在者が少ないのだ。王都から離れていて、特に目立った観光のない街。それがノースだった。
近くにある森からはピオネッタという少し珍しい魔獣が発生し、それを狩る冒険者や毛皮を求める商人はいる。しかしながら前者は部屋付きを利用せず、後者はせいぜい数日の滞在で済んでいた。この街で腰を据える人間も数日宿泊すると、大抵家を買うなどして宿を引き払っている。
部屋付きになって長いミザリーの最長連続勤務日は精々30日程度。しかも部屋付きというこの宿で比較的楽な部類の業務内容なので、ひと月連勤したところで左程苦にはならないそうだ。
そんなこんなで突然降ってわいた休日を私は持て余し、結局行きつけのカフェへと足を運んでいた。
このカフェは私に仕事を紹介してくれた先住落ち人のアメリアさんとその夫が経営しており、何ともまあ不思議なパフォーマンスを見せてくれる。ふわりと飛ぶ皿、木匙で救われた赤いリツゴを煮詰めて作られたソースが、私の目の前でくるくると動き回り素敵なデコレーションを施してくれる。あたたかい紅茶もティーカップにひとりでにそそがれて、あっという間にティーセットの準備が整った。
アメリアさんは日本があった世界とは別の場所から来ており、そこは魔法ではなく超能力のようなものが存在する世界らしい。この世界の魔法では炎や水を出したりなどは簡単だが、何かを浮かせるという行為には繊細な風の魔力の調整が必要で実用できるものではなかった。
逆にアメリアさんの世界ではそこに存在していないものを作るのは難しく、念動力や千里眼、予知や念話などが主だったらしい。能力はこの世界に来てからも変わらず使用できるので、自分が使える能力が念動力ではなく千里眼や予知だったら、政治的に利用されて面倒なことになっていたかもとはアメリアさんの談だ。
なんでも彼女の世界はそういった超能力が存在するのは普通だったため、地位のある人間には千里眼を退ける呪いのようなものが普及していた。しかしこの世界ではそんなものはないので、どんな権力者の生活ものぞき放題になってしまうらしい。
「リーコ、聞いたわよ! お金持ちに気に入られたんですって?」
「……随分ざっくばらんとした情報ですね」
「リトが心配していたわよ、何か粗相をしないかって」
「元はといえばリトのせいですよ」
朝の混雑が収まった頃、ケーキをつついていた私の前にアメリアさんが腰を下ろした。彼女はこの世界での私の先輩兼友人で、仲良くさせてもらっている。しかしながら年ごとの女性らしく、何かと私とリトをくっつけたがったり、色恋の噂を聞きつけるとうきうきしながら話しかけてくるところはちょっと苦手だ。
「それで、どんな方なの? その噂の魔術師様という方は」
「とても良い方ですよ。私のような下働きにも気を配ってくれますし」
「まあ! リーコも玉の輿に乗るのね!」
「話が飛躍しすぎですよ」
「だってだって、わざわざご指名なのよね? それはもう、リーコを狙っているのではなくて?」
「単に、私の特技とお客様の実益が一致したまでですよ」
「特技? リーコに特技なんてあったかしら」
アメリアさんがことんと首をかしげる。この人はどうも天然が入っていて、会話していると恋愛話しかり、何だか別の世界の人と話しているような気分になる。事実、別の世界の人間なのだが。
「裁縫です。なんでもこちらの魔術師は、布媒体で魔術を行う場合刺繍技術が必要になるらしくて」
「リーコにそんな特技があったのね。私、知らなかったわ」
「特技というか、趣味を兼ねていますけどね。こちらでは暇つぶしの道具も限られていますので」
「そんなものかしら? 私はお友達とお話していたら時間なんてあっという間になくなってしまうのだけど」
「アメリアさんは社交的ですから。私はどちらかというと、休日は静かに過ごしたいので」
「まあまあ、若い子がそんな考えだなんて!」
「アメリアさんもそんなに歳は変わらないでしょう」
「だって私はもう既婚者ですもの。貞淑な妻はあまり奔放に遊びまわらないものよ。でもリーコは未婚でしょう? 一人でも二人でも、恋人を作ればいいのに」
「今は仕事で手一杯ですね」
恋人が二人もいたらそれはそれで問題だろうが、今のところそういった意味での良い人を作るつもりはなかった。そもそも相手が存在しない。
「元の世界に恋人がいるとか?」
「いませんが」
「じゃあ、リーコの周りに素敵な男性がいないのね」
「そういう訳では……そもそも、私なんて相手にされませんよ、地味だし」
この世界の人たちは西洋風の顔だ。彫りが深く顔だちがはっきりしていて、更には日本ではありえないような様々な髪色を持つ。平均的日本人のような薄い顔で、こちらの人と比較すると背の低い私は彼らから見たら子供のように見えるらしい。宿で働き始めた当初は、2つ年下のはずのリトにすら子ども扱いされていた。
「リーコは素敵よ、周りの見る目がないのねぇ。……まあ、リーコが気づいてないだけって場合もあるわ」
「褒めてくれるのはアメリアさんくらいですよ」
「リーコは恋をしたらもっと素敵になると思うの。周りに目を向けてみない?」
そういって恋の素晴らしさを語るアメリアさんに押し切られた私は、善処します、と実に日本人らしい言葉を返した。
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アメリアさんと別れて街を散策する。大通りでは客につかまる可能性もあるので、裏通りを選んだ。まだ休みは半日以上残っているので、取りあえず昼食にとひっそりと運営する隠れ家的なレストランへと足を運ぶ。この店は知る人ぞ知る、といったお店で質のいい料理を出す割には良心的なお値段だ。街の外の人間には認知されていないため、昼食時にごった返すということもない。
銅貨2枚と私たちには少し値が張るが、月に何度か宿の従業員たちと足を運ぶこともある。小洒落ていて雰囲気のいい店は、宿の女たちには大人気で、定番のデートコースにも組み込まれるほどだった。
木製の上品な色の塗料で塗られた扉を押し開け、店内に入ると見知った顔が見える。リトと最近入った下働きのハリエットだ。ハリエットは傍目から見て取れるほどにリトに熱を上げていたので、なるほどなと独り言ちる。押せ押せなハリエットに、ついにリトが陥落したのだろう。
しかしながらタイミングが悪かったとも思う。デート中に知人がそばにいるのも気まずかろう。出直そうかと考えていると、ぎょっとした顔のリトと目が合った。
「り、リーコ!」
「お疲れリト、ハリエット」
「お前、今日休みだったのかよ!」
「突然休みになったのよ。二人も?」
「あ、ああ。休みがかぶったから食事に来ただけだ。そうだ! お前も一緒にどうだ、な?」
「えーっと……邪魔しちゃ悪いから」
「別にただ食事に来ただから邪魔もくそもねぇよ! ハリエットもいいだろ?」
随分と必死なリトに対して、ハリエットの視線がどんどん厳しくなって行く。
どう考えても私はお邪魔虫である。
「いや、突然パンが食べたくなったから屋台に行こうかなと」
「パンならこの店にもあるだろ! 何ならおごるぞ?」
「リトさん、リーコさんにも都合がありますから、無理に誘ったら迷惑ですよ」
ハリエットの「一番迷惑なのはお前だ」という視線が怖い。私は知らなかったが、もしかすると恋する乙女とは肉食獣のことを表していたのかもしれない、と新たな仮説が生まれる程度には鋭い視線が突き刺さる。
しかし何故かリトはリトで必死で、立ち去ろうという私を必死に食い止める。ハリエットと二人きりがそんなに嫌なのか、最終的には私に泣き縋りそうになっていたリトを置いて、私はその店を去った。
だって確実に、ハリエットの方が敵に回した恐ろしいことになるから。