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次の日、朝から女将さんに呼び出された私は耳を疑った。
「お部屋付き、ですか……?」
コールス様の部屋付きになるよう命じられたのだ。
そもそも部屋付きとは、滞在中のお世話を付きっ切りでする従業員だ。貴族のほとんどは侍従がいるので、食事の配膳だったり備品の管理だったりが主になる。貴族用の部屋には大抵部屋付きがいるが、実はこれは宿泊とは別料金だ。
部屋付きになると他の仕事が免除され、専用の部屋で待機が命じられる。二十四時間御用聞きができる状態にしていなければならないが、貴族だって人間のため夜はだいたい寝れるし下働きよりも仕事的には楽になると部屋付きを希望する従業員は多い。
しかし部屋付きは、完璧な教育を施された者のみが選ばれる。それはもちろん、ここで働き始めて3年ぽっちの下働きではなかった。
「私、下っ端もいいとこですけど?」
「わたしもそう言ったが、お客様のご指名なんだ。リーコ、お手つきでもされたのかい?」
「ち、違いますよ! そんな訳ないじゃないですか!」
「まあそういうことにしておくよ。今日から10番の部屋付きだ。慣れないからって、くれぐれも粗相のないようにね」
仕事の多い女将さんから追い出されるようにして部屋を出る。10番の部屋の横にある小さなドアをくぐると、ベッドと机が置いてあるだけの簡素な部屋へと入った。この部屋は部屋付きの待機室のようなもので、ドアと小さな小窓がある。この小窓から要件を聞いて、仕事を行うのだ。
コールス様の部屋は静かで、もしかしたらまだ寝ているのかもしれない。私は宿泊者の細かな情報を書かれた書類に目を通し始めた。
コールス様――ジェイデン・コールスは24歳らしい。私の予想通り、職業は王宮魔術師だった。滞在日数は未定。彼はこの宿に泊まるのは初めてで、そのくらいしか情報はない。残りの空欄は私が彼をお世話する上で埋めていかねばならないようだ。
顔合わせ前に部屋に入るのはぶしつけにあたるだろう。特にすることもないので待機部屋で呆けていると、小窓が控えめにノックされる。
「はい」
「開けるぞ」
小窓から見えたコールス様は早朝であるというのにきれいに身なりを整えていた。本来ならば侍従がいない彼の身支度の世話は部屋付きである私の仕事でもある。
「起きていたな」
「おはようございます」
「すまないが、茶を入れてくれ」
「かしこまりました」
コールス様の部屋へと入り、キッチンで準備をする。彼はリビングにあたるスペースのソファの上で何か書き物をしているようで、真剣な表情だ。ほどなくしてお茶を入れて持って行くと、コールス様は乱雑に書類をまとめて隅へと置いた。
「ああ、よければ君も一緒に飲まないか?」
「えーっと……私はあくまで使用人のような立場ですので」
「俺がいいと言っているんだ。誰も咎めないだろう?」
「……では、ありがたく頂戴いたします」
キッチンからもう一組ティーカップを持ってきて、コールス様の向かいへと腰を下ろす。
「よく考えてみれば、まだ名乗っていなかったと思ってな。俺はジェイデン・コールス。この町に赴任した魔術師だ。よろしく頼む」
「コールス様のお部屋付きをさせていただきます理依子と申します。何なりとお申し付けください」
「そうだな、取りあえず室内で自由にしてもらっていい。退屈だと思うが、何か必要なものがあるなら用意しよう」
「あの、コールス様。私には待機する部屋があり、更には使用人です。そのようなお気遣いは結構です」
「しかしあんな窓もない狭い部屋では、息が詰まらないか?」
「そういうことは……」
「まあいい。君が思うとおりにやってくれ。どこかの部屋に入るのに、許可など取らなくても大丈夫だ」
「承りました。コールス様、朝食は如何なさいますか?」
「頂こう」
「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」
食事の手配をして、お手本のようなマナーで朝食を取るコールス様を眺めていると、「次から食事は一緒に取るか。二人分準備してくれ」と彼は変なことを言い出した。
従業員と客の食事の差異だとか、かかる料金だとか、身分の違いだとか。思いつく限りの理由を並べ立ててみたが結局、コールス様の「お互い、一人の食事は味気ないだろう?」の言葉に私が折れる羽目になった。女将さんの誤解が加速する燃料を投下してしまった気分だ。
朝食を終えるとコールス様はリビングでそのまま書類を広げ始めたので、一言断って、部屋の掃除を始める。リビングは気が散るだろうから他の部屋から始めたが、泊まり始めて数日の部屋は埃が積もるどころかごみ一つ落ちていなかった。ベッドがきれいなままだったことには驚いたが、ひとまず上質なシーツを取り換えてベッドメイクしておく。コールス様がずいぶんときれいに使ってくれているおかげで、私の仕事はあっという間に終わってしまった。
仕事がないので待機部屋へと戻ろうとすると、書類から頭を上げたコールス様の青い瞳と視線が絡む。
「部屋に控えておりますので、何か御用がありましたらお呼びください」
「わかった。昼食は仕事がひと段落したら声をかける」
「かしこまりました」
女将さんに仕込まれたきれいな礼を披露して、私は待機部屋へと戻った。
□
数日もすれば、コールス様との会話も向かい合う食事もすっかり慣れてしまっていた。私とコールス様の間にも、少し気安い空気が流れていて他愛もない会話も弾む程度には親交を深めていた。
二人で少し遅めの昼食を取った後、コールス様が窓の外を眺めながらぽつりと漏らす。
「そろそろ前任者の結界が解けるな」
「わかるのですか?」
「国に使える魔術師ならば誰でもわかるさ。リーコは魔力がないから理解できないだろうが、結界が少したわんでいるのが見える。張り直しに行かなければ」
「結界の張り直しって祭壇で行われるのですよね? ここからでは少し距離がありますし、馬車を用意いたしましょうか」
「急ぐわけではない、歩いていく。案内を頼めるか?」
「承りました」
部屋付きの人間が主人と一緒に外に出ることはあまりない。それは主に利用者には貴族が多く、十分な数の侍従を連れているからだ。コールス様の場合は特殊だったので、彼の買い物の荷物持ちなどは想定済みだった。
結界を張るのに必要なものをまとめて部屋を出る際に、荷物を持とうとする私とコールス様の間でひと悶着が起こる。
「女性に持たせるわけにはいかない」
「しかしながら、私は使用人です。どうかお許しください」
「祭壇は遠いのだろう?」
「コールス様は祭壇に着いてからお仕事がございますので、その前に無駄な体力をお使いになるのはどうかと」
「……魔術師といえど、これでも鍛えてはいるんだ。俺は問題ない」
「ですが」
「俺はリーコに荷物を持たせるために部屋付きにしたのではない。理解してくれ」
私はため息を吐きたくなった。コールス様がとても紳士的な方だということはこの数日のわずかな触れ合いの中でも嫌というほど理解できた。いや、理解していたつもりだった。しかしながら彼の行動は行き過ぎていると感じる。貴族というものをしっかりと理解しているとは言えない私が、彼の態度は明らかに使用人に対するものではないと断言できる。
一緒にお茶を飲んだり、食事をしたり、あまつさえ小さな荷物を持つことすら許さなかったり。これではまるで、私が使用人ではなくどこぞの貴族の令嬢のような扱いだ。上下関係をしっかりとお教えする必要がある。
「コールス様。あなたは我が宿の大切なお客様で、私その部屋付きです。私はコールス様が快適に過ごすために全力を尽くす義務があります」
「重々理解している」
「お言葉ですが、理解しているとは思えません」
「だがリーコは使用人である前に女性だ。俺は騎士である父から、女性は庇護するものだと教えられている」
「では私のことは女だと思わないでください」
「それは無理だ。リーコはどう見ても可憐な女性で、俺の庇護対象だ」
「……コールス様、こういえばご理解いただけるでしょうか。私の仕事を取らないで頂けますか?」
「リーコは、俺が荷物を持つと困るのか?」
「困ります」
「どんな問題が?」
「宿の信用が下がりますね。あそこは客に荷物を持たせて従業員はのんきに手ぶらなのかと。次に、女将に見咎められたら私の給料が下がります」
「……わかった。俺が悪かった」
「お分かりいただけたのなら幸いです。つまらぬことでお時間をいただいてしまい申し訳ありません。参りましょうか」
神殿は街の中央部、小高い丘の上にある。コールス様曰く、結界を張るためには街すべてを見張らせる場所の方が都合がいいらしい。私の勤める宿は町の東側にあるので、徒歩で行くなら大通りを通って一時間と少しというところだろうか。何度か行ったことはあるが、一般人には縁もゆかりもなく神殿と呼ばれる石造りの床と屋根があるだけの場所なので、私がそこへ行ったのはおそらく片手の数で足りるほどだ。
大通りには大小様々な店が並んでいる。飲食物の屋台や新鮮な野菜を売る店、子供用の遊具を売っていたり、ちょっと何に使うのかわからないものが並んでいたりもする。そういうものは大抵が魔法関連のものなのだが。
気が多いコールス様は案の定色んな店に引っかかっていた。彼は人が良すぎるきらいがあるので、店の人から声をかけられればそれに丁寧に応対してしまうのだ。結局氷の魔術で冷やされたリディオという果実のジュースを二人分買わされていた。店側からすれば良いカモだ。
「コールス様、お時間は大丈夫でしょうか」
「ああ、そうだな。これで失礼する」
商人に引き止められる彼に助け舟を出すのはもう何度目だろうか。そのうち、数えるのも馬鹿らしくなりそうだ。困ったような笑顔を浮かべるコールス様は、こっそりと私に囁く。
「助かった。どうも使いもしない壺を買うところだった」
「コールス様、拒絶はしっかりと伝えるべきかと思います」
「しかしだな、相手は善意で勧めてくるのだぞ? 邪見にするには忍びない」
「コールス様の中で人間はどんなに善の存在なのですか? 悪意を持ってとんでもない安物を高値で買わせようとする商人だって存在します」
「俺だって、流石に詐欺師の類は見分けられるさ」
そういってほほ笑む彼に、私は懐疑の視線を向けた。