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綿矢理依子様
黄色次第に濃くなる季節となる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
この度は、私どもの不手際でご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございませんでした。この問題は、明らかな世界構築における神為的ミスであり、その解消に奔走しておりますが、すべての問題を解決するにはもう少々お時間を頂けたらと思います。
今後このようなことをすべて防ぐというまでには世界構築システムが整っておりませんが、異世界からの来訪者の皆様のご希望に添えるよう、尽力して参ります。
甚だ略儀ではありますが、書面にてお詫び申し上げます。
さて、この度私が綿矢様にご連絡させて頂きましたのには、地球から来た方々の帰還の準備が整いましたことをお伝えするためにございます。
この手紙を綿矢様が受け取ったその日から、各国に配置されている王都の女神教神殿へとご来訪いただけましたのなら、速やかにお帰り頂ける次第です。異世界からの来訪者の皆様のご帰還の準備が大幅に遅れましたお詫びとして、皆様を元いた場所、年齢、時間へとお返しさせて頂くつもりでございます。
また、当世界で過ごした時間を忘れたいという方がいらっしゃいましたら、神殿内に勤める神官に申し出て頂ければ、記憶の消去も承っております。
綿矢様に足をお運び頂くご足労を強いてしまい大変申し訳ございませんが、ご帰還の意志がございましたら、王都女神教神殿へとお越しくださいませ。
なお、ご帰還を希望されない異世界の来訪者の皆様は、そのままこの世界でお過ごし頂いて構いません。
□
手紙の下部には、愛の紋章によく似たものが描かれていた。
私は二度、三度と文面に目を通し、内容を確認する。いたずらにしては随分手の込んだものを、と手紙を破り捨ててしまいたくなったが、よくよく考えてみるとこの世界には漂白された紙など普及していないことを思い出す。ジェイデン様の使っている紙だって、草や藁を砕いて作られた荒い薄茶色のパルプ紙だ。
手紙を日に透かして見ると、細かい透かし模様すら入っているのがわかる。これは明らかに、この世界ではオーバーテクノロジーなのではないだろうか。
「……どうしよう」
誰かに、相談すべきなのだろうか。他でもない、彼に。
しかしこの手紙が本物で、私が元いた世界へと戻れると知ったのなら、彼はどう思うのだろうか。
笑顔で送り出してくれる?
必死に引き止めてくれる?
それとも――少し悲しそうな顔でほほ笑んで、私に決定権を与える?
自分の平凡な発想力では、その程度の回答しか思いつかなかった。だけど、どんな反応をされたって嫌だった。
笑顔で送り出されたら、私はその程度の存在だったのかと泣き叫びたくなる。
必死に引き止められたら、ジェイデン様との信頼関係を築けなかった自分が嫌になる。だって、私はこんなにも彼のことを信頼しているのに。
感情を飲み込んで、私のためを思って選択権を渡されたって――――駄目だ、こんな自分の妄想にすら苛立ちを覚える。
だって私は、他の誰よりもジェイデン様のことが好きで、信頼している。それなのにこんなにも彼の反応に怯えるのはきっと、私がジェイデン様への愛を示せていないと思っているから。
シンシアやニコレッタの言う通り、相手に好意を伝えることはとても重要だが、今までの私は気恥ずかしさから躊躇い、先送りにしてきた。そのツケが回ってきたのだ。
私は手紙を強く握りしめて、まだ見ぬ女神への怒りをあらわにした。
どうして今なのか。ジェイデン様と出会う前ならば、私は喜び勇んで日本へと帰っただろう。
どうして今なのか。数年後、私たちが家族という形にまとまっているのならば、未来の私はこの手紙を鼻で笑い、迷わず破り捨てただろう。
「どうして、今なの」
私がこの世界へと落ちてきて、もうやがて5年にもなる。生まれ育った世界よりかは短いが、この世界で大切なものができた。できてしまった。
「母さん、父さん……ごめん」
実の家族よりも、大切な人ができてしまった。こんな私は親不孝者だろうか。
もう5年も顔を見れていない。優しい母、厳格な父。口喧嘩をすることもあったけど、会えなくなって初めて、家族を思い袖を濡らした。別れて初めて、大切だと知った。
そんな人たちと、再び会うための切符。
私はそれを、迷いなく破り捨てた。
□
その日の夕食後、私はアイロンがけしたハンカチを手に、ジェイデン様の私室の扉をノックしていた。
私から彼の部屋を訪ねるのは今までに数回しかなく、大抵魔道具制作時に事前に約束を取り付けていたので、アポイントなしの来訪は少し緊張する。
少し時間を空けて、小さな音を立てて扉が開くと、まだ仕事をしていたのだろうか。ワイシャツにボトムスという屋敷でよく見かける服装のジェイデン様が不思議そうな顔をしていた。
「……リーコ? どうした、こんな時間に」
「突然すみません。少し、お話ししたいことがありまして」
「君ならいつだって大歓迎だ」
そういってジェイデン様の自室へと招かれ、いつもの定位置であるソファー上の彼の隣に収まる。飲み物を手配しようとする彼を止めて向き合うと、ジェイデン様は私の真剣さを悟ったのか、いつもの穏やかな笑みのまま、こちらをじっと見つめた。
「……」
「……」
「あの、ですね……」
沈黙を破ったのは、私の何ともない情けない声だった。視線を彷徨わせながら、まとまらない言葉を紡ぐ。
「私は……いや、違う。ジェイデン様、教会や市民から落ち人に関して何か連絡は入っていませんか?」
「………………着たのか」
彼の瞳が、少し揺らいだ気がした。私はごくりと生唾を飲み込み、答える。
「着ました」
「そうか……リーコ、君は――」
「待ってください!」
私は思わず、立ち上がり声を張り上げる。それから先の言葉を聞きたくなかった。怖かった。
「待って、聞いて……わ、私、私は…………」
「大丈夫だ、リーコ。ゆっくりでいい」
ジェイデン様が私に寄り添い、落ち着かせるように私の肩を抱く。
「私は……ずっとここにいます。帰りません」
「リーコ……」
ぎゅっと、私の手が握られる。温かい体温に、落ち着く。ここが自分の在るべき場所であると感じる。私はその大きな手を握り返す。そして、零れ落ちそうな涙をぐっと堪えて、握り締めていて皺のよった愛の紋章の刺繍が入ったハンカチを彼に手渡す。
「ジェイ、私と結婚してください」
初めて、彼の愛称を呼んで。
無理に破顔した私をジェイはきつく抱きしめた。




