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 私がジェイデン様のためにできることとはなんだろうか。考えると、やはり手仕事に行きつく。自分の得意なことと言えばその程度だし、流石に衣服の仕立てまではできないが、刺繍や小物づくりに関しては胸を張れる程度の自信はあった。

 とはいっても、ジェイデン様が関与しなければ、私の刺繍は魔道具にはならない、ただの刺繍である。


 シンシアとニコレッタに私たちのことを打ち明けて数日後の休日。私は早朝町の衣服を扱う店に買い出しをした後、ひとり自室にこもっていた。

 窓際に置いてあるシンプルな備え付けの机に向かいひとり黙々と、ハンカチに針を入れる。上等な、シルクのような手触りのハンカチ。魔物の吐き出す滑らかな糸を折ったという布は、肌触りが良いが値段もそこそこ高く、主に貴族に好まれている。

 これは守りの紋様、これは、冷媒の紋様、これは魔術保護の紋様。彼と二人で作った魔道具の図案は、ほとんど頭に入っている。一つ二つではなく、いくつも魔道具を制作してきた。だけど今回、私はひとりで今までに作ったことのない紋様を、図案と睨めっこしながら縫い付けていた。


 愛の紋様。この世界の婚約腕輪にも描かれている、女神の紋章をアレンジしたものだ。この紋様の刻まれた魔道具は、魔術を強化するわけでも、身を守ってくれるわけでもない。ただ、所持者の幸せを祈るもの。具体的な効果は解明されていないので、魔道具としてよりも、吉兆を願い意匠として形作られることが多い。

 この紋様に、誰も効力など期待していない。ただ、自分の想いが相手に伝わるように祈り、大切な人へ贈るものだった。


 魔道具を作るときのように、素早く短時間で仕上げる必要はないので、私は一針一針、ジェイデン様への想いを込めながら刺繍をした。だから、いつもよりも随分と時間がかかってしまったが、ハンカチへの刺繍は丁寧な、立体的に浮き上がるような印象に仕上がった。

 ハンカチをたたみ、ランドリーメイドにアイロンのような熱で布を伸ばす魔道具を借りに行く。少し重量のあるアイロンを抱えながら自室へと戻ろうとすると、使用済みのティーセットをのせたトレイを持ったエリスと廊下の角で鉢合わせする。



「あっ」

「あらリーコ、ごきげんよう」

「お疲れ、エリス。ごめんね、全然気づかなかった。食器大丈夫?」

「わたくしはあなたのパタパタとした足音に気づいておりましたので、問題ありません」



 エリスが、まるで子供をからかうみたいな顔でほほ笑む。しかし彼女は、少し考え込んだような素振りを見せた後、首を傾げた。



「ですが、淑女たるもの、そのように足音を立ててははしたないですわ」

「何かそれ、前にも言われた気がする」



 聞き覚えのあるセリフに、笑みを漏らす。かつて同じようなことで注意されたときは、エリスの口調はもっと棘があったし、彼女は諭すような優しい苦笑など浮かべていなかった。



「……あなたは、変わっていませんこと」

「成長してないってことかな?」

「直接的に表現するとそうなりますわね」



 エリスがふふと笑みを漏らす。彼女からの指導は、中々減りそうにない。



「あなたも………いえ、リーコ。ひとつ聞かせて。あなた、決めたのかしら?」

「……決めたよ」



 真剣な顔でこちらを視線で射貫くエリスを見つめ返し、頷く。



「そうですのようやく……でしたらこれからは、立場が色々と複雑になるでしょうし、もう少し立ち振る舞いに気を置くべきです」

「うん、よくわかる。ありがとう、エリス」

「リーコならば、こちら側でもそれとなくやっていけるでしょう。わたくしもコールス家使用人の一人として、手を貸しますわ」

「エリスには一生頭が上がりそうにないなあ」

「あら、あなたがわたくしに(こうべ)を垂れたことなんてありましたでしょうか」

「何なら今、してもいいけど?」



 私がそういうと、エリスは呆れたような顔でため息を吐きながら、いりませんわ、と答えた。



「エリス、仕事中だったんでしょ? 引き止めてごめんね」

「別に構いませんわ。今は特に仕事が多いという時間帯でもありませんし」



 頑張ってね、と彼女を見送り、自室へと向かう。

 扉を開き、重いアイロンを机の上に置こうとすると、いつの間にか窓が開いていた。

 誰か入ったのか。コールス家に住み込みで働く人間たちは、一部――貴族過激派――を除き皆仲が良く、信頼できる人ばかりだが、お互いの信頼を崩さないよう自室には施錠が義務付けられている。転ばぬ先の杖と言う奴だ。何か起こったときのためにマスターキーも存在するが、今まで使われたことなどないらしく、ロバートさんが責任をもって管理していた。

 何か変わったところがないだろうか、そう思い部屋を見回すと、ベッドの上に白い封筒が置かれているのを見つける。部屋の窓が開いているとはいえ、小さな窓からは人間はとても出入りができそうにない。そしてどれほど手を伸ばしたとしても、窓から離れたベッドの上に物を置くことなど、不可能だ。

 いぶかし気に思い、封筒を手に取ってみると、真っ白なすべすべとしたそれには私の名前が書かれていた。


 ――綿矢理依子様。


 それは紛れもない日本語の漢字表記で、この世界では誰も知らないはずの私の姓名(フルネーム)が書かれていた。

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